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第十章:「雌伏編」

第二十六話「売り込み:後編」

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 統一暦一二〇六年十一月十一日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。バスティアン・フォン・シェレンベルガー

 私は切羽詰まり、野心家であるマルクトホーフェン侯爵を頼った。
 事の発端は父であるシェレンベルガー伯爵が隠居し、兄フリデリックに爵位を譲るという話が出たためだ。

 兄は私より二歳年上の二十九歳で、一度も官職に就いたことはない。現在は代官ということになっているが、特に仕事をするでもなく、領地でのうのうと暮らしている。

 王立学院の高等部にすら入学できず、人がいいだけが取り柄で、“恩賜の短剣”こそ賜らなかったが、高等部の兵学部を席次八位で卒業し、誰もが優秀と認める成績を収めた私とは比較にならない。

 当初は無能な兄に代わり、私が爵位を継ぐものだと思っていた。
 家臣たちも期待しているし、マルクトホーフェン侯爵とグレーフェンベルク伯爵との政争が激しくなることが予想されている状況で、中立派としてやっていけるのは私しかいないためだ。

 しかし、九月十七日、五十歳を迎えた父は温厚な人柄で領民に慕われている兄を後継者に指名すると、私に告げた。
 私は現在の王国の状況を事細かく説明し、翻意を促したが、父は聞く耳を持たなかった。

『確かにお前の言う通り、帝国が皇国を滅ぼせば、王国始まって以来の危機的な状況になることは間違いない。しかし、フリデリックならマルクトホーフェン侯爵とグレーフェンベルク伯爵のいずれも期待せぬ。つまり、政争に巻き込まれる可能性が低いということだ。それに力を持たぬ我がシェレンベルガー伯爵家では、対帝国戦で役に立つこともあるまい。それならば、優秀なお前が騎士団で出世し、王国を守りつつ、家を残す方がよいと判断したのだ』

 その認識の甘さと身勝手さに腹が立ったが、それをグッと抑えて冷静に反論した。

『兄上が当主になれば政争に巻き込まれないとおっしゃるが、マルクトホーフェン侯爵は手段を択ばぬ人物ですよ。それにグレーフェンベルク伯爵はともかく、ラウシェンバッハ殿はこれまでの常識では測れぬ人物。父上の楽観的な考えでは我が家を危険に晒すことになります』

『それでもお前が当主になるより安全であることは間違いない。お前が爵位を継げば我が家がグレーフェンベルク派となり、エッフェンベルク家やラウシェンバッハ家と共に、マルクトホーフェン侯爵と対抗していくことになる。その方がよほど危険だ』

 その可能性は高いが、私自身グレーフェンベルク伯爵に心酔しているわけでもなく、ラウシェンバッハ殿を全面的に信用しているわけでもない。
 そのことを告げたが、父の考えは変わらなかった。

 幸い、正式な発表は年明けの予定であり、三ヶ月半という時間があった。
 この間に兄を排除すれば、父の思惑とは関係なく、私がシェレンベルガー家を継ぐことになる。

 それから私は兄を排除する最も確実な方法を探りつつ、グレーフェンベルク伯爵とマルクトホーフェン侯爵のいずれに付くか考え始めた。

 常識的に考えればグレーフェンベルク伯爵だが、ここ三ヶ月ほどの伯爵の行動に違和感を抱いていた。

 頻繁に“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏の屋敷を訪れており、そのことが気になっていたのだ。

 当初は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室から情報を得ようと訪問しているのかと考えたが、情報分析室は王国軍の情報部に定期的に情報を流しており、騎士団長がわざわざ出向く必要はない。

 更に第三騎士団長のホイジンガー伯爵と単独で話し合うことが多くなった。
 王国騎士団のナンバーツーであるホイジンガー伯爵と語り合ってもおかしくはないが、騎士団に関することなら、ラウシェンバッハ殿がいた方がよい。

 また、以前であれば第二騎士団参謀長のメルテザッカー男爵や第四騎士団長のアウデンリート子爵も交えていたので、二人だけで話していることに違和感が強くなったのだ。

 そこで副官や従卒にさりげなく探りを入れた。
 副官に話を聞いたが、参謀である私に警戒することなく話してくれた。

『閣下の最近のご様子が気になるのだが?』

『そうですね。最近お疲れになっていることが多いですし、もう少し休んでいただきたいと思っていますよ。これはラウシェンバッハ殿も常々おっしゃっていますね』

 ここで私は鎌を掛けてみた。

『王国騎士団長は激務だからな。我々にできることがあればいいのだが……そう言えば、ホイジンガー閣下とお二人でよく話をされているが、職務の一部を肩代わりしてもらうつもりのようだな』

『そのようですね。私たちが準備している資料は王国騎士団だけでなく、王国軍全体のものが多かったです。軍務省や参謀本部の設立のことや、ヴェヒターミュンデ城やヴェストエッケ城の防衛方針なんかも話し合っておられるようですね』

