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第十一章:「苦闘編」

第四十話「謀略の全容」

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 統一暦一二〇九年一月十九日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 皇帝マクシミリアンがリヒトロット皇国の皇都リヒトロットに入り、勝利宣言を行ったという情報が入ってきた。

 また、モーリス商会が帝国軍兵士に襲撃され、多額の金品を奪われる事件が発生したことも伝わってきた。

 この襲撃は私が命じたことだ。
 本来なら味方であるモーリス商会に損害を与えるだけでなく、有能な支店長ルディ・ピークを危険に晒す策はやるべきではないのだが、このまま帝国にリヒトロット市を掌握される方が危険だと判断し、私の独断で実行を命じたのだ。

 実行を決断した後、長距離通信の魔導具を使い、ライナルト・モーリスには伝えたが、珍しく反対してきた。

『マティアス様のお考えでも従業員に危険が及ぶことは認めたくありません』

 彼の言うことはもっともなことであり、私は謝罪することしかできなかった。

『申し訳ありません。ですが、貴商会以外を襲撃するのは不自然すぎます。狙うのであれば、最大手であり、帝国とも関係がある貴商会しかないのです。それにピークさんなら従業員の安全を一番に考えてくださるでしょうから、人的被害は出ないと確信しています』

 ライナルトもその言葉で何とか納得してくれたが、これで死者が出ていたら彼との関係がギクシャクしたものになっただろう。

 幸い、リヒトロット市で活動する“シャッテン”のアルノー・レーマーが上手くやってくれたため、大ごとにはなっていない。

 アルノーはモーリス商会を襲撃した後、グリューン河の上でならず者たちを処分した後、第三軍団の一個小隊を偽の命令書を使って城の外に誘い出し、城から離れたところで秘密裏に殺害し、遺体を川に捨てている。

 リヒトロット市付近のグリューン河の川幅は五百メートルほどで、水深も三十メートル以上あり、見つかる恐れはほとんどない。

 帝国軍は一個小隊が行方不明になったことをすぐに公表せず、その間にシャッテンたちが“帝国は兵士が強盗を行っても見逃す”という噂を積極的に流している。

 その結果、帝国軍はそれまでより更に評判が落ち、話をすることすら憚られるほどになっている。これで帝国の情報収集能力は大きく落ち、ヴェルナー・レーヴェンガルト率いる皇都解放戦線のレジスタンスたちが自由に動けている。

 レジスタンスたちによる暴動の誘導により、リヒトロット市では商業活動が大きく縮小し、物価が軒並み前年の三倍以上になるなど、市民生活に影響が出始めている。

 これは皇国軍が撤退する際に、アルノーを通じてマイヘルベック将軍に民需用の物資も一緒に西へ送るよう提案したためで、帝国からの物資の供給がない限り、リヒトロット市は短期間で食料不足になるようにしておいたのだ。

 運がいいことに帝国側がナブリュック割譲を強く求めてきたため、皇都引き渡しの条件交渉が長引き、より多くの物資を運び出すことができている。あの二週間がなかったらもう少し物資に余裕があり、この策が機能するまで時間が掛かった可能性があった。

 リヒトロット市は人口を半減させたが、それでも五万人以上がいる大都市だ。そこに五万の帝国軍が進駐すれば、十万人分の食糧を供給する体制を整えなければならない。

 グリューン河の水運が使えれば、それほど難しくはないが、水運は皇国側が握っており、帝国軍は陸上輸送に頼らざるを得ず、兵站に大きな負担をかけることになる。

 皇帝マクシミリアンも帝国軍の物資を放出し、民心を安定させようとしているが、帝国軍の物資にも限界があるし、皇帝もペテルセン総参謀長も無能ではないので、兵站への負担の大きさにすぐに気づくはずだ。

 しかし、リヒトロット市の食糧が危機的に少ないことに気づくにはもう少し時間が掛かるはずだ。備蓄に関する記録は引渡し前に可能な限り廃棄するように依頼してあり、食糧の消費量と備蓄量を把握するには情報の整理からする必要があるためだ。

 また、この事実に気づいたとしても全軍を引き揚げさせることはできない。なぜなら、ヴェルナー・レーヴェンガルト率いるレジスタンスたちがゲリラ戦を展開しており、一個軍団程度は残す必要があるからだ。

 皇帝は治安の維持と兵站能力の限界というジレンマに苦しむことになるだろう。

 ちなみに奪った金品だが、モーリス商会に返却しようとしたが断られている。

『帝国から補償されますので返却は不要です。受け取ってしまえば、詐欺になってしまいますので』

 帝国からせしめればいいだろうと思うのだが、ライナルトには商人としての矜持があり、どれだけ言っても受け取ってもらえなかった。
 そのため、この資金はリヒトロット市内での活動資金とすることにした。

 ここまでが十日前の一月九日までの状況だ。

 この事実を王国軍の主要メンバーに説明した。
 説明相手は王国騎士団長であるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵、軍務卿であるマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵、総参謀長であるユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵、軍務次官のカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵だ。

