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第十一章:「苦闘編」

第六十三話「ミヒャエルの困惑」

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 統一暦一二一一年六月十七日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵

 腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーが厄介な話を持ってきた。

「姉上がラウシェンバッハを暗殺しようとしているだと……それは真か?」

 エルンストは困惑したような表情で頷く。

「間違いないようです。騎士団本部を見張らせていた“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者がラウシェンバッハの馬車を付ける不審な者を見つけ、その正体を探りました。その結果、“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”なる暗殺者ギルドの一員であることが判明しました……」

 どうやら偶然分かったことらしい。
 エルンストの説明はまだ続いていた。

「また、領都に確認した結果、家宰のアイスナー殿より、アラベラ様が使途不明の資金を要求してきたので渡したという情報を得ております。それらを合わせて考えると、アラベラ様が暗殺者を雇ったと考えることが妥当と判断いたしました」

 彼の説明に頭が痛くなる。
 説明を聞く限り、姉が暗殺者を雇ったとしか思えないからだ。
 そして、怒りが沸々と湧いてきた。

「姉上は私の邪魔しかできないのか! このタイミングでラウシェンバッハに暗殺者を送り込めば、私が命じたと誰もが考える。そうなれば、貴族たちは私を忌避するだろう。せっかくの好機を潰すことにもなりかねん!」

 最大の政敵ラウシェンバッハは体調が万全ではなく、レベンスブルクも精神的な痛手から回復し切っていない。この機にラウシェンバッハとレベンスブルクを追い出し、宰相を引退に追い込めば、私に逆らえる者はいなくなるのだ。

 そのためには多数派工作が必要で、中立派だけでなく、我が家に反発している者たちにも声を掛けており、手応えを感じ始めていたところだった。

 彼らには王国のために過去の遺恨を忘れてほしいと言っているのだが、ここで私が父と同じく強引にことを進める者だと認識されれば、多数派工作は失敗に終わる。

「おっしゃる通りです。第一、ラウシェンバッハの周囲には“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”と獣人族戦士が固めているのです。“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”なる組織の実力は分かっておりませんが、あの“ナハト”ですら三十人は必要と言っております。成功するはずがありませんし、露見することは確実です」

 エルンストの意見に完全に同意だ。
 ラウシェンバッハが私の最大の障害であることは事実であり、排除を検討したことがあった。

 しかし、国王よりも厳重に守られていると“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者は断言し、自分たちでは不可能と言ってきた。

 また、“ナハト”にも確認したが、“組織を挙げて掛からないと成功しない”と言われ、断念している。

「止めねばならん」

「はい。既にラウシェンバッハはこのことを知っているでしょう。奴ならこの情報を使って、我々を陥れにくるはずです。アラベラ様だけならよいですが、お館様、そしてグレゴリウス殿下にまで及ぶと、取り返しがつかないことになりかねません」

「そうだな。あの姉上が言うことを聞くとは思えんが、グレゴリウス殿下のためと言って説得すれば何とかなるかもしれん。私自らが領都に行かねばならぬな」

 姉は領都マルクトホーフェンの領主館にいる。手紙で説得できるとは思えないから、私が直接出向く必要があった。

「それしか方法はないと思います。ラウシェンバッハが動くことが懸念ではありますが」

 エルンストは憂い顔でそう言った。

「確かにそうだが、それについては貴様にすべて任せる」

 以前なら不安に思ったが、最近のエルンストの成長は目を見張るものがあり、それほど不安視していない。
 そこである疑問が頭に浮かんだ。

「しかし、誰が暗殺者を手配したのだ? 姉上の側近にそのような伝手がある者がいるとは思えぬのだが?」

 マルグリット王妃を暗殺した時は、腹違いの弟イザークがシュトルプ子爵を脅して暗殺者を斡旋した。しかし、今回は領都の屋敷に篭っており、裏社会と繋がるような者と接触する機会はなかったはずだ。

「その点は私も不審に思い調べさせています。盗賊ギルドロイバーツンフトに依頼したことは間違いないのですが、アイスナー殿も誰が動いているか把握していないとのことでした」

