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第九章:「暗闘編」
第四十五話「ゴットフリート出奔」
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統一暦一二〇六年五月八日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、ゴットフリート邸。ゴットフリート・クルーガー元帥
父コルネリウス二世の死去による混乱は収まりつつあった。
弟マクシミリアンは父の遺言を知った後は、それまでの強引さが影を潜め、真摯な態度で政務に励んでいる。そのことと俺やローデリヒ・マウラー元帥が支持したことで、民たちが落ち着きを取り戻したのだ。
弟が新たに側近に迎えたヨーゼフ・ペテルセンだが、常に酒を手放さないという点を除けば、思った以上に有能だった。
彼は出仕を拒否していた軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーを説得した。その際、バルツァーと内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが国内をまとめ、自分は内政には関わらず、王国の謀略に対抗すると説明し、具体策まで示したらしい。
バルツァーもこの数ヶ月間のラウシェンバッハの謀略に対して思うところがあったようで、ペテルセンの策を聞いて自分よりも相応しいと感じたようだ。そして、父コルネリウス二世が愛した帝国を守るために、マクシミリアンの下に復帰した。
バルツァーを得た弟は、俺に対しても声を掛けてきた。
『兄上には私の後ろ盾として軍を掌握してほしい。特に第二、第三軍団は兄上でなくては、素直に従ってくれぬからな』
この言葉に嘘はないと思ったが、試されている気がして仕方がなかった。
『そう言えば、帝都も安全になったのだから、義姉上たちにも帝都に戻ってもらったらよいではないか』
妻たちの話が出たことで、人質にするために呼び戻そうとしているのではないかと疑った。狭量といわれるかもしれないが、どうしても弟が信用できないのだ。
今回の即位とその後の強引な対応を見る限り、弟にとって最も大きな不安要素である俺を生かしておく理由はない。
もっとも、俺自身は俺が死ぬことで帝国が安定するなら、それはそれで構わないと思っている。
しかし、俺が殺されれば、第二軍団と第三軍団、更には予備役の兵士たちも報復のために立ち上がるだろう。
殺されないまでも、幽閉や投獄でも同じだろう。
そうなれば、せっかく落ち着いた祖国が再び混乱に陥る。
それくらいのことは弟も理解しているはずだが、俺だけでなく、切れ者のシュテヒェルトも弟に対して不安を持っていた。
『陛下が殿下のお命を狙うことはないと思います。それが合理的だからですが、かといって殿下に対して不安を抱いていないわけではないでしょう。私が陛下なら、ご家族を帝都に戻す最中に襲撃し、皇国の残党の仕業に見せかけます。そうして、殿下と兵士たちの怒りを皇国に向けさせ、殿下が敵討ちのために残党狩りをするように誘導します。そこで事故死に見せかけて殿下を亡き者にすれば、陛下の不安要素を消し去ることができますから』
奴ならば、そのくらいのことはやってのけるだろう。
『私としては、殿下の存在が帝国の不安要素であるという点では、陛下と考えを同じくします。だからといって、殿下を亡き者にすれば、帝国に新たな火種を作ることになりかねません。情報操作の名人であるラウシェンバッハなら、事故死であろうが病死であろうが、陛下が暗殺を命じたと噂を流し、帝国を混乱させようとしてくるでしょうから』
その懸念も理解できる。
『ですので、殿下には帝都から脱出していただきたいと思っています』
『どこに行けばいいのだ? 帝国に敵対している国に行けば利用されるし、オストインゼル公国ではマクシミリアンに引き渡されるだけだ。まさかレヒト法国に行けというわけでもないだろう』
