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第十一章:「苦闘編」
第五十八話「疫病後の状況」
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統一暦一二一一年四月一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
猛威を振るった赤死病だが、ようやく終息の兆しが見えてきた。
王都での死者数は激減し、商業活動も再開しつつある。
グライフトゥルム王国全体での死者数はまだ集計されていないが、人口の二パーセントに当たる十万人に達する見込みで、大きな痛手を負っている。
これでも王国はまだマシな方だ。
ゾルダート帝国では帝都だけでも五万人もの病死者が出ているらしい。そのうち市民が四万、帝国軍が一万で、帝都民の二割以上、帝国軍の一個師団分が死亡したことになる。
叡智の守護者の情報分析室の分析では、帝国全体で三十五万から四十万人にも及ぶ死者が出ているのではないかと推測されていた。
レヒト法国も被害が甚大で、聖都レヒトシュテットでは数万人の死者が出ているが、支配しているトゥテラリィ教団はその実数を把握できていない。
教団自体でも多くの犠牲者が出ており、行政機能が完全にマヒしているらしい。
他の国も似たようなもので、大都市ほど甚大な被害を出していた。また、我が国では起きなかったが、罹患を疑われた者が虐殺されるなどの蛮行も目立ち、死の恐怖で精神的におかしくなった者による略奪や暴行なども起きていたらしい。
私自身のことだが、ようやく起き上がれるまでに回復した。
それでもまだ夜には熱を出すこともあり、騎士団本部には行っていない。そのことでマルクトホーフェン侯爵が総参謀長を解任すべきだと言っている。
王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が反対したことから、解任はされていないが、この状況が続くようなら辞めざるを得ないだろう。
今日もベッドに横になりながら、妻のイリスと話をしていた。
「兄様も王都を去ったし、お父様が軍務次官を辞めるのは時間の問題よ。これからどうするのかしら?」
看病してくれているイリスが聞いてきた。
ラザファムは三月の末に北部の辺境の城、ネーベルタール城に赴任した。
政争に敗れての都落ちであり、マルクトホーフェン侯爵派が喝采を上げたと聞いている。
「難しいところだね。私も出仕するのは難しいし、レベンスブルク侯爵閣下も精神的に立ち直れていない。義父上も辞められるとなると、ホイジンガー閣下が孤立することになる」
軍務卿であるマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵は弟であるアウデンリート子爵と愛娘であるシルヴィアを失い、精神的に参っている。
義父であるカルステン・フォン・エッフェンベルク元伯爵は赤死病に罹患しなかったが、肺に異常があるのか、咳が止まらず、軍務次官の職務に復帰できていない。
「そうね。王国騎士団はまだマルクトホーフェン侯爵派が浸透していないけど、時間の問題だわ。特に貴族の指揮官は侯爵の勧誘に耳を傾け始めているそうだし……あなたがいないからヴィージンガーにやりたい放題やられているそうよ」
イリスの言う通り、マルクトホーフェン侯爵は王国騎士団に介入し始めている。
腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーが家督相続問題を巧みに利用し、徐々に切り崩していたのだ。
「私が早期に復帰できればいいのだけど、それが難しいようなら、ホイジンガー閣下には政治に関わらず、王国騎士団のことだけを考えていただくように進言するつもりだ。侯爵もホイジンガー閣下を更迭する理由は見つけられないだろうし、政治に介入しないなら徐々に切り崩せばいいと考えるだろうから」
「それだと王国騎士団が乗っ取られることになるわ。大丈夫なの?」
イリスが不安そうな表情で聞いてきた。
「侯爵の当面の目標はグレゴリウス殿下の立太子だ。内戦による混乱は望んでいないだろう。乗っ取られると言っても、騎士団としての規律さえ維持できれば、完全に牛耳られることはない。昔のような貴族中心の軍隊に戻すことさえ防げれば、何とかなると思っているよ」
改革前のシュヴェーレンブルク騎士団時代は爵位を持つだけの無能な指揮官が多く、軍隊としての能力は非常に低かった。改革のきっかけとなったフェアラート会戦のことを覚えている者も多く、簡単には元の状態に戻ることはないだろう。
「あなたには療養に専念してほしいと思っているの。王都にいれば、参謀本部から相談に来るでしょうし、そうなると叡智の守護者の情報分析室にあなたが指示を出さざるを得ないわ。グライフトゥルム市か、それが難しいならせめて領地に行って療養してほしい。もちろん旅に耐えられるだけの体力が付いたらだけど」
彼女の言う通り、現状では騎士団本部に行けないほど体力が落ちており、数百キロメートルにも及ぶ馬車の旅は自殺行為だ。
また、今は私の体調を考慮して参謀本部から人は来ていないが、総参謀長代行である作戦部長のヴィンフリート・フォン・グライナー男爵は参謀本部をまとめるのに苦慮していると聞いており、私の体調がある程度戻れば、相談に来ることは容易に想像できる。
