57 / 155
本章
54
しおりを挟む
今しかできないこと。
言葉の意味だけで捉えれば、今というタイミングを限定されているようなものは無い。
でも、確定していない今以降の未来に、何の保証もないのだとしたら、今できること、すべきことを後回しにして、いざそのときにできなくなってしまうことはあり得る。
わたしはさっき、練習場で、祷の登場に動揺し、祷の言葉に混乱し、感情が昂るがままに任せて、大切にしようとしたスルドを放って飛び出してきた。
途方に暮れて歩いていたとき、わたしは投げやりになっていた。やっと見つけたと思っていた場所、夢中になれると思いはじめていたものを、自ら放り出そうとしていた。
もうどうでも良いと。どうせ祷に取られちゃうと。
今、すべきことはなんだろうか。
感情のまま全てを投げ出すことではないだろう。
思えば、わたしの家族に対しての在り方は、放棄や投げ出す種類のものだ。向かい合い受け止め合うものではない。
キョウさんは、相手がいるうちに、機会があるうちに、できたことをしなかったことについての後悔を語ってくれた。
キョウさんはもうできないそれが、わたしにはまだできるのだ。
それはわかる。わかるけど。
やっぱりイヤだ。
十年以上に亘って刻まれた、姉には敵わないという思いは理屈で消せるものではない。
学校から逃れ、家から逃れ、やっと辿り着いた趣味の場で、またその思いを抱え続けなければならないの?
逃げるのがダメなのだ。わかる。
向かい合う機会があるうちにすべきなのだ。わかる。
だけど、できない。どうしたら良いのかわからない。
祷は優しくて妹想いで良い姉だ。
だから、わたしだけに問題があるのだ。
だから、わたしがどうにかならなくてはいけないのだ。
でも、何をどうすれば良いのかがわからない。
後悔を抱えたキョウさんは、それでも今できることをしようと思ったと言う。
かつて放り出したバンドのメンバーに頭を下げて周ったらしい。
既にそれぞれ別の道で生きている、もう連絡も取り合わなくなっていたメンバーを探し出したキョウさんは赦しを求めず、ただ、詫びた。
紆余曲折はあっただろう。簡単なことではなかっただろう。赦す側にとっても、赦される側にとっても。
それでも、結果的にはバンドのメンバーはキョウさんを赦した。今ではバンドを再結成してたまにライブもしているそうだ。
もちろん、お互い忙しい日々の合間を縫って、スタジオで練習する日も設けている。
どうすれば良いかわからないなどと言っているうちは、まだ真摯さが足りないのかもしれない。
できることを、とにかくすることが大事なのかも。
なら、祷と話す?
きっとわたしの思いを理解して、配慮してくれる。
わたしの近くに居ないようにしてくれるかもしれない。
でも、これだと全然向かい合ったことになってない。
わたしが少しだけ無理して、同じ趣味を楽しむ?
なんで、無理しなきゃならないのって思いは、多分残る。わたしが子どもすぎるのだ。意固地になっているのだ。全部わたしが悪い。
わたしさえ、もっと祷みたいに性格が良くて大人だったなら......。
少し引いた涙が満ちたように溢れてくる。
情けなくて悔しくて止まらない。
どうしてわたしってこうなのだ。
感情ひとつコントロールもできやしない。
祷なら絶対こんなことにはならない。
「うううぅぅぅ......」
イヤだっ......泣きたくないのに、声なんて出したくないのに、我慢しようとすればするほどあふれてこぼれる。
「すっかり夜になっちまったナ」
キョウさんが立ち上がり、ひとふたり分の距離を詰めた。
立ったまま、遠くの海を眺めたまま、俯き泣いているわたしの頭に手を置く。
大きくて、暖かい手だ。
「とりあえずヨ、まずは我慢なんてしねーことだ」
どうせ周りには誰もいない。
辺りは暗くなってきた。
波の音は大きくなってきた。
思いっきり泣くにゃ良い環境だろ? と、頭をくしゃくしゃとしてくれたキョウさんに言われるがまま、わたしは思いっきり泣いた。
最近泣くことが増えた気がする。
子どもの頃以来、ほとんど泣いたことなんてなかったのに。
『ソルエス』に入ってからだと思う。
前にハルさんが言っていた。
さっきのキョウさんの話でもあった。
サンバは、感情の発露だと。
顔や言葉では感情を出している認識はなかったが、スルドを叩くたびに、きっとわたしの感情は刺激されていたのだ。
それが、わたしを今感情的にしている。
わたしにとって、サンバは、スルドは、もうわたしの感情と結びついていて、簡単には剥がせない、離したくないものになっていた。
言葉の意味だけで捉えれば、今というタイミングを限定されているようなものは無い。
でも、確定していない今以降の未来に、何の保証もないのだとしたら、今できること、すべきことを後回しにして、いざそのときにできなくなってしまうことはあり得る。
わたしはさっき、練習場で、祷の登場に動揺し、祷の言葉に混乱し、感情が昂るがままに任せて、大切にしようとしたスルドを放って飛び出してきた。
途方に暮れて歩いていたとき、わたしは投げやりになっていた。やっと見つけたと思っていた場所、夢中になれると思いはじめていたものを、自ら放り出そうとしていた。
もうどうでも良いと。どうせ祷に取られちゃうと。
今、すべきことはなんだろうか。
感情のまま全てを投げ出すことではないだろう。
思えば、わたしの家族に対しての在り方は、放棄や投げ出す種類のものだ。向かい合い受け止め合うものではない。
キョウさんは、相手がいるうちに、機会があるうちに、できたことをしなかったことについての後悔を語ってくれた。
キョウさんはもうできないそれが、わたしにはまだできるのだ。
それはわかる。わかるけど。
やっぱりイヤだ。
十年以上に亘って刻まれた、姉には敵わないという思いは理屈で消せるものではない。
学校から逃れ、家から逃れ、やっと辿り着いた趣味の場で、またその思いを抱え続けなければならないの?
