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第五章:「初陣編」
第三十五話「月夜の死闘:その四」
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統一暦一二〇三年八月十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城壁。第二騎士団中隊長ユリウス・フェルゲンハウアー
我々第四連隊に対する赤鳳騎士団の猛攻が一旦止んだ。
すぐに部下たちの状況を確認し、負傷者の応急処置と後送を指示する。そして、大隊長からの命令を待っている状況だ。
私は指揮する第二大隊第三中隊と共に、ヴェストエッケの城壁の銃眼に背を預け、束の間の休息を摂っている。
周囲の状況を気にしながらも、次の攻撃を凌げるのかと考えてしまう。
このままでは冷静さを保てない。少しでも不安を紛らわそうと、これまでのことを考え始めた。
私は九ヶ月前、名門シュヴェーレンブルク王立学院高等部の兵学部を、第五席という成績で卒業した。そして、国王陛下より直接“恩賜の短剣”を賜るという幸運に恵まれた。
もっとも“世紀末組”と呼ばれる統一暦一二〇〇年入学でなければ、首席を取れたはずだ。ラザファム、マティアス、イリスの“王都の三神童”と双剣ハルトという異常な連中が私を阻んだのだ。
首席を取れなかったことは残念だが、彼ら四人に対して負の感情はない。それどころか、彼らと同期であったことを神に感謝しているほどだ。
その理由だが、マティアスの存在が大きい。
彼がいたから、私は本当の意味で第二騎士団の中隊長になれたと思っている。仮にだが、別の年度に首席で卒業し、第二騎士団に入って中隊長になったとしても、この短い期間では指揮官として部下たちの信頼を勝ち取ることはできなかったと確信している。
私は王国西部のフェルゲンハウアー騎士爵家の三男として生まれた。
我がフェルゲンハウアー家は代々弓の名手を輩出する家として名を馳せており、私も幼い頃から東方武術の一つ、鳳天流弓術を学んだ。また、学問も苦手ではなく、地元では文武両道の天才と呼ばれていた。
今となっては恥ずかしい限りだが、田舎に住んでいたから私に匹敵する同世代の者はいないと思い上がっていた。しかし、兵学部に入ってすぐに、マティアスら三人に座学で全く及ばないことを知った。
その後、初めて行われた実技演習において、彼らと異なり指揮官としての心得を全く持ち合わせていないことを思い知らされた。
その時すでに増長していたことを痛感していたが、肥大したプライドが邪魔をし、彼らに教えを乞うことができなかった。
しかし、マティアスは私のような者にも惜しげもなく、その知識を伝授してくれた。今なら理由は分かるが、その時はライバルに塩を送るようなことをする変な奴だと思ったほどだ。
入学当初から彼の知識は抜きんでていた。彼と友人関係を結んだハルトムートはギリギリの成績で入学したにもかかわらず、メキメキと知識を身に着け、一年の終わりには私を追い抜いていた。
その結果を見て、私は心を入れ替えた。彼に教えを乞うことにしたのだ。
それからすぐにマティアスだけでなく、ラザファム、イリス、ハルトムートとも自然と仲がよくなり、ファーストネームで呼び合うまでになっている。
彼ら四人と親密になるにつれ、彼らの凄さを実感した。
すべてにおいて高い水準を見せるラザファム。そのラザファムに匹敵する能力を持ちながら、柔軟な発想を持つイリス。兵士の心を掴み、実力以上の力を引き出すことで演習では連戦連勝だったハルトムート。
そして、その三人に戦術を教えたマティアス。彼は演習で設定される戦略目的を完璧に理解した上で、その想定以上の成果を上げ、教官たちをいつも驚かせていた。
卒業後、私は第五席ということで、精鋭である第二騎士団に入り、分不相応な中隊長という地位を与えられたが、最初の一ヶ月ほどは眠れない夜が続くほど悩んだ。
特に悩んだのは部下との関係だ。
私は見た目がいかつく、ぶっきらぼうで口下手だ。
