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懸念点のひとつもケアは済んでいる。
大橋で繋がった四国の隣県岡山にある鷲羽山ハイランドはブラジル人によるサンバショーが特徴だ。全国にはサンバが根付いている土地がいくつかあるが、岡山とその近辺もそういう土地のひとつとなっている可能性は高い。サンバの定着に比例してサンビスタ(サンバを愛し、修めているひと)や、サンバチームは多いことが想定される。
外部のサンバチームが場を荒らすようなことにならないよう、筋を通し地ならしをする部分は、代表のハルが、サンバ業界の重鎮で顔も広い先代と連携して既に動いている。
遠方のイベントになることから、『ソルエス』から参戦できるメンバーは限定されそうな懸念点は、地域のエスコーラやブロコ、サンビスタに協力を依頼し、合同で実施できないか協議を進めている。これは先述の地ならしの側面の方が強い。
『ソルエス』からの参加者はそれなりには集まるのではないかという目算はあった。
地元のサンバ関係者たちからすれば、元々なかったイベント。オフシーズンのイベントということもあり、概ね快諾の意思表示を得ているとハルからは聞かされていた。
もちろん、関係者が増えれば増えるほど出演料などの分配も考えなくてはならず、必達予算の額があがれば案件獲得難度もあがる。
私の真の目的はがんこのデビューの場を作ること。チームとしての利益はそこまで求めてはいない。ハルからも業界の相場を崩さず、メンバーの交通費などは負担したいから、そこが赤字にならなければ利益はいらないと言ってくれた。
地元の人たちも概ね好意的で、無料というわけにはいかないから形ばかりの謝礼を受け取れればそれで良いと言ってくれている。
もちろん、完全に甘えるつもりはない。
要はスポンサー企業とクラブチームが、その額を払ってでも呼びたいと思え、実際に額以上の効果を示せれば良い。来年以降にも繋がり、レギュラー化したら尚良い。どうせならそこまでを目指したい。
プレゼンの時の実演パフォーマンスは、スルドニ本のバツカーダと、スルド一本プラス私のウクレレとヴォーカルによる日本のヒット曲をサンバアレンジしたもの。どちらも踊るほづみとひいは基本フリーだ。
サンバでファン感謝イベントを盛り上げる、でも主役ではないという今回の趣旨と目的を踏まえ、ほづみが中心になって構成や魅せ方を練っている。
既にがんちゃんは得られた情報からプレゼンの構想について、方向感を探っていた。
環境や状況から、問われるのはスルドの方だと捉えているようだった。
音の大きさよりも、音のバリエーションで奥深さを伝えてはどうかという考えだ。
その理由のひとつに、プレゼン場所が室内であることからがあったが、そこは誤解があった。姫田担当者からは、押さえた部屋は音楽室のような部屋だと聞いている。ある程度大きな音を出しても問題はない。尚、着替え用に近くの会議室も押さえてくれている。
さらに先のことを言えば、姫田へのプレゼンが通ったあとにおこなう阿波ゼルコーバへの提案は、姫田へのプレゼン時の実演を録画したものを使うので、音の大きさを使うプランを構想しても問題はなかった。
しかし、結論としてはがんちゃんの発想は的を射ている。
大きな音の魅力を伝えようとしても、一~二本のスルドでは限界がある。
二曲目はウクレレとヴォーカルを使う。市販のマイクと持ち運べるスピーカーを繋ぎ、ウクレレと声の生音をマイクに拾わせるというやりかたになる。スルドの音が大きすぎると干渉してしまう恐れがあった。
また、阿波ゼルコーバへはその風景を撮影した動画による提案となる。音量が調整できるスピーカーからの音では、音の大きさを武器にしたとしても、その威力は半減してしまうだろう。
バテリアとしての叩き方よりも、ソロの叩き方で、たったふたりでもこんなに複雑な音が出せるのだという構成にしようと思ったと言っていた。
ジャストアイデアでそこまで思い至れるなら、やはりがんちゃんは計画や提案を練るという点において、勘が良いと思た。
