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第十一章:「苦闘編」
第五十一話「疫病:その五」
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統一暦一二一一年一月二十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。ラザファム・フォン・エッフェンベルク
本日、私は王国第四騎士団の団長に就任した。
僅か二十六歳という年齢で騎士団長になったのは王国騎士団の前身、シュヴェーレンブルク騎士団時代を含めて最年少らしい。
もっとも騎士団長と同格の総参謀長にマティアスが就任しているから、最年少と言われても違和感がある。
現在第四騎士団は第三騎士団と共に、連隊ごとに分かれて各地に派遣されている。
目的は疫病による遺体の処理と治安の悪化に対応するためだが、滞っている物流の一端を担い、騎士団の持つ食糧を各地に運んでいるのだ。
騎士団本部では王国騎士団長であるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵、第三騎士団長であるベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵、総参謀長のマティアスと今後について話し合う。
「君が第四騎士団長として我々に加わってくれたことは心強い。これからもよろしく頼むぞ」
ホイジンガー閣下がそう言って私の肩をポンと叩く。
閣下とは第三連隊長として三年近い付き合いがあり、気心は知れている。
「マティアス殿のことを一番理解していると聞いている。よろしく頼む」
シュタットフェルト伯爵とはあまり話したことはないが、三十代半ばと比較的年齢が近く、やりにくさは感じない。
「早速で悪いが、今後のことだが、当面は疫病対策が騎士団の仕事となる。マティアスの見立てでは半年ほどで疫病は落ち着くらしいが、それが事実であったとしてもまだ三ヶ月は続くことになる。部下を掌握する時間はないが、私としてもできる限りの支援はするつもりだ」
「助かります。第四騎士団に所属したことがありませんから、部下の掌握が一番不安でしたので」
騎士団に入って八年になるが、第二騎士団にしか配属されなかった。第四騎士団の指揮官たちとは合同演習で顔を合わせるくらいで、性格などは分かっていない。
「君なら大丈夫だよ。それに当分の間、戦争は起きない。時間は十分にあるから、じっくりと腰を据えてやっていけばいいよ」
マティアスの言葉に頷く。
団長たちとの顔合わせを終え、騎士団司令部で参謀長以下と今後について協議した後、屋敷に帰る。
屋敷に入るとまず手をしっかりと洗い、うがいをした後、シャワーを浴びる。
うちには臨月を迎える妻シルヴィアと三歳になる長男フェリックス、そして体調が戻らない父カルステンがいるため、細心の注意を払う必要があるのだ。
「お帰りなさい、あなた」
シルヴィアが大きなお腹を抱えるようにして出迎える。
アウデンリート子爵の葬儀に出席したため、感染の不安があったが、三週間ほど経っても症状が出ないので安堵している。
「父上は相変わらず調子が悪いようだね」
「はい。お義母様が看病されていますが……」
父は十二月に入った頃に体調を崩した。疫病である赤死病が疑われたが、高熱を発したものの特徴的な赤い発疹は出ず、風邪を発端とした肺炎ではないかと言われていた。
但し、治癒魔導師が忙しく、完治には至っていない。
「家督の話も今月中には何とかなりそうだ。この状況で騎士団長と領主になるのは不安だらけだが、領地はディートが頑張っているし、騎士団はマティがいるから何とかなるだろう」
弟のディートリヒは第二騎士団に入ったが、父が体調を崩したことを機にエッフェンベルクに戻った。私の家督相続を受け、ラムザウアー男爵家に養子に入ることが決まっている。
また、エッフェンベルク騎士団の団長と領都の代官になることも内定していた。
