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第十章:「雌伏編」

第六話「人事問題」

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 統一暦一二〇六年七月十二日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 グレーフェンベルク伯爵と参謀本部と軍務省の設立の話をしてから十日ほど経った。

 まず伯爵の健康問題だが、“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏が診察し、今のところ大きな問題はないとされた。
 但し、全く懸念がないというわけでもない。

『私が診た限りでは大きな病巣のようなものはなかったね。でも、どこがどうとは言えないのだけど、何となく気になる。マグダ様がお戻りになったら診ていただくか、グライフトゥルムに行って導師以上に確認した方がいいと思う』

 ネッツァー氏は王都で最も腕がいい治癒魔導師と言われているが、魔導師の塔の序列で言えば、大導師、導師に次ぐ上級魔導師に過ぎない。

 しかし、彼より魔導の知識があり、治癒魔導師としても経験がある導師以上は、ほとんど塔を離れない。病弱だった私が生き延びられたのも、魔導師の塔に行き、大賢者や大導師の治療を受けられたからだ。

 塔を離れることが多い大賢者マグダだが、今は王国北部の辺境の城、ネーベルタール城にいると聞いている。
 彼女が辺境にいるのは、第三王子であるジークフリード王子がそこに幽閉されているからだ。

 ジークフリード王子はマグダたちが待望する“ヘルシャー”候補だ。“助言者ベラーター”である彼女は、王子が七歳になった昨年の冬から直々に教育を始めた。
 そのため、王都に戻ってくるのは半年に一度ほどで、それも不定期だ。

 いつ戻ってくるとも分からない大賢者を待つより、グライフトゥルム市にある魔導師の塔に行き、大導師シドニウス・フェルケを始めとした優秀な魔導師に診察を受ける方が確実だ。

 しかし、軍のトップである王国騎士団長が理由もなく、五百キロメートルほど離れたグライフトゥルムに行くことは難しく、健康問題がマルクトホーフェン侯爵に漏れれば厄介なことになりかねない。
 それでも早く診察を受けてほしいと思っているのだが、伯爵は首を縦に振らなかった。

『ネッツァー医師が診て問題がないなら、疲れが出ただけだろう。それに今の状況で王都を離れることはできん』

 参謀本部と軍務省の設立の根回しを始めたところであり、伯爵の考えも分からないでもない。

 その根回しだが、ラザファムがレベンスブルク侯爵に軍務省の設立を説明し、侯爵も乗ってきた。また、結婚の話を切り出した際も、最初は準備期間が短すぎると渋っていたが、マルクトホーフェン侯爵が妨害してくると説明すると、即座に認めたらしい。

『閣下のマルクトホーフェン侯爵への怒りは尋常ではないな。領地を削られたこともあるが、最愛の妹であったマルグリット様を殺されたことが大きい。こちらで上手く誘導しないと暴走する恐れがある』

 ラザファムが嘆息まじりにそう教えてくれた。

『婚約については、結婚の準備が計画通りにいくと分かった時点で公表する。つまり、商人組合ヘンドラーツンフトの商人たちが迅速に動いてくれれば、来月にでも公表できるということだ』

 この点についてはモーリス商会に依頼しているので、楽観している。

 カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵の軍務次官への就任要請だが、こちらも私とイリスの二人で行い、何とかなりそうな状況だ。

『軍務次官か……王国軍の人事や補給、それに城塞の管理なども取り仕切ることになるのか。私にできるのだろうか……』

 軍務省の仕事の重大さに、最初は尻込みしていていた。

義父ちち上なら問題なくできます。規模は小さいとはいえ、既にエッフェンベルク騎士団で見事に成功されているのですから』

『だが、我が領地で上手くいったのは、私に従ってくれた家臣たちが頑張ったからだ。軍務省の文官たちが、私にどの程度真面目に従ってくれるかが気になるところだ』

『その点は私もグレーフェンベルク閣下も気にしています。基本的には宰相府の文官からやる気のある方を中心に五十名程度引き抜き、残りは反マルクトホーフェン侯爵派と中立派の貴族の子息を中心に五十名程度増員する予定です。本来なら平民からも募りたいところですが、メンゲヴァイン侯爵が反対しそうですので、今回は諦めます』

『クリストフ殿と君が選んでくれるなら何とかなるだろう。エッフェンベルク騎士団も副団長のフレリクに任せれば問題は起きんだろうからな』

 エッフェンベルク騎士団の副団長フレリク・フォン・ラムザウアー男爵は、義父がエッフェンベルク騎士団改革を始めた頃から従っている忠臣だ。見た目は厳つい髭面で猛将と思われがちだが、堅実な組織運営を行っており、伯爵が王都にいても問題が起きたことはない。

