スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

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フェスタジュニーナ(LINK:primeira desejo 122〜123)

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 高速を降りて少し走らせれば、目的地はすぐそこだ。
 地方ならではの広い駐車場で、イベントで賑わってはいたが空きスペースはそれなりにあった。
 キッチンカーなども何台か来ていて、ところどころで人だかららができている。
 キョウさんが車を停めた隣のスペースに車を停めた。

 先に停まっていたキョウさんの車から外に出ていたがんちゃんたち五人が、伸びをしたり話したりキョウさんが車から降ろしているサンバの楽器を見たりしている。
『ソルエス』所属ではないがんちゃんのお友達三人は、キョウさんから楽器を借りてイベントを楽しむ予定だった。

 フェスタジェニーナは、演奏やダンスを披露する側だけでなく、観客側も思い思いに楽器を鳴らし、歌い踊っても良いとてもご機嫌なイベントだ。


 片手で持てる小太鼓をバケッタ(撥)で演奏する『タンボリン』を手にしているのはルカって子だったか。大きな音を鳴らすため、バケッタは良くしなる樹脂製で四本に分かれている。ルカは左手に太鼓、右手にバケッタを持ち、猫のような顔をして道具を見比べていた。

 しいは『ショカーリョ』を振って「重!」と叫んでいる。「筋肉は裏切らない!」と笑っている柊を「脳筋め」と恨めしそうに睨みながらも、筋トレのように振ってみせた。
 ショカーリョは両手で振って音を鳴らすリズム楽器だ。ガンザのように、豆や種や砂などが入った金属製や木製の管を両手で持ち、振って音を鳴らす。
 サンバでは小さな金属の皿を複数枚重ね、バーの側面に上下それぞれに数列取り付けたものや、四角いフレームに数列の串が通っていて、金属皿が串を上下することで音が鳴るタイプのものが使用される。
 金属皿はタンバリンやパンデイロのものよりも厚みがあり、枚数も多いことからかなり大きな音が鳴る。
 金属の皿を鳴らすタイプは、インドの民族楽器『ジーカ』に似た形状だ。もっとわかりやすく言えば、フレームのものはそろばんに似ている。

 U字の金属棒の先端にとんがり帽子のような金属がついた『アゴゴ』は、大小のとんがり帽子をドラムや小太鼓の撥で叩き、澄んだ金属音を鳴らす楽器だ。大きい方で低音、小さい方で高音を鳴らす他、U字の金属棒は多少しなる軟らかさがあり、とんがり帽子同士をぶつけてアクセントの音を鳴らすこともできる。
 みやはアゴゴをおそるおそる叩き、小さな楽器ながら思っていたよりも大きな音が出ることに驚きながらも、段々と大きな音を出している。
 カウベルよりも甲高い金属音とみやの笑い声がが狂ったように響いたあたりで、ルカから「うるさいっ」と止められていた。


 私たちも車を降りる。積んでいたスルドを降ろすときはほづみも手伝ってくれた。

 駐車場の一角がイベント会場になっているようだ。楽器や荷物を置いておけるスペースが設けられていた。
 スルドなど大きい荷物はそこに置かせてもらってから、私たちはキョウさんの先導で店内に入った。

 キョウさんが主宰者でもある店長を呼び出し、挨拶がてら簡単な打合せをしている。

 その間私たちは店内を回ることにした。
 高校生組が店内で珍しい食材を見つけては騒いでいる。

 がんちゃんも楽しそう。
 そんな五人の後姿を目を細めて眺めながら、私は少し離れた位置からついていく。
 

「眩しいねー」

 
 隣のほづみが、私と同じく前を征く五人を眺めながら、私の言葉を代弁した。

 
「若いって良いねぇ」

 
 少し胸が締め付けられた気持になってしまい、ごまかすように茶化した言い方をした。


 
 子どもの頃は、ずっと私の後をついてきていたがんちゃん。

 いつしか距離を置かれてしまっていたから、いつの間にか遠くに行ってしまったとは思わない。
 けれど、最近また距離が縮まって、一緒に行動するようにもなって。
 がんちゃんの成長も感じられ、いつまでも私が何とかしなくてはならない妹ではなくなっていることだって実感していた。

 それでもどこか、油断めいたものを持っていた。

 がんちゃんはいつまでも、傍にいるものだと。
 がんちゃんには、既にがんちゃんの世界がある。世間がある。
 そこには私も入れるかもしれないが、私の世界に、世間に、がんちゃんがいつまでも居てくれるというわけではない。

 そこに発生する隔たりはある意味成長の証であり、喜ぶべきこと。
 親と子の関係であれば、親離れと子離れに相当する。

 
 友だちに囲まれて笑っているがんちゃんの成長を、私は喜ぶべきなのだ。
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