それにも関わらず、兵学部卒業のエリートとして中隊長となった。兵士はもちろん、直属の部下である叩き上げの小隊長たちとコミュニケーションが取れなかった。
上司や同僚とも出世を約束された“恩賜の短剣組”ということで、一歩引いた感じで接しられ、大隊の中で浮いた存在だと自覚していた。
私は解決策を見つけられず、マティアスに相談に行った。
彼は私の顔を見ただけで、何を悩んでいるのか理解した。
「ユリウスが悩んでいるのは人間関係だね」
余裕がなかった私は驚きの表情を見せてしまうが、すぐにマティアスならあり得ると考え直して頷いた。
「どう付き合っていいのか分からないんだ……」
彼は私の言葉にいつも通りの笑みを浮かべる。
「ラズと同じ悩みだね。彼の場合は伯爵家の嫡男という地位のために、部下が怯んでいる感じだけど」
あの天才ラザファムが、私と同じように人間関係で悩んでいたとは思わず、目を見開く。
「あまり深く考えなくていいよ」
優しい笑みでそう言われるが、素直に頷くことができない。
「何をしたらいいのか分からないんだが……」
「まずは部下の話を聞くところから始めたら? 話題が思いつかないなら弓の話でいい。弓兵隊なんだから。それに彼らも君の流派に興味を持っているだろうから、話が弾むんじゃないかな」
そんなことでいいのかと思ったが、次の日に小隊長たちと弓術の話をしたら思いの外、盛り上がった。そして、その流れから私の弓術の腕を見せると尊敬され、部下たちとのコミュニケーションがスムーズになった。
それだけで中隊を指揮することに自信が持てるようになり、同僚である中隊長や上司である大隊長とも話ができるようになった。
その結果、隊を掌握しただけでなく、他の隊との連携も上手くいくようになり、我が中隊はカムラウ河の戦いや城壁での攻防戦で目覚ましい活躍をしている。
これほど上手くいったのはマティアスの助言のお陰だが、恐らく裏で動いてくれたのだろう。そうでなければ、これほど簡単に解決するはずがない。
そして昨日の夕方、レヒト法国軍が大規模な攻勢を掛けてくるという話があった。
やる気になっていると、マティアスがふらりと私のところにやってきた。いつも一緒にいるイリスの姿はなく、護衛であるカルラがいるだけだった。
彼はいつも通りの優しい笑みで話しかけてきた。
「ユリウスに聞きたいことがあるんだけど」
「私に?」
何でも知っている彼が何を聞きたいのかと、思わず聞き返してしまう。
「城壁の上から二百メートル以内の止まっている標的なら、確実に撃ち抜けると思っているんだけど、あっているかな」
止まっている標的なら自信はあるので頷く。
「連隊長には後で説明しておくけど、今夜の戦いで敵の指揮官を狙撃してほしい。狙いは鳳凰騎士団の三人いる騎士団長のうちの誰かだ」
彼がそう言うと、カルラが矢筒を渡してきた。その中には真っ黒に塗られた矢が二十本ほど入っている。
いつの間にそんなものを用意していたのかと唖然としていると、マティアスは更に説明を続けていく。
「標的はこちらから指示する。具体的には大体の場所と特徴を伝えるから、その標的をその矢で狙撃してほしい」
「上が認めるならやることに否はないが、私でも法国軍の鎧を貫通させることは難しいぞ」
「君なら顔や首を狙えると思っているんだが、それでも難しいかな」
「確実に当てるなら百メートル以内だな。それもはっきりと標的が見えた上で、数秒間動かないという条件が付くが」
身体強化を使えば、三百メートルは飛ばすことができるから、二百メートルは充分に射程内だ。
しかし、風の影響を受けることと、顔や首がはっきり見えなければならないことを考えると、篝火で照らされているという条件かつ百メートル以内でなければ不可能だろう。
「分かった。あとはこちらから指示があるまで、五十メートルより遠くにいる敵を狙わないでほしい」
最初は意味が分からなかったが、少し考えて理由を思いつく。
「……敵を油断させるためか」
「その通り。これまでも隊ごとに標的を選んでいたから五十メートル以上離れた敵をほとんど攻撃しなかった。だから、敵は射程外だと思っているはずだ。その油断を突く」
相変わらず恐ろしいことを考えると思うが、面白いとも思った。