 軍務省の文官候補も父リヒャルトに相談して、ある程度候補が固まった。
 問題は参謀本部だ。

 私が総参謀長になること自体、ハードルは高い。
 理由は私自身が二十二歳と若く、更に士官学校の一教官に過ぎないためだ。

 これについてはグレーフェンベルク伯爵がゴリ押しすれば何とかなるが、それ以上に頭が痛いのは参謀そのものが非常に少ないことだ。

 参謀本部は作戦部、情報部、兵站部、計画部の四つの部で構成する予定だ。
 各部には部長一名、参謀十名、事務員十名の二十名程度は必要だと思っている。情報部は既にあるので、そのまま編入する形でいいが、他の三つの部の人員が全く足りないのだ。

 現在、王国騎士団のうち、実戦部隊である第二から第四騎士団には参謀が配置されている。また、東西の防衛の要、ヴェヒターミュンデ騎士団とヴェストエッケ守備兵団にも参謀を送り込む計画だ。

 それだけではなく、騎士団の各連隊にも参謀を置く計画だった。しかし、適切な人材がおらず、いずれも断念している。今は騎士団長の補佐役としての参謀長と作戦参謀が三名、情報参謀一名、後方参謀一名の五名程度しかいない。

 これでも本来の定員である十名の半分程度であり、そこから引き抜くことは不可能だ。
 今のところ、希望者を募るしかないと思っているが、大っぴらに募集するわけにもいかず、打つ手がない。

 ちなみに四つの部の役割は以下のようなものだ。
 作戦部は戦略や作戦の立案、実施を補佐し、そのために必要な情報の収集などを行う。 情報部はこれまでと同じく諜報と防諜を担い、更にそれらの情報を整理、報告する。

 兵站部は作戦発動時の補給計画の立案だけでなく、軍用道路の建設や船舶の運用も行う。計画部は長期戦略に則り、人員や補給などを検討する。
 兵站部と計画部は軍務省と被る部分が多いため、当面は軍務省に一元化することを考えている。

 二十名程度しかいないのに、“課”とせず“部”としたのは、将来の拡張を見込んでいるからだ。本格的に近代軍に生まれ変わるなら、参謀スタッフの増強は不可避で、各部とも今の計画の五倍程度、百人規模にする必要があると思っている。

 私の子爵家の相続についてだが、父と話し合いの場を設けた。
 グレーフェンベルク伯爵から総参謀長就任を打診されたと説明すると、父は大きく頷いた。

「私としてはすぐにでもお前に家督を譲ってもよいと思っている。ただ、今年中というのは難しい。下手に相続の申請を行えば、今やっていることがマルクトホーフェン侯爵に漏れかねない。そうなれば、妨害してこないとも限らないからな」

 当主が急死した場合や、何らかの責任を取ったような特殊なケースを除けば、爵位の継承は王宮に申請して審査を受けることになる。

 通常は申請してから半年ほど、他の親族からの異議申し立てがないかの確認を行い、問題がなければ、承認手続きに入る。

 何もなければ、ラウシェンバッハ家も通常の申請でいいのだが、今回は参謀本部と軍務省の設立の話がある。この話が公表されれば、私が爵位を得るのはそのどちらかで要職に就くためだと容易に想像でき、横槍が入る可能性が高い。

 うちの場合、相続が問題になる要素はないのだが、マルクトホーフェン侯爵が疎遠になっている遠い親戚を唆して難癖を付けてくることは充分に考えられる。そのため、半年で終わるか見通しが立たないのだ。

「一応申請は出しておくが、他にも決めねばならんことがある」

「領都の代官などですね」

「その通りだ。慣例では当主の交代に合わせて、主要な役職も次の世代に引き継がれる。我がラウシェンバッハ家の場合、領都の代官と王都ここの家令職くらいだが、代官であるフリッシュムートの後任は決めておかねばならん。息子のエーベルハルトでもよいとは思うがな」

 ムスタファ・フリッシュムートは領都ラウシェンバッハの代官を務めている家臣だ。
 我がラウシェンバッハ子爵家の筆頭家臣であり、父からだけでなく、領民からも信頼されている実直な人物だ。

 息子のエーベルハルトは来年三十歳になる。父親のムスタファの下で領都の運営に十年以上携わっており、彼に代官を任せてもよいと思っているが、きちんと話をして、他の家臣たちにも納得させる必要があり、それなりに時間は掛かるだろう。

「その点は私も同じ考えです。ある程度今の根回しが終わったところで、領地に戻るつもりです」

 代官のこともあるが、ヴィントムント市に立ち寄って商人組合ヘンドラーツンフトの商人たちと話をする必要がある。また、獣人入植地を回り、自警団の状況も確認しておきたい。

 グレーフェンベルク伯爵やエッフェンベルク伯爵とも相談した結果、七月下旬に一度ラウシェンバッハに戻ることが決まった。
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