 ここで言っているアイスナーは先代の男爵ではなく、当代のクラウディオのことだ。
 父親と違って実直なだけが取り柄の使えない男だ。

「それについても私が姉上に確認しよう。その者を排除せねば、今回のようなことが起きかねんからな」

「こちらでも引き続き調べてみますが、お館様から直接聞いていただいた方が確実かと。その上でご相談なのですが、毒蜘蛛ギフティヒシュピネなる暗殺者はどういたしましょうか。“真実の番人ヴァールヴェヒター”を動かしてもよいのですが、下手な動きを見せれば、ラウシェンバッハの手の者に誤解を与えかねません」

 エルンストの言う通り、こちらで排除することは難しくないが、ラウシェンバッハが動いていれば意図せずに衝突する可能性もある。そうなると収拾がつかなくなる可能性は否定できない。

「このまま放置するわけにはいかぬな……」

「ラウシェンバッハに警告してはいかがでしょうか? 我がマルクトホーフェン侯爵家は関与していないが、偶然情報を手に入れたから伝えると言えば、ラウシェンバッハが騒いでも言い訳はできます。それに奴らのことですから、既に情報は得ているでしょうし、三流の暗殺者に期待はできません。我らにデメリットはないと考えます」

「面白い。確かにラウシェンバッハは帝国にも法国にも狙われる可能性がある。同じ王国貴族として見過ごすことはできないと言えば、私の評判も上がるだろう」

「では、私が騎士団本部に赴き、その旨を伝えてまいります。その際にはお館様の義侠心の強さを強調するようにいたします」

 エルンストの成長に笑みが零れた。
 以前なら私が命じなければ動けなかったが、今では王都を任せてもよいと思えるほどに成長しているからだ。

 翌日、エルンストは騎士団本部でラウシェンバッハや王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵らにラウシェンバッハに暗殺者が迫っていることを伝えた。

 ラウシェンバッハは表情を変えなかったそうだが、ホイジンガーは私のことを褒めていたらしい。単純な彼らしく、こちらの思惑に乗ってくれたようだ。

 その翌日の朝、領都に向けて出発しようとした時、再び姉のことで激怒することなった。
 領都から早馬が到着したのだ。

「アラベラ殿下とグレゴリウス殿下は去る六月十五日に王都に向け、領都を出発されました。アイスナー男爵閣下より至急お伝えせよと命じられ、まかり越しました」

「それは真か! アイスナーは何をしていたのだ!」

「男爵閣下は止められたのですが、アラベラ殿下は聞く耳を持たれず……」

 伝令の騎士は縮こまって報告する。

「役に立たぬ!」

 姉の身勝手さとアイスナーの無能さに怒りが爆発する。

「早急に対応を考えねばなりません」

 エルンストの言葉で我に返った。

「そうだな。既に領都を出て四日。今から引き返すように言いにいっても、陛下の命令に背いたことは知れ渡っている。それならば王都で次善の策を講じた方がよい」

「おっしゃる通りかと。こうなってはアラベラ様の王都帰還は止めようがありません。元々怪我の療養のためと発表しておりますので、完治されたことに加え、グレゴリウス殿下が十四歳になられるので、王宮に戻ってきたと発表した方がよいのではないかと考えます」

「グレゴリウス殿下のためと発表するのか……確かにそれならばある程度納得できる理由となるな。まあ、姉上が戻る必要はないのだが……」

 私はその後、王宮に出向き、国王にその旨を報告した。

「アラベラが戻ってくるだと! 余は許しておらぬ!」

 国王は珍しく感情を露わにしてきた。

「元々アラベラ殿下は火傷の療養ということで実家に戻っておられました。また、グレゴリウス殿下は来月十四歳になられます。次期国王となられる可能性のある方ですから、王に相応しい教育を王宮で行うべきと考えます」

「次期国王だと! 余は認めておらぬ!」

「もちろんそのことは存じております。ですが、第二位の王位継承権保持者であられることは事実。フリードリッヒ殿下が国内におられぬ状況である今、王としての教育を蔑ろにするわけにはいかぬと愚考いたします」

 そう言って目に力を入れると、国王はその視線を一瞬だけ受け止めた後、目を逸らした。

「異論はないようですので、宮廷書記官長としてその旨を発表させていただきます」

 私はこの状況を最大限生かすべく、動き始めた。
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