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第十章:「雌伏編」
第十五話「内外の動向」
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統一暦一二〇六年十月八日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
今日は士官学校が休みであるため、“叡智の守護者”の情報分析室の報告書を朝から見ていた。
ゾルダート帝国については、皇帝マクシミリアンと総参謀長であるヨーゼフ・ペテルセンがいろいろと動いているようだが、目立った動きは見せていない。
警戒はするものの、下手に手を出して藪蛇になっても困ると考えている。
活発に動いているのはミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵だ。
腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーと王都の屋敷を預かっているコルネール・フォン・アイスナー男爵が頻繁に外出していることが確認されていた。
ヴィージンガーについては、オストインゼル公国の大使と会い、レヒト法国にある情報を流すように依頼したらしい。
「本格的に動き始めたようね。でも、今更、あなたが獣人族を救出しているという情報を流したところで、既にモーリス商会には手を引かせているし、問題にはならなさそうね」
一緒に報告書を見ていた妻のイリスが感想を口にする。
ヴィージンガーは中立国であるオストインゼル公国に対して、私が獣人たちを救出しているという情報をレヒト法国に流すよう依頼していたのだ。
「暗殺者を送り込んでくるかもしれないね。法国の能力を知るにはちょうどいいかもしれない」
レヒト法国は間者集団を持つ三つの魔導師の塔と敵対関係にある。
理由は法国の成り立ちにある。
法国の前身は“魔象界の恩寵”という魔導師の塔であり、その“魔象界の恩寵”がゼーレグネーデ神国という国家を作った。
神国は魔導技術の復活を目指し、無制限な魔導の使用を行ったため、千年ほど前に“代行者”である“聖竜”らに滅ぼされた。
その際に運よく生き残った下級魔導師たちが興した国家がレヒト法国だ。
禁忌を冒した“魔象界の恩寵”の末裔に対し、三つの塔は距離を置いた。これは下手に接近して代行者の攻撃を受けることを恐れたためだが、宗教的な理由も存在する。
レヒト法国だが、トゥテラリィ教という宗教を信じる国家だ。トゥテラリィ教は“神”のみを神と認める一神教で、ゼーレグネーデ神国の反省から、魔導の使用を極端に嫌う。そのため、低位の治癒魔導師しか存在しない。
そのような国家であるため、三つの塔はそれぞれ違った理由でレヒト法国を忌避している。
“叡智の守護者は助言者である大賢者マグダが率いている関係で、禁忌を冒したゼーレグネーデ神国の末裔を忌避している。
“真理の探究者”は、魔導師の地位向上と魔導工学の復活を目指しており、魔導師を否定するレヒト法国を嫌っている。魔導師の数は三つの塔最大であり、多くの国に支部を持っているにもかかわらず、レヒト法国にだけは支部がないほどだ。
“神霊の末裔”は自分たちこそが“神”の末裔であると公言しており、トゥテラリィ教の教義とは相容れない。
そのため、三つの塔が持つ間者集団と契約ができないのだ。
一応、身体強化に関するノウハウは持っているので、自前で間者を育てようとしているが、戦士としてはともかく、間者に必要なノウハウを持っていないため、三つの間者集団と比較するのもおこがましいほど能力は劣っていた。
「私たちが標的にされるなら、エレンたちでも充分に対処できるし、カルラたちがいるから問題はないわね。でも、領地で問題を起こされたら面倒よ。大陸公路沿いだし、関所もないのだから入り込み放題だから」
ラウシェンバッハ子爵領には関所がない。これは商業活動を活発化させるために関税を撤廃したからで、領都ラウシェンバッハに入る際も身分証の提示なども不要だ。
「その点は黒獣猟兵団と守備隊の増強で対応するしかない。問題を起こされても、大ごとになる前に抑え込めるはずだよ」
