スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

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母の在り方

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 母には母の考え方や価値観があり、そこに関しては一本気でぶれがない。
 そしてそれは母の在り方であり、母は母の望む在り方を娘に求めはするが、意に沿わなかった場合に感情的になることはほとんどなかった。多少苛つくこともあるけれど、それだけ。
 叱られることはあったが、怒られたことは記憶の限りなかった。

 そのような場合、母はただ、自らは折れない、その在り方を貫くのみだった。
 それで大概のことはねじ伏せては来れたのかもしれないが、すべてが意のままに納まって来たわけではないだろう。それでも、母はただ折れないだけで、結果が意に沿わなかったとしてもそこに大きな頓着は無かった。
 他者に言うほど興味を持っていない気質が現れているともとれるが、他者に期待をしていないともとれる。

 ままならない何かに期待をかけ、それが期待通りにならなかった時に、ひとは怒るのだ。

 そういう意味では、母はあくまでも自分のみ。
 コントロールすべきは自分のみで、成る成らないは結果論。
 他者への期待は無いから、結果については「そうなった」ただそれだけのこと。怒りが発生する源泉を持っていないのだ。

 コントロールすべき自分自身が折れないような『剛さ』が、Tristezaに於ける母の言う『剛さ』と共通しているなら、あの歌が母に合うのはよく理解できた。

 
 しなやかな『靭さ』こそが、真の強さに近いと捉えていた私の考え方とは異なる。
 言い方を変えれば、私の価値観の外にあった考え方だ。
 価値観は時に思考を偏らせ視野を狭める。そういう意味では、己が認識の外にあって、それはそれでひとつの真理とも言える考え方に触れられたのは思いがけない収穫だったのではないだろうか。

 柔よく剛を制すが、剛よく柔を制すといわれることもある。
 性質の異なる強さに優劣はなく、適性があるだけなのだとしたら、偏った考え方のみでは足りない。母によってもたらされた慮外の考え方は、私に気づきの切欠を与えてくれた。

 
 そんな『剛い』歌が(母はその当時歌詞のことは知らなかったが)好きだった若い頃。
 母は好きになった歌を鼻歌で唄うように剛く軽やかに、人生を進め、望むものを得ていった。

 明らかな不幸はなかったが、倦んでいたともいえる卒業後の生活に焦りも不満も持たず淡々と生き、降って湧いたような出会いを淡々とモノにした母。

 良くも悪くも、「在るもの」の影響を受けずに生きてきた母は、気高いネコ科の獣のように思えた。
 しなやかなネコ科と剛性の強い母のイメージが重なることに意外に思いながらも、一方では心のどこかで納得できる要素の存在を認めていた。
 
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