「では、武運を祈っているよ」
それだけ言うと、彼は去っていった。
その後、大隊長から同じような話があった。
「ラウシェンバッハ参謀長代理から話は聞いていると思うが、敵の指揮官を狙撃してもらう……上手くいけば敵の総大将、白鳳騎士団のロズゴニー団長を仕留めることができる。期待しているぞ」
夜になると敵襲ということで叩き起こされる。
連隊長の訓示があり、我々の敵は赤鳳騎士団になる可能性が高いと知った。
大隊長が再び現れ、私の肩に手を置く。
「プロイスは鳳凰騎士団でも随一の弓の名手らしい。お前の腕で引導を渡してやれ」
エドムント・プロイスは身体強化を使った弓術で武勲を挙げてきたと教えられる。
そんなことを考えていると、伝令がやってきた。
「フェルゲンハウアー中隊長への命令をお伝えします」
私が頷くとすぐに具体的な指示を伝えてくる。
「狙撃のタイミングになったら、参謀長代理の配下が敵の指揮官、プロイス騎士団長の周囲に灯りの魔導具をばら撒くそうです。騎士団長の兜には大きな羽飾りがあるとのこと。その人物を狙ってほしいとのことです」
「承知した」
それだけ答えると、伝令はすぐに離れていった。
「信頼されていますね」
部下の一人が小声で話しかけてきた。
「そうならいいんだがな」
そう言って苦笑する。
「ですが、千里眼のマティアス様の直々のご指名ですよ」
「奴のことだ。私が失敗しても別の策でカバーするはずだ。気楽に狙うよ」
こう言った時にハルトムートのように気の利いたことが言えればいいのだが、それができない。
それから数分後、激しい戦闘が再開された。
先ほどと同じように、プロイス自身が指揮しているらしい弓兵隊が集中攻撃を加えてくる。そのため、我ら第三中隊の前にいる第二中隊の兵士がその矢を受けて倒れていく。
第二中隊の兵士が倒れると、すぐにその穴を目掛けて敵兵が登ってくる。第二中隊も倍する敵を持て余し、少しずつ押し込まれていく。
しかし、我々も手を拱いているだけではない。
「第三中隊、集中射撃用意! 第二中隊はタイミングを間違えるな!」
大隊長の声が響く。
そして、カンカンという鐘の音と大隊長の命令が被った。
「三、二、一……」
その直後、カーンという高い音と共に大隊長の怒号のような「放て!」という命令が聞こえた。
「放て!」
大隊長の命令に私も声を合わせると、自らの弓弦を放す。
我が第三中隊の約百本の矢が二十人ほどの敵兵に突き刺さる。重装備の法国兵であってもこの攻撃には耐えられない。ハリネズミのようになって城壁から落ちていく。
同じような戦いが何度か続いたところで、連隊長の命令が聞こえてきた。
「フェルゲンハウアー! 出番だ!」
その声で城壁の向こう側に視線を向ける。
百メートルほど先で灯りの魔導具が振られていた。すぐに漆黒の矢を番え、弓を引き絞っていく。
射撃体勢になったちょうどその時、十個ほどの灯りが弧を描いて投げられた。
その光を受けた場所には十人ほどの敵兵が立っており、その中にひと際目立つ兜の将の姿が浮かび上がる。
慌てているのか、周囲を見回しているが、身体自体は動いておらず、慎重に狙いを付けていく。
標的であるプロイスは副官らしき者に向かって怒鳴り散らしており、完全に動きが止まっていた。
弓弦を放すとビュンという高い音が響き、矢が飛んでいった。しかし、漆黒の矢は夜の闇の中に消え、放った私にもどこを飛んでいるのか分からない。
第二射目を用意しようとした時、プロイスらしき人物が音もなく倒れていく。はっきりとは見えないが、喉に命中したようだ。
「やったぞ!」
見ていた部下が歓声を上げるが、私はそれに構わず、プロイスを抱え上げた副官らしき者に狙いを付ける。
プロイスが邪魔になって狙いにくいが、部下に命令を出すため顔を上げたタイミングで矢を放った。
これも見事に命中する。
更にプロイスの近くにいた敵を狙撃していく。これもマティアスから頼まれていたことで、騎士団の指揮命令系統を破壊するために、騎士団長の側近をできるだけ倒してほしいと言われていたのだ。
「敵将プロイスを討ち取ったぞ! 一気に畳みかけろ!」
連隊長の命令を聞き、王国軍が息を吹き返す。