逃げるのがダメなのだ。わかる。
向かい合う機会があるうちにすべきなのだ。わかる。
だけど、できない。どうしたら良いのかわからない。
祷は優しくて妹想いで良い姉だ。
だから、わたしだけに問題があるのだ。
だから、わたしがどうにかならなくてはいけないのだ。
でも、何をどうすれば良いのかがわからない。
後悔を抱えたキョウさんは、それでも今できることをしようと思ったと言う。
かつて放り出したバンドのメンバーに頭を下げて周ったらしい。
既にそれぞれ別の道で生きている、もう連絡も取り合わなくなっていたメンバーを探し出したキョウさんは赦しを求めず、ただ、詫びた。
紆余曲折はあっただろう。簡単なことではなかっただろう。赦す側にとっても、赦される側にとっても。
それでも、結果的にはバンドのメンバーはキョウさんを赦した。今ではバンドを再結成してたまにライブもしているそうだ。
もちろん、お互い忙しい日々の合間を縫って、スタジオで練習する日も設けている。
どうすれば良いかわからないなどと言っているうちは、まだ真摯さが足りないのかもしれない。
できることを、とにかくすることが大事なのかも。
なら、祷と話す?
きっとわたしの思いを理解して、配慮してくれる。
わたしの近くに居ないようにしてくれるかもしれない。
でも、これだと全然向かい合ったことになってない。
わたしが少しだけ無理して、同じ趣味を楽しむ?
なんで、無理しなきゃならないのって思いは、多分残る。わたしが子どもすぎるのだ。意固地になっているのだ。全部わたしが悪い。
わたしさえ、もっと祷みたいに性格が良くて大人だったなら......。
少し引いた涙が満ちたように溢れてくる。
情けなくて悔しくて止まらない。
どうしてわたしってこうなのだ。
感情ひとつコントロールもできやしない。
祷なら絶対こんなことにはならない。
「うううぅぅぅ......」
イヤだっ......泣きたくないのに、声なんて出したくないのに、我慢しようとすればするほどあふれてこぼれる。
「すっかり夜になっちまったナ」
キョウさんが立ち上がり、ひとふたり分の距離を詰めた。
立ったまま、遠くの海を眺めたまま、俯き泣いているわたしの頭に手を置く。
大きくて、暖かい手だ。
「とりあえずヨ、まずは我慢なんてしねーことだ」
どうせ周りには誰もいない。
辺りは暗くなってきた。
波の音は大きくなってきた。
思いっきり泣くにゃ良い環境だろ? と、頭をくしゃくしゃとしてくれたキョウさんに言われるがまま、わたしは思いっきり泣いた。
最近泣くことが増えた気がする。
子どもの頃以来、ほとんど泣いたことなんてなかったのに。
『ソルエス』に入ってからだと思う。
前にハルさんが言っていた。
さっきのキョウさんの話でもあった。
サンバは、感情の発露だと。
顔や言葉では感情を出している認識はなかったが、スルドを叩くたびに、きっとわたしの感情は刺激されていたのだ。
それが、わたしを今感情的にしている。
わたしにとって、サンバは、スルドは、もうわたしの感情と結びついていて、簡単には剥がせない、離したくないものになっていた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
ポエヂア・ヂ・マランドロ 風の中の篝火
桜のはなびら
現代文学
マランドロはジェントルマンである!