 説明を終えたところで、オーレンドルフ伯爵が感嘆の声を上げる。

「見事な策だね。リヒトロット市民と帝国軍兵士を合わせれば十万人以上になる。それだけの者を食わせていくためには、膨大な数の荷馬車が必要になる。それに加え、リヒトロット市は元々水上輸送に依存している都市だ。陸上の輸送ルートは北公路ノルトシュトラーセになるが、街道が廃れてから三十年近い。宿場としての機能を回復させなければ、恒常的な輸送は難しいだろう」

 荷馬車の動力である馬は大量の飼葉を必要とする。その飼葉を用意できなければ、荷馬車による大量輸送は不可能だ。以前なら宿場近くの村が飼葉を供給していたが、街道が廃れたため、その体制は完全に崩壊している。

 そのため、飼葉も物資と一緒に輸送しなければならなくなり、更に荷馬車が必要になるという悪循環に陥ってしまうのだ。
 経済官僚であったオーレンドルフ伯爵はこの辺りのことを理解しており、今回の策を称賛したのだ。

「確かに今年は厳しいかもしれないが、今年の収穫期までではないのか? リヒトロット周辺は穀倉地帯でもあるのだから」

 エッフェンベルク伯爵が疑問を口にした。

「義父上のおっしゃる通り、リヒトロット市は周辺の農村からの食料で十万人という人口を支えてきました。ですが、すべての食料を供給できていたわけではありません。オーレンドルフ閣下がおっしゃられた通り、リヒトロット市は水上輸送に依存しており、単価の安い穀物類は西部の穀倉地帯からの輸送に頼っていました……」

 リヒトロット市は皇国の首都として繁栄してきた歴史があり、周辺の農村は単価が高い畜産業が盛んで、この他には野菜や果物を生産していた。

 また、白ワインは世界有数の品質を誇り、ブドウを原料としたブランデーだけでなく、ウイスキーに似た大麦を原料とした蒸留酒の生産に力を入れていた。

 逆に小麦などの主食は農村の自家消費分だけを作っているくらいで、食糧自給率的にはそれほど高くないのだ。

「人口が半減しているとはいえ、帝国軍が駐留していれば、陸上輸送は必須です。輸送コスト分を上乗せすれば、物価は恒常的に高止まりしますから、市民の不満は増大していくでしょう」

「短期的には兵站に負担が掛かるが、帝国の西部は穀倉地帯だ。確かにグリューン河は使えぬが、補給体制を整えれば、長期的には大きな障害とはならんと思うのだが」

 レベンスブルク侯爵が疑問を口にした。
 その疑問に私が答える前にオーレンドルフ伯爵が答えた。

「マティアス君の策の恐ろしいところは、リヒトロット市にいた多くの職人を西に移住させたことです。職人たちも顧客である貴族がいなければ仕事にあぶれるから仕方ないのですが、リヒトロット市は外貨を稼ぐ手段を失っています……」

 伯爵が言う通り、リヒトロット市の主要な産業は贅沢品である白磁を始めとした磁器と、貴金属加工による宝飾品、白ワインを始めとした高級酒だ。
 それらの職人を西に移住させるよう、皇国政府に提案している。

「経済を回す主力産業が衰退した結果、経済圏全体が縮小し、全体が貧しくなるのです。輸送体制が確立しても、以前より割高な食料を買う必要があり、可処分所得は減少します。つまり、以前は裕福であったのに、帝国軍が占領したから貧しくなったと見えるのです。当然、その不満は帝国に向くでしょう」

 磁器や金属細工の職人たちを西に移住させた結果、外貨獲得手段を失っており、帝国がそのことに早期に気づき、産業構造の転換を図らない限り、リヒトロット市の経済は困窮したままで、以前の生活レベルに戻ることはない。

「戦争は軍が戦うだけではないのだな」

 侯爵がそう言うと、私以外のメンバーが頷いている。

「リヒトロット市ではレジスタンス活動に支援する予定です。それにより帝国軍をより多く駐留させ、軍事費を増大させます。皇帝マクシミリアンが大胆な手を打ってこない限り、五年程度は足止めできると考えています」

「君が皇帝ならこの事態をどう打開するのだ? 私には全く思いつかないが」

 ホイジンガー伯爵が聞いてきた。

「リヒトロット皇国と停戦条約を結び、グリューン河の水上輸送が利用できるようにします」

「皇国は停戦に合意しても水上輸送は認めんだろう。そんなことをすれば帝国が有利になるのだから」

「現在の皇国の指導者に先を見通せる人物はいません。帝国西部の都市をいくつか割譲するという条件をちらつかせれば、条約を結ぶ可能性は高いと思っています」

 皇国の最大の弱点は皇王を始めとする指導層の質の低さだ。

「確かにそうだな。だが、君がいる限り、そのようなことは認めさせんのだろう?」

 私もそのつもりだが、ここは曖昧の頷いておいた。
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