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本章

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 徳島の秋の空はとても澄んでいて、どこまでも高い。
 高い空を映す川面は煌めいて。
 色づく高峰は雄大で。
 息づくように繰り返す遠浅の海の波は穏やかで。


 歌、楽器、歓声、嬌声。
 大きなスタジアムを胎児のように包む圧倒的な自然が。
 スタジアムから放たれる多彩な音を溶かしてゆく。音が連れてきた想いを、感情を、受け止めてくれる。



 祝祭のような催しは続く。


 ステージ袖には、下がった仲間たちが、リズムに合わせて手拍子を打ったりリズムに身体を揺らしたりしながら、わたしたちを見守ってくれている。

 みんなへと、音を、想いを届けるように。
 マレットを打つ。


 キョウさん。ちょっと心配そう? 大丈夫だよ。わたし、やれるよ!

 柊。ちょっと踊ってる? これからもわたしの音で踊ってね。

 穂積さん。見てて。わたしと祷を。穂積さんと柊みたいに、素敵な関係の姉妹になるから。

 ハルさん。わたしのスルド、どうかな? まだまだだよね。『ソルエス』の心臓に相応しい奏者になれるようがんばるから。

 にーなさん。ルイぷると一緒に変な動きでノってくれている。ノペ弟子にはまだなれていないけど、バテリアとして、ダンサーをノセることのできる奏者に早くなるから。待っていて。

 ......他のみんなも。『ソルエス』の一員として受け入れてくれたみんな。技術と魂を磨いて、わたしの音も『ソルエス』が創るサンバに加えてもらうんだ。そして、いつかはわたしの音で、バテリアの音を向上させられたら。


 今ステージにいるわたしは、みんなの代わりでもある。

 みんなの分も、音に乗せて。



 音はひとを動かす。
 身体を、そして時には心を。
 わたしの音はどうだろう。
 今はまだわからない。
 でも、わたしの気持ちはわかる。

 今は、ただ。
 気持ちが良かった。




 呼び掛ける音を、わたしが叩く。
 音は解き放たれて、ステージに、客席に轟き、遥か地平の彼方へ溶けてゆく。


 応える音を、祷が叩く。
 音は打ち鳴らされて、ステージに、客席に響き、澄み渡った高い空へと吸い込まれていく。



 隣でスルドを叩く祷を見た。
 それに気づいたのか、たまたまタイミングが合ったのか、祷もわたしを見た。


 視線を戻し、サンバの心臓と呼ばれる楽器を打つ。


 願いを込めて。








 わたしはずっと願っていた。



 日々よ、ただ過ぎてゆけと。

 ひとりで生きていきたいと。

 はやく大人になりたいと。

 家族を捨て、家を捨て、街から出ていきたいと。








 でもそれは。

 願いなどではなく。

 逃げであった。諦めであった。放棄であった。







 今、わたしは改めて、願う。




 わたしの本当の願い。
 無為な日々を越え、生まれ出でた最初の願い。




 わたしはスルドを叩く。


 どーーん!


 願いを乗せた音はどこまでも。
 音よ、奔れよ。
 山を越えて、海をも越えて。



 どーーん‼︎



 音は届く。願いは届く。
 音よ、走れ! 疾れ!
 地平の果てすら越えて、誰かのもとへ。心へ。


 


 姉との会話のようなスルドの演奏は続く。







 呼びかけに、応えてくれる音。声。想い。
 そんな存在が近くにいることに、きちんと喜びを感じて生きていきたい。



 願わくば、いつまでも。
 


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