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やりとり
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「望の、落ち着かせていた感情を引っ掻き回したいわけじゃない」
お父さんは低い声で言った。心の上澄に立った細波が少し落ち着いた。
「けれど、あるけど見ないようにしているだけのものをそのままにしておくことが、解決策にならないこともあるってのはわかるだろ」
見ないようにしているだけのもの。
それは課題を後ろ倒しにしているに過ぎない。後で処理することになる。
大抵のものは後に回せば回すほど厄介になるものだ。
汚れならこびり付いて落としにくくなるだろうし、借金なら利子が膨らむ。適切な処理をしなかった傷なら化膿するし、害虫を湧くがままにしておけば手に負えなくなることだろう。
「望には、俺たちによってもたらされている負荷をきちんと認識してもらったうえで、それでも愛されているのだということを識ってもらいたい。そして、それが俺たちにとって都合の良い言い分にならないように、望にも希が得たものと同等のものを与えたいのが、俺と美夢の想いなんだ」
覚悟も、準備もあるのだと言う。
大げさだなぁ、と思う。
でも、確かに、意識して、または気付かぬうちに、飲み込んできたものが、普段は意識しない心の奥深くにどっかりとした塊になっていたのだとしたら、愛とか何とか、ストレートな単語で伝えてもらった言葉が、その塊をじんわりと溶かしてくれたように思う。
「気持ちはありがたく貰っとくね。態の良い断りの言葉じゃなくて、ほんとにそう思っての言葉だよ。今すぐにマレと同じように扱ってもらうだけの、わたしの側に必要性がないからさ。海外留学したいとか、医学部受けたいとか、そういうのがあったら甘えるよ。まー医学部は無いけど海外留学はしてみたいしねー」
「そうか。マジで遠慮すんなよ」
少し、お父さん側の雰囲気が和らいだ気がする。
わたしがお父さんの言葉を受け入れたことで、お父さんの抱えていた負い目も薄れたからかなと思うのは意地悪過ぎるだろうか。
でも、家族なんてお互い負い目を感じながら甘えながら支え合いながら生きていくものだと思うから、それで良いと思う。わたしだってそうだし。
「でも、急だよね。今起こったことじゃないのに、なんで今?」
「始まりまで遡るなら、希がバレエを始めた頃になる。その頃は単なる習い事のひとつ。望も何かやりたければやらせてやれば良いと思っていた。明確に差が顕わになりだしたのが希がいくつもの大会に出て、軒並み入賞していった頃になるか。この頃は希の成果に本人以上に俺たちが夢中になっていた。まあ親バカだよなぁ。正直視野は狭くなっていたと思う。そして気付いたら、今の在り方になっていた。希にだけ注力するような日々に、後ろ暗さは抱えながらも、幸い望はその時点では特段の要望は持ってなさそうだ。いつか帳尻を合わせれば良いと」
言葉の合間に頷きの相槌を入れる。
自然な流れで積みあがっていたものを、あるタイミングで俯瞰して視てみたら、是正が必要だと気付いた。
それがいまだったということだろうか。
お父さんは低い声で言った。心の上澄に立った細波が少し落ち着いた。
「けれど、あるけど見ないようにしているだけのものをそのままにしておくことが、解決策にならないこともあるってのはわかるだろ」
見ないようにしているだけのもの。
それは課題を後ろ倒しにしているに過ぎない。後で処理することになる。
大抵のものは後に回せば回すほど厄介になるものだ。
汚れならこびり付いて落としにくくなるだろうし、借金なら利子が膨らむ。適切な処理をしなかった傷なら化膿するし、害虫を湧くがままにしておけば手に負えなくなることだろう。
「望には、俺たちによってもたらされている負荷をきちんと認識してもらったうえで、それでも愛されているのだということを識ってもらいたい。そして、それが俺たちにとって都合の良い言い分にならないように、望にも希が得たものと同等のものを与えたいのが、俺と美夢の想いなんだ」
覚悟も、準備もあるのだと言う。
大げさだなぁ、と思う。
でも、確かに、意識して、または気付かぬうちに、飲み込んできたものが、普段は意識しない心の奥深くにどっかりとした塊になっていたのだとしたら、愛とか何とか、ストレートな単語で伝えてもらった言葉が、その塊をじんわりと溶かしてくれたように思う。
「気持ちはありがたく貰っとくね。態の良い断りの言葉じゃなくて、ほんとにそう思っての言葉だよ。今すぐにマレと同じように扱ってもらうだけの、わたしの側に必要性がないからさ。海外留学したいとか、医学部受けたいとか、そういうのがあったら甘えるよ。まー医学部は無いけど海外留学はしてみたいしねー」
「そうか。マジで遠慮すんなよ」
少し、お父さん側の雰囲気が和らいだ気がする。
わたしがお父さんの言葉を受け入れたことで、お父さんの抱えていた負い目も薄れたからかなと思うのは意地悪過ぎるだろうか。
でも、家族なんてお互い負い目を感じながら甘えながら支え合いながら生きていくものだと思うから、それで良いと思う。わたしだってそうだし。
「でも、急だよね。今起こったことじゃないのに、なんで今?」
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言葉の合間に頷きの相槌を入れる。
自然な流れで積みあがっていたものを、あるタイミングで俯瞰して視てみたら、是正が必要だと気付いた。
それがいまだったということだろうか。
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