逆に法国軍は動揺し、先ほどまでの勢いが完全になくなっていた。
私はマティアスの依頼通りにできたことに安堵しながら、更なる獲物を求めて弓を引き絞っていく。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城壁。第二騎士団中隊長ユリウス・フェルゲンハウアー
我々第四連隊に対する赤鳳騎士団の猛攻が一旦止んだ。
すぐに部下たちの状況を確認し、負傷者の応急処置と後送を指示する。そして、大隊長からの命令を待っている状況だ。
私は指揮する第二大隊第三中隊と共に、ヴェストエッケの城壁の銃眼に背を預け、束の間の休息を摂っている。
周囲の状況を気にしながらも、次の攻撃を凌げるのかと考えてしまう。
このままでは冷静さを保てない。少しでも不安を紛らわそうと、これまでのことを考え始めた。
私は九ヶ月前、名門シュヴェーレンブルク王立学院高等部の兵学部を、第五席という成績で卒業した。そして、国王陛下より直接“恩賜の短剣”を賜るという幸運に恵まれた。
もっとも“世紀末組”と呼ばれる統一暦一二〇〇年入学でなければ、首席を取れたはずだ。ラザファム、マティアス、イリスの“王都の三神童”と双剣ハルトという異常な連中が私を阻んだのだ。
首席を取れなかったことは残念だが、彼ら四人に対して負の感情はない。それどころか、彼らと同期であったことを神に感謝しているほどだ。
その理由だが、マティアスの存在が大きい。
彼がいたから、私は本当の意味で第二騎士団の中隊長になれたと思っている。仮にだが、別の年度に首席で卒業し、第二騎士団に入って中隊長になったとしても、この短い期間では指揮官として部下たちの信頼を勝ち取ることはできなかったと確信している。
私は王国西部のフェルゲンハウアー騎士爵家の三男として生まれた。
我がフェルゲンハウアー家は代々弓の名手を輩出する家として名を馳せており、私も幼い頃から東方武術の一つ、鳳天流弓術を学んだ。また、学問も苦手ではなく、地元では文武両道の天才と呼ばれていた。
今となっては恥ずかしい限りだが、田舎に住んでいたから私に匹敵する同世代の者はいないと思い上がっていた。しかし、兵学部に入ってすぐに、マティアスら三人に座学で全く及ばないことを知った。
その後、初めて行われた実技演習において、彼らと異なり指揮官としての心得を全く持ち合わせていないことを思い知らされた。
その時すでに増長していたことを痛感していたが、肥大したプライドが邪魔をし、彼らに教えを乞うことができなかった。
しかし、マティアスは私のような者にも惜しげもなく、その知識を伝授してくれた。今なら理由は分かるが、その時はライバルに塩を送るようなことをする変な奴だと思ったほどだ。
入学当初から彼の知識は抜きんでていた。彼と友人関係を結んだハルトムートはギリギリの成績で入学したにもかかわらず、メキメキと知識を身に着け、一年の終わりには私を追い抜いていた。
その結果を見て、私は心を入れ替えた。彼に教えを乞うことにしたのだ。
それからすぐにマティアスだけでなく、ラザファム、イリス、ハルトムートとも自然と仲がよくなり、ファーストネームで呼び合うまでになっている。
彼ら四人と親密になるにつれ、彼らの凄さを実感した。
すべてにおいて高い水準を見せるラザファム。そのラザファムに匹敵する能力を持ちながら、柔軟な発想を持つイリス。兵士の心を掴み、実力以上の力を引き出すことで演習では連戦連勝だったハルトムート。
そして、その三人に戦術を教えたマティアス。彼は演習で設定される戦略目的を完璧に理解した上で、その想定以上の成果を上げ、教官たちをいつも驚かせていた。
卒業後、私は第五席ということで、精鋭である第二騎士団に入り、分不相応な中隊長という地位を与えられたが、最初の一ヶ月ほどは眠れない夜が続くほど悩んだ。
特に悩んだのは部下との関係だ。
私は見た目がいかつく、ぶっきらぼうで口下手だ。
それにも関わらず、兵学部卒業のエリートとして中隊長となった。兵士はもちろん、直属の部下である叩き上げの小隊長たちとコミュニケーションが取れなかった。
