スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

文字の大きさ
上 下
131 / 215

才能

しおりを挟む
 ひいは、あるいは天才に分類されるタイプなのではと思うことがある。

 はっきり言って普段は注意力散漫で、習熟度の高いインプットも、精度の高いアウトプットも苦手だ。感情豊かだけど感情的すぎて感情に出来が左右されることも多い。
 ただ、本番直前までそんな状態でありながら、本番数秒前で一瞬で「入る」ことができる。
 アスリートの世界では話題に上ることも多い「ゾーン」のような状態だと思うが、本番のひいはなんというか凄みがある。
 一瞬で深い集中状態に入り、本番中はその状態が維持される。そして、本番が終わると普段のひいに戻るのだ。

 それがわかっているからなのか、ほづみはあまり心配はしていないようで、「食べるか準備するかどっちかにしなよ」とか「みんな準備してるんだからあまりうろうろしない」とか、母親のような注意はするものの、本番やパフォーマンスに関する指導や確認などはほとんど行われない。



「柊から揚げ好きなのにもらっちゃって良いの?」


 がんちゃんがたこ焼きを頬張りながら訊ねる。あら、かわいい。


「うん。さすがに買いすぎたから。みんなに配ってるの」

 先ほど寄った屋台で二十個くらい買っていた。確かに買いすぎだと思う。

 ひいはから揚げを学生メンバーの仲間を中心に配っているようだ。このタイミングで油物を摂りたくない者も多いためか、思うように貰われていかないらしい。

 言いながらも、親か子かどちらかひとりしか助けられないみたいな苦渋の選択を迫られてるが如きの表情のひい。



 固有の才能というものはあると思う。
 種は誰でも持っている。才能とは種の品質差だ。
 ダンスも絵を描くことも走ることも、やること自体は誰でもできる。品質の差が、出来の差になる。
 一般的にセンスなどと呼ばれている要素だ。


 種は品質のみで花開き実をつけるわけではない。


 ベースとなる資質も必要である。
 どんな才能にとっても必要なもの。あると有利なもの。
 それが、「集中力」「努力」「好きであること」「論理的思考」など。
 そこに性格による適性も関わってくる。個の競技者ならば「負けん気の強さ」が欠かせない資質となることがあるが、チームプレイの競技者なら「協調性」も必要になると言った具合に。
 感覚的、芸術的な分野の才能については、必ずしもそれが全てとは言えないイレギュラーケースもあるかもしれないが、多くの才能にとっては「飽きっぽさ」はマイナスに働くだろうし、「真摯さ」「真面目さ」はプラスに働く場合が多い。

 それらの「資質」が、種を育む土であり水であり光となる。
 そこに更に生育のための知識や技術、肥料などの効率的な成長促進の要素と言える「性格」や「環境」が加わって、その組み合わせの妙や総合力で以て、大輪の花、芳醇な果実となっていくのだ。


 優れた種のみを持つ者よりも、普通の種でも、質の良い土を備えている者の方が大成しやすいのではないだろうか。


 そして、双方が高水準で備わっている者が、天より才を与えられた者と言えると思う。
 なので、私の定義する天才のハードルはさほど高くない。唯一無二のギフトでなくても良いのだ。

 そして、才能の原石は足りない要素を補うために、コーチという存在を付けるのだろう。
 コーチは「資質」の不足分を補い、「性格」の適合したところを活かし不適合な部分をコントロールする。
 外部の力も使い、「種」をより良く育てられた者が大成する。
 そういう意味では、周りにどういう人物がいるのか、周りの人物とどういう関わり方ができるのかも大切だろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ポエヂア・ヂ・マランドロ 風の中の篝火

桜のはなびら
現代文学
 マランドロはジェントルマンである!  サンバといえば、華やかな羽飾りのついたビキニのような露出度の高い衣装の女性ダンサーのイメージが一般的だろう。  サンバには男性のダンサーもいる。  男性ダンサーの中でも、パナマハットを粋に被り、白いスーツとシューズでキメた伊達男スタイルのダンサーを『マランドロ』と言う。  サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』には、三人のマランドロがいた。  マランドロのフィロソフィーを体現すべく、ダンスだけでなく、マランドロのイズムをその身に宿して日常を送る三人は、一人の少年と出会う。  少年が抱えているもの。  放課後子供教室を運営する女性の過去。  暗躍する裏社会の住人。  マランドロたちは、マランドラージェンを駆使して艱難辛苦に立ち向かう。  その時、彼らは何を得て何を失うのか。 ※表紙はaiで作成しました。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

太陽と星のバンデイラ

桜のはなびら
現代文学
〜メウコラソン〜 心のままに。  新駅の開業が計画されているベッドタウンでのできごと。  新駅の開業予定地周辺には開発の手が入り始め、にわかに騒がしくなる一方、旧駅周辺の商店街は取り残されたような状態で少しずつ衰退していた。  商店街のパン屋の娘である弧峰慈杏(こみねじあん)は、店を畳むという父に代わり、店を継ぐ決意をしていた。それは、やりがいを感じていた広告代理店の仕事を、尊敬していた上司を、かわいがっていたチームメンバーを捨てる選択でもある。  葛藤の中、相談に乗ってくれていた恋人との会話から、父がお店を継続する状況を作り出す案が生まれた。  かつて商店街が振興のために立ち上げたサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』と商店街主催のお祭りを使って、父の翻意を促すことができないか。  慈杏と恋人、仕事のメンバーに父自身を加え、計画を進めていく。  慈杏たちの計画に立ちはだかるのは、都市開発に携わる二人の男だった。二人はこの街に憎しみにも似た感情を持っていた。  二人は新駅周辺の開発を進める傍ら、商店街エリアの衰退を促進させるべく、裏社会とも通じ治安を悪化させる施策を進めていた。 ※表紙はaiで作成しました。

処理中です...