スルドの声(共鳴) terceira esperança

桜のはなびら

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【幕間】 祷の空白6

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 心臓病の手術が必要だと先ほど言われ、その場で手術を受けるという決意をしてきたばかりとは思えない軽やかさで駅へと向かう祷の頭の中では、既に手術の日程と期間、それによって再構築が必要となる予定のことで占められていた。
 
 帰宅後、全うすべきタスクとして親への報告と説明を受ける日取りの調整。手術の具体的な日程はその説明時に改めて決めることになるが、目安日や日数についても先んじて親とは話をつけていた。
 両親は祷には絶大な信頼を置いているため、祷が決めたこと、希望していることに特段の異論はなく、祷の段取りに合わせて動けるかどうかだけが議題のテーマだった。
 
 
 ここで起こった問題が、祷にとっては課題解消のための必須なタスクではなく、両親にとっては当事者の祷が決めた適切な判断に、なるべく乗れるようにすれば良く、段取りを決めた時点である意味完結したものと捉えていたため、祷の妹である願子に、この情報がまったくもたらされなかったことだ。
 
 後日事実を遅ればせながら知った願子が、「普通の家族だったらありえない! 全員人の気持ちが無いの⁉︎」と叫んだのも無理からぬことだった。
 

 実際、願子が祷の入院を知ったのは、入院するその日だった。
 心の準備も整理もする間もなく、詳しい説明も受けられないまま、姉が心臓病の手術のために入院すると聞いた願子の不安と混乱と恐怖は計り知れない。

 たまたま見かけ、声をかけたから知ることのできた事実。
 もしその場に居なかったら?
 もし尋ねなかったら?
 願子には知らされぬまま入院が始まり、いつの間にか手術を終え、気がついたら帰ってきていたということだってあり得た。
 もちろん実際はどこかで説明はなされていたのだろうが、だとしても遅すぎる。そのことに願子は怒っていた。



「あれ、どこかいくの?」
 
 なんらかの荷造りのような準備をしている祷を見かけた願子が尋ねた。
 
「あ、うん。ちょっと入院することになって」
 
 何でもないことのように言う祷。
 とんでもないことを聞いたような顔をした願子は、「え、なんで?」「きいてない!」「病気なの?」「どれくらい入院するの?」と思いつくままの質問をした。
 祷は願子に向き合い、「たいしたことないよ。心配しないで」「すぐ戻ってくるよ」と穏やかにほほ笑んだ。その言葉は事実であったのだが、願子には妹を心配させないようにしている姉としてふるまっているように見えた。
 そもそも説明になっていない。
 説明されれば理解できる。それなのに端からそのルートを諦め、子ども扱いをしているかのような対応も納得がいかなかった願子。
 

 後の祷は「ちゃんと本当のこと言っていたんだけどなぁ」と笑っていたが、願子に言わせれば、「普段からそんな感じでいるのが悪い」と一刀両断だ。
 
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