上司や同僚とも出世を約束された“恩賜の短剣組”ということで、一歩引いた感じで接しられ、大隊の中で浮いた存在だと自覚していた。
私は解決策を見つけられず、マティアスに相談に行った。
彼は私の顔を見ただけで、何を悩んでいるのか理解した。
「ユリウスが悩んでいるのは人間関係だね」
余裕がなかった私は驚きの表情を見せてしまうが、すぐにマティアスならあり得ると考え直して頷いた。
「どう付き合っていいのか分からないんだ……」
彼は私の言葉にいつも通りの笑みを浮かべる。
「ラズと同じ悩みだね。彼の場合は伯爵家の嫡男という地位のために、部下が怯んでいる感じだけど」
あの天才ラザファムが、私と同じように人間関係で悩んでいたとは思わず、目を見開く。
「あまり深く考えなくていいよ」
優しい笑みでそう言われるが、素直に頷くことができない。
「何をしたらいいのか分からないんだが……」
「まずは部下の話を聞くところから始めたら? 話題が思いつかないなら弓の話でいい。弓兵隊なんだから。それに彼らも君の流派に興味を持っているだろうから、話が弾むんじゃないかな」
そんなことでいいのかと思ったが、次の日に小隊長たちと弓術の話をしたら思いの外、盛り上がった。そして、その流れから私の弓術の腕を見せると尊敬され、部下たちとのコミュニケーションがスムーズになった。
それだけで中隊を指揮することに自信が持てるようになり、同僚である中隊長や上司である大隊長とも話ができるようになった。
その結果、隊を掌握しただけでなく、他の隊との連携も上手くいくようになり、我が中隊はカムラウ河の戦いや城壁での攻防戦で目覚ましい活躍をしている。
これほど上手くいったのはマティアスの助言のお陰だが、恐らく裏で動いてくれたのだろう。そうでなければ、これほど簡単に解決するはずがない。
そして昨日の夕方、レヒト法国軍が大規模な攻勢を掛けてくるという話があった。
やる気になっていると、マティアスがふらりと私のところにやってきた。いつも一緒にいるイリスの姿はなく、護衛であるカルラがいるだけだった。
彼はいつも通りの優しい笑みで話しかけてきた。
「ユリウスに聞きたいことがあるんだけど」
「私に?」
何でも知っている彼が何を聞きたいのかと、思わず聞き返してしまう。
「城壁の上から二百メートル以内の止まっている標的なら、確実に撃ち抜けると思っているんだけど、あっているかな」
止まっている標的なら自信はあるので頷く。
「連隊長には後で説明しておくけど、今夜の戦いで敵の指揮官を狙撃してほしい。狙いは鳳凰騎士団の三人いる騎士団長のうちの誰かだ」
彼がそう言うと、カルラが矢筒を渡してきた。その中には真っ黒に塗られた矢が二十本ほど入っている。
いつの間にそんなものを用意していたのかと唖然としていると、マティアスは更に説明を続けていく。
「標的はこちらから指示する。具体的には大体の場所と特徴を伝えるから、その標的をその矢で狙撃してほしい」
「上が認めるならやることに否はないが、私でも法国軍の鎧を貫通させることは難しいぞ」
「君なら顔や首を狙えると思っているんだが、それでも難しいかな」
「確実に当てるなら百メートル以内だな。それもはっきりと標的が見えた上で、数秒間動かないという条件が付くが」
身体強化を使えば、三百メートルは飛ばすことができるから、二百メートルは充分に射程内だ。
しかし、風の影響を受けることと、顔や首がはっきり見えなければならないことを考えると、篝火で照らされているという条件かつ百メートル以内でなければ不可能だろう。
「分かった。あとはこちらから指示があるまで、五十メートルより遠くにいる敵を狙わないでほしい」
最初は意味が分からなかったが、少し考えて理由を思いつく。
「……敵を油断させるためか」
「その通り。これまでも隊ごとに標的を選んでいたから五十メートル以上離れた敵をほとんど攻撃しなかった。だから、敵は射程外だと思っているはずだ。その油断を突く」
相変わらず恐ろしいことを考えると思うが、面白いとも思った。
「では、武運を祈っているよ」
それだけ言うと、彼は去っていった。
その後、大隊長から同じような話があった。
