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ある夜
しおりを挟む(色部 誉)
仕事が終わって帰り道。
要さんと一緒におでんの居酒屋さんで少し食べて帰ることにした。
ママが懇意にしているお店で、これまでにも何度か利用したことのあるお店だ。
ママが居なくても手厚く遇してくれる。ちょっと内輪じみていて、一見さんが入りにくい雰囲気だが、内輪の側に入れてる身としては居心地の良いお店だった。
「お疲れ様。誉、今日は頑張ってたね。すごいじゃん」
「要さんも裏で助けてくれてましたよね? 私、まだまだ甘いですよね……」
グラスを軽く合わせてファーストドリンクを一口含んだ。
「誉だって私のヘルプに入ることあるでしょ? それと一緒なんだからそこはカバーし合うのが普通。気にしないの」
要さんはたまごをかじっている。わたしも女将さんにたまごを頼んだ。
「私の都合、私の欲でお客様を呼んで、先輩やお店に助けてもらって。せめて、もっとちゃんとしないとって」
「欲と都合で仕事をするのは当たり前でしょ? お客様だって自身の仕事を滅私奉公でやっているわけではないだろうし。だからこそ、己の欲と都合に乗ってくれたお客様には、真摯であれば良いんじゃない? 少なくとも今日の誉はそのあたり、相当よかったと思うよ」
そう言ってもらえると思わず涙腺が緩むくらいうれしくて。返事の代わりに熱々しみしみの大根を口にした。
思うところも反省点も多々あれど、確かに今日は大変だったしがんばったとも思う。
音楽イベントまで数週間。
複数の演目をこなす身としては、練習に相応の時間を費やすことになる。
練習が増えれば自ずとどこかの時間を削らなくてはならない。バイトも最低限になる。
しかし、金銭的な課題が解決したわけではないから、バイトでしっかり稼ぐ必要がある。
これまで以上に歩合の獲得が求められることになった。
機会が限られている出勤日には、できるだけ多くのお客様に来てもらおうと、張り切って営業メッセージを送ったのは良かったのだが――。
――数時間前。
「すみませんっ、お待たせしました!」
「ほまれちゃん、人気になっちゃったねぇ」
微笑みながら、少し寂しそうに言う上品そうな雰囲気の初老の男性。
今も決して手慣れているわけではないけれど、まだ何もかもがたどたどしかった頃から、お店に来てくれているお客様で木下さんという。
五十前くらいのやや枯れた雰囲気の紳士で、公立中学校の国語の先生をされている。
やましいお店では無いし最近は公務員とてひとりの人間なのだから、一般的に許されていることは公務員でも許されてしかるべきという風潮もあるが、敢えて勤務校の最寄ではないうちのお店を利用している理由は、本人に後ろ暗さが有ったり、うちを利用していることを知られるのが恥ずかしいといった感情が有ったりするのではなく、できるだけできるだけ、目立たぬよう騒がぬよう、波風の立たない人生を送りたいと思っているからのように見えた。
それでも、そんな日々に潤いを求めたい気持ちもあったのだろう。
決して騒ぐような飲み方をしないこのお客様は、女性とおしゃべりしながら静かにお酒を飲むひとときを、楽しみにしてくれているように見えていた。
「キノさんがずっと良くしてくれたおかげです」
作ったドリンクを手渡す。穏やかな笑みを浮かべて「ありがとう」と受け取るキノさん。
私も自然とそういうことが言えるようになった。
接客力が上がったのか、それとも、擦れたのだろうか。
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