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第五章:「初陣編」
第二十七話「敵の思惑」
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統一暦一二〇三年八月一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
昨日の戦いから一夜明けた。
兵士たちは未だに大勝利に酔っている感じが見られるが、指揮官クラスは法国軍の攻撃が激しくなることを警戒し、厳しい表情を浮かべている者が多い。
朝食後、私は昨日捕虜にした獣人奴隷たちの様子を見に、彼らに与えられた兵舎に向かった。
同行するのはいつも通りイリスとカルラだ。私はいつも通りの軽装だが、二人は朝食を食べる前から装備を整えていた。理由を聞くと、夜襲を警戒していたとのことだ。
兵舎は念のため南門から最も遠い場所を選んでおり、十分ほど歩くことになる。
その間に影の統括者、ユーダ・カーンが合流し、クロイツホーフ城の状況を聞いていく。
「兵士たちの間はまだ険悪なままですが、黒鳳騎士団のリーツ団長が積極的に動いており、決定的なところまでは至っておりません。それどころか、黒狼騎士団のリートミュラー団長も我々の存在に気づいたらしく、調査を始めております」
「潜入している影の方が見つかる可能性はありますか? もし危険なら脱出していただきたいのですが」
貴重な影を失うということもあるが、それ以上に間者がいたという事実を知られたくない。
「その点は問題ございません。元々レヒト法国は諜報関係に疎いですので、どのように調べたらよいかすら分かっておらぬようです。現在は闇雲に聞き取りを行っているだけで、見破られる恐れはないと報告を受けております」
レヒト法国は既に消滅した魔導師の塔、魔象界の恩寵という組織が母体だ。
魔象界の恩寵は魔導や魔導具を使い、魔象界のエネルギーを積極的に利用しようと考えていたため、世界の崩壊を防ぐ代行者、四聖獣によって滅ぼされた。
その際に運よく生き残った下級魔導師たちがトゥテラリィ教を立ち上げ、そこからレヒト法国が誕生したため、この国に手を貸す魔導師の塔は存在しない。
その結果、どの国にも間者や暗殺者を派遣する真理の探究者ですら、レヒト法国には真実の番人の間者を貸し出すことはない。
一応、自国で間者を育てようとしているが、三つの塔の間者と比較するのもおこがましいほど質は低い。
余談だが、レヒト法国は間者を育てられなかったことが響き、グライフトゥルム王国の支援を受けたグランツフート共和国に独立を許している。
その後、今日の夜から夜襲を行おうとしていることなどを聞き、更なる情報収集を依頼してから別れる。
義勇兵の歩哨が警備する兵舎に到着する。
歩哨にあいさつした後、中に入っていくが、思いのほか静かだった。
生き残っていた獣人は約七百名だが、その多くが骨折や火傷を負い、更にほとんどの者が熱中症になっていた。
負傷者には治癒魔導師による治療を行い、全員に水分と糖分、塩分などを与え、安静にしたことで、その多くが回復しつつある。真夏の作戦であるにもかかわらず、鎖で逃げられないようにした上、水分すら用意しなかった法国軍に、私は強い怒りを覚えている。
最初に声を掛けた熊獣人族のゲルティ・ベーアをとりあえずの代表者に指名し、彼らの一族を救出するために動き出したことを報告する。
「先ほど聖都に向けて伝令を走らせました。恐らく二十日頃には担当者に接触し、今月中にはハーセナイで交渉に入れると思います」
ゲルティは安堵の表情を見せた後、頭を下げる。
「ありがたいことだ。俺たちにできることがあれば、なんでも言ってくれ」
「まずは身体を回復させることを第一に考えてください。あとは今夜辺りから法国軍が夜襲を掛けてきますので、窮屈だとは思いますが、この兵舎から出ないようにお願いしたいと思います」
「分かっている。俺たちは元々敵だったんだからな」
「何か困ったことがあれば、歩哨に立っている義勇兵の責任者に伝えてください。私も毎日顔を出すつもりですので、その際でも構いません」
「分かった。何から何まで済まねぇ」
そう言って頭を下げる。
悪役プロレスラーのような強面だが、仲間想いのいい族長のようだ。
ゲルティとの話を終え、司令官室に向かう。
その途中、イリスが話し掛けてきた。
「彼らは問題なさそうね。でも義勇兵の方が気になったわ」