「ラウシェンバッハ参謀長代理から話は聞いていると思うが、敵の指揮官を狙撃してもらう……上手くいけば敵の総大将、白鳳騎士団のロズゴニー団長を仕留めることができる。期待しているぞ」
夜になると敵襲ということで叩き起こされる。
連隊長の訓示があり、我々の敵は赤鳳騎士団になる可能性が高いと知った。
大隊長が再び現れ、私の肩に手を置く。
「プロイスは鳳凰騎士団でも随一の弓の名手らしい。お前の腕で引導を渡してやれ」
エドムント・プロイスは身体強化を使った弓術で武勲を挙げてきたと教えられる。
そんなことを考えていると、伝令がやってきた。
「フェルゲンハウアー中隊長への命令をお伝えします」
私が頷くとすぐに具体的な指示を伝えてくる。
「狙撃のタイミングになったら、参謀長代理の配下が敵の指揮官、プロイス騎士団長の周囲に灯りの魔導具をばら撒くそうです。騎士団長の兜には大きな羽飾りがあるとのこと。その人物を狙ってほしいとのことです」
「承知した」
それだけ答えると、伝令はすぐに離れていった。
「信頼されていますね」
部下の一人が小声で話しかけてきた。
「そうならいいんだがな」
そう言って苦笑する。
「ですが、千里眼のマティアス様の直々のご指名ですよ」
「奴のことだ。私が失敗しても別の策でカバーするはずだ。気楽に狙うよ」
こう言った時にハルトムートのように気の利いたことが言えればいいのだが、それができない。
それから数分後、激しい戦闘が再開された。
先ほどと同じように、プロイス自身が指揮しているらしい弓兵隊が集中攻撃を加えてくる。そのため、我ら第三中隊の前にいる第二中隊の兵士がその矢を受けて倒れていく。
第二中隊の兵士が倒れると、すぐにその穴を目掛けて敵兵が登ってくる。第二中隊も倍する敵を持て余し、少しずつ押し込まれていく。
しかし、我々も手を拱いているだけではない。
「第三中隊、集中射撃用意! 第二中隊はタイミングを間違えるな!」
大隊長の声が響く。
そして、カンカンという鐘の音と大隊長の命令が被った。
「三、二、一……」
その直後、カーンという高い音と共に大隊長の怒号のような「放て!」という命令が聞こえた。
「放て!」
大隊長の命令に私も声を合わせると、自らの弓弦を放す。
我が第三中隊の約百本の矢が二十人ほどの敵兵に突き刺さる。重装備の法国兵であってもこの攻撃には耐えられない。ハリネズミのようになって城壁から落ちていく。
同じような戦いが何度か続いたところで、連隊長の命令が聞こえてきた。
「フェルゲンハウアー! 出番だ!」
その声で城壁の向こう側に視線を向ける。
百メートルほど先で灯りの魔導具が振られていた。すぐに漆黒の矢を番え、弓を引き絞っていく。
射撃体勢になったちょうどその時、十個ほどの灯りが弧を描いて投げられた。
その光を受けた場所には十人ほどの敵兵が立っており、その中にひと際目立つ兜の将の姿が浮かび上がる。
慌てているのか、周囲を見回しているが、身体自体は動いておらず、慎重に狙いを付けていく。
標的であるプロイスは副官らしき者に向かって怒鳴り散らしており、完全に動きが止まっていた。
弓弦を放すとビュンという高い音が響き、矢が飛んでいった。しかし、漆黒の矢は夜の闇の中に消え、放った私にもどこを飛んでいるのか分からない。
第二射目を用意しようとした時、プロイスらしき人物が音もなく倒れていく。はっきりとは見えないが、喉に命中したようだ。
「やったぞ!」
見ていた部下が歓声を上げるが、私はそれに構わず、プロイスを抱え上げた副官らしき者に狙いを付ける。
プロイスが邪魔になって狙いにくいが、部下に命令を出すため顔を上げたタイミングで矢を放った。
これも見事に命中する。
更にプロイスの近くにいた敵を狙撃していく。これもマティアスから頼まれていたことで、騎士団の指揮命令系統を破壊するために、騎士団長の側近をできるだけ倒してほしいと言われていたのだ。
「敵将プロイスを討ち取ったぞ! 一気に畳みかけろ!」
連隊長の命令を聞き、王国軍が息を吹き返す。
逆に法国軍は動揺し、先ほどまでの勢いが完全になくなっていた。
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