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第十章:「雌伏編」

第六十四話「合同演習:その五」

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 統一暦一二〇八年六月一日。
 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、騎士団駐屯地。イリス・フォン・ラウシェンバッハ

 合同演習ではさまざまな戦術を駆使する模擬戦を実施してきたわ。
 その中にはグライフトゥルム王国軍とグランツフート共和国軍の連合軍を作り、複雑な機動を行わせることや、野戦での共同作戦など、実戦に近い形のものも多くあった。

 私も士官学校の学生たちと共にその様子を見ながら説明し、更に模擬戦の中に学生を組み込むなど、主任教官としての仕事もしている。

 合同演習が始まってから十日が過ぎ、両軍の連携は円滑になった。これで連合軍として何とか形になってきたかなと思っていたけど、懸念があった。
 それはラウシェンバッハ騎士団の獣人族兵士たちが慢心し始めていること。

 このことはマティもヘルマンも気づいていて三人で協議した。その結果、ケンプフェルト閣下率いる共和国軍との模擬戦で、本当の実力を思い知らせる方がよいという結論になったわ。
 でも、ヘルマンが懸念を示した。

『ケンプフェルト閣下が指揮するとはいえ、獣人族セリアンスロープたちの戦闘力なら、勝ってしまいませんか?』

 騎士団長として彼らの実力を最も知っているだけに不安に思ったみたい。
 それに対し、夫が笑顔で否定した。

『同数ならともかく、倍の兵力でケンプフェルト閣下が敗れることはないよ。何と言っても身体強化が使えるレヒト法国軍と何十年も戦ってこられた方だからね』

 それに私も同調した。

『闇雲に戦って勝てる方ではないわ。戦術の何たるかを私たちに教えてくださるはずよ』

 私たちの言葉でヘルマンも納得した。

 こうして共和国軍一個師団一万名とラウシェンバッハ騎士団四千五百名の模擬戦が決まった。

 私は学生たちと共に全体が見える西の斜面に陣取って観戦した。
 学生たちの多くはラウシェンバッハ騎士団が防御陣を突破すると考えており、どこまで共和国軍が粘れるかという話をしている者が多かった。

『今日の模擬戦では共和国軍の戦術に注目しなさい! 正面の部隊と側面を守る部隊がどのように動き、予備兵力をどのタイミングで投入して勝利するか、それをよく見ておくのです』

 私の言葉に一人の学生が疑問を口にした。

『イリス先生は共和国軍が勝つとお考えなのですか? 先生は獣人族の実力をよくご存じだと思うのですが?』

 私の後ろにいる護衛、虎人族のサンドラをチラチラ見ている。

『ええ、彼女たちの実力はよく分かっているし、個人の戦闘力としては世界最高の軍だとも思っているわ』

『それなら共和国軍に勝ち目はないと思うのですが?』

 多くの者がその言葉に頷いている。

『一人の凡人が一人の勇者に勝つことは難しいけど、千人の凡人が千人の勇者に勝つことは不可能ではないわ。あなたたちが学んでいる戦術はまさにそのためにあるのだから』

 私の言葉に学生たちは納得した様子はなかった。

 模擬戦はあっさりと終わった。
 学生たちは呆然としながらも、開始前の私の言葉を思い出し、チラチラと私の方を見ている。

「ラウシェンバッハ参謀次長が解説してくれるから、よく聞いておきなさい。それでも疑問があるなら私が答えるわ」

 それからマティの説明を聞き、多くの者は納得したが、質問も出た。

「先生ならどう戦いましたか?」

「そうね。私なら第二連隊と第三連隊に正面から攻撃させ、強引に突破を図るように見せた上で敵の両翼が支援のために動くまで待つわ。敵の両翼が動いたところでスピードがあり攻撃力もある第一連隊を二つに分けて撹乱させ、混乱したところで最も動きが早い第四連隊を後方に送り込んで挟撃するわね。もちろん、共和国軍の騎兵がどのタイミングで動くかで変わってくるけど、これなら相手の土俵で戦うことなく、自分たちの特性を生かすことができるから」

 そこで後ろから太い声が聞こえた。

「さすがはイリス君だな!」

 振り返るとケンプフェルト閣下が笑みを浮かべて立っておられた。

「それをやられていたら、儂も焦っただろう。第四連隊のスピードは我が軍の軽装騎兵を凌駕する。通信の魔導具があったとしても後手に回った可能性は否定できんからな」

「閣下なら両翼を無理に押し出すことはされないのではありませんか? 正面の厚みだけを増すように戦線を縮小されたら、打つ手がなくなってしまいます」

「そうだな。だが、持久戦になるとこちらの方が分は悪い。法国の兵士は身体強化を長時間続けられぬが、ラウシェンバッハ騎士団の兵士のスタミナは驚異的だ。君ならそれに気づき、儂の焦りを誘ったと思うがな」

