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第十章:「雌伏編」
第二話「グレーフェンベルク伯爵からの相談:前編」
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統一暦一二〇六年七月二日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グレーフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
帝国の状況は政治的には安定し、経済的に少しずつ締め付けているという状況で、大きな変化はない。
一方の我が国の状況だが、こちらにも大きな変化はなかった。
現状では宰相府をマルクトホーフェン侯爵派が、軍を反マルクトホーフェン侯爵派が押さえている状況が続いている。
但し、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵の王国政府内での発言力が徐々に大きくなっている。
侯爵は現在二十四歳であり、同世代には次期当主となる嫡男が多い。そのため、現当主に何らかの不満を持つ彼らに対し、早期に当主となれるように支援すると言っている。それにより、三年前の第二王妃アラベラの不祥事で失った支持を取り戻しつつあった。
我々も手を拱いているわけではない。
騎士団の若手士官に人気が高いクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵を中心に、嫡男以外の若手貴族の支持を得ようと努力している。
支持は着実に増えているが、実際に領地を持つ当主とそれ以外では貴族だけでなく、平民に対する影響力に大きな差があるため、差を拡げられつつあった。
そんな状況である中、本日グレーフェンベルク伯爵と会うことになっている。
いつもなら騎士団本部に行くことが多いのだが、今日は休日ということもあり、個人的なパーティに呼ばれていた。
パーティはグレーフェンベルク伯爵家の嫡男アルトゥールの誕生日を祝うものだ。私もイリスもグレーフェンベルク伯爵家とは付き合いが長いため、アルトゥールも幼い頃から知っており、訪問する理由としては違和感がない。
「よく来てくれた!」
今日の伯爵は王国騎士団長というより、一人の父親という感じだ。
「マティアスさん、イリスさん、来てくださってありがとうございます」
アルトゥールは十三歳になる少年で、王立学院初等部の一年生だ。うちにいるモーリス兄弟の兄フレディと同級生でもあり、その関係もあって、最近ではよく話をしている。
彼は伯爵によく似た栗色の髪とグレーの瞳が特徴的で、十三歳にしては大人しい。本人に話を聞くと、偉大な父を失望させないため、常に気を張っており、はしゃぐことができないらしい。
「おめでとう、アルトゥール君」
そう言って持ってきたプレゼントである本を渡す。本といっても実用書ではなく、彼が好きな戦記物だ。
イリスもプレゼントを渡す。彼女は実用的なペンとしっかりとした革の装丁の手帳だった。
「戦場で使うにはこれが便利なのよ。少し早いけど慣れておいた方がいいわ」
彼が父親の跡を継ぐために努力していることを知っているので、実用品を用意したようだ。
正午頃、パーティが始まった。
グレーフェンベルク伯爵家は伯爵の妻のルイーゼ、アルトゥールの二人の姉ロミルダとフェレーナ、弟のフレーデガルの六人家族だ。皆着飾っており、華やかさがある。
今日は伯爵家の嫡男の誕生日ということで、関係する貴族が五十人ほど集まっている。いずれも反マルクトホーフェン侯爵派の貴族であり、その中にはエッフェンベルク伯爵の名代として、ラザファムの姿もある。
パーティ自体は政治的な話もなく、派閥の領袖が主催するものとは思えないほど和やかな雰囲気だ。
午後三時頃にパーティはお開きになったが、私とイリス、そしてラザファムは別室に呼ばれた。
そこにはグレーフェンベルク伯爵だけがおり、飲み直そうという雰囲気ではない。
「君たちに相談がある」
「私たちだけですか?」
私が聞くと、伯爵は小さく頷いた。
「マンフレートやエルヴィンも交えて相談したかったが、あまり目立ちたくない。それにまずは君たちの意見が聞きたかった」
