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第八章:「東部戦線編」

第二話「親書」

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 統一暦一二〇五年三月十日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 ゾルダート帝国に関する情報が徐々に集まってきた。
 二月一日に行われた御前会議によって、マクシミリアン皇子が第二軍団長を解任され、帝都の北の砦に幽閉された。

 理由は公表されなかったが、皇帝コルネリウス二世及びゴットフリート皇子への暗殺の嫌疑があり、皇帝の諮問機関である枢密院が参考意見として具申したことは分かっている。

 また、第二軍団長には第三軍団長であったゴットフリート皇子が横滑りで就任し、ゴットフリート派のザムエル・テーリヒェンがその後任となった。

 これにより、最前線であるエーデルシュタインにいる帝国軍六万すべてが、ゴットフリート皇子の指揮下に入ることになり、皇帝はリヒトロット皇国への攻勢を強めると宣言した。

 この情報が先日王都に届き、王宮は一時騒然となった。皇国が滅べば次は我が国だと宰相たちが騒いだためだ。

 しかし、既に情報を知っていた第二騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵らがその動揺を抑え、更に皇国支援の必要性を解き、認められた。

 皇国への支援としてはこれまで行ってきた武具の提供の他に、帝国が占領している国境付近の町、フェアラートへの攻撃も含まれている。フェアラートを攻撃することで、帝国軍の一部を皇都攻略作戦から引きはがし、皇都への圧力を減らすためだ。

 もっともフェアラートを本格的に攻略するつもりはなく、牽制に過ぎない。攻略自体は不可能ではないが、維持するだけの戦力を王国は持っていないためだ。

 この他にも、皇国に対してグリューン河北岸の都市の防衛強化を提案することも決まった。
 この提案を行う理由だが、戦争の天才と言われるゴットフリート皇子が難攻不落の城塞都市、皇都リヒトロットに正攻法で攻め掛かるとは思えなかったためだ。

 この話をグレーフェンベルク伯爵に持っていった時、私ならどうするかと問われている。

「皇都リヒトロットを難攻不落としているのはグリューン河とハルトシュタイン山脈です。正面である南側には天然の堀グリューン河があり、背後である北側には大軍が運用できない峻厳な山地そびえています。東西は街道がありますが、グリューン河の水運を抑えられるため、南岸からの補給が困難であり、精鋭である帝国軍ですら持て余しています」

「確かにそうだな。だとすれば、鍵はグリューン河ということか」

「その通りです。グリューン河は海と異なり、魔獣ウンティーアによる攻撃は考えなくてよいですから、大型船による兵員の輸送が可能です」

 海にはサーペントやクラーケンが生息し、百人以上乗っている船は攻撃されて沈められてしまう。そのため海上では船員を含め、五十名程度しか乗らない運用となっている。しかし、川には大型船を沈められるほどの魔獣がおらず、その制限がない。

 そのため、グリューン河にある皇国水軍の軍船には百人以上の兵士と、多くの弩砲や弓で武装されており、帝国軍の渡河作戦を困難なものにしている。

「皇国の水軍を撃破して水上輸送能力を奪いにくるかもしれないということか。しかし、皇国水軍の基地は北岸にある。大軍では渡河作戦が開始されたところで攻撃を受けるだろうし、少数の奇襲では基地を奪うことはできない。どうするつもりなのだ?」

 その問いには苦笑するしかなかった。

「具体的な方法はさすがに分かりませんよ。相手は戦争の天才と言われているのですから」

「君も天才だと思っているのだが……まあいい。このことは宰相たちに提案しておこう」

 このような感じで帝国への対応を行っていた。

 そして本日、皇帝の親書を携えたオストインゼル公国の使者が王宮を訪れた。
 対応は国王フォルクマーク十世と宰相であるクラース侯爵が行ったが、その後に王立学院にいた私が呼び出された。

 縄こそ打たれなかったが、罪人のように有無を言わさぬ扱いで、王国第一騎士団の近衛騎士に連行される。
 その様子にイリスが激怒した。そして、剣に手を掛けんばかりの勢いで抗議する。

「まるで罪人ではありませんか! ラウシェンバッハ子爵家だけでなく、エッフェンベルク伯爵家も黙ってはいませんよ!」

 元々第一騎士団に属していたため、イリスの腕と性格は知れ渡っており、近衛騎士は慌てた様子でイリスを宥める。

「宰相閣下より急ぐよう命じられており、いささか礼を欠いたようです」

 そう言って頭を下げる。
 本来なら特権階級の近衛騎士であり、このような対応はしないはずだが、激怒した彼女に斬り殺されては堪らないと思ったのだろう。

「すぐに戻ってくるから問題ないよ。それよりグレーフェンベルク伯爵閣下に連絡しておいてくれないか」

「分かったわ。傷一つない状態で返しなさい。もしかすり傷でもあったのなら、あなたに相応の報いを与えてやるから」

 そう言いながら騎士を睨みつける。
 騎士は冷や汗を掻いているが、私はどこまで本気なのだろうと考えていた。

 宰相府に到着すると、すぐに地下にある尋問用の部屋に送り込まれる。
 そこには宰相はおらず、宰相の秘書官らしき五十代くらいのカイゼル髭が特徴的な男が、椅子に座って待っていた。その後ろには無表情で立つ兵士が二人立っている。