我が国が敵対していない国は、属国であるオストインゼル公国と遠く離れた狂信者の国レヒト法国しかない。
オストインゼル公国は皇帝の怒りを買いたくないから、俺が逃げ込めば即座に捕らえて送り返すはずだ。
もう一つのレヒト法国とは利害関係はないが、狂信者の集まりということで何をするか想像もできない。そのような国に行っても安全は確保できないだろう。
『リヒトプレリエ大平原に行っていただきます。草原の民なら殿下を引き渡すことはないでしょうし、殿下無き帝国軍に優秀な騎兵である草原の民に勝利することは難しいでしょうから』
生き延びるためにはシュテヒェルトの提案に乗るしかないが、帝国のことを一番に考える彼がなぜ大きな戦力を持つ大平原に俺を逃がそうとするのか、意図が見えない。
そのことを聞くと、彼は寂しげな表情で答えた。
『マクシミリアン陛下が信用できないからです。陛下は十年と掛からずに完全な独裁体制を築かれるはずです。そして、そのために多くの血が流されることでしょう。ですが、殿下という明確な敵が帝国のすぐ近くにいればどうでしょうか? 独裁体制に移行するにしても緩やかに、そして穏やかに行うはずです。そうでなければ、それに反対する者たちは殿下を呼び戻そうとするでしょうから』
ようやく理解できた。
シュテヒェルトはマクシミリアンが今回と同じように最も効率的な手、すなわち敵対勢力を叩き潰そうとすることを懸念している。
彼としては父が行ったように緩やかに皇帝の力を強めていく方法が望ましいと考え、そのためには、俺という存在が力を持った状態で生き残っていなければならないと考えているのだ。
俺が漠然と思っていたことを言語化してもらったようなもので、彼の考えはストンと腑に落ちた。
そして、彼の考えに乗り、俺は帝都から脱出する。
しかし、今回はシュテヒェルトの手は借りない。
彼がマクシミリアンを信用できないように、俺もシュテヒェルトを信用し切れていないためだ。
彼の手を借りずにどうやって帝都から抜け出すのかということになるが、これについては護衛兵のデニス・ロッツが案を出してきた。
「殿下の元部下がザフィーア河の水運業者になっているんですよ。そいつに頼めば、ザフィーア湖の西岸まで運んでもらえます。奴なら絶対に殿下を裏切ることはありません」
詳しく聞くと、フェアラート会戦の時に俺の大隊にいた兵士の一人だった。そいつは会戦で左膝から下を失って退役したのだが、俺が今の仕事を紹介し、十年の時を経て船を持つまでに成功したらしい。
しかし、俺のために命を賭けさせてよいのかと思った。
「万が一発覚したら、そいつが罪を問われることになる。今の仕事が上手くいっているのなら、そっとしておいてやった方がいいのではないか」
「罪に問われるのは覚悟の上ですよ。というより、殿下が手を差し伸べなかったら、奴は路頭に迷って野垂れ死んでいたかもしれんのです。少なくとも家族を持つことはできなかったでしょう。それだけに奴も恩返しの機会が得られるならと、やる気になっているんです。奴の気持ちを汲んでやってください」
その言葉で俺も覚悟を決めた。
「そうか……ならば、その方法でいこう」
それから準備を行い、家族がエーデルシュタイン近郊の小さな村に匿われていることをシュテヒェルトから聞き出した。
これで彼に俺が脱出しようとしていることを知られてしまったが、それはそれで仕方がないと腹を括る。
そして、翌日の朝、軍団本部に向かうと言って皇宮に入った後、デニスと二人で脱出した。
脱出といっても軍団本部に行き、更に軍務府に寄った後に、堂々と歩いて門を出ており、門を守る兵士も不審に思うことなく敬礼で見送っているほどだ。
そのまま、屋敷に向かうような感じで歩いた後、裏路地に入り、密かに用意させておいた馬車に乗って波止場に向かった。
そこから先は誰何の声もなく、港湾地区に入り、元部下が持つ船に乗り込んだ。
あまりにあっさりと成功したため、マクシミリアンの罠かと疑うほどだったが、俺が個人的に雇っている“真実の番人”の隠密に追跡者がいないことを確認させたほどだ。
