スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

文字の大きさ
上 下
147 / 215

スルドを買おう(LINK:primeira desejo 115)

しおりを挟む
 先日のイベントの打ち上げで、スルドを買いたいというようなことを言っていたら、ブラジル楽器の専門店のことを教えてもらった。
 その場で買い物の予定を立てた私にほづみ、ひいの姉妹とみことが付き合ってくれることになった。
 がんちゃんは言わずもがな。最初から頭数に入れている。

 五人で入店した店内から圧迫感を感じたのは、こちらの人数が多かったせいだけではない。

 さほど広くない店内には、楽器が所狭しと並べられている。というより積み上げられている。


 売場の作り方や陳列の仕方に於ける「圧縮付加法」は、昔の駄菓子屋の陳列がわかりやすい。高級感や見やすさ、選びやすさは損なわれるが、賑やかさや楽しさが増し、購買意欲が増すのだ。

 厳密には売れる商品と売れない商品の見極め、優先順位を付与しての経営資源の投下判断に使うマーケティング手法だが、売り場の工夫による販促手法としても使用できる。
 単なる陳列方法としてのみ使う場合は、先述の駄菓子屋の他、古本屋や雑貨店など比較的規模の小さい個人店と相性の良いやり方だが、成功を積み上げ大手となったヴィレッジヴァンガードやドンキホーテも、圧縮付加法に近い陳列手法や、圧縮付加法を応用したような陳列手法を取り、成果をあげている。


 この楽器店が同様の論理で陳列を行っているかは不明だが、楽器の密林に迷い込んだ私の心は、まんまと浮足立っていた。

 まずは本命のスルド。

 声を掛けてくれた店長さんらしき方に、サンバのバテリアで、セグンダという用途を伝える。


 売り場面積のほとんどが商品で占められている店内には他の従業員は見当たらない。バックヤードまでは把握できないが、せっかく声をかけてくれたのだからしっかりと接客は受けさせてもらおう。

 四十代にも六十代にも見える年齢不詳の男性は、長髪にきつめのパーマをかけ引っ詰めたスタイルにやや色の入った丸メガネ。顎鬚には手入れが行き届いていることから、ざっくばらんな印象とは裏腹に、意外と肌理が細かいのかもしれない。そういう意味でも楽器を扱うに足るひとである可能性が高い。

 いかにも一癖も二癖もありそうだが、この類の店舗に於いては、個性的でマニアックな印象はむしろ安心材料だ。
 年齢的にも経験は豊富そうだし、専門店ならではの深い知識によるお薦めや提案は素直に聞いて良いだろう。

 個性的だがとっつきにくさはなく、むしろフレンドリーな笑顔に促されるまま、サンバのエスコーラがパレードやステージのセグンダとしての用途に適しているスルドをいくつか試させてもらった。

 音を鳴らすだけでなく、実際にパレードを想定し、肩にかけ歩いてみる。
 少しやってみただけでは正直なところよくわからない。長時間に及べば大きな影響が出るのかもしれないが、それはさすがに試せない。


 以前チカから教えてもらった情報も参考にしながら、その範疇にあるものならどれを選んでも大勢に影響なしと判断し、理由を言語化できない「なんとなく」良かったものを直感で選び購入した。

 色のついたメガネの奥の目が柔らかい笑顔の形を作っていて、「良い買い物をしたね」と言っているようだった。
 

 こうして私の「愛機」はあっさりと決まった。あっさりしすぎていて、買い物欲が満たされたとは言い難い。
 
 予め聞いていたスルドの価格帯の中で、高い方に合わせて予算を組んでいた。
「愛機」は真ん中くらいの価格だった。予算にはまだ余裕がある。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ポエヂア・ヂ・マランドロ 風の中の篝火

桜のはなびら
現代文学
 マランドロはジェントルマンである!  サンバといえば、華やかな羽飾りのついたビキニのような露出度の高い衣装の女性ダンサーのイメージが一般的だろう。  サンバには男性のダンサーもいる。  男性ダンサーの中でも、パナマハットを粋に被り、白いスーツとシューズでキメた伊達男スタイルのダンサーを『マランドロ』と言う。  サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』には、三人のマランドロがいた。  マランドロのフィロソフィーを体現すべく、ダンスだけでなく、マランドロのイズムをその身に宿して日常を送る三人は、一人の少年と出会う。  少年が抱えているもの。  放課後子供教室を運営する女性の過去。  暗躍する裏社会の住人。  マランドロたちは、マランドラージェンを駆使して艱難辛苦に立ち向かう。  その時、彼らは何を得て何を失うのか。 ※表紙はaiで作成しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

サンバ大辞典

桜のはなびら
エッセイ・ノンフィクション
サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』の案内係、ジルによるサンバの解説。 サンバ。なんとなくのイメージはあるけど実態はよく知られていないサンバ。 誤解や誤って伝わっている色々なイメージは、実際のサンバとは程遠いものも多い。 本当のサンバや、サンバの奥深さなど、用語の解説を中心にお伝えします!

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

スルドの声(嚶鳴) terceira homenagem

桜のはなびら
現代文学
 大学生となった誉。  慣れないひとり暮らしは想像以上に大変で。  想像もできなかったこともあったりして。  周囲に助けられながら、どうにか新生活が軌道に乗り始めて。  誉は受験以降休んでいたスルドを再開したいと思った。  スルド。  それはサンバで使用する打楽器のひとつ。  嘗て。  何も。その手には何も無いと思い知った時。  何もかもを諦め。  無為な日々を送っていた誉は、ある日偶然サンバパレードを目にした。  唯一でも随一でなくても。  主役なんかでなくても。  多数の中の一人に過ぎなかったとしても。  それでも、パレードの演者ひとりひとりが欠かせない存在に見えた。  気づけば誉は、サンバ隊の一員としてスルドという大太鼓を演奏していた。    スルドを再開しようと決めた誉は、近隣でスルドを演奏できる場を探していた。そこで、ひとりのスルド奏者の存在を知る。  配信動画の中でスルドを演奏していた彼女は、打楽器隊の中にあっては多数のパーツの中のひとつであるスルド奏者でありながら、脇役や添え物などとは思えない輝きを放っていた。  過去、身を置いていた世界にて、将来を嘱望されるトップランナーでありながら、終ぞ栄光を掴むことのなかった誉。  自分には必要ないと思っていた。  それは。届かないという現実をもう見たくないがための言い訳だったのかもしれない。  誉という名を持ちながら、縁のなかった栄光や栄誉。  もう一度。  今度はこの世界でもう一度。  誉はもう一度、栄光を追求する道に足を踏み入れる決意をする。  果てなく終わりのないスルドの道は、誉に何をもたらすのだろうか。

処理中です...