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本章
36
しおりを挟むどこへ行くにも、わたしの手を引いてくれた祷。
あの頃のわたしは、きっとどこにだって行けた。
わたしにとって、祷はいつだって万能で完璧な存在。
姉と一緒ならきっと、世界の端にだって、夜の先にだって、人の真ん中にだって行ける。
でも、それはわたしの力ではない。
わたしは祷について行ってるだけ。祷に連れてきてもらえただけ。
祷が連れて行ってくれた知らない場所。見たことのない景色、初めての体験。
祷と一緒なら許された夜更かし。妙な高揚感と、いつもと同じ場所なのに知らない世界。
祷を介して得たたくさんの友達。
わたしのなかで、きらきらと宝物のように眩く煌めいていまそれらは、ある日気づいたら輝きを失っていた。
わたしは、わたしの人生を生きるべきだと気がついたのだ。
姉によって与えられた万能などなくても。
いや、姉だけではない。そう言う意味では両親が与えてくれている財力という力だって、わたしのものではない。
与えられたものを手放し、何もできないわたしは不自由さを噛み締め、不甲斐なさに歯痒い思いをしながらでも、自分の人生を歩むべきだと思った。
だから、祷は悪くない。
けれど、この有能で面倒見の良い肉親の、近くにいてはダメだと思ったのだ。
でも。
穂積さんの話を思い出す。
あんなにしっかりしていて、聡明で、実年齢や見た目のことではなく考え方が大人なひとでも、時に怒り妹を傷つけるようなことを言い、時に悔しさと悲しみに我を失い泣きじゃくるのだ。
よく考えれば当たり前のことだけど、完璧なひとなんていないし、ひとには感情がある。
可愛がっていた妹が、日に日によそよそしくなったら、姉はどう感じるのだろう。
わたしがその立場なら、やっぱり悲しいだろうなと思う。
わたしに久しぶりに話しかけられた祷は、これまでの期間などなかったように、幼い頃と同じように優しい眼差しでわたしを見つめ、穏やかに答えた。
「なあに?」
わたしから話しかけるなんて珍しいねみたいな余計なことも言わず、傾聴の姿勢でわたしの言葉をただ待つ祷。
別に用があるわけではなく、訊きたいことがあるわけでもない。
「大学たのしい?」
だからといって、この質問はひどい。無為な世間話にも程がある。
久しぶりに話しかけてきて、何その質問? って返された時用に、まだ早いかもしれないけど、大学のこと考えておきたくて、なんて言い訳まで用意してるのだから情け無い。
けれど祷は、「楽しいよ。講義も面白いし、友だちもたくさんできたよ。あ、そうそう、学祭を運営するサークルと学生起業のインカレにも入ったんだ」と、自然な感じで答えてくれた。
それにしても、祷らしい大学生活だ。
きっとそのすべてで、成果を挙げ、人の輪の中心にいるのだろう。
「がんこは高校生活楽しい?」
祷は優しい眼差しのまま、微笑みを湛えて尋ねた。
姉は母がいない場ではわたしを愛称の方で呼ぶ。
「うん。楽しい。友だちもできて、今日その子の家に行ったんだ」
祷は嬉しそうに頷いている。
多くは語れなかった。
祷はなんでもない顔をしているが、わたしは祷とまともに話すのが久しぶりすぎて、リハビリのような感覚なのだ。
とにかく、姉の庇護はなくても、たどたどしいながらも、わたしはなんとかやっていけているのだと伝えたかった。
干渉するなと言いたいわけではない。護らなくても、もう大丈夫なのだと、安心して良いのだと伝えたかった。
だから、近いうちわたしが離れていったとしても、それは自立であり巣立ちであるのだから、悲しまなくて良いと、伝えたかった。
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