それから忙しい日々を過ごし、二月一日に正式に伯爵となった。本来なら大々的にお披露目のパーティを行うのだが、この状況ではリスクが大きすぎるため、内輪だけで食事会を行っている。
この食事会についてもマティアスは反対していた。
『シルヴィアさんのことを考えたら、疫病が収まるまで不用意に人と会うべきじゃない。赤死病を確実に防ぐ方法はないんだからな』
この時、私は彼が大袈裟に考えていると思っていた。これまで彼がそのようなことをしたことがないというのに。
そして、彼の懸念は現実のものとなった。
二月五日に妻シルヴィアが高熱を発したのだ。
叡智の守護者の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏に頼み込み、往診してもらった。
「まずい状況だね。赤死病かどうかはまだ分からないが、いつ陣痛が始まってもおかしくない状況だ。この高熱を発した状況で出産となれば、子供はもちろん、奥さんも危うい」
その言葉に心が絶望に染まっていく。
「何とかなりませんか! お願いします!」
「大賢者マグダ様でもこの病は治せない。私も最善を尽くすが、決して楽観できる状況ではないことは理解しておいてくれ」
子供の頃から知っているが、いつもの飄々とした感じはなく、そのことが更に不安を掻きたてる。
二月十一日、妻の発熱は一旦小康状態になった。
そして、そのタイミングで陣痛が始まる。
「ネッツァー先生を呼んでくれ」
私がそう命じると、家臣の一人がネッツァー氏を呼びに行く。
幸いなことにネッツァー氏は屋敷におり、すぐに来てくれた。驚いたことに、彼の後ろには大賢者様がいらっしゃった。
「マティアスがよろしく頼むと言ってきたのでの」
大賢者様は偶然王都を訪れたそうで、それを知ったマティアスが頼んでくれたようだ。
「内密で頼むよ。マティアス君の頼みだから来ていただいたが、本来なら王家であってもこのようなことはしないのだからね」
「分かっています。よろしくお願いします」
これで大丈夫だと安堵するが、それが顔に出たのか、ネッツァー氏が厳しい表情で釘を刺してきた。
「安心するのはまだ早い。マグダ様でもこの病は治せないと以前言ったはずだ。覚悟はしておくように」
その言葉で本当に厳しいのだと気を引き締める。
一時間、二時間と時間は過ぎていくが、一向に生まれる気配がない。
更に時間が過ぎ、外は真っ暗になっていた。
突然寝室が慌ただしくなる。
『マルティンよ、心臓に治癒魔導を掛けよ!』
『はい!』
『しっかりせよ! 夫と息子がおるのじゃ! 頑張るのじゃ!』
大賢者様の切迫した声が聞こえてきた。
しばらくすると、その声が止んだ。
心痛な顔をしたネッツァー氏が出てきた。
「残念だ。奥方も子も助からなかった……」
そこで私の記憶は飛んだ。
気づいた時にはベッドに横たわる妻の髪を撫でていた。
「少しは落ち着いたかの」
大賢者様が慈愛に満ちた表情で私を見ている。
「シルヴィアはよう頑張った……」
大賢者様の声は耳に届いているが、頭に入ってこない。
妻の顔は疲れ果てているが、安らかに眠っているようにも見える。
「シルヴィア、起きてくれ……」
私は妻の身体を抱きながらそう呟いていた。
大賢者様はそんな私を何も言わずに見ている。
「休むのじゃ。その前に手を洗い、うがいをせよ。シルヴィアは赤死病に罹っておったからの」
「私が油断したから……私の油断がシルヴィアを……うっ……」
私は後悔していた。
マティアスがあれほど警戒していたのに、我が家に疫病が蔓延していなかったことから、不用意に人を招き入れてしまった。それが妻と子の命を奪ったのだ。
「悲しむことはよい。じゃが、そなたにはシルヴィアが遺した子がおろう。息子のためにも生きねばならん。自分を責めて命を縮めるのであれば儂を責めよ。大賢者と言われておるのに何もできなかったと思えばよい」
大賢者様はそうおっしゃりながら、私の背を撫でてくれた。
どれくらいそうしていたのかは分からない。
私が落ち着くまで大賢者様は私の背中を撫で続けてくれた。
