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第八章:「東部戦線編」

第十二話「リッタートゥルム城到着」

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 統一暦一二〇五年四月一日。
 グライフトゥルム王国南部リッタートゥルム街道、野営地。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 リッタートゥルム街道の最初の拠点で宿泊した翌日。
 前日の雨は止み、薄曇りの中、出発した。

 雨は止んでいたものの、道はぬかるんでおり、馬が何度も足を取られる。
 それ以上に二台の荷馬車の移動が難航する。熊人ベーア族や猛牛シュティーア族ら力自慢が荷馬車を押すことで、何とか進めている感じだ。

「この道ならリッタートゥルム城を帝国に奪われても大丈夫じゃないかしら。少なくとも千人以上の軍勢が進軍できる道じゃないわ」

 イリスの言う通り、この道では大量の補給物資を運ぶことが難しく、大規模な軍の移動は現実的ではない。

「確かにそうだけど、リッタートゥルム城を奪われるわけにはいかないよ」

「どうしてかしら?」

 イリスが首を傾げている。

「帝国軍は道を作るのが得意だからね。彼らは原野でも森林でも道を敷設しながら進軍できる。実際リヒトロット皇国では結構深い森を切り開いて道を作っているんだ。ここは大木を切り倒す必要がないから、一、二年で道を整備してしまうだろうね。そうなれば、シュヴァーン河を使ってリッタートゥルム城に物資を運び、帝国軍が一気に攻め込んでくる可能性がある」

 ゾルダート帝国軍の特徴は騎兵が主体であることの他に、補給を重視している点が挙げられる。優秀な輜重隊を生かすためには道が必要で、その設営能力も戦闘能力と同等以上に重要だと考えているのだ。

「そうね。三万人の軍団が本気を出したら、立派な街道ができそうだわ。それに比べて王国軍は補給を軽視しているから不安ね」

 彼女だけでなく、グレーフェンベルク伯爵ら王国軍の首脳も補給の重要性は理解しているが、組織自体が対応できていない。

 私としては軍政を司る部署を早く作ってほしいと思っているのだが、マルクトホーフェン侯爵派の妨害によって、軍務卿という役職を作っただけで遅々として進んでいない。

 その日は野営だったが、特に何も起きることなかった。
 翌日以降も野営と拠点での宿泊を交互に繰り返し、あと一日でリッタートゥルム城に到着できるところまで進んだ。

 この辺りはそれまでの荒野とは異なり、北にシュティレムーア大湿原が迫り、南は岩山という地形に変わっている。岩山は急峻な崖ではないが、高さが百メートルほどあり、まばらに木が生えている。

 最後の野営地はその岩山が窪んだ所で、百メートル四方ほどの広場だ。山から水が湧きでており、水もふんだんに使える。それまでは造水の魔導具で作る水に頼っていたため、それだけでもありがたい。

 黒獣猟兵団の獣人兵たちが野営の準備を行っていたが、突然兎人族の女性戦士の甲高い声が響く。

「東からトロル五体接近! 迎撃準備!」

 その声に兵士たちが一斉に動く。
 折りたたみ椅子に座っていた私も慌てて立ち上がり、カルラに視線を向けた。

「マティアス様はその場で待機してください。この程度なら問題ないですから」

 普段と変わらない表情で余裕があった。

「熊人族と猛牛族はマティアス様、イリス様の前に! 白虎族と獅子族はトロルを攻撃! 狼人族、犬人族は牽制して足止め! 白猫族、兎人族は他に魔獣が現れないか警戒しろ!」

 少し離れたところで、狼人族のエレンが各氏族に命令を出していた。
 猟兵団はイリスが団長でカルラが実質的な指揮官だが、危機的な状況以外、彼らに経験を積ませるため、任せる方針だ。

 エレンの命令が出される前に猟兵団の兵士たちは既に動いており、私たちの前には壁ができていた。熊人族も猛牛族も巨体で鈍重そうに見えるが、動きは機敏だ。

 その間に狼人族たちがトロルたちに近づき、牽制の攻撃を加えている。トロルたちは突然現れた彼らに目標を定めたのか、そこで足を止めた。

 一体のトロルが狼人族たちの攻撃を受け、咆哮を上げながら倒れていく。そして、身体が徐々に透けていき、最後には完全に消えてしまった。

 魔獣ウンティーア魔象界ゼーレから供給される魔素プノイマ具象界ソーマに具現化していると言われている。そのため、一定のダメージを受けると身体が維持できなくなり、死体を残すことなく消えてしまうのだ。