「過分なお言葉、ありがとうございます」

 私たちの会話に学生たちが目を丸くしている。

「学生諸君に言っておきたい。イリス君はラウシェンバッハ参謀次長と共に、大陸でも有数の戦術家だ。その彼女から学べる君たちは非常に恵まれている。儂も四十年遅く生まれたら、王国軍士官学校に入り、彼女から教えを受けたことだろう」

 共和国軍一の名将から褒められ、頬が熱くなる。

「私の方こそ、今からでも閣下の下で戦術を学びたいですわ。これは夫も同じです」

 私の言葉に閣下は豪快に笑う。

「ハハハハハ! 君たちに教えることなど何もないぞ。むしろ君たちから学びたいくらいだ」

 そんな話をしていると、マティがやってきた。

「閣下のお陰で我が騎士団も目が覚めたようです。それにしても見事な指揮でしたね」

「通信の魔導具があったからだ。あれがなければもっと苦戦していたはずだ。我が軍にも早急に回してもらうよう、王国政府と“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”に頼み込まねばならんと思っている」

 学生たちの多くがポカンとした表情を浮かべているが、一部の優秀な学生は閣下の言っている意味が分かっているようだ。
 そこで彼らに課題を出した。

「先ほどの模擬戦について、自分がラウシェンバッハ騎士団の中隊長であったなら、どうすべきであったかについてレポートを作成するように。また、午後は王国騎士団の中隊長として、あなたたちにも指揮を執ってもらうつもりです。では、解散します!」

 学生たちは自分が指揮を執るということで目を輝かせているが、共和国軍を相手に何もできずに終わるはずで、夕方には凹んだ姿が見えるはずだ。

「イリス君はなかなか厳しい教官だな」

 ケンプフェルト閣下も私と同じことを思ったのか、ニヤニヤしながらそうおっしゃった。私はそれに頷くことしかできない。

 その後、マティと共にラウシェンバッハ騎士団が集合している場所に向かった。
 彼らは王国騎士団の模擬戦の様子を見学していたのだ。
 私たちの姿を見つけると、兵士たちが一斉に敬礼を行う。

「楽にしてくれ。ヘルマン、大隊長以上を集めてくれないか」

 マティが義弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵に命じた。
 すぐに大隊長以上が集まる。

「今回は君たちにお灸をすえるつもりで少し意地悪な設定をしたが、今日の模擬戦でよい教訓が得られたと思う。それを踏まえ、諸君らの意見を聞きたい。エレン、君はどうすべきだと考えているかな?」

 狼人族のエレン・ヴォルフ第一連隊長が「ハッ!」と言って敬礼した後、話し始めた。

「今回の模擬戦では連隊長としての未熟さを思い知らされました。指揮官としてこれまで以上に学び直したいと思いますが、具体的にどうすればよいか思いつきません。申し訳ございません!」

 そう言って頭を深々と下げる。その顔には悔しさと不甲斐なさが滲み出ていた。

「正直な言葉だね。確かに指揮官として、それも連隊長という上位者として何をしたらよいのかというのは、すぐには答えが見つからないかもしれない。他の連隊長や大隊長諸君も同じだろう。私からそれを提示することは簡単だ。しかし、それでは君たちが真の指揮官になったことにはならない。今回の教訓を踏まえ、何が悪かったのか、どうしたらよいのかをじっくりと考えてほしい」

 マティが何を目指しているのか、何となく分かった気がした。
 そこで私が前に出た。

「考えても分からないようなら、何度でも今回のような模擬戦を行いなさい。ケンプフェルト閣下には私たちからお願いするから。そこで何かヒントを見つけるのです。あなたたちなら必ず何かを掴むと信じています」

 私の言葉に全員が頷いていた。
 更にマティが真剣な表情で話していく。

「前にも伝えたが、帝国軍がそろそろ動く。物資の動きを見る限り、三個軍団すべてを動かす可能性が高い。そうなった場合、王国騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団だけでは対応しきれない。共和国軍にも出陣してもらうが、我がラウシェンバッハ騎士団にも出撃命令が下る可能性が高い。そのことを忘れないでほしい。私からは以上だ」

 まだ確定情報は入っていないけど、白狼宮では活発な議論が行われているという情報は聞いている。それに前線基地であるエーデルシュタインに大量の食糧を送り込んでいるという情報もあった。

 モーリス商会の推定では、既に十万人規模の軍が三ヶ月程度行動できる物資がエーデルシュタインに備蓄されているらしい。

 この情報から三個軍団九万人が皇都攻略に動員されるのではないかと、私たちは考えていた。

 解散した後、ヘルマンがマティに話しかける。

「急いでいるのは帝国の動きに対応するためだったのですね」

「そうだね。半年前はラウシェンバッハ騎士団の出陣は五分五分くらいだと思っていたけど、今は八割方出陣すると思っている。ヘルマンには悪いと思っているけど、引き締めを頼みたい」

「分かりました。そうなると私の司令官としての成長も必要ですね。それが一番難題かもしれないです」

 ヘルマンはそう言って苦笑いを浮かべていた。
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