「ありがとうございます。少しだけ落ち着きました。まだ妻の死は受け入れられませんが、私は大丈夫です。ありがとうございました」
「うむ。今は何も考えずに眠るとよい……」
そうおっしゃると、私の意識は薄れていった。
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本日、私は王国第四騎士団の団長に就任した。
僅か二十六歳という年齢で騎士団長になったのは王国騎士団の前身、シュヴェーレンブルク騎士団時代を含めて最年少らしい。
もっとも騎士団長と同格の総参謀長にマティアスが就任しているから、最年少と言われても違和感がある。
現在第四騎士団は第三騎士団と共に、連隊ごとに分かれて各地に派遣されている。
目的は疫病による遺体の処理と治安の悪化に対応するためだが、滞っている物流の一端を担い、騎士団の持つ食糧を各地に運んでいるのだ。
騎士団本部では王国騎士団長であるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵、第三騎士団長であるベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵、総参謀長のマティアスと今後について話し合う。
「君が第四騎士団長として我々に加わってくれたことは心強い。これからもよろしく頼むぞ」
ホイジンガー閣下がそう言って私の肩をポンと叩く。
閣下とは第三連隊長として三年近い付き合いがあり、気心は知れている。
「マティアス殿のことを一番理解していると聞いている。よろしく頼む」
シュタットフェルト伯爵とはあまり話したことはないが、三十代半ばと比較的年齢が近く、やりにくさは感じない。
「早速で悪いが、今後のことだが、当面は疫病対策が騎士団の仕事となる。マティアスの見立てでは半年ほどで疫病は落ち着くらしいが、それが事実であったとしてもまだ三ヶ月は続くことになる。部下を掌握する時間はないが、私としてもできる限りの支援はするつもりだ」
「助かります。第四騎士団に所属したことがありませんから、部下の掌握が一番不安でしたので」
騎士団に入って八年になるが、第二騎士団にしか配属されなかった。第四騎士団の指揮官たちとは合同演習で顔を合わせるくらいで、性格などは分かっていない。
「君なら大丈夫だよ。それに当分の間、戦争は起きない。時間は十分にあるから、じっくりと腰を据えてやっていけばいいよ」
マティアスの言葉に頷く。
団長たちとの顔合わせを終え、騎士団司令部で参謀長以下と今後について協議した後、屋敷に帰る。
屋敷に入るとまず手をしっかりと洗い、うがいをした後、シャワーを浴びる。
うちには臨月を迎える妻シルヴィアと三歳になる長男フェリックス、そして体調が戻らない父カルステンがいるため、細心の注意を払う必要があるのだ。
「お帰りなさい、あなた」
シルヴィアが大きなお腹を抱えるようにして出迎える。
アウデンリート子爵の葬儀に出席したため、感染の不安があったが、三週間ほど経っても症状が出ないので安堵している。
「父上は相変わらず調子が悪いようだね」
「はい。お義母様が看病されていますが……」
父は十二月に入った頃に体調を崩した。疫病である赤死病が疑われたが、高熱を発したものの特徴的な赤い発疹は出ず、風邪を発端とした肺炎ではないかと言われていた。
但し、治癒魔導師が忙しく、完治には至っていない。
「家督の話も今月中には何とかなりそうだ。この状況で騎士団長と領主になるのは不安だらけだが、領地はディートが頑張っているし、騎士団はマティがいるから何とかなるだろう」
弟のディートリヒは第二騎士団に入ったが、父が体調を崩したことを機にエッフェンベルクに戻った。私の家督相続を受け、ラムザウアー男爵家に養子に入ることが決まっている。
また、エッフェンベルク騎士団の団長と領都の代官になることも内定していた。
それから忙しい日々を過ごし、二月一日に正式に伯爵となった。本来なら大々的にお披露目のパーティを行うのだが、この状況ではリスクが大きすぎるため、内輪だけで食事会を行っている。
この食事会についてもマティアスは反対していた。