「そうね。だとすれば、こっちは問題なさそうだけど、アイスナー男爵の方が面倒そうね」
「王都のマフィアに接触したらしいのだけど、何が目的なんだろう? 領都では逆に取り締まりを強化しているのも気になるね」
領都マルクトホーフェンは治安が悪い町として有名だ。噂では“盗賊ギルド”という犯罪者組織の元締めが存在すると言われており、有名な暗殺者集団“|《ナハト》”に依頼するならマルクトホーフェンに行けばいいと言われていたほどだ。
その領都マルクトホーフェンでは、九月に入ってから犯罪者の取り締まりが強化された。
領地の治安をよくするためであり、おかしな話ではないのだが、このタイミングで行われたことが気になっている。
「情報が少なすぎて判断できないわ。監視を強化して様子を見るしかないわね」
「そうだね」
イリスの言葉に頷くしかない。
この他にもリヒトロット皇国に関する情報もあった。
「皇国軍の内部で不協和音って、何を考えているのかしら? 帝国軍は引き上げたけど、勝ったわけではないわ。あなたの作戦で何とか生き残ったというだけなのに……」
リヒトロット皇国の皇都リヒトロットから入った情報では、皇国軍の陸軍と水軍が反目し合っているらしい。
昨年の皇都防衛戦ではイルミン・パルマー提督率いる水軍が適切に行動した結果、皇都陥落を免れている。しかし、陸軍のマルコルフ・ナイツェル将軍が、一万の兵でゴットフリート皇子を攻め、八千名の戦死者を出す惨敗を期した。
その結果、主戦力である重装騎兵が壊滅し、野戦能力の大半を失っている。これにより、帝国軍が撤退したにもかかわらず、失った領地を回復することすらできない状況だ。
「皇国軍にはまともな将がいないからね。マイヘルベック将軍では三倍の兵力であっても優秀な将が率いる帝国軍に勝てる見込みはないし、唯一期待できるレーヴェンガルト騎士長は若さを理由に重用されていないからね」
エマニュエル・マイヘルベック将軍は、公爵家の当主というだけで総司令官に任じられた人物だ。六十歳を超えているが、実戦経験はほとんどなく、判断力も乏しい。
二十六歳の若き騎士長ヴェルナー・レーヴェンガルトは、私が立案した情報遮断作戦でも活躍した良将だが、年功序列と伯爵家の次男に過ぎない身分によって、千人程度の部隊の指揮権しか持っていない。
そんな状況の中、皇国軍の実質的なナンバーツーであったナイツェル将軍が戦死したことで、陸軍内では権力闘争が始まったらしい。
彼女が言う通り、そんなことをしている暇はなく、この時間を利用して軍の立て直しをしなくてはならないのだが、それが凡将たちには理解できないのだ。
「誰かを軍事顧問として送り込んだ方がいいかもしれないわね。といっても、あなたくらいしか思いつかないのだけど」
「能力的には君でもラズでもハルトでもいいと思うけど、権威主義の皇国では意見を聞いてもらえる可能性は低いからね。グレーフェンベルク閣下の名前を使って、文書で警告するくらいしかできない気がするよ」
いずれにしても、今のところ大きく動いているところはないが、油断はできない。
「兄様の結婚のこともあるし、年内は大きな動きが起きてほしくないわ」
「そのためにも手を打っておこうか。特にマルクトホーフェン侯爵は要注意だから、監視を強めておこう。といっても、あまり深入りはできないんだけど」
マルクトホーフェン侯爵家は“真実の番人”の間者を百人ほど雇っている。侯爵家の資金で雇える数を超えており、ゾルダート帝国が雇った者を送り込んでいるのではないかと考えている。
私が情報収集などを頼んでいる“闇の監視者”に比べれば、能力は低いものの、国内では王都を含めて二十名ほどしかおらず、数で圧倒されている。
この二十名は護衛任務についていない“叡智の守護者”の“情報分析室”所属だ。大賢者マグダの命令ということで、私の依頼に最大限応えてくれるが、危険に晒すわけにはいかず、大胆な情報収集は慎んでいるのだ。
「帝国と法国、それに皇国にも“影”を送り込まないといけないから、どうしても国内が手薄になるわ。そろそろ別の方法を考えた方がよいのではなくて?」
イリスの言っていることは課題として認識しているが、簡単には解決できない。