大橋で繋がった四国の隣県岡山にある鷲羽山ハイランドはブラジル人によるサンバショーが特徴だ。全国にはサンバが根付いている土地がいくつかあるが、岡山とその近辺もそういう土地のひとつとなっている可能性は高い。サンバの定着に比例してサンビスタ(サンバを愛し、修めているひと)や、サンバチームは多いことが想定される。
外部のサンバチームが場を荒らすようなことにならないよう、筋を通し地ならしをする部分は、代表のハルが、サンバ業界の重鎮で顔も広い先代と連携して既に動いている。
遠方のイベントになることから、『ソルエス』から参戦できるメンバーは限定されそうな懸念点は、地域のエスコーラやブロコ、サンビスタに協力を依頼し、合同で実施できないか協議を進めている。これは先述の地ならしの側面の方が強い。
『ソルエス』からの参加者はそれなりには集まるのではないかという目算はあった。
地元のサンバ関係者たちからすれば、元々なかったイベント。オフシーズンのイベントということもあり、概ね快諾の意思表示を得ているとハルからは聞かされていた。
もちろん、関係者が増えれば増えるほど出演料などの分配も考えなくてはならず、必達予算の額があがれば案件獲得難度もあがる。
私の真の目的はがんこのデビューの場を作ること。チームとしての利益はそこまで求めてはいない。ハルからも業界の相場を崩さず、メンバーの交通費などは負担したいから、そこが赤字にならなければ利益はいらないと言ってくれた。
地元の人たちも概ね好意的で、無料というわけにはいかないから形ばかりの謝礼を受け取れればそれで良いと言ってくれている。
もちろん、完全に甘えるつもりはない。
要はスポンサー企業とクラブチームが、その額を払ってでも呼びたいと思え、実際に額以上の効果を示せれば良い。来年以降にも繋がり、レギュラー化したら尚良い。どうせならそこまでを目指したい。
プレゼンの時の実演パフォーマンスは、スルドニ本のバツカーダと、スルド一本プラス私のウクレレとヴォーカルによる日本のヒット曲をサンバアレンジしたもの。どちらも踊るほづみとひいは基本フリーだ。
サンバでファン感謝イベントを盛り上げる、でも主役ではないという今回の趣旨と目的を踏まえ、ほづみが中心になって構成や魅せ方を練っている。
既にがんちゃんは得られた情報からプレゼンの構想について、方向感を探っていた。
環境や状況から、問われるのはスルドの方だと捉えているようだった。
音の大きさよりも、音のバリエーションで奥深さを伝えてはどうかという考えだ。
その理由のひとつに、プレゼン場所が室内であることからがあったが、そこは誤解があった。姫田担当者からは、押さえた部屋は音楽室のような部屋だと聞いている。ある程度大きな音を出しても問題はない。尚、着替え用に近くの会議室も押さえてくれている。
さらに先のことを言えば、姫田へのプレゼンが通ったあとにおこなう阿波ゼルコーバへの提案は、姫田へのプレゼン時の実演を録画したものを使うので、音の大きさを使うプランを構想しても問題はなかった。
しかし、結論としてはがんちゃんの発想は的を射ている。
大きな音の魅力を伝えようとしても、一~二本のスルドでは限界がある。
二曲目はウクレレとヴォーカルを使う。市販のマイクと持ち運べるスピーカーを繋ぎ、ウクレレと声の生音をマイクに拾わせるというやりかたになる。スルドの音が大きすぎると干渉してしまう恐れがあった。
また、阿波ゼルコーバへはその風景を撮影した動画による提案となる。音量が調整できるスピーカーからの音では、音の大きさを武器にしたとしても、その威力は半減してしまうだろう。
バテリアとしての叩き方よりも、ソロの叩き方で、たったふたりでもこんなに複雑な音が出せるのだという構成にしようと思ったと言っていた。
ジャストアイデアでそこまで思い至れるなら、やはりがんちゃんは計画や提案を練るという点において、勘が良いと思た。
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