『シルヴィアさんのことを考えたら、疫病が収まるまで不用意に人と会うべきじゃない。赤死病を確実に防ぐ方法はないんだからな』
この時、私は彼が大袈裟に考えていると思っていた。これまで彼がそのようなことをしたことがないというのに。
そして、彼の懸念は現実のものとなった。
二月五日に妻シルヴィアが高熱を発したのだ。
叡智の守護者の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏に頼み込み、往診してもらった。
「まずい状況だね。赤死病かどうかはまだ分からないが、いつ陣痛が始まってもおかしくない状況だ。この高熱を発した状況で出産となれば、子供はもちろん、奥さんも危うい」
その言葉に心が絶望に染まっていく。
「何とかなりませんか! お願いします!」
「大賢者マグダ様でもこの病は治せない。私も最善を尽くすが、決して楽観できる状況ではないことは理解しておいてくれ」
子供の頃から知っているが、いつもの飄々とした感じはなく、そのことが更に不安を掻きたてる。
二月十一日、妻の発熱は一旦小康状態になった。
そして、そのタイミングで陣痛が始まる。
「ネッツァー先生を呼んでくれ」
私がそう命じると、家臣の一人がネッツァー氏を呼びに行く。
幸いなことにネッツァー氏は屋敷におり、すぐに来てくれた。驚いたことに、彼の後ろには大賢者様がいらっしゃった。
「マティアスがよろしく頼むと言ってきたのでの」
大賢者様は偶然王都を訪れたそうで、それを知ったマティアスが頼んでくれたようだ。
「内密で頼むよ。マティアス君の頼みだから来ていただいたが、本来なら王家であってもこのようなことはしないのだからね」
「分かっています。よろしくお願いします」
これで大丈夫だと安堵するが、それが顔に出たのか、ネッツァー氏が厳しい表情で釘を刺してきた。
「安心するのはまだ早い。マグダ様でもこの病は治せないと以前言ったはずだ。覚悟はしておくように」
その言葉で本当に厳しいのだと気を引き締める。
一時間、二時間と時間は過ぎていくが、一向に生まれる気配がない。
更に時間が過ぎ、外は真っ暗になっていた。
突然寝室が慌ただしくなる。
『マルティンよ、心臓に治癒魔導を掛けよ!』
『はい!』
『しっかりせよ! 夫と息子がおるのじゃ! 頑張るのじゃ!』
大賢者様の切迫した声が聞こえてきた。
しばらくすると、その声が止んだ。
心痛な顔をしたネッツァー氏が出てきた。
「残念だ。奥方も子も助からなかった……」
そこで私の記憶は飛んだ。
気づいた時にはベッドに横たわる妻の髪を撫でていた。
「少しは落ち着いたかの」
大賢者様が慈愛に満ちた表情で私を見ている。
「シルヴィアはよう頑張った……」
大賢者様の声は耳に届いているが、頭に入ってこない。
妻の顔は疲れ果てているが、安らかに眠っているようにも見える。
「シルヴィア、起きてくれ……」
私は妻の身体を抱きながらそう呟いていた。
大賢者様はそんな私を何も言わずに見ている。
「休むのじゃ。その前に手を洗い、うがいをせよ。シルヴィアは赤死病に罹っておったからの」
「私が油断したから……私の油断がシルヴィアを……うっ……」
私は後悔していた。
マティアスがあれほど警戒していたのに、我が家に疫病が蔓延していなかったことから、不用意に人を招き入れてしまった。それが妻と子の命を奪ったのだ。
「悲しむことはよい。じゃが、そなたにはシルヴィアが遺した子がおろう。息子のためにも生きねばならん。自分を責めて命を縮めるのであれば儂を責めよ。大賢者と言われておるのに何もできなかったと思えばよい」
大賢者様はそうおっしゃりながら、私の背を撫でてくれた。
どれくらいそうしていたのかは分からない。
私が落ち着くまで大賢者様は私の背中を撫で続けてくれた。
「ありがとうございます。少しだけ落ち着きました。まだ妻の死は受け入れられませんが、私は大丈夫です。ありがとうございました」
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