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第九章:「暗闘編」

第二十五話「情報の分析」

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 統一暦一二〇六年三月十八日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ラウシェンバッハの子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 ゾルダート帝国の帝都ヘルシャーホルストで大きな騒動が起きた。いや、起きそうだった。
 ゴットフリート皇子が解任され、屋敷に幽閉されたことに対して、兵士たちが立ち上がった。彼らは皇子に対する処分を撤回するよう、皇宮に直談判に行ったのだ。

 皇帝コルネリウス二世はマクシミリアン皇子に全権を委ね、事態の収拾に当たらせた。その結果、兵士たちは暴動を起こすことなく、大人しく引き下がった。

 この話を聞いたイリスが感心している。

「さすがはマクシミリアン皇子ね。兵士たちが完全に暴発する前に焚きつけた上で、ゴットフリート皇子とマウラー元帥という兵士たちに人気がある二人を引っ張り出して説得するなんて。これで兵士たちの不満も、ある程度は解消されてしまったわ」

「そうだね。一応、マクシミリアン皇子の自作自演という話は広めているけど、諜報局が目を光らせているから、どの程度上手くいくか分からない。それに“真実の番人ヴァールヴェヒター”の隠密が結構いるみたいだから、慎重に動かざるを得ないしね」

 私が狙っていたのは、兵士たちの不満を強め、帝都の政情を不安定にすることだった。
 昨年の十月までは皇帝の諮問機関である枢密院を動かそうとしたが、皇帝に先手を打たれてしまった。そのため、元老たちが委縮してしまい、民衆や兵士を使うしか手がなくなった。

 ゴットフリート皇子が解任され、兵士たちが暴発するかと思われたが、先手を打たれてしまう。解任と謹慎の処分が再考されたが、皇帝は解任処分については撤回せず、謹慎のみ解いた。

 これで再び兵士たちが不満に思うかと思ったが、見事に対処されてしまう。

 皇帝は自らその理由を明らかにし、信賞必罰の観点で解任は適当であったと毅然とした態度で断言した。それに加え、兵士が信頼する宿将、ローデリヒ・マウラー元帥も皇帝の考えを全面的に支持する。

 そして、今回の騒動は、ザムエル・テーリヒェン元帥がゴットフリート皇子を助け出すために、兵士を扇動したこととされた。その結果、テーリヒェンは元帥の階級を剥奪された上、投獄されることになったが、その前に自ら命を絶ち、全責任を負わされた形になった。

 この結末により、兵士たちは自分たちの主張の一部が取り入れられたことと、今回の件ではゴットフリート皇子に責任が問われることはなく、兵士たちは何となく納得してしまい、再び立ち上がる機運は生まれていない。

 つまり、マクシミリアン皇子に兵士たちの怒りを上手くコントロールされたということだ。諜報局と真実の番人ヴァールヴェヒターを使えるようになったとはいえ、これほど完璧に対処されるとは思っていなかった。

 自作自演であることを大々的に暴露したいが、証拠を集めるのに手間取っている。諜報局が探りまわっており、酒場に潜り込ませた情報分析室の協力者を含め、慎重にならざるを得ないためだ。

「賭博場を使った策略は上手くいっているのでしょ。とりあえず、そっちに期待するという感じね」

 彼女の言う通り、大衆向けの賭博場“幸運の館ハオスデスグリュック”は当初の想定より盛況だ。

 捕虜となっていた第三軍団の兵士が積極的に通っていることもあるが、他の兵士も長期の遠征を終えて特別手当をもらったため、懐事情がよくなっていることもある。

「期待はしているけど即効性はないし、あまり派手にやるとマクシミリアン皇子やシュテヒェルト内務尚書に潰されてしまうから、慎重にいかないといけない」

 このことはモーリス商会の帝都支店を通じて、賭博場を運営するガウス商会に伝えてある。そのため、現状ではのめり込む兵士はいるものの、帝国政府には少し派手に遊んでいる者がいるという程度の認識しか持たせないことに成功している。

「ゴットフリート皇子の復権は認められなかったから、皇位継承争いはマクシミリアン皇子の一人勝ちね。このまま立太子までいくんじゃないの」

「それについてはもう少し時間が掛かると思う。少なくともゴットフリート皇子が失敗した皇都攻略作戦をマクシミリアン皇子が成功させないと、兵士や民衆は納得しないんじゃないかな」