王国騎士団のナンバーツー第三騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵や、第二騎士団参謀長エルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵は伯爵の信頼できる者たちだが、私邸で長時間話をすると、マルクトホーフェン侯爵派に目を付けられる。それを警戒したらしい。
「私も一緒でいいのですか? 参謀であった彼や妹なら分かりますが、私は一介の大隊長に過ぎませんよ」
ラザファムが遠慮気味に伝える。
伯爵とは子供の頃から知っており、親戚のおじさん感覚だったが、今は最上位の上司だからだろう。
「世紀末組の首席にも意見を聞いておきたい。というより、マティアス君の考えに新たなアイデアを加えられるのは、君とイリスくらいしかいないのだ」
私たちの意見が聞きたいということで、どのような話か気になった。
「それでどのような話でしょうか? 私たちもあまり長居をすると、疑われてしまいますが」
「そうだな……まずは王国軍の組織改革についてだ。以前から軍務省と参謀本部を設立すべきという意見を出しているが、なかなか進まない。しかし、帝国ではあのマクシミリアンが皇帝に即位し、ペテルセンという未知の軍師が現れた。我々も早急に組織を整えなければ、対応が後手に回るのではないかと思っている」
七年前の一一九九年に軍務卿という役職を作ったが、名誉職に近い扱いで、行政府である宰相府の中で軍政を担うまでに至っていない。これはそもそも宰相府が組織として未熟で、軍事関係だけを改革しようとしてもできなかったためだ。
「そうですね。ペテルセン総参謀長は論文を見る限り、情報を重視しますし、戦争が政治と密接に関わっていることを理解しています。軍政を取り仕切るバルツァー軍務尚書も有能ですし、このままでは危険だという認識は私も同じです」
「私としては、早急に軍務省と参謀本部を立ち上げたい。できれば今年中、遅くとも来年の前半には目途を付けたい。そして、初代の総参謀長にはマティアス君、君に就任してもらいたいと思っている」
以前から言われていることであるため、特に驚きはないが、急いでいることが気になった。
「皇帝やペテルセン総参謀長のことはありますが、そこまで急ぐ理由は何でしょうか?」
「クラース侯爵が隠居するという噂がある。そうなれば、メンゲヴァイン侯爵が宰相に、宮廷書記官長にはマルクトホーフェン侯爵が就任することになる。今までの慣例通りなら一月一日に交代は行われるから、メンゲヴァイン侯爵の就任と共に組織改正を行ってしまいたい。そうすれば、マルクトホーフェン侯爵の介入を防げるからな。しかし時間は僅か半年しかない」
テーオバルト・フォン・クラース侯爵は現在六十四歳。既に十年以上宰相の地位にあり、今年の一月に代わるのではないかと言われていた。しかし夏にあったヴェヒターミュンデ城での戦いの後始末などがあり、有耶無耶になっている。
現状でも計画書案は作ってあるが、一つの役所を作り、王国騎士団の組織も変えるとなると、半年ではギリギリだ。
しかし、それ以外の理由もあるような気がしていた。
「おっしゃる通りですが、私が総参謀長になるには家督を継ぐ必要があります。理由がそれだけとは思えないのですが?」
騎士団長などの組織の長になるためには爵位が必要だ。 私の言葉にグレーフェンベルク伯爵が苦笑を浮かべた。
「現マルクトホーフェン侯爵のミヒャエルが思っていた以上に優秀だ。先代のルドルフよりも侮れないと思っている。そして、彼は若い。今後更に力を付けていくと考えると、私にも若くて優秀な補佐役が必要だ。それも表立って対決できる立場にある者が」
ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵は側近の力量が大したことがない割には、中立派の貴族の切り崩しも的確で、国王の側近である宮廷書記官長に就任されると厄介だということは理解する。
王国軍の総参謀長がどの程度の地位になるかは決まっていないが、各騎士団長や兵団長と同格になる可能性が高く、そうなれば王国軍を代表して、御前会議に出席することも可能となる。
「理由は理解しましたが、家督相続のこともありますし、今年中というのは厳しいと思います」
父リヒャルトは現在四十六歳だ。そろそろ家督を譲りたいという話は出ているが、まだ何も準備は行われておらず、最短でも一年は掛かる。