「優先順位を変えるくらいしかないかな。それでも帝国の優先度を下げるわけにはいかないし……」
二人で頭を悩ませたが、結論は出なかった。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
今日は士官学校が休みであるため、“叡智の守護者”の情報分析室の報告書を朝から見ていた。
ゾルダート帝国については、皇帝マクシミリアンと総参謀長であるヨーゼフ・ペテルセンがいろいろと動いているようだが、目立った動きは見せていない。
警戒はするものの、下手に手を出して藪蛇になっても困ると考えている。
活発に動いているのはミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵だ。
腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーと王都の屋敷を預かっているコルネール・フォン・アイスナー男爵が頻繁に外出していることが確認されていた。
ヴィージンガーについては、オストインゼル公国の大使と会い、レヒト法国にある情報を流すように依頼したらしい。
「本格的に動き始めたようね。でも、今更、あなたが獣人族を救出しているという情報を流したところで、既にモーリス商会には手を引かせているし、問題にはならなさそうね」
一緒に報告書を見ていた妻のイリスが感想を口にする。
ヴィージンガーは中立国であるオストインゼル公国に対して、私が獣人たちを救出しているという情報をレヒト法国に流すよう依頼していたのだ。
「暗殺者を送り込んでくるかもしれないね。法国の能力を知るにはちょうどいいかもしれない」
レヒト法国は間者集団を持つ三つの魔導師の塔と敵対関係にある。
理由は法国の成り立ちにある。
法国の前身は“魔象界の恩寵”という魔導師の塔であり、その“魔象界の恩寵”がゼーレグネーデ神国という国家を作った。
神国は魔導技術の復活を目指し、無制限な魔導の使用を行ったため、千年ほど前に“代行者”である“聖竜”らに滅ぼされた。
その際に運よく生き残った下級魔導師たちが興した国家がレヒト法国だ。
禁忌を冒した“魔象界の恩寵”の末裔に対し、三つの塔は距離を置いた。これは下手に接近して代行者の攻撃を受けることを恐れたためだが、宗教的な理由も存在する。
レヒト法国だが、トゥテラリィ教という宗教を信じる国家だ。トゥテラリィ教は“神”のみを神と認める一神教で、ゼーレグネーデ神国の反省から、魔導の使用を極端に嫌う。そのため、低位の治癒魔導師しか存在しない。
そのような国家であるため、三つの塔はそれぞれ違った理由でレヒト法国を忌避している。
“叡智の守護者は助言者である大賢者マグダが率いている関係で、禁忌を冒したゼーレグネーデ神国の末裔を忌避している。
“真理の探究者”は、魔導師の地位向上と魔導工学の復活を目指しており、魔導師を否定するレヒト法国を嫌っている。魔導師の数は三つの塔最大であり、多くの国に支部を持っているにもかかわらず、レヒト法国にだけは支部がないほどだ。
“神霊の末裔”は自分たちこそが“神”の末裔であると公言しており、トゥテラリィ教の教義とは相容れない。
そのため、三つの塔が持つ間者集団と契約ができないのだ。
一応、身体強化に関するノウハウは持っているので、自前で間者を育てようとしているが、戦士としてはともかく、間者に必要なノウハウを持っていないため、三つの間者集団と比較するのもおこがましいほど能力は劣っていた。
「私たちが標的にされるなら、エレンたちでも充分に対処できるし、カルラたちがいるから問題はないわね。でも、領地で問題を起こされたら面倒よ。大陸公路沿いだし、関所もないのだから入り込み放題だから」
ラウシェンバッハ子爵領には関所がない。これは商業活動を活発化させるために関税を撤廃したからで、領都ラウシェンバッハに入る際も身分証の提示なども不要だ。
「その点は黒獣猟兵団と守備隊の増強で対応するしかない。問題を起こされても、大ごとになる前に抑え込めるはずだよ」
「そうね。だとすれば、こっちは問題なさそうだけど、アイスナー男爵の方が面倒そうね」