 更にもう一体も腕や足を切り裂かれ、闇雲に腕を振り回していたが、膝を突いて顔から倒れながら消えていく。

 白虎族たちが到着し、巨大な両手剣を残ったトロルに叩き付けた。
 三体は同時に腹を切り裂かれ、ゆっくりと消えていった。

 その間、僅か五分ほど。見た感じでは誰一人攻撃を受けた者はいなかった。
 あまりの見事さに言葉が出ない。

「見事なものね。上級の魔獣ウンティーア相手に無傷で完勝するなんて」

 イリスの感想に私は大きく頷いた。
 トロルはオーガなどと並び、狩人組合イエーガーツンフトでは上級にランク付けされる魔獣だ。

 上級の魔獣ウンティーアは一体倒すのに、ベテランであるゴルト魔獣狩人イエーガーが主体の五名程度のチームが必要と言われているほどで、小さな村なら全滅する恐れがあるほど危険な存在だ。

 魔獣狩りが得意なエッフェンベルク騎士団の兵士でも、一個小隊三十人で時間を掛けて倒すそうだが、その危険な魔獣を瞬殺している。そのことに驚きを隠せなかったのだ。
 私の驚愕に対し、カルラが静かに声を掛けてきた。

「この程度の敵なら当然でしょう。課題は斥候の発見が遅かったことです。トロルであれば、この野営地に入る前に発見し処理できたはずですから」

 数百年生きている闇森人ドゥンケルエルフェの彼女にとっては、この対応でも満足いくレベルではないらしい。

「周囲の警戒を強化! 白猫族は岩山の上も確認しろ! 兎人族は街道周辺を再度確認!」

 エレンも接近を許したことを気にしているらしく、声が硬い。
 そのエレンが私のところにやってきた。

「申し訳ございません。接近前に処理することができませんでした」

 そう言いながら、頭を下げる。

「危険はなかったから問題はないよ。指示も的確だし、よくやってくれたと思っている」

 エレンがもう一度頭を下げると、その後ろから狼人族の女性戦士レーネが恭しく魔石マギエルツを差し出してきた。
 その魔石は黒曜石のような艶やかな黒で、ピンポン玉より少し大きい。

 魔石は魔獣が倒されると唯一残す物で、魔導具の燃料となる。
 上級の魔石はさまざまな魔導具に使え、更に長期間使えることから価値が高い。狩人組合イエーガーツンフトでは褒賞金と合わせて五千マルク程度、日本円で五十万円ほどで買い取ってくれる。

 それが五個だから二万五千マルクだ。彼らの狩人イエーガーとしての能力がいかに優れているかを実感する。

「これはラウシェンバッハに戻ったら換金して、みんなにボーナスとして支給しよう」

「それがいいわね」

 イリスが頷いたので、魔石をシャッテンのユーダに預けた。

 十分ほど警戒していたが、新たな魔獣ウンティーアの姿はなかった。
 設営準備を再開するが、獣人たちの表情は硬い。特に白猫族と兎人族の女性戦士たちで、接近を許したことを気に病んでいるようだ。

 食事の準備ができたところで、周囲を警戒している者以外を集める。

「諸君たちは納得していないようだが、私は先ほどの戦闘には満足している。なぜなら、私を危険に晒さないという目的を達成しているからだ」

 私がそう言っても表情は変わらない。

「諸君らは完璧を求めているようだが、それは違う。完璧な対応など毎回できるはずがない。もしできるようならそれは基準がおかしいということだ。それに完璧な対応を続けたら、必ず油断が生まれる。今回諸君らは接近を許したことを反省している。反省する気持ちがあるから、次にどうすべきか考える。これが重要だし、それを実践している諸君らを私は誇りに思う」

 私の言葉で彼らの表情から硬さが取れたが、まだ納得していない者も多い感じだ。

「もう一度言う! 重要なことは目的を達成すること! その上で改善点を見つけ、次に生かす! これが重要だということを忘れないでほしい。以上だ! それでは食事にしよう!」

 そう言って強引に話を打ち切り、干し肉で出汁を取った根菜類の煮物を椀によそってもらう。
 私の後にイリスが続いたことで、食事が始まった。

「あなたの対応はよかったわ。あのままだったら萎縮したかもしれないから」

「そうだね。規律を緩める気はないけど、もう少し肩の力を抜いてほしいと思っているよ。ハルトがいてくれたら、いい感じに緩めてくれたんだろうけど、私には難しいね」

 親友ハルトムート・イスターツは部下の掌握が上手い。
 緩く見えるが、締めるところはきちんと締めており、逆境にあっても力を発揮する部隊を作る力は王国軍でも有数だ。

「あそこまで緩いのはどうかと思うけど、言いたいことは分かるわ。猟兵団の団長として、私が何とかしないとね」

 イリスも思うところがあったのか、そう言って決意を見せる。

 その後は魔獣の襲撃もなく、翌日の午後、私たちはグライフトゥルム王国南東部の要衝、リッタートゥルム城に到着した。
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