グライフトゥルム戦記~微笑みの軍師マティアスの救国戦略~

愛山雄町

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第五章:「初陣編」

第四十五話「交渉」

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 統一暦一二〇三年八月十一日。
 レヒト法国北部、クロイツホーフ城内、第二騎士団参謀長ベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵

 戦闘が終わってから十二時間ほど経ち、陽は西に傾いている。
 三時間ほど仮眠を摂ったが、まだ疲れは完全に抜けていない。

 そんな中、グレーフェンベルク子爵閣下から、守備兵団のライムント・フランケル副兵団長と共に、クロイツホーフ城に赴くよう命令が下った。

「捕虜の代表が戻った。リーツが対応し、受諾すると言っていたそうだ。予定より早いが、今からクロイツホーフ城に行ってくれぬか」

 予定では明日の午前中だったが、リーツが受諾すると言っているので、気が変わらないうちに確定させてしまおうというのだろう。

「承りました」

「護衛にはシャッテンを紛れ込ませている。危険だと感じたら、迷わず脱出してくれ」

 閣下は法国軍を信用しておらず、私の身を案じてくれたようだ。

「承知しました。私としても大勝利を祝う宴に参加できないのは悔しいですから」

 私自身は全く不安を感じていないため、軽口で応える。何といっても“千里眼のマティアス”殿が太鼓判を押しているのだ。間違っても殺されるようなことはないだろう。

 そのラウシェンバッハ殿は閣下の後ろに立っており、いつも通りの微笑みを浮かべている。その笑みを見ると妙に安心する自分がおり、そのことにおかしさを感じ、自然と笑みが浮かんできた。

「何か注意する点はありますかな?」

 ラウシェンバッハ殿に尋ねてみると、彼は一枚の紙を渡してきた。

「私が思いつく注意点を羅列してあります。論理的にまとめていませんが、最低限注意していただければよいことだけを書いておりますので、フランケル副兵団長とも共有していただければ、交渉を有利に進められるでしょう」

 相変わらず用意がいいと更に笑みが強くなる。
 紙に視線を落とすと、最初に落としどころや交渉での言い回しなどが書かれていた。

 読み進めていくと自分の笑みが強張っていくのを感じた。なぜならそこにはリーツを心理的に追い詰める方法や今後の法国対応に繋げる方策まで書かれていたからだ。

「これは……いや、助かります。私ではここまで考えて交渉はできませんからな」

 私の言葉にグレーフェンベルク閣下が笑いながら頷く。

「それを見た時、マティアス君は相変わらずだと呆れたよ。まあ、それがあれば心に余裕ができるだろうから有用なことは間違いないのだがね」

 全く同感だ。
 更にラウシェンバッハ殿から簡単なレクチャーを受けた後、城門に向かった。

 城門ではフランケル殿が待っており、守備兵団の直属兵二十名ほどが護衛として控えている。その護衛兵のうち、八名が黒狼騎士団の軍旗で包まれた棺を担いでいる。

「リートミュラー団長の遺体かな」

「そうだ。グレーフェンベルク閣下から法国軍に渡すよう依頼されたからな」

 不本意そうな表情を浮かべているが、それは仕方ないだろう。
 守備兵団にとって黒狼騎士団は不倶戴天の敵だ。多くの仲間を殺したリートミュラーという男を個人的に憎んでいてもおかしくはない。

 そのことは特に話題にせず、私は出発を命じた。

「では、出発しようか」

 城門を出ると、兵士たちが法国兵の死体を処理していた。その中には十日前に捕らえた獣人奴隷たちもいる。彼らはラウシェンバッハ殿に報いたいと、死体の処理という誰もが嫌がる仕事を率先してやると言ってきたのだ。

 死体は装備を外した後、掘られたトンネルに運び込まれていく。その数は膨大だが、二千人以上が携わっているから、今日中に運び込むところまではできるだろう。ただ、埋め戻すには数日は必要だと思われた。

(よく生き残れたものだ……私が策を献じていたら、死体の山を作ったのは法国軍ではなく、王国軍だっただろう。私に軍師としての才能は全くないからな……)

 正直な思いだ。
 司令官室で地図と数字を見ながら策を練るなど、私には到底できない。

 戦いの最終盤で兵を指揮したが、こちらの方が私の性に合っていると実感し、いつも以上に心が躍ったほどだ。

 それでも今回の戦いで、成長したと感じている。
 ラウシェンバッハ殿のように常に冷静に対応する自信はないが、何を目指すのか、そのために何をしたらよいのかを考えることの重要性は、充分に理解できたからだ。

 戦場を後にし、カムラウ河を目指す。この辺りにも戦いの痕跡が残っていた。あの巨大な雲梯車が通った跡が残っていたのだ。
 馬を操りながら、フランケル殿にラウシェンバッハ殿から受けた注意事項などを伝えた。