サンバといえば、華やかな羽飾りのついたビキニのような露出度の高い衣装の女性ダンサーのイメージが一般的だろう。
サンバには男性のダンサーもいる。
男性ダンサーの中でも、パナマハットを粋に被り、白いスーツとシューズでキメた伊達男スタイルのダンサーを『マランドロ』と言う。
サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』には、三人のマランドロがいた。
マランドロのフィロソフィーを体現すべく、ダンスだけでなく、マランドロのイズムをその身に宿して日常を送る三人は、一人の少年と出会う。
少年が抱えているもの。
放課後子供教室を運営する女性の過去。
暗躍する裏社会の住人。
マランドロたちは、マランドラージェンを駆使して艱難辛苦に立ち向かう。
その時、彼らは何を得て何を失うのか。
※表紙はaiで作成しました。
太陽と星のバンデイラ
桜のはなびら
現代文学
〜メウコラソン〜
心のままに。
新駅の開業が計画されているベッドタウンでのできごと。
新駅の開業予定地周辺には開発の手が入り始め、にわかに騒がしくなる一方、旧駅周辺の商店街は取り残されたような状態で少しずつ衰退していた。
商店街のパン屋の娘である弧峰慈杏(こみねじあん)は、店を畳むという父に代わり、店を継ぐ決意をしていた。それは、やりがいを感じていた広告代理店の仕事を、尊敬していた上司を、かわいがっていたチームメンバーを捨てる選択でもある。
葛藤の中、相談に乗ってくれていた恋人との会話から、父がお店を継続する状況を作り出す案が生まれた。
かつて商店街が振興のために立ち上げたサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』と商店街主催のお祭りを使って、父の翻意を促すことができないか。
慈杏と恋人、仕事のメンバーに父自身を加え、計画を進めていく。
慈杏たちの計画に立ちはだかるのは、都市開発に携わる二人の男だった。二人はこの街に憎しみにも似た感情を持っていた。
二人は新駅周辺の開発を進める傍ら、商店街エリアの衰退を促進させるべく、裏社会とも通じ治安を悪化させる施策を進めていた。
※表紙はaiで作成しました。
スルドの声(反響) segunda rezar
桜のはなびら
現代文学
恵まれた能力と資質をフル活用し、望まれた在り方を、望むように実現してきた彼女。
長子としての在り方を求められれば、理想の姉として振る舞った。
客観的な評価は充分。
しかし彼女自身がまだ満足していなかった。
周囲の望み以上に、妹を守りたいと望む彼女。彼女にとって、理想の姉とはそういう者であった。
理想の姉が守るべき妹が、ある日スルドと出会う。
姉として、見過ごすことなどできようもなかった。
※当作品は単体でも成立するように書いていますが、スルドの声(交響) primeira desejo の裏としての性質を持っています。
各話のタイトルに(LINK:primeira desejo〇〇)とあるものは、スルドの声(交響) primeira desejoの○○話とリンクしています。
表紙はaiで作成しています

スルドの声(嚶鳴) terceira homenagem
桜のはなびら
現代文学
大学生となった誉。
慣れないひとり暮らしは想像以上に大変で。
想像もできなかったこともあったりして。
周囲に助けられながら、どうにか新生活が軌道に乗り始めて。
誉は受験以降休んでいたスルドを再開したいと思った。
スルド。
それはサンバで使用する打楽器のひとつ。
嘗て。
何も。その手には何も無いと思い知った時。
何もかもを諦め。
無為な日々を送っていた誉は、ある日偶然サンバパレードを目にした。
唯一でも随一でなくても。
主役なんかでなくても。
多数の中の一人に過ぎなかったとしても。
それでも、パレードの演者ひとりひとりが欠かせない存在に見えた。
気づけば誉は、サンバ隊の一員としてスルドという大太鼓を演奏していた。
スルドを再開しようと決めた誉は、近隣でスルドを演奏できる場を探していた。そこで、ひとりのスルド奏者の存在を知る。
配信動画の中でスルドを演奏していた彼女は、打楽器隊の中にあっては多数のパーツの中のひとつであるスルド奏者でありながら、脇役や添え物などとは思えない輝きを放っていた。
過去、身を置いていた世界にて、将来を嘱望されるトップランナーでありながら、終ぞ栄光を掴むことのなかった誉。
自分には必要ないと思っていた。
それは。届かないという現実をもう見たくないがための言い訳だったのかもしれない。
誉という名を持ちながら、縁のなかった栄光や栄誉。
もう一度。
今度はこの世界でもう一度。
誉はもう一度、栄光を追求する道に足を踏み入れる決意をする。
果てなく終わりのないスルドの道は、誉に何をもたらすのだろうか。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンバ大辞典
桜のはなびら
エッセイ・ノンフィクション
サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』の案内係、ジルによるサンバの解説。
サンバ。なんとなくのイメージはあるけど実態はよく知られていないサンバ。
誤解や誤って伝わっている色々なイメージは、実際のサンバとは程遠いものも多い。
本当のサンバや、サンバの奥深さなど、用語の解説を中心にお伝えします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる