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第十一章:「苦闘編」

第四十二話「苦い勝利」

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 統一暦一二〇九年四月十日。
 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥

 皇都攻略作戦の成功を祝う戦勝記念式典が昨日まで行われた。
 式典は五日間に及ぶ盛大なもので、第一軍団と我が第二軍団、それに多くの帝都市民が参加し、宿敵リヒトロット皇国を事実上崩壊させたことを喜び合った。

 カール・ハインツ・ガリアード殿率いる第三軍団はまだリヒトロット市に駐留しており、式典には参加していない。

 式典には私も正装に身を固めて参加したが、外向きに作った笑顔とは裏腹に心の中は曇っていた。

 その理由だが、シュヴァーン河での戦いについて、徐々に情報が集まり、私が敵の軍師ラウシェンバッハ子爵に、思っていた以上に翻弄されていたことが明確になったからだ。

 当初はラウシェンバッハ騎士団四千五百人と王国騎士団二個連隊二千人、リッタートゥルム守備兵団二千五百人の約九千人が皇都攻略作戦の後方を撹乱するために動員されていると考えていた。

 しかし、王国にいる諜報員から入ってきた情報では、第二騎士団の一個連隊一千名とラウシェンバッハ騎士団一個大隊三百名、それにリッタートゥルム守備兵団の水軍約一千五百の三千名弱しか投入されていなかった。

 つまり私は味方の十分の一以下の敵に翻弄され、二千名近い戦死者と同数の負傷者、二百輌近い荷馬車を失ったということになる。

 一方の王国軍は五十名程度の戦死者と百名程度の負傷者を出しただけらしい。結局、我が軍団は一割近い損失を出しながら、年明けまでの三ヶ月間、無為にシュヴァーン河流域にいただけで、皇都攻略作戦に寄与することができなかった。
 無能の烙印を押されてもおかしくない惨敗に、愕然としたのだ。

 今日は第二軍団の首脳たちと、今後の訓練計画について話し合うことになっており、第一師団長クヌート・グラーフェ将軍、第二師団長ヤン・フェリックス・フィッシャー将軍、第三師団長アウグスト・キューネル将軍、参謀長カルロス・リンデマン将軍が集まっている。

 訓練計画については参謀長の提案通りに承認されたが、やはり王国軍との戦いのことが話題となった。

「水軍を除けば、千五百にも満たぬ数の敵に我らは翻弄された。皇国の征服が時間の問題となった今、王国軍が最大の懸案となることは間違いない。しかし、あの天才を相手にどう戦ったらいいのか……」

 剣闘士を思わせる偉丈夫キューネルが珍しく弱気な発言を口にした。
 彼はエーデルシュタインから第一師団が駐留していたリッタートゥルム付近までの輸送を担当していたため、最も多くの兵を失っており、敵の数がそれほど少数であったことが未だに信じられないようだ。

「しかし、その情報は事実なのでしょうか? 陛下がお認めになるほどの情報操作の達人、“千里眼のマティアス”なら、次の戦いのことを考えて欺瞞情報を流した可能性もあると思いますが?」

 リンデマンが疑問を口にする。

「カルロスの言う通り、その可能性は否定できん。私も未だに信じられんが、少なくとも諜報局は事実だと考えているのだ。それを前提に考えなければならんだろう」

 私も情報を受け取った時、諜報局を取り仕切るシュテヒェルト内務尚書に確認していた。

『実際に従軍した王国軍兵士に確認しております。ラウシェンバッハ騎士団についてもラウシェンバッハ子爵領で確認しましたが、一個大隊以外は秘密裏に獣人族入植地に戻っていたらしく、そのことが噂になっておりました。欺瞞情報の可能性は否定できませんが、情報操作を行った痕跡はなく、諜報局としては正しい情報という評価です』

 いつも通りの柔らかな表情だが、彼自身も疑っている様子が見られた。

「いずれにしても我々より圧倒的に少なかったことは間違いありません。地の利が敵にあったとはいえ、どのような手を使えば、あれほど的確に兵を動かせるのか、私のような凡人には全く分かりませんね」

 第二師団長のフィッシャーが首を横に振っている。

「更に恐ろしいのは我ら第二軍団を手玉に取りながら、皇国軍にまで策を授けていることだ。我ら帝国軍は奴一人に踊らされたのだ」

 クヌートが悔しげな表情をしている。
 彼の言う通り、リッタートゥルム付近にいながら、千キロメートル以上離れたリヒトロット市に指示を出し、皇国軍が撤退する時に民需用を含め、根こそぎ物資を持ち出している。その結果、リヒトロット市では深刻な食糧不足に陥り、我が軍の兵站に大きな負担を強いている。