 クロイツホーフ城が見えてくると、護衛たちの緊張が伝わってくる。
 フランケル殿も感じたようで、すぐに兵たちに声を掛けた。

「敵が我々を殺す気になら、何をしようが助からん。それなら怯えた姿など見せずに、堂々としておればよい」

 彼も今回の戦いで一皮剥けた感じだ。
 以前なら自信なさげな表情が多かったが、今の言葉のように泰然とした態度が多くなっている。

 クロイツホーフ城の城門に到着すると、すぐに門が開かれる。
 門の中には黒鳳騎士団のフィデリオ・リーツ団長が立っていた。

 漆黒の鎧は汚れこそ落としてあるものの、真新しい傷がいくつも付いており、戦いの後半、友軍を救うために奮戦したことを物語っていた。

「レヒト法国軍の責任者である黒鳳騎士団団長フィデリオ・リーツだ。交渉の結果いかんにかかわらず、この城に僅かな護衛で来た勇者に敬意を表し、無事に帰還できることは我が名誉に賭けて保証しよう」

 大敗北の後とは思えない気負いのない自然体に、尊敬の念が湧く。しかし、交渉の場で譲るつもりはなかった。

「グライフトゥルム王国第二騎士団参謀長ベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵だ。今回の交渉の全権を任されている。交渉に入る前に、黒狼騎士団のリートミュラー団長の遺体を引き渡したい」

「リートミュラー殿の遺体……真なのか?」

 棺を見て予想していたのだろうが、リーツはリートミュラーの遺体を何の条件も付けずに引き渡すということに驚きを隠せないようだ。

「彼は我が国にとって憎い敵ではあったが、勇将であったことも紛れもない事実だ。我々は勇者に対し敬意を払う度量を持っている。他の遺体は既に埋葬を始めているから引き渡すことはできぬが、彼を敬愛している黒狼騎士団の兵士たちに渡してやってくれ」

「ありがたいことだ……貴国の配慮に感謝する」

 リーツは私に向かってそういった後、後ろにいる副官らしき若者に命じた。

「黒狼騎士団に連絡してくれ。我々が運ぶより、かわいがっていた部下に運ばれた方がリートミュラー殿も喜ぶだろうからな」

 リーツは我々の配慮に感激しているようだ。
 しかし、これはラウシェンバッハ殿の深謀の一つだ。

 彼は生真面目で善良なリーツにある種の負い目を与えることで、交渉の場で譲歩を引き出しやすい状況を作った。

 更に黒狼騎士団の兵士に対しては、敬愛する団長の遺体を与えることで、リートミュラーのことを思い出させ、剛毅な団長なら卑怯な手段で意趣返しすることを嫌うだろうと考えさせる。

 すべての兵士がそう考えるかは分からないが、少なくとも兵士たちの間で揉めるだろうから優秀なリーツが気づき、軍馬に細工される前に防ぐことができると、ラウシェンバッハ殿は言っていた。


 城の中にある会議室に入ると、予め用意してあった公文書を取り出す。

「既に知っていると思うが、捕虜一名に対し、完全装備の軍馬二頭が引き渡しの条件だ。引き渡し場所はカムラウ河の北岸。軍馬を先に送り、数を確認した後、捕虜をそちらに返還する。既にグレーフェンベルク閣下の署名はいただいてある」

 捕虜解放の条件を伝え、文書を渡す。

「条件は一切譲らぬということか」

「当然であろう。我らにとって捕虜を生かしておく必要はないのだ。八千の死体が一万になったところで手間が多少増えるだけで、こちらが譲歩する理由がない。今回は南方教会領の鳳凰騎士団であったから、あえて生かしておいたが、我が国に侵攻を繰り返している神狼騎士団ならこのような面倒なことはせぬ」

「……」

 リーツは無言で考えている。

「聖都に確認してもよいが、その場合、捕虜は王都シュヴェーレンブルクに移送することになる。要衝であるヴェストエッケに二千もの敵を置いておくことはできんのでな」

「小官としても聖都に伺いを立てるつもりはない。だが、黒狼騎士団の軍馬については小官の権限が及ばん。それに黒狼騎士団には千人長が一人生き残っているだけだ。千人長では判断できんだろう」

「貴国の事情など我が国には関係がない。馬が足りぬなら、その分は諦めればよいだけだ。その場合は王国の安全のために処刑することになる……」

 そこでリーツは慌てて私の言葉を遮ってきた。

「ま、待ってくれ! 必ず要求通りにする!」

 ここまではラウシェンバッハ殿の思惑通りだ。
 リートミュラーの遺体を引き渡すことで、こちらが紳士的な対応をすると思わせる。更に神狼騎士団なら皆殺しにしたが、鳳凰騎士団だから生かしておいたと恩を着せる。