「王都のマフィアに接触したらしいのだけど、何が目的なんだろう? 領都では逆に取り締まりを強化しているのも気になるね」
領都マルクトホーフェンは治安が悪い町として有名だ。噂では“盗賊ギルド”という犯罪者組織の元締めが存在すると言われており、有名な暗殺者集団“|《ナハト》”に依頼するならマルクトホーフェンに行けばいいと言われていたほどだ。
その領都マルクトホーフェンでは、九月に入ってから犯罪者の取り締まりが強化された。
領地の治安をよくするためであり、おかしな話ではないのだが、このタイミングで行われたことが気になっている。
「情報が少なすぎて判断できないわ。監視を強化して様子を見るしかないわね」
「そうだね」
イリスの言葉に頷くしかない。
この他にもリヒトロット皇国に関する情報もあった。
「皇国軍の内部で不協和音って、何を考えているのかしら? 帝国軍は引き上げたけど、勝ったわけではないわ。あなたの作戦で何とか生き残ったというだけなのに……」
リヒトロット皇国の皇都リヒトロットから入った情報では、皇国軍の陸軍と水軍が反目し合っているらしい。
昨年の皇都防衛戦ではイルミン・パルマー提督率いる水軍が適切に行動した結果、皇都陥落を免れている。しかし、陸軍のマルコルフ・ナイツェル将軍が、一万の兵でゴットフリート皇子を攻め、八千名の戦死者を出す惨敗を期した。
その結果、主戦力である重装騎兵が壊滅し、野戦能力の大半を失っている。これにより、帝国軍が撤退したにもかかわらず、失った領地を回復することすらできない状況だ。
「皇国軍にはまともな将がいないからね。マイヘルベック将軍では三倍の兵力であっても優秀な将が率いる帝国軍に勝てる見込みはないし、唯一期待できるレーヴェンガルト騎士長は若さを理由に重用されていないからね」
エマニュエル・マイヘルベック将軍は、公爵家の当主というだけで総司令官に任じられた人物だ。六十歳を超えているが、実戦経験はほとんどなく、判断力も乏しい。
二十六歳の若き騎士長ヴェルナー・レーヴェンガルトは、私が立案した情報遮断作戦でも活躍した良将だが、年功序列と伯爵家の次男に過ぎない身分によって、千人程度の部隊の指揮権しか持っていない。
そんな状況の中、皇国軍の実質的なナンバーツーであったナイツェル将軍が戦死したことで、陸軍内では権力闘争が始まったらしい。
彼女が言う通り、そんなことをしている暇はなく、この時間を利用して軍の立て直しをしなくてはならないのだが、それが凡将たちには理解できないのだ。
「誰かを軍事顧問として送り込んだ方がいいかもしれないわね。といっても、あなたくらいしか思いつかないのだけど」
「能力的には君でもラズでもハルトでもいいと思うけど、権威主義の皇国では意見を聞いてもらえる可能性は低いからね。グレーフェンベルク閣下の名前を使って、文書で警告するくらいしかできない気がするよ」
いずれにしても、今のところ大きく動いているところはないが、油断はできない。
「兄様の結婚のこともあるし、年内は大きな動きが起きてほしくないわ」
「そのためにも手を打っておこうか。特にマルクトホーフェン侯爵は要注意だから、監視を強めておこう。といっても、あまり深入りはできないんだけど」
マルクトホーフェン侯爵家は“真実の番人”の間者を百人ほど雇っている。侯爵家の資金で雇える数を超えており、ゾルダート帝国が雇った者を送り込んでいるのではないかと考えている。
私が情報収集などを頼んでいる“闇の監視者”に比べれば、能力は低いものの、国内では王都を含めて二十名ほどしかおらず、数で圧倒されている。
この二十名は護衛任務についていない“叡智の守護者”の“情報分析室”所属だ。大賢者マグダの命令ということで、私の依頼に最大限応えてくれるが、危険に晒すわけにはいかず、大胆な情報収集は慎んでいるのだ。
「帝国と法国、それに皇国にも“影”を送り込まないといけないから、どうしても国内が手薄になるわ。そろそろ別の方法を考えた方がよいのではなくて?」
イリスの言っていることは課題として認識しているが、簡単には解決できない。
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