千紫万紅のパシスタ 累なる色編

桜のはなびら

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十五歳 ふたりのルイ

ルイのこと

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 るいぷるの表情が、少しだけ真剣身を帯びていた。

「るいぴっぴはさ、自分が甘やかされて来たって思ってない?」

 何が言いたい?
 いつまでもお姫様気分でいるなとか、責めてくる気か? 受けてたとうか?

 無論、ずっとみんなからチヤホヤされて来た。
 甘やかされて来た自覚があるから、誇りは持ちつつも、自律し自立を果たし大人になったら導く側になるつもりでいるのだ。

「そっか。じゃあ甘やかされて来たかもだけど、るいぴっぴから甘えたことってある?」

 甘やかされているのだから、甘えてるのでは?
 いや、そう言うわけでもないのか。甘える……甘えたことはあると思う。ジアンや実里には甘えていると言える、と思う。

「それは『頼る』って言うんじゃない?」

 甘えると頼るは何か違うのか?

 甘えるは相手の好意に遠慮なく寄りかかること。慣れ親しんでわがままに振る舞うこと。
 頼るは助けてもらうこと。だそうだ。

 言葉の意味の違いはわかった。
 それで、自分のこれまでを振り返ってみる。甘えているとも頼っているとも取れると思った。だからやっぱり甘えて来てもいたのだと思う。

「まー、わたしは国語大臣博士じゃないから言葉の定義はどうでも良いんだけど、るいぴっぴは遠慮無く寄りかかるとか、わがままに振る舞うってのを意識してやらないようにしているよね?」

 国語大臣博士ってなに? 大臣の部分要らなくない?
 でもまあ、それはそうだろう。いつまでも子どもではないのだ。わがままにならないよう意識するのも大人になるなら必要な素養ではないの?

「ソータにも甘えていない?」

 ソータは無理にパパと呼ばなくて良いと言ってくれている。
 だからと言ってママとのことを認めていないわけではない。ソータはわたしをメンバー同士だった頃と同じように可愛がってくれるし、今では家族として接してくれている。
 今まで通りにしてくれているのも、家族として接してくれるのも、両方嬉しいと思っている。
 単純な父親母親子どもの関係性で無くても、幸せな家族の形というものはあるはずだ。

「マルガには?」

 充分甘えさせてもらってる。
 再婚するまでは、おじいちゃんの助けもあったとは言え、ひとりでわたしを育てて、自分も演者をしながら、わたしがサンバやるのを全面的に支えてくれた。
 学校も日常生活も、塾や英語の習い事でも、不自由に思ったこともない。

 それにもし、わたしのためにママが自分の幸せを諦めるようなことがあったら、その方が嫌だ。
 だからむしろ、わたしの方から再婚を後押ししたくらいだ。

「るいぴっぴの言う通り、甘えられてると思う。でも、わたしの言ってる甘えるとは違うんだよねぇ。
るいぴっぴのはビジネスマンみたいなんだよ。『わたくし! 甘えさせていただいております!』みたいな」
 ニュアンスよニュアンスー! と笑ってる。全く要領を得ないが、少しだけわかるような気がした。

「百パーセント自己都合のわがままか、相手に配慮をした上で、自分の都合や気持ち告げたり通したりするのを『甘え』と呼んでいるかの違いかなぁ」

 これはわかりやすかった。
 その基準で、どちらかであるかと判断をするなら、確かに基本的には相手に対しての自分という位置付けの中で物事を考えていたように思う。
 たが、それなら寧ろ良いことなのでは? 甘えるのはあまり良いとは思えない。

「それが思い込みなんだよねぇ。だって、マルガがるいぴっぴに配慮しすぎてソータとの再婚の時に、るいぴっぴの都合を上位にしていたら嫌でしょ?」もちろん、全く無配慮ではなかったと思うけどと言いながらフラペチーノに生クリームを溶かしている。

 ママとソータはわたしの学校のことを考えて、ママとわたしの苗字はそのままにしてくれた。
 でもそれは、ソータにとってもママにとっても苗字がそれほど大した優先順位ではなかったからだ。そしてわたしにとっても。
 もしどちらかが気にしていたとしたら、わたしの方から変えてほしいと言っただろう。
 ソータの呼び方も自然とそうなっている。わたしに無理せずにと言われているが、ソータやママが、パパと呼んでほしいとも呼んでほしくないとも思っていないから、どちらでも良いんだよと言われている。

「わたしから言わせればさ、マルガの方がるいぴっぴに甘えてるまであるよ!」

 わたしが誇り高いハイーニャを目指そうとするのは、人格を備えた大人で在ろうとするのに近しい。
 子どもでいることを辞めようとしているわたしは、子どもの持つ権利、時には義務を、少しずつ手放しているとも言えた。
 るいぷるは言う。母親に無条件で甘えられる子どもの権利を捨て、母親が母親として成長する機会を与える子どもとしての義務を放棄したのだと。
 こんなことを考えているるいぷるは、実は真面目なのではないだろうか。
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