 更に王国が法国軍兵士を生かしておく必要はないとリーツに理解させた上で、交換できるだけで充分と言い切る。

 リーツは捕虜全員を助けようと考えているから、ここで焦りを感じ、いかにして全員を返還させるかということに意識が集中する。そのため、一人に対して二頭という条件自体に注文を付けられなくなる。

 あとはもう少しリーツを追い込めば、彼が黒狼騎士団を説得し、要求通りに軍馬を得ることができるだろう。

「ではこうしてはどうか」

 私が水を向けると、リーツは前のめりになる。

「とりあえず馬が足りる分だけ捕虜と交換し、二度目の交換を行う三日後までに残りの軍馬を用意する。それならば我々も捕虜を殺す必要はなくなるからな」

「それで頼む」

 リーツはそう言って大きく頭を下げる。

「では、捕虜交換は明日の朝八時。我々は第二騎士団五千と守備兵団三千の計八千が捕虜を護送する。そちらは非武装の兵士が馬を引き、カムラウ河を渡る。軍馬の数と状態を確認した後、見合った数の捕虜を引き渡す」

「そちらが裏切ったら我々は兵士と馬を失うことになる。我が軍も南岸に待機させたい」

「勘違いしているようだが、我々は勝者で、貴殿らは敗者だ。そして我が国は軍馬をそれほど欲しているわけではない。この条件が飲めないなら、交渉は決裂したと判断するが、それでよいな」

 私の言葉にリーツが黙り込む。
 そこでフランケル殿がテーブルをバーンと叩いた。

「これ以上ゴタゴタ言うのなら、引き渡しなどする必要はない! 第一、俺はこのようなことはいらんと思っているのだ! グレーフェンベルク閣下がおっしゃるから付き合っているにすぎん! シャイデマン殿! ヴェストエッケに戻るぞ!」

 演技ではなく、本気で怒っているようだ。

「フランケル殿、短慮はよくない。確かに我々は法国と違い、兵を大切にするが、これ以上恨みを買うようなことは慎むべきだ」

「しかし……」

「しばし待たれよ」

 フランケル殿の言葉を遮り、リーツに視線を向ける。

「では、こうしようではないか。貴国側も出せるだけの兵を出したらよい。但し、我が軍と貴軍は共に弓などの飛び道具を持たない。また、カムラウ河を渡る場合は、双方とも非武装の者に限る。これならばどうだろうか」

 ここで譲歩したように見せることで、リーツの心証を良くする。

「こちらにとっては願ってもないことだが、それでよいのだな」

「構わぬ。我々は国を守りたいだけで無暗に殺戮を行いたいわけではない。攻撃を受ければ、やられた以上にやり返させてもらうが、手を出してこぬのなら、こちらから手を出すことはせぬ」

 ラウシェンバッハ殿の狙いは、奇策を防ぐことだ。
 敵は一万名ほど生き残っているが、半数が大きく傷ついている。治癒魔導師の数は王国軍ほど多くなく、六千程度しか出してこないと想定している。

 更に指揮官の多くが失われており、軍としての能力は大きく落ちているとラウシェンバッハ殿は断言しているが、一方で懸念も示していた。

 その懸念とは敵が夜中に出陣してカムラウ河を渡河し、後方に回られることだ。一応、シャッテンの斥候隊を出して敵の動きは監視させるが、絶対はない。自暴自棄になった兵が無謀な突撃をしてきたら、第二騎士団でも軽くない損害を受けるはずだ。

 また、カムラウ河を挟んで対峙する場合でも、敵の弓兵は強力なため充分に射程内であり、リーツが戦いを望まなくても兵士が暴走する可能性がある。

 一度戦闘が始まれば、止めることは難しい。
 指揮官が不在であっても不意に攻撃を受け、混乱したところに突撃されたら、大きな損害を受ける恐れがある。

 そのため、飛び道具を持たずに動ける兵士すべてが出てきてくれた方が、安全を確保できると考えていたのだ。

 これが決め手となり、交渉は成功裏に終わった。
 最終的にラウシェンバッハ殿が落としどころと考えていたもののうち、最も有利な条件を勝ち取っている。

 それ以上に凄いのは、リーツを追い込む策は事前の説明通り過ぎて、背筋に冷たいものが流れたほどだった。

 クロイツホーフ城を出たところで、フランケル殿が話しかけてきた。

「結局、参謀長代理の考え通りになったな。本当に恐ろしい奴だ。そうは思わぬか?」

 私はその言葉に頷いた。

「確かにラウシェンバッハ殿の考え通りに進んだが、恐ろしいというのは当たらぬのではないか。彼は野心とは無縁で、祖国のことを第一に考えている。王国の敵にとっては恐ろしい相手かもしれんが、味方であればこれほど頼もしい者はいないと思うが」

「うむ。確かにそうなのだが、あれほど先を見通せるというのがなんともな……」

 その意見には賛同するが、口には出さなかった。
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