船は予定通りに出港したが、それからも追手が迫ってくることなかった。
恐らく、俺が脱出すると気づいたシュテヒェルトが裏で手を回したのだろう。
俺は家族と再会するため、西に向かった。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、ゴットフリート邸。ゴットフリート・クルーガー元帥
父コルネリウス二世の死去による混乱は収まりつつあった。
弟マクシミリアンは父の遺言を知った後は、それまでの強引さが影を潜め、真摯な態度で政務に励んでいる。そのことと俺やローデリヒ・マウラー元帥が支持したことで、民たちが落ち着きを取り戻したのだ。
弟が新たに側近に迎えたヨーゼフ・ペテルセンだが、常に酒を手放さないという点を除けば、思った以上に有能だった。
彼は出仕を拒否していた軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーを説得した。その際、バルツァーと内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが国内をまとめ、自分は内政には関わらず、王国の謀略に対抗すると説明し、具体策まで示したらしい。
バルツァーもこの数ヶ月間のラウシェンバッハの謀略に対して思うところがあったようで、ペテルセンの策を聞いて自分よりも相応しいと感じたようだ。そして、父コルネリウス二世が愛した帝国を守るために、マクシミリアンの下に復帰した。
バルツァーを得た弟は、俺に対しても声を掛けてきた。
『兄上には私の後ろ盾として軍を掌握してほしい。特に第二、第三軍団は兄上でなくては、素直に従ってくれぬからな』
この言葉に嘘はないと思ったが、試されている気がして仕方がなかった。
『そう言えば、帝都も安全になったのだから、義姉上たちにも帝都に戻ってもらったらよいではないか』
妻たちの話が出たことで、人質にするために呼び戻そうとしているのではないかと疑った。狭量といわれるかもしれないが、どうしても弟が信用できないのだ。
今回の即位とその後の強引な対応を見る限り、弟にとって最も大きな不安要素である俺を生かしておく理由はない。
もっとも、俺自身は俺が死ぬことで帝国が安定するなら、それはそれで構わないと思っている。
しかし、俺が殺されれば、第二軍団と第三軍団、更には予備役の兵士たちも報復のために立ち上がるだろう。
殺されないまでも、幽閉や投獄でも同じだろう。
そうなれば、せっかく落ち着いた祖国が再び混乱に陥る。
それくらいのことは弟も理解しているはずだが、俺だけでなく、切れ者のシュテヒェルトも弟に対して不安を持っていた。
『陛下が殿下のお命を狙うことはないと思います。それが合理的だからですが、かといって殿下に対して不安を抱いていないわけではないでしょう。私が陛下なら、ご家族を帝都に戻す最中に襲撃し、皇国の残党の仕業に見せかけます。そうして、殿下と兵士たちの怒りを皇国に向けさせ、殿下が敵討ちのために残党狩りをするように誘導します。そこで事故死に見せかけて殿下を亡き者にすれば、陛下の不安要素を消し去ることができますから』
奴ならば、そのくらいのことはやってのけるだろう。
『私としては、殿下の存在が帝国の不安要素であるという点では、陛下と考えを同じくします。だからといって、殿下を亡き者にすれば、帝国に新たな火種を作ることになりかねません。情報操作の名人であるラウシェンバッハなら、事故死であろうが病死であろうが、陛下が暗殺を命じたと噂を流し、帝国を混乱させようとしてくるでしょうから』
その懸念も理解できる。
『ですので、殿下には帝都から脱出していただきたいと思っています』
『どこに行けばいいのだ? 帝国に敵対している国に行けば利用されるし、オストインゼル公国ではマクシミリアンに引き渡されるだけだ。まさかレヒト法国に行けというわけでもないだろう』
我が国が敵対していない国は、属国であるオストインゼル公国と遠く離れた狂信者の国レヒト法国しかない。
オストインゼル公国は皇帝の怒りを買いたくないから、俺が逃げ込めば即座に捕らえて送り返すはずだ。