「本当に千里眼を持つのかもしれん。そうとかし思えぬ……」

 私の言葉に全員が頷いた。

■■■

 統一暦一二〇九年四月十日。
 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。総参謀長ヨーゼフ・ペテルセン元帥

 リヒトロット皇国の皇都がラウシェンバッハの壮大な罠であることに気づいたのは、つい先日のことだ。

 当初はリヒトロット皇国政府の物資の管理がいい加減であるため、食糧が不足し、軍資金が見つからないと考えていたのだが、調べていくと昨年末の皇都引き渡しの際に、多くの物資が西に持ち出されていたことが分かった。

 皇国政府には政府の資産と共に、残った市民のための民需用の物資は持ち出さないことを条件としていたが、皇王テオドール九世が脱出した後に大量の物資が持ち出されていた。それも手当たり次第ではなく、市内に十数箇所ある倉庫から均等に抜き出されていたのだ。

 そのため、完全な空の倉庫はなく、また倉庫の管理台帳が破棄されていたことから、大きく減っていることに気づかなかった。

 この他にも市民の多くが脱出していたことも二ヶ月以上経って初めて実態が分かった。これも人頭税の台帳が破棄され、その再整備の過程で分かったのだが、多くの職人が逃げ出していることに愕然とした。

 リヒトロット市はグリューン河の水運を使った交易都市だが、白磁などの高価の磁器や金や銀を使った金属細工が特産品で、工業都市としての性格も持っていた。

 しかし、職人がいなくなり、生産力は激減し、ただの消費地に成り下がった。それも辺境並みに輸送が困難な割に我が国有数の人口を持つという厄介な土地になったのだ。

「完全に嵌められたな」

 一緒に報告を聞いていた陛下が呟かれる。
 誰にと言う必要はないほど、ラウシェンバッハの存在が重く圧し掛かっていた。
 私は白ワインを一口飲むと、更に気が重くなる事実を口にした。

「回収できた資金も予想を遥かに下回っております。八万という大軍を動かした軍費を回収できておりません。このままでは兵たちの給与で遅配が発生するでしょう」

「そこまで追い詰められているのか……」

 陛下が驚かれるのも無理はない。

 これまでの戦いでは都市を占領することで多くの資金を得ていた。もちろん民間人から略奪するようなことはしていないが、皇国政府の運営資金や貴族がため込んだ資産などを集めれば、結構な額になったのだ。

 しかし、今回は皇国政府の運営資金はすべて持ち出され、貴族たちの資産も不動産以外は残されていなかった。かさばる美術品や高級家具、豪華な馬車など売れば金になる物がほとんどなかったのだ。

 事情が分からず、調べていくと、モーリス商会が買い取り、王国やレヒト法国に売っていたらしい。支店長のルディ・ピークに確認すると、すぐにその事実を認めた。

『皇国の貴族の皆さまから、安くてもよいから買い取ってほしいと頼まれました。我々もかさばるだけで売り先の少ない家具などは遠慮したかったのですが、これまでのお得意様でもありますので、商会に損失を出さない範囲で買い取らせていただきました』

 更に事前に言われていた通り、主要な不動産はモーリス商会が所有権を有しており、ただで接収することができない。さすがに皇宮は所有していなかったが、その周辺の役所の建物すら所有権を持っており、賃貸料を支払うか、購入しなければ使えない状況だったのだ。

「シュテヒェルト内務尚書から報告があると思いますが、モーリス商会が低利の融資を持ち掛けてきました。これで遅配という事態は回避できますが、第四軍団の設立はもとより、大規模な軍事行動は当面難しいでしょう」

 本来ならリヒトロット市を攻略したところで、第四軍団を設立し、旧皇国領を掌握させるつもりだった。しかし、その予算を捻出することはどう考えても不可能で、“ナハト”の暗殺者と“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者も大きく減らす必要があった。

「今回は余の負けだな。だが、このままでは終わらせん」

「そうですな。間者が減るのは痛いですが、ラウシェンバッハが手本を見せてくれたようにやりようによっては、人員が少なくとも効果的な謀略は可能です。その方向で考えてみましょう」

 私は再び白ワインを口に含んだ。最高級のワインであるにもかかわらず、一瞬苦さを感じた。
 私が顔をしかめたのを見て、陛下が微笑まれた。

「手に入ったのは白ワインの畑と蒸留所だけだな。まあ、卿にとっては大収穫なのかもしれんが」

「確かにそうですが、熟成中の酒まで運び出されているとは思っていませんでしたね。酒と同じで、じっくりと腰を据えていくしかないですな。素材はよいのですから、時間を掛ければ、旨味は出てくるはずですから」

 私はそれだけ言うともう一度ワインを口にした。先ほど感じた苦みはなく、爽やかな味が口に広がっていった。
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