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本章

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 このままでは良くない。
 お母さんはまだ声を張り上げてはいない。しかしその表情はこわばってきている。お母さんにとって、思い通りにならないことが起こった時の顔だ。

 どうしよう。どうしたら良いんだろう。何を言えば......。


「お母さん?」

 リビングの扉が開き、祷が顔を出した。
 祷はお母さんを見て、お母さんの目の先にいるわたしを見た。

「お母さん大丈夫?」

 まずお母さんを心配してみせる祷。
 お母さんの気勢が逸れたように感じた。

「めがみ、荷物重そうだよ。一旦部屋に行かせたら?」
 お母さんに質問をしておきながら、回答を待たず別の質問というより提案を繰り出す祷。


 祷は最近はわたしのことを友だちと同じくがんちゃんやがんこと呼ぶ。
 めがみと呼ばれるのも嫌だけど、そこから逃れるために外の世界で名乗っている名前を、身内から呼ばれるのはなんとなく嫌だった。めがみよりは良いかと思って、特に止めはしないが、多分表情にはその微妙な心情が表れてる。

 しかし、お母さんの前では、本来の読み方であるめがみという呼び方を使う。
 お母さんが名付けた名を、わたしは厭っている。そのことがお母さんは気に食わないと感じている。そんなお母さんを刺激しないようにする意図があるのだろう。


 祷の言葉に、「そうね」と言いかけていたお母さんに、祷は二の矢を放った。

「あ、もうこんな時間。めがみ、早くお風呂入って寝ちゃいなね。私もそろそろ寝ないと。お母さんも最近疲れてない? 今日は休もう」

 お母さんは何か言いかけていたが、祷が目で促してくれたので、わたしはスルドを持って階段を登った。

 階下の方で祷の「私が話とくから」と言っている声が聞こえた。


 祷が矢継ぎ早に手を打ってくれなければ、部屋にスルドを置いてから、またはお風呂から出たら、或いは、今日は一旦休んで、後日空いている時に、先ほどの話が再燃しただろう。

 まずお母さんの意識を逸らし、その間にわたしを逃し、再発防止のためにこの案件自体を祷が巻き取った。
 お母さんが祷に全幅の信頼を寄せているからこそではあるが、話の持っていき方の鮮やかさに、改めて姉の能力の高さを思い知った。
 その能力を、わたしのために使ってくれたのだ。
 ありがたいと思う。嬉しいとも。
 わたしひとりではどうにもならなかった。
 だからこそ、ありがたさや嬉しさ以上に、不甲斐なさと悔しさが克ってしまう。
 これではいつまでも、姉ありきの、姉がいなくては何もできない、情けない妹のままだ。


 その日は、悔しくてなかなか眠れなかった。
 布団の中で少し泣き、こんなことで泣いてしまう自分が情けなくて、自己嫌悪でまた泣いた。
 中途半端に泣くのを我慢してるから眠れないのだと思い、いっそ感情のまま泣いてみた。声をあげて泣くなんでいつ以来だろう。


 それで多少は心の中のぐるぐるとしたものが解消されたのか、わたしはいつの間にか眠ってしまっていた。


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