スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

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わたりどり(LINK:primeira desejo 102)

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 一拍遅れて安達さんから拍手が送られる。

 場に、演者に、そしておそらく観覧者にも。宿った熱をそのまま繋げるよう、間をおかずに。

 マレットを置き、ウクレレに持ち替え譜面台前に移る。

 コードも歌詞も暗記しているが、念のため譜面を見つつ、短く呼吸を整える。その間、体感時間としては三秒も経っていないはず。

 前奏を弾く。

 この実演は二部構成だ。
 最初はバツカーダで、サンバの根源たる音とダンスを。
 サンバを知らない相手に、サンバの本質としての魅力を凝縮した演目にて一気に心を掴むことを意図した。

 次の演目は、よく知られている曲をそのまま使用する。サンバアレンジすら施さない。
 その曲と歌に、サンバの楽器を用い、サンバダンサーが踊る。
 サンバが敷居の高いものではなく、馴染みのある曲とも融合できることを示し、使い勝手が良いと思ってもらうことが狙いだ。


 選んだ曲はAlexandrosの『ワタリドリ』。
 ギターの前奏が印象的で、これならウクレレ一本でもある程度再現できる。
 曲の知名度も、テレビコマーシャルや映画の主題歌などとタイアップしている。
 安達さんがロック付きであることは事前調査で把握している。阿波ゼルコーバの担当者も音楽やテレビ、映画に関する感度は一般的との評だから、それなりの露出のあった楽曲なら、サビくらいは知られている可能性は高い。

 軽やかながらシリアスな印象の前奏のソロが終わると、リズムが合流し歌が始まる。
 リズムはがんこしかいない。
 がんこはマレットを両手に持っていた。通常のサンバではあまりやらないが、マレットを二本使ってバリエーションを持たせたリズムを打つことで、軽妙な曲に相応しいスピード感を損なわないベースを作れる構成にしていた。

 前奏の途中に入る印象的なドラムの一音を、がんこはスルドで表現した。

 そのまま、ドラム部分をがんこのスルドが担当する。

 続く歌は私が歌う。

 そこからはほづみとひいのダンスも合流する。

 導入部分のAメロはふたりそれぞれの動きのフリーだが、Bメロからしばらくコレオ(振り付け)の構成だ。

『ソルエス』が五年前に浅草サンバカーニバル用に作った『エンヘード』(テーマ)である『天空』にて、当時中学生と小学生だった姉妹は、他の同年代の『クリアンサス』(子どものダンサー)と一緒に演じた『アーラ』(パレードのストーリーを表現するために幾つかのグループが作られ、それぞれが表現する衣装を身につけ、振り付けで踊る。そのグループの呼び名)が、「空を彩る鳥」だった。

 その時のコレオを転用したダンスだ。
 優雅で、時に力強く、雄大に空を往く様だった。
 サンバの衣装の特徴とも言える『コステイロ』(背に背負った羽根飾り)が揺れ、舞っている。


 いわゆるJ-POPやロックだってサンバは踊れるのだ。


 冷静で。
 沈着で。
 抑制し統制し。

 感情をそういうものとして据え置き、必要に応じて「使って」きた。


 けれど今は、この場は、感情が支配している場だから。
 がんちゃんがそう創りあげ。
 ひいが染め上げた。

 そういう場なのだから。
 私も遠慮はしない。

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