 この情報でグレーフェンベルク伯爵がホイジンガー伯爵に引継ぎを考えていることが分かった。

 更に従卒に話を聞くと、単なる疲れではないのではないかと思うようになった。

『お休みいただくようにお願いしたのですが、閣下にしては珍しく、余計なことを言うなと叱責されましたよ。何か焦っている感じがしましたね』

 これらの情報とネッツァー氏と頻繁に会っていることで、伯爵の体調が思わしくないことに気づいた。ネッツァー氏は王都で最も優秀な治癒魔導師であり、何らかの治療を受けているのではないかと考えたのだ。

 そして私は自身の身の振り方を考え始めた。
 マルクトホーフェン侯爵が宮廷書記官長に就任すれば、グレーフェンベルク伯爵の政争はより厳しくなることは容易に想像できる。

 そのための準備として軍務省を設立し、軍務卿であるレベンスブルク侯爵と連携することは我々参謀にも知らされているが、グレーフェンベルク伯爵が病に冒されているのであれば、ホイジンガー伯爵とレベンスブルク侯爵が矢面に立つことになる。

 しかし、いずれもマルクトホーフェン侯爵に対抗できる人物とは思えず、グレーフェンベルク伯爵に私の人生を賭けていいのか、疑念が生まれたのだ。

 それからラウシェンバッハ殿の行動にも密かに気に掛け、彼が情報分析室にある依頼をしたことを知った。

 私も参謀の一人であり、情報部や情報分析室とは関係が深い。また、私のことを疑う者はおらず、ラウシェンバッハ殿の依頼で確認しにきたように装い、情報を入手したのだ。

(大賢者様に連絡を取ってほしいだと。それも急ぎで……どういうことだ?)

 その後、十一月六日に大賢者がネッツァー氏の屋敷に現れたことを使用人から聞き出した。そのタイミングでグレーフェンベルク伯爵はネッツァー氏の屋敷を訪問しており、ますます疑念が深まった。

 怪しまれないよう別の使用人に世間話を装って情報を得ようとした。

『大賢者様がお見えになったと聞いたが、グレーフェンベルク閣下はお会いになられたのかな?』

 それまで普通に会話をしていた使用人は、その言葉で緊張の色を見せた。

『私は知りません。それでは失礼します』

 どうやら緘口令が敷かれていたらしく、大賢者とグレーフェンベルク伯爵が会っていたことを知られては不味いと思ったようだ。

 隠す理由はいろいろと考えられるが、政略に関することなら参謀である私に情報を流しても問題はない。

 しかし、三日経っても我々に情報は降りてこなかった。
 グレーフェンベルク伯爵にそれとなく聞いても、ネッツァー氏と会って話しただけとしか言わず、大賢者がいた事実すら匂わせなかった。

 そうなると密かに大賢者に治療してもらった可能性が高いが、治療が成功したのであれば、体調は戻るはずだ。しかし、伯爵はまだ疲れた表情を見せている。

 ここで私は勝負に出ることにした。
 私はグレーフェンベルク伯爵が不治の病に罹っていることに賭け、マルクトホーフェン侯爵に会うことにしたのだ。

 これで私は騎士団での地位を失うことになるが、このまま何もせずに兄が家督を継ぐのを見るくらいなら、分の悪い賭けに出た方がマシだと考えたのだ。

 侯爵は慎重だった。もちろん、それは想定していたことだ。
 それでも私が騎士団に対して謀略を仕掛ければ、兄の家督相続をすんなり認めることはないと踏んでいる。
 これによって、私は更に時間を得たことになるのだ。

 そして、侯爵と会った翌日、私は騎士団を辞めた。
 グレーフェンベルク伯爵は静かに理由を聞いてきた。

「理由は何かな。君のような優秀な参謀に辞められると困るのだが」

 表情から察するに、私がマルクトホーフェン侯爵と会っていたことは既に知っていたようだ。

「私自身の可能性を試すためです。私は健康に不安をお持ちの閣下ではなく、マルクトホーフェン侯爵閣下に賭けることにしました。侯爵閣下は成果次第では、私の家督相続に力をお貸しいただけるとのことですので」

「健康不安だと……マルクトホーフェン侯爵に与するだと!」

 伯爵は健康不安という部分に反応し、それを誤魔化すように大声を上げた。
 これで伯爵が病に冒されている可能性が高いと確信する。もし不安がなければ、いつものように笑い飛ばせばよいのだから。

「はい。閣下がいつまで王国騎士団長の座にいられるのか不安があります。そして、後任になられるであろうホイジンガー閣下ではマルクトホーフェン侯爵閣下に対抗できません。勝ち馬に乗るべきだと判断しました」

 周囲には参謀長であるメルテザッカー男爵の他に同僚たちもいるが、皆驚いている。
 まずは伯爵の健康に不安があるという噂を流すことに成功した。

「私の身体に問題はない。それよりも旧態依然とした考えの侯爵に与するという君のその愚かな考えに驚くよ。まあいい。好きなようにしたまえ」

 私は伯爵に頭を下げると、騎士団本部を後にした。
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