「当面は帝国も法国も動けないから、参謀本部としては情報収集と長期戦略の検討を行うくらいしかやることはない。情報収集はクラウゼン男爵に任せておけば問題ないし、長期戦略の方は素案を作ってあるから、詳細を詰めていくだけだ。だから、グライナー男爵には組織の掌握に力を入れてほしいと思っているよ」
ギュンター・フォン・クラウゼン男爵は情報部長として七年にも及ぶ経験がある。当初は私が指示を出していたが、最近では叡智の守護者の情報分析室との連携も自分で行っている。
「そうなると国内の政争が一番の課題ということね。マルクトホーフェン侯爵が何もしないということはあり得ないし」
「そうだね。ヴィージンガー殿の貴族の切り崩し工作は上手くいっているようだし、当主のミヒャエル卿も先代のルドルフ卿に比べれば、強引さが少ないから貴族たちの反発も思ったより大きくない。このまま放置すれば、グレゴリウス殿下が王太子に指名されそうな勢いだしね」
現在、グライフトゥルム王家には三人の王子がいる。
長男はフリードリッヒで十六歳。慣例に従えば、長男であるフリードリッヒが立太子されるのだが、暗殺を恐れてグランツフート共和国の首都ゲドゥルトに留学しており、大貴族の後ろ盾もないことから、立太子されていない。
また、留学先では引きこもり状態で、性格的にも能力的にも期待できないというのが、ほとんどの王国貴族の思いだろう。
次男はグレゴリウスで七月に十四歳になる。後ろ盾はマルクトホーフェン侯爵家であり、文武両道の優秀な王子という宣伝工作を行っている。
実際、武術に関しては東方系武術を学び、既に初伝になっており、才能は有るらしい。
但し、剣術の訓練では若い従士を殴り殺すなど粗暴な性格が垣間見えている。そのことを知った国王フォルクマーク十世は次期国王に相応しくないと考え、マルクトホーフェン侯爵が執拗に立太子を迫るが、頑なに首を縦に振らない。
三男はジークフリートで二月に十三歳になった。
北部の辺境ネーベルタール城に匿われており、貴族の間では話題に上ることすらない。
大賢者マグダが神候補として注目しており、直々に指導を行おうとしたが、母マルグリットを守れなかった叡智の守護者と闇の監視者に対してわだかまりを持っており、その元締めである大賢者にも隔意があるらしい。
性格的には素直で、守り役のシュテファン・フォン・カウフフェルト男爵が教育を行っているが、文武ともにそれなりの才能があると聞いている。
ラザファムが教育係として赴任したので、将来性は一番あると思うが、神になるなら即位はできないだろうから、国王になる可能性は一番低いと考えている。
話し過ぎたのか、咳が出た。
そのことに気づいたイリスが失敗したという顔になる。
「ごめんなさい。話し過ぎたわね。ゆっくり休んで」
私はその言葉に頷き、目を閉じた。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
猛威を振るった赤死病だが、ようやく終息の兆しが見えてきた。
王都での死者数は激減し、商業活動も再開しつつある。
グライフトゥルム王国全体での死者数はまだ集計されていないが、人口の二パーセントに当たる十万人に達する見込みで、大きな痛手を負っている。
これでも王国はまだマシな方だ。
ゾルダート帝国では帝都だけでも五万人もの病死者が出ているらしい。そのうち市民が四万、帝国軍が一万で、帝都民の二割以上、帝国軍の一個師団分が死亡したことになる。
叡智の守護者の情報分析室の分析では、帝国全体で三十五万から四十万人にも及ぶ死者が出ているのではないかと推測されていた。
レヒト法国も被害が甚大で、聖都レヒトシュテットでは数万人の死者が出ているが、支配しているトゥテラリィ教団はその実数を把握できていない。
教団自体でも多くの犠牲者が出ており、行政機能が完全にマヒしているらしい。
他の国も似たようなもので、大都市ほど甚大な被害を出していた。また、我が国では起きなかったが、罹患を疑われた者が虐殺されるなどの蛮行も目立ち、死の恐怖で精神的におかしくなった者による略奪や暴行なども起きていたらしい。
私自身のことだが、ようやく起き上がれるまでに回復した。
それでもまだ夜には熱を出すこともあり、騎士団本部には行っていない。そのことでマルクトホーフェン侯爵が総参謀長を解任すべきだと言っている。
王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が反対したことから、解任はされていないが、この状況が続くようなら辞めざるを得ないだろう。
今日もベッドに横になりながら、妻のイリスと話をしていた。
「兄様も王都を去ったし、お父様が軍務次官を辞めるのは時間の問題よ。これからどうするのかしら?」
看病してくれているイリスが聞いてきた。
ラザファムは三月の末に北部の辺境の城、ネーベルタール城に赴任した。
政争に敗れての都落ちであり、マルクトホーフェン侯爵派が喝采を上げたと聞いている。
「難しいところだね。私も出仕するのは難しいし、レベンスブルク侯爵閣下も精神的に立ち直れていない。義父上も辞められるとなると、ホイジンガー閣下が孤立することになる」
軍務卿であるマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵は弟であるアウデンリート子爵と愛娘であるシルヴィアを失い、精神的に参っている。
義父であるカルステン・フォン・エッフェンベルク元伯爵は赤死病に罹患しなかったが、肺に異常があるのか、咳が止まらず、軍務次官の職務に復帰できていない。
「そうね。王国騎士団はまだマルクトホーフェン侯爵派が浸透していないけど、時間の問題だわ。特に貴族の指揮官は侯爵の勧誘に耳を傾け始めているそうだし……あなたがいないからヴィージンガーにやりたい放題やられているそうよ」
イリスの言う通り、マルクトホーフェン侯爵は王国騎士団に介入し始めている。
腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーが家督相続問題を巧みに利用し、徐々に切り崩していたのだ。
「私が早期に復帰できればいいのだけど、それが難しいようなら、ホイジンガー閣下には政治に関わらず、王国騎士団のことだけを考えていただくように進言するつもりだ。侯爵もホイジンガー閣下を更迭する理由は見つけられないだろうし、政治に介入しないなら徐々に切り崩せばいいと考えるだろうから」
「それだと王国騎士団が乗っ取られることになるわ。大丈夫なの?」
イリスが不安そうな表情で聞いてきた。
「侯爵の当面の目標はグレゴリウス殿下の立太子だ。内戦による混乱は望んでいないだろう。乗っ取られると言っても、騎士団としての規律さえ維持できれば、完全に牛耳られることはない。昔のような貴族中心の軍隊に戻すことさえ防げれば、何とかなると思っているよ」
改革前のシュヴェーレンブルク騎士団時代は爵位を持つだけの無能な指揮官が多く、軍隊としての能力は非常に低かった。改革のきっかけとなったフェアラート会戦のことを覚えている者も多く、簡単には元の状態に戻ることはないだろう。
「あなたには療養に専念してほしいと思っているの。王都にいれば、参謀本部から相談に来るでしょうし、そうなると叡智の守護者の情報分析室にあなたが指示を出さざるを得ないわ。グライフトゥルム市か、それが難しいならせめて領地に行って療養してほしい。もちろん旅に耐えられるだけの体力が付いたらだけど」
彼女の言う通り、現状では騎士団本部に行けないほど体力が落ちており、数百キロメートルにも及ぶ馬車の旅は自殺行為だ。
また、今は私の体調を考慮して参謀本部から人は来ていないが、総参謀長代行である作戦部長のヴィンフリート・フォン・グライナー男爵は参謀本部をまとめるのに苦慮していると聞いており、私の体調がある程度戻れば、相談に来ることは容易に想像できる。
「当面は帝国も法国も動けないから、参謀本部としては情報収集と長期戦略の検討を行うくらいしかやることはない。情報収集はクラウゼン男爵に任せておけば問題ないし、長期戦略の方は素案を作ってあるから、詳細を詰めていくだけだ。だから、グライナー男爵には組織の掌握に力を入れてほしいと思っているよ」
ギュンター・フォン・クラウゼン男爵は情報部長として七年にも及ぶ経験がある。当初は私が指示を出していたが、最近では叡智の守護者の情報分析室との連携も自分で行っている。
「そうなると国内の政争が一番の課題ということね。マルクトホーフェン侯爵が何もしないということはあり得ないし」
「そうだね。ヴィージンガー殿の貴族の切り崩し工作は上手くいっているようだし、当主のミヒャエル卿も先代のルドルフ卿に比べれば、強引さが少ないから貴族たちの反発も思ったより大きくない。このまま放置すれば、グレゴリウス殿下が王太子に指名されそうな勢いだしね」
現在、グライフトゥルム王家には三人の王子がいる。
長男はフリードリッヒで十六歳。慣例に従えば、長男であるフリードリッヒが立太子されるのだが、暗殺を恐れてグランツフート共和国の首都ゲドゥルトに留学しており、大貴族の後ろ盾もないことから、立太子されていない。
また、留学先では引きこもり状態で、性格的にも能力的にも期待できないというのが、ほとんどの王国貴族の思いだろう。
次男はグレゴリウスで七月に十四歳になる。後ろ盾はマルクトホーフェン侯爵家であり、文武両道の優秀な王子という宣伝工作を行っている。
実際、武術に関しては東方系武術を学び、既に初伝になっており、才能は有るらしい。
但し、剣術の訓練では若い従士を殴り殺すなど粗暴な性格が垣間見えている。そのことを知った国王フォルクマーク十世は次期国王に相応しくないと考え、マルクトホーフェン侯爵が執拗に立太子を迫るが、頑なに首を縦に振らない。
三男はジークフリートで二月に十三歳になった。
北部の辺境ネーベルタール城に匿われており、貴族の間では話題に上ることすらない。
大賢者マグダが神候補として注目しており、直々に指導を行おうとしたが、母マルグリットを守れなかった叡智の守護者と闇の監視者に対してわだかまりを持っており、その元締めである大賢者にも隔意があるらしい。
性格的には素直で、守り役のシュテファン・フォン・カウフフェルト男爵が教育を行っているが、文武ともにそれなりの才能があると聞いている。
ラザファムが教育係として赴任したので、将来性は一番あると思うが、神になるなら即位はできないだろうから、国王になる可能性は一番低いと考えている。
話し過ぎたのか、咳が出た。
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