「納得しないというより、そうなるように持っていくんでしょ、あなたが」

 イリスはそう言って笑うが、実際にそう動いている。

「何もなければ、皇太子として正式に後継者に指名されるのは早くても三年後だろうね。皇都攻略作戦は早くても二年後だろうし」

 今回の戦いで帝国は四千名の兵士を失っただけで、得るものはなかった。
 リヒトロット皇国から賠償金を十億マルク得ているが、領土を切り取ったわけでもなく、金のほとんどが我が国に支払われているからだ。

 兵士への特別手当の支払いや戦死者の遺族への弔慰金などを支払えば、その回復に早くても二年は掛かる。他にも堕落化計画によって第三軍団の兵士の質は大きく落ちており、軍団の再編も必要だから、二年以内に大規模な軍事作戦を行う余裕はないはずだ。

「そうね。そうなると、帝国より王都での噂の方が気になるわ」

 彼女が言っているのは、私に対する噂のことだ。
 黒獣猟兵団という強力な部隊を有していること、大商人ライナルト・モーリスと懇意で資金援助を受けているらしいこと、更にはそれらの力を使って、王国の秩序を壊そうとしているという話まで出ている。

 もっともこれらの話は市井で広まっているものではなく、貴族のサロンなどで話されていることだ。

「マルクトホーフェン侯爵もやってくれるね。まさか情報操作を仕掛けてくるとは思わなかったよ」

 そう言うものの、私には余裕があった。

「余裕があるわね。まあ、あなたを危険視するのは侯爵派の貴族だけだから、あまり影響がないとは思うけど」

「そうでもないみたいだ。中立派の中にも私やグレーフェンベルク閣下のやり方は危険だという声がある。特にハルトのことを気にしているようだね」

 爵位持ちの貴族は平民の台頭を恐れている。
 ハルトムートは平民でありながらも、現在王国騎士団の大隊長だ。

 王国騎士団の前身、シュヴェーレンブルク騎士団であれば、大隊長相当の地位に上がれるのは騎士階級以上であり、その騎士階級でも十五年以上のキャリア、すなわち三十歳を超えるくらいにならなければ就任できなかった。

 それが二十代前半の平民が大隊長になっている。十年前なら伯爵家以上の大貴族の直系以外はあり得なかったことだ。

「そうね。でも、ジーゲル将軍のこともあるから、そんなに問題にはならないんじゃないの」

 ハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍は騎士階級の生まれながらも、騎士団長と同格の将軍にまで昇進している。騎士階級といっても家を継いでいないので、実際には平民と同じだ。

「前線は実力主義でもいいけど、王都の騎士団は伝統があるからと言っているみたいだよ。まあ、私からしたら、この話は大いに広めてもらいたいんだけどね」

「騎士階級や平民が希望を持てるからということかしら?」

「それもあるけど、爵位持ちの家であっても、次男や三男は賛成してくれるはずだ。昔に戻ったら爵位を継いだ者か、嫡男だけが優遇されることになるんだから」

 爵位がある家でも次男や三男は嫡男が爵位を継いだら、貴族階級から騎士階級に落とされる。そのため、爵位持ちだけが大隊長以上になれるというマルクトホーフェン侯爵の提案に反対するはずだ。

「だから、私が野心家であるという噂が広がってくれた方がやりやすいんだ。野心家と言っているけど、この場合改革派という意味だからね。改革を望む次男や三男がこちらに付けば、侯爵家や伯爵家の情報が手に入りやすくなるから」

「だから打ち消しにいかずに、逆に積極的に広めているのね」

 彼女の言う通り、貴族の間で広がっている噂に関しては何も手を打っていない。また、その話を少し脚色して、平民街で広めている。

 具体的には、マルクトホーフェン侯爵が貴族第一主義を強く訴えていること、それに私が対抗し、非貴族階級の権利を守るためには力が必要だという噂を流している。

 まだ、やり始めたばかりだが、侯爵が平民を蔑ろにしているという話はすんなり受け入れられている。特に王国騎士団に侯爵の提案が採用されると、フェアラート会戦の大敗北の二の舞になるという話は貴族ですら納得するからだ。

「問題は侯爵が情報操作を重要視し始めたことだね。まだこちらの方が一日の長はあるけど、慣れてきたら厄介だし、油断すると足元を掬われかねないから」

「そうね。でも、突然情報を重要視し始めたのはなぜかしら? やっぱりマクシミリアン皇子が策を授けたのかしら」

「その可能性が高いと思う。帝都でも積極的に情報操作を始めているから、我が国に対する謀略の一環だろう。侯爵がマクシミリアン皇子と共闘しているのか、それとも利用されているだけなのかは分からないけど」

 この点が一番気になっており、いろいろと探らせているが、まだ判明していない。

「いずれにしても、侯爵をどうにかしないといけないということね」

 私はイリスの言葉に大きく頷いた。
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