「それは理解しているのだが……」
伯爵が焦っている理由が理解できない。
そのことを聞こうと思った時、妻のイリスが発言した。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グレーフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
帝国の状況は政治的には安定し、経済的に少しずつ締め付けているという状況で、大きな変化はない。
一方の我が国の状況だが、こちらにも大きな変化はなかった。
現状では宰相府をマルクトホーフェン侯爵派が、軍を反マルクトホーフェン侯爵派が押さえている状況が続いている。
但し、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵の王国政府内での発言力が徐々に大きくなっている。
侯爵は現在二十四歳であり、同世代には次期当主となる嫡男が多い。そのため、現当主に何らかの不満を持つ彼らに対し、早期に当主となれるように支援すると言っている。それにより、三年前の第二王妃アラベラの不祥事で失った支持を取り戻しつつあった。
我々も手を拱いているわけではない。
騎士団の若手士官に人気が高いクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵を中心に、嫡男以外の若手貴族の支持を得ようと努力している。
支持は着実に増えているが、実際に領地を持つ当主とそれ以外では貴族だけでなく、平民に対する影響力に大きな差があるため、差を拡げられつつあった。
そんな状況である中、本日グレーフェンベルク伯爵と会うことになっている。
いつもなら騎士団本部に行くことが多いのだが、今日は休日ということもあり、個人的なパーティに呼ばれていた。
パーティはグレーフェンベルク伯爵家の嫡男アルトゥールの誕生日を祝うものだ。私もイリスもグレーフェンベルク伯爵家とは付き合いが長いため、アルトゥールも幼い頃から知っており、訪問する理由としては違和感がない。
「よく来てくれた!」
今日の伯爵は王国騎士団長というより、一人の父親という感じだ。
「マティアスさん、イリスさん、来てくださってありがとうございます」
アルトゥールは十三歳になる少年で、王立学院初等部の一年生だ。うちにいるモーリス兄弟の兄フレディと同級生でもあり、その関係もあって、最近ではよく話をしている。
彼は伯爵によく似た栗色の髪とグレーの瞳が特徴的で、十三歳にしては大人しい。本人に話を聞くと、偉大な父を失望させないため、常に気を張っており、はしゃぐことができないらしい。
「おめでとう、アルトゥール君」
そう言って持ってきたプレゼントである本を渡す。本といっても実用書ではなく、彼が好きな戦記物だ。
イリスもプレゼントを渡す。彼女は実用的なペンとしっかりとした革の装丁の手帳だった。
「戦場で使うにはこれが便利なのよ。少し早いけど慣れておいた方がいいわ」
彼が父親の跡を継ぐために努力していることを知っているので、実用品を用意したようだ。
正午頃、パーティが始まった。
グレーフェンベルク伯爵家は伯爵の妻のルイーゼ、アルトゥールの二人の姉ロミルダとフェレーナ、弟のフレーデガルの六人家族だ。皆着飾っており、華やかさがある。
今日は伯爵家の嫡男の誕生日ということで、関係する貴族が五十人ほど集まっている。いずれも反マルクトホーフェン侯爵派の貴族であり、その中にはエッフェンベルク伯爵の名代として、ラザファムの姿もある。
パーティ自体は政治的な話もなく、派閥の領袖が主催するものとは思えないほど和やかな雰囲気だ。
午後三時頃にパーティはお開きになったが、私とイリス、そしてラザファムは別室に呼ばれた。
そこにはグレーフェンベルク伯爵だけがおり、飲み直そうという雰囲気ではない。
「君たちに相談がある」
「私たちだけですか?」
私が聞くと、伯爵は小さく頷いた。
「マンフレートやエルヴィンも交えて相談したかったが、あまり目立ちたくない。それにまずは君たちの意見が聞きたかった」
王国騎士団のナンバーツー第三騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵や、第二騎士団参謀長エルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵は伯爵の信頼できる者たちだが、私邸で長時間話をすると、マルクトホーフェン侯爵派に目を付けられる。それを警戒したらしい。
「私も一緒でいいのですか? 参謀であった彼や妹なら分かりますが、私は一介の大隊長に過ぎませんよ」
ラザファムが遠慮気味に伝える。
伯爵とは子供の頃から知っており、親戚のおじさん感覚だったが、今は最上位の上司だからだろう。
「世紀末組の首席にも意見を聞いておきたい。というより、マティアス君の考えに新たなアイデアを加えられるのは、君とイリスくらいしかいないのだ」
私たちの意見が聞きたいということで、どのような話か気になった。
「それでどのような話でしょうか? 私たちもあまり長居をすると、疑われてしまいますが」
「そうだな……まずは王国軍の組織改革についてだ。以前から軍務省と参謀本部を設立すべきという意見を出しているが、なかなか進まない。しかし、帝国ではあのマクシミリアンが皇帝に即位し、ペテルセンという未知の軍師が現れた。我々も早急に組織を整えなければ、対応が後手に回るのではないかと思っている」
七年前の一一九九年に軍務卿という役職を作ったが、名誉職に近い扱いで、行政府である宰相府の中で軍政を担うまでに至っていない。これはそもそも宰相府が組織として未熟で、軍事関係だけを改革しようとしてもできなかったためだ。
「そうですね。ペテルセン総参謀長は論文を見る限り、情報を重視しますし、戦争が政治と密接に関わっていることを理解しています。軍政を取り仕切るバルツァー軍務尚書も有能ですし、このままでは危険だという認識は私も同じです」
「私としては、早急に軍務省と参謀本部を立ち上げたい。できれば今年中、遅くとも来年の前半には目途を付けたい。そして、初代の総参謀長にはマティアス君、君に就任してもらいたいと思っている」
以前から言われていることであるため、特に驚きはないが、急いでいることが気になった。
「皇帝やペテルセン総参謀長のことはありますが、そこまで急ぐ理由は何でしょうか?」
「クラース侯爵が隠居するという噂がある。そうなれば、メンゲヴァイン侯爵が宰相に、宮廷書記官長にはマルクトホーフェン侯爵が就任することになる。今までの慣例通りなら一月一日に交代は行われるから、メンゲヴァイン侯爵の就任と共に組織改正を行ってしまいたい。そうすれば、マルクトホーフェン侯爵の介入を防げるからな。しかし時間は僅か半年しかない」
テーオバルト・フォン・クラース侯爵は現在六十四歳。既に十年以上宰相の地位にあり、今年の一月に代わるのではないかと言われていた。しかし夏にあったヴェヒターミュンデ城での戦いの後始末などがあり、有耶無耶になっている。
現状でも計画書案は作ってあるが、一つの役所を作り、王国騎士団の組織も変えるとなると、半年ではギリギリだ。
しかし、それ以外の理由もあるような気がしていた。
「おっしゃる通りですが、私が総参謀長になるには家督を継ぐ必要があります。理由がそれだけとは思えないのですが?」
騎士団長などの組織の長になるためには爵位が必要だ。 私の言葉にグレーフェンベルク伯爵が苦笑を浮かべた。
「現マルクトホーフェン侯爵のミヒャエルが思っていた以上に優秀だ。先代のルドルフよりも侮れないと思っている。そして、彼は若い。今後更に力を付けていくと考えると、私にも若くて優秀な補佐役が必要だ。それも表立って対決できる立場にある者が」
ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵は側近の力量が大したことがない割には、中立派の貴族の切り崩しも的確で、国王の側近である宮廷書記官長に就任されると厄介だということは理解する。
王国軍の総参謀長がどの程度の地位になるかは決まっていないが、各騎士団長や兵団長と同格になる可能性が高く、そうなれば王国軍を代表して、御前会議に出席することも可能となる。
「理由は理解しましたが、家督相続のこともありますし、今年中というのは厳しいと思います」
父リヒャルトは現在四十六歳だ。そろそろ家督を譲りたいという話は出ているが、まだ何も準備は行われておらず、最短でも一年は掛かる。
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