 その男は私を見上げると、立ち上がることもせず、話し始める。

「マティアス・フォン・ラウシェンバッハだな」

「リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵の嫡男、王立学院助教授のマティアス・フォン・ラウシェンバッハです。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 風貌から誰なのか分かっているが、一応聞いてみた。

「貴様に名乗る必要はないが、クラース侯爵家の家臣にして宰相閣下の秘書官、シュタッフス・フォン・シェルケ男爵だ」

 予想通りの人物だった。

 本来なら男爵家の当主であっても、子爵家の次期当主であり、名門エッフェンベルク伯爵家とも縁戚関係にある私に横柄な態度を取ることはないのだが、私が有罪になると確信しているようだ。

「それで私はどのような理由で、ここに呼び出されたのでしょうか?」

 理由はシャッテンを通じて分かっているが、近衛騎士は何も言わず、ただ宰相府に同行しろとだけ言っていたため、不自然にならないように確認したのだ。

「貴様には重大な嫌疑が掛けられている」

 芝居掛かった仕草に、出来の悪いコントのようだと思い、笑いを堪える。
 笑いを堪えていると、私が驚きのあまり言葉を失ったと勘違いしたのか、嫌らしい笑みを浮かべて得意げに話し始めた。

「ゾルダート帝国の皇帝から陛下に親書が届いた。それには貴様を帝国軍の教育機関の教官として招きたいと書いてあったそうだ。皇帝が貴様のことなど知っているはずがない。自らを売り込み、祖国を裏切ろうとしたことは明白だ」

 なるほど、このような考え方があるのかと思った。
 皇帝が情報を重視しているということを知らなければ、我が国の国王と同じ程度であると考えるだろう。そうであれば、一介の教員のことなど知らないと思っても仕方がない。

「私が帝国に売り込んだという証拠はどこにあるのでしょうか?」

「皇帝が知っていたという事実が自ずと物語っている。それで充分だ」

 そこで思わず笑みが零れた。

「では、皇帝はやりたい放題ですね。敵国に手紙を送るだけで、勝手に排除してくれるなら、これほど楽なことはないですから」

 私の言葉と態度にシェルケは苛立つ。

「屁理屈を言うな!」

「事実でしょう。何の証拠もなく、皇帝の手紙のみを証拠として断罪しようとしているのですから」

 私の言葉に反論できず、癇癪を起したかのように怒鳴る。

「うるさい!」

 まるで子供だなと思いながらも、この後の展開を考えて誘導していく。

「これは宰相閣下のご命令と理解してよろしいですか?」

「と、当然だ! 私は宰相閣下のご命令で貴様を尋問しているのだからな!」

「宰相閣下は私に対する尋問を命じられただけということですか? それとも私を断罪することを命じられたのですか?」

 そこでバンとテーブルを叩く。

「素直に罪を認めろ! 拷問に掛けることもできるのだぞ!」

 そこで扉が開かれた。

「拷問とはどういうことだ。クラース侯爵はそのようなことを命じていないはずだが」

 そこに立っていたのはグレーフェンベルク伯爵だった。
 絶妙なタイミングで現れたことに思わず笑みが零れた。

「き、騎士団長であっても、宰相府で勝手なことをされては困る! すぐに……」

「黙れ!」

 シェルケの反論をグレーフェンベルク伯爵はひと言で断ち切る。

「先ほど宰相閣下に確認した。宰相府に連れてくるように命じたが、罪人としてではないとな。当然拷問など命じるはずがない」

「わ、私は……」

「宰相閣下のところには私が連れていく。もちろん、このこともきっちりと抗議するぞ。我が軍師であり、これからの王国騎士団に必要な者に対し、拷問しようとしていたとな。私だけではなく、エッフェンベルク伯爵からも厳重な抗議があるだろう。かわいい娘の夫を拷問しようとしたのだからな」

 シェルケは崩れ落ちるように項垂れる。
 主君にいいところを見せようと、私が相手なら少し脅せば言質が取れると思って強気に出たが、それが裏目になったと気づいたようだ。

 呆然としているシェルケを無視して、伯爵は部屋を出ていく。
 私も慌ててその後に続いた。

「君は相変わらず人が悪いな。あの男を焚き付けて、暴走させたのだろう?」

「ええ。あまり深く考えない方だと知っていましたので」

 伯爵の言う通り、シェルケが暴走することを期待していた。
 彼の後ろにいた兵士がシャッテンの一人であることは、護衛であるカルラから聞いていたので、挑発しても安全だと確信しての行動だ。

「一発くらい殴られた方がいいかなと思ったのですが、残念です」

 私の言葉に伯爵は笑った。

「殴られた跡があったら、イリスに何を言われるか分からん。だが、これで宰相に強く出ることができる」

 そんな話をしながら、宰相の部屋に向かった。
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