もう一つのレヒト法国とは利害関係はないが、狂信者の集まりということで何をするか想像もできない。そのような国に行っても安全は確保できないだろう。
『リヒトプレリエ大平原に行っていただきます。草原の民なら殿下を引き渡すことはないでしょうし、殿下無き帝国軍に優秀な騎兵である草原の民に勝利することは難しいでしょうから』
生き延びるためにはシュテヒェルトの提案に乗るしかないが、帝国のことを一番に考える彼がなぜ大きな戦力を持つ大平原に俺を逃がそうとするのか、意図が見えない。
そのことを聞くと、彼は寂しげな表情で答えた。
『マクシミリアン陛下が信用できないからです。陛下は十年と掛からずに完全な独裁体制を築かれるはずです。そして、そのために多くの血が流されることでしょう。ですが、殿下という明確な敵が帝国のすぐ近くにいればどうでしょうか? 独裁体制に移行するにしても緩やかに、そして穏やかに行うはずです。そうでなければ、それに反対する者たちは殿下を呼び戻そうとするでしょうから』
ようやく理解できた。
シュテヒェルトはマクシミリアンが今回と同じように最も効率的な手、すなわち敵対勢力を叩き潰そうとすることを懸念している。
彼としては父が行ったように緩やかに皇帝の力を強めていく方法が望ましいと考え、そのためには、俺という存在が力を持った状態で生き残っていなければならないと考えているのだ。
俺が漠然と思っていたことを言語化してもらったようなもので、彼の考えはストンと腑に落ちた。
そして、彼の考えに乗り、俺は帝都から脱出する。
しかし、今回はシュテヒェルトの手は借りない。
彼がマクシミリアンを信用できないように、俺もシュテヒェルトを信用し切れていないためだ。
彼の手を借りずにどうやって帝都から抜け出すのかということになるが、これについては護衛兵のデニス・ロッツが案を出してきた。
「殿下の元部下がザフィーア河の水運業者になっているんですよ。そいつに頼めば、ザフィーア湖の西岸まで運んでもらえます。奴なら絶対に殿下を裏切ることはありません」
詳しく聞くと、フェアラート会戦の時に俺の大隊にいた兵士の一人だった。そいつは会戦で左膝から下を失って退役したのだが、俺が今の仕事を紹介し、十年の時を経て船を持つまでに成功したらしい。
しかし、俺のために命を賭けさせてよいのかと思った。
「万が一発覚したら、そいつが罪を問われることになる。今の仕事が上手くいっているのなら、そっとしておいてやった方がいいのではないか」
「罪に問われるのは覚悟の上ですよ。というより、殿下が手を差し伸べなかったら、奴は路頭に迷って野垂れ死んでいたかもしれんのです。少なくとも家族を持つことはできなかったでしょう。それだけに奴も恩返しの機会が得られるならと、やる気になっているんです。奴の気持ちを汲んでやってください」
その言葉で俺も覚悟を決めた。
「そうか……ならば、その方法でいこう」
それから準備を行い、家族がエーデルシュタイン近郊の小さな村に匿われていることをシュテヒェルトから聞き出した。
これで彼に俺が脱出しようとしていることを知られてしまったが、それはそれで仕方がないと腹を括る。
そして、翌日の朝、軍団本部に向かうと言って皇宮に入った後、デニスと二人で脱出した。
脱出といっても軍団本部に行き、更に軍務府に寄った後に、堂々と歩いて門を出ており、門を守る兵士も不審に思うことなく敬礼で見送っているほどだ。
そのまま、屋敷に向かうような感じで歩いた後、裏路地に入り、密かに用意させておいた馬車に乗って波止場に向かった。
そこから先は誰何の声もなく、港湾地区に入り、元部下が持つ船に乗り込んだ。
あまりにあっさりと成功したため、マクシミリアンの罠かと疑うほどだったが、俺が個人的に雇っている“真実の番人”の隠密に追跡者がいないことを確認させたほどだ。
船は予定通りに出港したが、それからも追手が迫ってくることなかった。
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