スルドの声(反響) segunda rezar

桜のはなびら

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 キョウさんからのメッセージには、がんこを無事見つけ、落ち着かせるためにバイクでツーリングがてら海にでも連れていくとあった。
 練習には戻れないのでハルさんにも伝えておいてほしいとも。
「ありがとうございます。がんこをよろしくお願いします。楽器は私が持って帰ります」と送ると、すぐに「了解」と返事があった。

 ハルさんに伝えながら、安堵のため息をついた。
 とにかく何事もなくて良かった。意図して仕掛けた切欠ではあるが、それが原因で事故や怪我などあっては元も子もない。


「無事で良かった」

 ハルさんもほっとした様子だ。

「当たり前のことを言うようで申し訳ないが、あなたも本当に安心されているようで良かった」

「ええ、少し力が抜けてしまいました。
あの子ももう子どもではないのだし、自分の意思での行動ですから事件や事故などが起こる率は普段と変わりはないのでしょうけれど」

 十中八九問題なかろうと、残り一、二が不明ならやはり不安だ。
 キョウさんからの報せには間違いなく安心を得ていた。気づかないうちに纏っていた緊張感もほどけたことだろう。
 が、ハルさんの言い方に少し引っ掛かりを覚えた。

「確率論の問題じゃない。気持ちの問題ですから」

 ハルさんも概ね私が考えていたようなことを言った。
 考え方が近いのに、何か違和感を持たれるようなところはあっただろうか。

「無論、騒ぎ立てるような事態ではなかった。だから気丈さと言うのは少し違うのだろうが、冷静であるようには見えてしまってね」

 それも悪いことではない。冷静であること、己を掌握し制御することは、成功率を高める。
 冷静であることが、冷たく、あるいはドライに見えたのだろうか?
 そういう一次元的な見方はしない人物だと見受けられたのだが。

 そう思ったのも見越したのか、我がことや身内のこととなるとなかなか平静さを保つのは難しいが、若くして己を律せられるのは頼もしくさえあった。
 ハルさんはそんな風に私をみていたらしい。

 頼もしいが、一方で少し不安もあったと言う。

 無理しすぎていないか。
 我慢してはいないか。
 我を抑えすぎてはいないか。

 だから、私が心底安堵した様子に安心したのだそうだ。


 なかなかの洞察力。
 察しが良すぎると言うのも有難いばかりじゃなさそうだ。

 まあ取り繕う必要はあるまい。
 見透かされて困るような後ろ暗い動機はない。
 私が私の思い描く理想の姉として、がんちゃんに相対すことは、私自身が望んだ生き方だ。
 それを、それなりに俯瞰的に捉えて分析し、適した手を打ってきた自負はある。
 感情に囚われ視野が狭窄的になり的を外した事例はあまりないはずだ。

「お気遣いありがとうございます。
確かに私は自分が思っているほど大人ではない、未熟な未成年なのだと思います。本当は子どもらしい一面もあるのでしょう。
でも、たった三歳差でも、私はがんちゃんの姉として、相応しい者で在る様にと気を張って生きてきましたし、それを自ら望んでもいます。多少の我慢もまた、目指すもののために必要な努力の範疇と捉えています」

 察しが良いのならむしろそれを逆手に取る。
 隠す必要のない手の内などすべて晒してしまって差し支えない。
 別に戦うわけではないが、こちらが剥き出しならば相手の打つ手も限定される。
 変に隠しながら探る必要がない分、何をするにしてもシンプルに事を進められるだろう。

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