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本章

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 時に歳の離れた兄弟のように。
 時に歳の近い親子のように。

 学校と勉強とサンバの活動の、合間に訪れるハルさんとの、バイクを通して通じ合う僅かな時間が、キョウさんの硬くなった感情を少しずつほぐす潤いとなっていた。


 ある日キョウさんの元に、音信不通だった元妻より一通の封書が届いた。


 中には簡素な手紙と、一枚の写真。

 成人になったのを機に、大人同士が連絡することに介入したり、禁じたりする権利を親として持っているとは考えていないこと。判断も含め、全て娘にまかすことを記した手紙には、娘さんの連絡先が記載されていた。
 手紙に添えられていた写真には、晴れ着姿の娘さんが、別れてから二十年の歳を重ねた元妻と、仲睦まじく微笑んでいる姿が映されていた。


 オレという原因が除かれ、元妻は二十歳過ぎという若い身空で、両親に援けられながらとはいえ、娘を立派に育て上げていた。
 写真を見る限り、ネグレクトの影なんて見受けられない。
 それは甘い、都合の良い解釈かも知れなかったが、写真のふたりは幸せそうだった。

 だからこそ、二十年の時を経て、赦しではなくとも、オレと言う者がこの世に、元妻と娘が暮らす世界に、存在することを許容してくれたのではないだろうかと、これまた甘いかもしれないが、そういう解釈をさせてもらったんだ。


 キョウさんが見ている遠くの空は夜の領域を広げていた。
 わたしたちの座っている防波堤も、程なくその縁に捉えられてしまうだろう。


 キョウさんは散々悩んだ挙句、娘さんの連絡先に、「成人おめでとう」とだけメッセージを入れた。
 ほどなく、「ありがとう」と返信があった。
 お祝いにメシでも、というメッセージを何度も送ろうとし、その度に留まった。


 かつて自ら手放した娘さんと、細く頼りなくとも確実に繋がった証といえる、その履歴だけで充分だと、そのときのキョウさんは思っていた。満足してしまった・・・・・・とも言える。


 断られるのが怖い、拒絶されるのが怖い、迷惑に思われてやしないか、本当は連絡などしてほしくないのではないか。
 自らの過去を罪と捉え、負い目のあるキョウさんの中で、ネガティブなイメージが肥大化していった。


 ちぎれそうでも、今繋がっている繋がりがあるのならば。
 あえて踏み込んで、決定的な断絶に至ってしまうくらいならば。
 いっそこのままで。

 二十年という時が何かを風化させたように、更に月日を重ねることで、今できないことも、いつかできるようになるかもしれないという思いが、キョウさんの中にはなかっただろうか。

 それは楽観的な、消極的な、逃げ腰及び腰な、考えだったのかもしれない。
 例えば夏休みの宿題を、後ろ倒しにしてしまうような。



 今はできないと思っていたことは、本当は今しかできないことだったのだ。







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