98 / 215
過負荷
しおりを挟む
アイデアは他にもいくつもいくつも思い付いていた。試してみたいことも。
アイデアは頭の中に入れておくだけではただの空想だ。形にしていかなくては。
ああ、身体が足らない。
時間も足らない。
なんて思いながら、すべての時間を可能な限り効率化し、可能な限り活動時間として充てていたら、予期せぬ空白の時間を発生させてしまった。
特に体調が悪かったわけではない。
栄養は摂れていた。多少寝不足はあったかもしれない。
電車の中。
少しの吐き気。
指先の感覚がすーっとなくなってきたかと思ったら、目の前が真っ白になった。
私はその場でしゃがみ込んでしまい、周りにいたひとから大丈夫かと声を掛けられた。
たぶん、しばらくの間そうやっていれば大丈夫だと思った。
きっといわゆる貧血かなにかだ。少し休めば回復するはず。
少し遠くから聞こえる周囲の、私を心配してくれる声かけに、私は大丈夫だと答えていたはずだった。
次に気がついたとき、私は駅の医務室に横たえられていた。
ああ、やってしまった......。
よくアナウンスでは聞くことのある、「お客様救護の影響で遅れが出ています」の、当事者になってしまったようだ。
私をここに運ぶため、駅では緊急停止ボタンが押されたかもしれない。それによって電車は遅れてしまったことだろう。どれだけの人に迷惑をかけてしまったことが......。
ロスした時間も気になる。
壁にかけられた時計が目に入る。私が電車に乗っていたのは何時だったっけ? すぐには頭が働かない。
バラされたパズルが少しずつ整理されていくように、脳が機能を取り戻しつつある。
空白の時間はおそらく数分も無いだろう。
しゃがみ込んでしまったところから次の駅に着き、駅員が呼ばれ、運び出されて、今に至る。
ここに運ばれてからはほとんど時間は経過していないと思えた。
ずっと声をかけ続けていたと思われる駅員さんの声が、輪郭を帯びてきた。「大丈夫ですか?」「話せますか?」無意識の中でも、私の方も多少返事はしていたようだ。
ただ、この数分は反応をなくしていたようで、「救急車呼びますよ!」と、呼びかけの態ではありながら、呼びかけ対象は反応できず緊急度は一段上がったという前提の、告知に近い内容になっていた。
「大丈夫です」
辛うじて音として発することができた。
反応があったことに、その場を一瞬支配していた緊張感は少し後退したように感じた。
周囲の感情の機微を感じ取れるくらいには、意識は明瞭になってきた。
「ご迷惑をお掛けしました。少し気分が悪くなってしまって。もう大丈夫そうです」
さっきよりもはっきりとした口調で伝える。
駅員さんは少し安堵した様子で、無理はせず、回復するまでゆっくりしていってくださいと、言ってくれた。
業務に戻る駅員さんに、上半身だけ起こしお礼を言いながら、自分の状態を確かめる。
起き上がることはできた。少し浮遊感はあるが辛くはない。立ち上がれそう? たぶんいける。
駅員さんのお言葉に甘え、少し様子は見ながら、回復状況を判断した。もう問題はないだろう。
ゆっくり立ち上がり、ふらつきや気分の悪さなどの違和感がないことを確認し、奥にいる駅員さんに退室する旨とお礼を言って日常の中に戻っていった。
人間は身体を運用して生きているのだ。
体調管理は基礎中の基礎だ。
身体の主導権を喪ってしまうなど、失態も良いところ。
確かにあれもこれもと日々の取り組みに詰め込みすぎていたかもしれない。
減らすという選択肢は無いが、効率化と工夫と分担による負荷の軽減または平準化を図りつつ、自らの生活を見直すことにした。
栄養と質の良い睡眠。それを削って一瞬のマンパワーに充てたところで、質と継続性を伴う生産性にならないことくらいわかっていたはずだ。
私は反省しながら、彼我戦力の見直しを行なった。彼とは、計画内容とそのボリューム。我とはロジスティクス。すなわちひと、モノ、金、情報などの資源。現時点に於いては、主に私自身の能力と労力になる。
目下、残しているのは直前のエンサイオ。そして、その週末の金曜日に控えるプレゼンの当日だ。
適切な管理をしなくては。
アイデアは頭の中に入れておくだけではただの空想だ。形にしていかなくては。
ああ、身体が足らない。
時間も足らない。
なんて思いながら、すべての時間を可能な限り効率化し、可能な限り活動時間として充てていたら、予期せぬ空白の時間を発生させてしまった。
特に体調が悪かったわけではない。
栄養は摂れていた。多少寝不足はあったかもしれない。
電車の中。
少しの吐き気。
指先の感覚がすーっとなくなってきたかと思ったら、目の前が真っ白になった。
私はその場でしゃがみ込んでしまい、周りにいたひとから大丈夫かと声を掛けられた。
たぶん、しばらくの間そうやっていれば大丈夫だと思った。
きっといわゆる貧血かなにかだ。少し休めば回復するはず。
少し遠くから聞こえる周囲の、私を心配してくれる声かけに、私は大丈夫だと答えていたはずだった。
次に気がついたとき、私は駅の医務室に横たえられていた。
ああ、やってしまった......。
よくアナウンスでは聞くことのある、「お客様救護の影響で遅れが出ています」の、当事者になってしまったようだ。
私をここに運ぶため、駅では緊急停止ボタンが押されたかもしれない。それによって電車は遅れてしまったことだろう。どれだけの人に迷惑をかけてしまったことが......。
ロスした時間も気になる。
壁にかけられた時計が目に入る。私が電車に乗っていたのは何時だったっけ? すぐには頭が働かない。
バラされたパズルが少しずつ整理されていくように、脳が機能を取り戻しつつある。
空白の時間はおそらく数分も無いだろう。
しゃがみ込んでしまったところから次の駅に着き、駅員が呼ばれ、運び出されて、今に至る。
ここに運ばれてからはほとんど時間は経過していないと思えた。
ずっと声をかけ続けていたと思われる駅員さんの声が、輪郭を帯びてきた。「大丈夫ですか?」「話せますか?」無意識の中でも、私の方も多少返事はしていたようだ。
ただ、この数分は反応をなくしていたようで、「救急車呼びますよ!」と、呼びかけの態ではありながら、呼びかけ対象は反応できず緊急度は一段上がったという前提の、告知に近い内容になっていた。
「大丈夫です」
辛うじて音として発することができた。
反応があったことに、その場を一瞬支配していた緊張感は少し後退したように感じた。
周囲の感情の機微を感じ取れるくらいには、意識は明瞭になってきた。
「ご迷惑をお掛けしました。少し気分が悪くなってしまって。もう大丈夫そうです」
さっきよりもはっきりとした口調で伝える。
駅員さんは少し安堵した様子で、無理はせず、回復するまでゆっくりしていってくださいと、言ってくれた。
業務に戻る駅員さんに、上半身だけ起こしお礼を言いながら、自分の状態を確かめる。
起き上がることはできた。少し浮遊感はあるが辛くはない。立ち上がれそう? たぶんいける。
駅員さんのお言葉に甘え、少し様子は見ながら、回復状況を判断した。もう問題はないだろう。
ゆっくり立ち上がり、ふらつきや気分の悪さなどの違和感がないことを確認し、奥にいる駅員さんに退室する旨とお礼を言って日常の中に戻っていった。
人間は身体を運用して生きているのだ。
体調管理は基礎中の基礎だ。
身体の主導権を喪ってしまうなど、失態も良いところ。
確かにあれもこれもと日々の取り組みに詰め込みすぎていたかもしれない。
減らすという選択肢は無いが、効率化と工夫と分担による負荷の軽減または平準化を図りつつ、自らの生活を見直すことにした。
栄養と質の良い睡眠。それを削って一瞬のマンパワーに充てたところで、質と継続性を伴う生産性にならないことくらいわかっていたはずだ。
私は反省しながら、彼我戦力の見直しを行なった。彼とは、計画内容とそのボリューム。我とはロジスティクス。すなわちひと、モノ、金、情報などの資源。現時点に於いては、主に私自身の能力と労力になる。
目下、残しているのは直前のエンサイオ。そして、その週末の金曜日に控えるプレゼンの当日だ。
適切な管理をしなくては。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

ポエヂア・ヂ・マランドロ 風の中の篝火
桜のはなびら
現代文学
マランドロはジェントルマンである!
サンバといえば、華やかな羽飾りのついたビキニのような露出度の高い衣装の女性ダンサーのイメージが一般的だろう。
サンバには男性のダンサーもいる。
男性ダンサーの中でも、パナマハットを粋に被り、白いスーツとシューズでキメた伊達男スタイルのダンサーを『マランドロ』と言う。
サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』には、三人のマランドロがいた。
マランドロのフィロソフィーを体現すべく、ダンスだけでなく、マランドロのイズムをその身に宿して日常を送る三人は、一人の少年と出会う。
少年が抱えているもの。
放課後子供教室を運営する女性の過去。
暗躍する裏社会の住人。
マランドロたちは、マランドラージェンを駆使して艱難辛苦に立ち向かう。
その時、彼らは何を得て何を失うのか。
※表紙はaiで作成しました。

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンバ大辞典
桜のはなびら
エッセイ・ノンフィクション
サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』の案内係、ジルによるサンバの解説。
サンバ。なんとなくのイメージはあるけど実態はよく知られていないサンバ。
誤解や誤って伝わっている色々なイメージは、実際のサンバとは程遠いものも多い。
本当のサンバや、サンバの奥深さなど、用語の解説を中心にお伝えします!

スルドの声(嚶鳴) terceira homenagem
桜のはなびら
現代文学
大学生となった誉。
慣れないひとり暮らしは想像以上に大変で。
想像もできなかったこともあったりして。
周囲に助けられながら、どうにか新生活が軌道に乗り始めて。
誉は受験以降休んでいたスルドを再開したいと思った。
スルド。
それはサンバで使用する打楽器のひとつ。
嘗て。
何も。その手には何も無いと思い知った時。
何もかもを諦め。
無為な日々を送っていた誉は、ある日偶然サンバパレードを目にした。
唯一でも随一でなくても。
主役なんかでなくても。
多数の中の一人に過ぎなかったとしても。
それでも、パレードの演者ひとりひとりが欠かせない存在に見えた。
気づけば誉は、サンバ隊の一員としてスルドという大太鼓を演奏していた。
スルドを再開しようと決めた誉は、近隣でスルドを演奏できる場を探していた。そこで、ひとりのスルド奏者の存在を知る。
配信動画の中でスルドを演奏していた彼女は、打楽器隊の中にあっては多数のパーツの中のひとつであるスルド奏者でありながら、脇役や添え物などとは思えない輝きを放っていた。
過去、身を置いていた世界にて、将来を嘱望されるトップランナーでありながら、終ぞ栄光を掴むことのなかった誉。
自分には必要ないと思っていた。
それは。届かないという現実をもう見たくないがための言い訳だったのかもしれない。
誉という名を持ちながら、縁のなかった栄光や栄誉。
もう一度。
今度はこの世界でもう一度。
誉はもう一度、栄光を追求する道に足を踏み入れる決意をする。
果てなく終わりのないスルドの道は、誉に何をもたらすのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる