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第十一章:「苦闘編」

第七十九話「各国の情勢」

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 統一暦一二一二年四月十五日。
 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 グライフトゥルム市の叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔に入ってから半年経った。
 私の状況だが、王都から移動した直後は無理が祟ったのか、体調を大きく崩した。

 塔の責任者である大導師シドニウス・フェルケらの治癒魔導で回復したが、二度の大病の影響は私が思っていた以上に深刻なダメージを身体に与えていたらしい。

 今年に入ると、少しずつ快方に向かい、起き上がることもできるようになった。
 そして、春になり、最近では短時間の散歩に出ることができるまでに回復している。

 妻のイリスは私の看護と三人の子供の世話、更には情報分析室への指示と私に代わって奮闘してくれた。カルラとユーダの二人のシャッテンも手伝ってくれたらしいが、幼い子供三人と重病人の看護をしながら謀略までやるという状況に申し訳ない気分で一杯だった。

 ある程度回復した後にそのことを告げると、彼女は優しく微笑んでくれた。

『あなたが元気になってくれることが一番のご褒美よ。謀略の方は私の個人的な思いもあるし、第一子供たちの世話は全然苦じゃないわ。本来なら乳母なり、教育係なりを付けるのでしょうけど、私自身でできたことを心から喜んでいるのよ』

 伯爵家以上では令夫人が子育てを行うことはなく、乳母や教育係に任せることがほとんどだ。実際、オクタヴィアとリーンハルトが生まれた時は乳母を付けている。

 但し、彼女自身は伯爵令嬢だったが、彼女が幼い頃は父カルステンに二人の兄がおり、伯爵を継ぐ可能性がなかったので、母インゲボルグに育てられている。そのため、双子が生まれた時もできるだけ育児に携わるようにしていた。

 三人の子供たちは元気いっぱいだ。
 特に二歳半になったオクタヴィアとリーンハルトは塔の中庭でよく遊んでおり、その姿は私がいる病室からよく見えていた。

 私と家族は平和そのものだが、王国では暗雲が垂れ込めている。
 私が王都を出発する前に義父であるカルステン・フォン・エッフェンベルク前伯爵は軍務次官を、ユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵も財務次官を辞任した。

 また、昨年末に軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵と士官学校のハインツ・ハラルド・ジーゲル校長が相次いで辞任している。

 これは私とイリスで考え、提案したことだが、反マルクトホーフェン派は宰相であるオットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵の他には、騎士団本部にいるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵を始めとしたごく少数になった。

 その結果、第二王妃アラベラとミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵は政争に勝利したと周囲に言い、自派閥の貴族を要職に押し込んでいる。

 特に軍務省は酷い状況で、財務次官として大失敗したグリースバッハ伯爵が軍務卿に就任し、マルクトホーフェン侯爵の命令で動いている。その結果、軍務省はマルクトホーフェン派の巣窟となりつつあった。

 また、宰相府も無能なメンゲヴァイン宰相は変わっていないものの、次官級や局長級にマルクトホーフェン派の子爵や男爵が就任し、行政府はマルクトホーフェン派一色となっている。

 マルクトホーフェン侯爵派が増大したため、貴族の特権を強化する動きが顕著になり、平民たちに不満が高まりつつあるという情報が入っている

 士官学校も悲惨な状況になりつつある。
 ジーゲル校長が辞めた後、リッケン伯爵が校長に就任した。

 リッケン伯爵はマルクトホーフェン派で、元嫡男は一二〇五年八月のヴェヒターミュンデ攻防戦の前の行軍で醜態を曝し、騎士団から放逐され、爵位継承権を喪失した愚か者だ。
 その愚か者を育てた父親が士官学校の責任者になったのだ。

 教官たちは辞めさせられていないものの、指揮命令系統に関する教育に口を出してきた。
 騎士団での階級より爵位が優先することを教えろと言ってきたらしい。

 王国軍の軍規を無視することになるため、教官たちはその命令を無視しているが、いずれ教官にもマルクトホーフェン派が入り込み、王国軍の士官教育は酷いものになるだろう。

 王国騎士団はまだマルクトホーフェン派の浸食をそれほど受けていないが、いずれ影響を受けることは間違いない。
 その時のことを考え、優秀な指揮官や参謀には密かに手紙を送っている。

 その内容は騎士団を辞めるのであれば、ラウシェンバッハ騎士団が能力に見合った地位を約束するというものだ。

 これはラウシェンバッハ騎士団の指揮官のほとんどが、士官学校での正式な教育を受けていないためで、弟のヘルマンが四年掛けて教育しているが、未だに指揮官と参謀が不足しているからだ。

 これが表向きの目的だが、別の目的もある。
 それは将来、マルクトホーフェン侯爵派と内戦になった場合に、優秀な人材を失うことを防ぐということだ。

 内戦になる頃には王国騎士団は侯爵派に牛耳られているだろうから、敵に回る可能性が高い。内戦で人材を消耗することを防ぐために、予め騎士団から抜けさせようと考えたのだ。

 同じ理由で平民の下士官や兵士たちにもある噂を流している。
 それは王国騎士団で不満を持ったら、ヴェヒターミュンデ騎士団かヴェストエッケ守備兵団に異動したらいいというものだ。

 マルクトホーフェン侯爵も東西の要衝を弱体化するようなことはしないだろうから、この二つの兵団に対して、無茶を言う可能性は低い。

 また、いずれも辺境にあり、侯爵派の貴族が行きたがる場所でもないことから、無能な指揮官が入り込む可能性は低く、兵士たちもその噂を信じやすい。

 このことはホイジンガー伯爵にも伝えてある。
 伯爵には可能な限り王国騎士団を守ってほしいと伝えているが、味方がいない状況では難しいことも理解している。

 そのため、マルクトホーフェン侯爵との決戦に向けて戦力を温存することと、東西の要衝の増強を図ることが、王国を守るために必要だと伝えた。
 伯爵には貧乏くじを引かせることになったため心苦しいが、やめるつもりはない。

 伯爵からは特に返事はないが、将来マルクトホーフェン侯爵派の横暴が目に余るようになれば、私の話を思い出してくれると思っている。

 帝国の状況だが、赤死病による混乱が引き起こした経済的な問題が未だに尾を引いている。

 赤死病により、大動脈であるザフィーア河の水運が打撃を受け、帝都を始めとした人口集中地域では流通の停滞が続き、未だに物価は高騰したままだ。

 辺境では帝都に送っていた穀物などの食料品が送れず価格が暴落し、逆に帝都から買っていた物資が高騰している。

 ザフィーア河の水運が完全に元に戻ると厄介なので、帝都への物流をコントロールすることで、帝国経済の回復を遅らせるという謀略を行った。

 具体的にはモーリス商会に水運業者を買い取らせ、独占状態を作るのだ。これがほぼ成功しており、モーリス商会の匙加減、すなわち私の命令で帝国内の物価が左右される状況を作り出したのだ。

 もちろん、モーリス商会が独占していると皇帝や帝国政府にバレると何らかの規制が掛けられてしまうので、ダミー会社を使ってモーリス商会の見かけ上のシェアを落としている。

 我々が物価をコントロールした結果、帝国の民衆は皇帝マクシミリアン及び帝国政府に不満を持ち、一度は力を失った枢密院が徐々に力を取り戻しつつあった。

 もちろん、そうなるように情報操作を仕掛けたのだが、それが思わぬ方向に向かってしまった。

 皇帝は現状を憂い、外征という手段で不満を解消することを考えた。
 そして四月一日、中部のエーデルシュタインにあった一個師団にリヒトロット皇国攻略を命じたのだ。

 元皇都リヒトロット市の治安回復も完全でない中で、このような大胆な策に出るとは思っていなかった。

 一応、リヒトロット市でレジスタンス活動をしている元騎士長ヴェルナー・レーベンガルドに連絡を入れ、後方撹乱を依頼したが、非常に拙い状況だ。

 リヒトロット皇国は西に押し込まれているが、満足な防御拠点がない。
 また、皇国を守っていた水軍も優秀な指揮官イルミン・パルマー提督が暗殺された後、指揮官に恵まれず、以前ほどの力はない。

 何とかしなくてはと考えていたが、世界を震撼させた赤死病によりリヒトロット皇国も混乱しており、更に支援すべき私が一年以上動けなかったため、このままでは今年中に皇国は滅びると予想していた。

 何とかしたいのだが、これだけ動きが早いと、現在行っている帝国への謀略の効果も限定的となり、更に効果的な手が打てない。このままでは皇帝の威信が復活し、帝国が早期に力を取り戻す可能性が高いと考えている。

 そのため、次善の策として、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室に対し、皇国水軍が帝国軍に吸収されないよう、妨害工作を指示した。

 具体的には帝国軍に激しく抵抗した水軍は末端の兵士まで処刑されることと、王国が軍船と共に受け入れるという噂を流した。

 また、水運業者についても帝国に占領された後は格安で輸送を命じられるので、今のうちに船を手放した方がいいという噂を流している。

 その上でモーリス商会に水運会社を買い取らせ、グリューン河の水運を牛耳るように依頼した。モーリス商会には帝国に協力するように言ってあるので、水運自体は円滑に行えるが、帝国軍に水夫を奪われないための措置だ。

 今後、シュヴァーン河が主戦場になると考えると、水兵及び水夫の価値は非常に高い。
 帝国にもザフィーア河に水夫が多くいるが、ザフィーア河からシュヴァーン河までは距離があることと、モーリス商会が密かに牛耳っているので送り込まれる可能性は低い。

 このように一応世界中の情報は入ってくるし、できることはやっているが、まともに動けない自分がもどかしい。

 焦っても仕方がないと思っているが、私が回復する前にすべてが終わるのではないかと思ってしまう。
 最近特に気にしているのは王国が帝国に呑み込まれた時のことだ。

 私は帝国に対して多くの謀略を仕掛けている。特に皇帝マクシミリアン個人に対しては、私自身が呆れるほどの嫌がらせを徹底的に行っており、そのことは皇帝も認識している。
 そんな状況で王国が降伏し、私が捕縛されれば、処刑されることは間違いない。

 逃げるにしても行き先はグランツフート共和国しかなく、ここグライフトゥルム市から向かうには王都付近を通過する陸路か、ブラオン河を下って海路を使うしかない。

 陸路は当然検問があるだろうし、海路は帝国か法国の領海を通る必要があり、どちらも現実的には非常に困難だ。

 そんな状況に焦りを覚えるが、私以上に焦っている者がいた。
 それは“助言者《ベラーター》”である大賢者マグダだった。
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