「私も同じだよ。これまで捕虜になる敵はいなかったし、獣人の決死隊には何度も痛い目に合っているから、緊張しているんだろうね」
レヒト法国軍では投降することが禁じられているわけではないが、グライフトゥルム王国側が投降を認めずに殺してしまうことが多い。
これはレヒト法国軍の兵士が身体強化を使えるため、下手に捕虜にすると、自力で拘束から抜け出して破壊工作を行うからだ。実際、百人ほどの兵を捕虜とし、牢に収容したが、脱獄されて大混乱に陥ったことがあったらしい。
また、王国軍は基本的に城から打って出ることがなく、捕虜になる可能性が低い。そのため、捕虜交換が行われることはなく、捕虜を得てしまうと長く管理しなくてはならない。それなら最初から面倒にならないように、殺してしまった方がいいとなったらしい。
ジュネーブ条約のような戦争に関する国際条約がなく、人権意識も皆無であるため仕方がないのだが、二十一世紀の日本人であった私としてはこれでいいのかと思わないでもない。
「念のため、ジーゲル閣下とフランケル副兵団長にはもう一度お願いしておこうと思っているよ。あの二人から言われて無視することはないだろうから」
「そうね。それがいいわ」
そんな話をしながら司令官室に入る。
まだ、騎士団長たち司令官クラスは誰もいないが、第二騎士団の参謀長、ベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵は部下の参謀たちと昨日の戦闘に関する記録を整理していた。
「おはようございます」
シャイデマン男爵が笑顔で挨拶を返してきた。
「おはようございます。昨日は遅くまで対応されていたのに早いですな」
男爵はカムラウ河の戦い以降、私に対して敬語を使うようになっている。
私は彼の部下であり、子爵家を継いでいるわけでもないので、敬語は不要と言っているのだが、敬意を表するためと言って聞いてくれない。
彼の部下の参謀たちはそのことを不愉快そうに見ていた。学院を出たばかりの若造が上司になるだけでなく、王国一の名将が手放しで褒め、更に歴戦の参謀長が敬意を示していることが気に入らないのだろう。
ただ、最近では慣れてきたのか、私のことを評価したのかは分からないが、敵意を見せない者が多くなりつつある。
「遅くまで働いていましたが、昼間は意外と暇でしたから、それほど疲れていませんよ」
実際、総司令部で守備兵団のハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍の補佐をしていたが、現地でほとんど対処していたため、私の出番はあまりなかった。
「ご謙遜を。昨日はラウシェンバッハ殿の準備した策のお陰で助かりましたぞ。あれがなければ勝てたかどうかも怪しかったと思っておりますよ」
参謀長の言葉に伝令たちが頷いている。
彼らも前線で戦いを目の当たりにしており、実感しているようだ。
「お手伝いすることがあれば、何でもおっしゃってください。敵は夜襲を仕掛けてくるようですから、今のところ急いですることがありませんから」
臨時の参謀に過ぎない私には参謀長のような事務仕事はなく、また騎士団長たちのように部下のケアをすることもない。情報収集は影に任せており、今のところすることがない。
「それでしたら、午前中はゆっくりお休みください。午後には作戦会議がありますが、午前中は急いですべきことはありませんから」
そう言われても困るが、これ以上話していると邪魔になると思い、法国軍がどんな戦術を使ってくるか、イリスと一緒に考えようとした。
それを始めようとしたところで、先ほど別れたばかりのユーダが私の下に現れた。
「先ほど潜入している影から至急の報告がありました。敵が奇策を考えているようです」
その言葉を聞きつけ、シャイデマン男爵も私の近くやってきた。
「具体的にはどのような奇策なのだろうか?」
男爵の問いにユーダは小さく頷くと、周辺地図が張られている壁に向かう。
「ヴァイスホルン山脈を踏破し、ヴェストエッケの北側に約二千の兵を送り込む策です」
ヴァイスホルン山脈には三千メートル級の山々が連なる。更に大型の魔獣が跋扈し、これまで一度も成功したことがないはずだ。
「誰が提案したのでしょうか?」
「赤鳳騎士団のエドムント・プロイス団長です。白鳳騎士団のギーナ・ロズゴニー団長もそれを承認したと噂になっているそうです」
「でも、ヴァイスホルン山脈を通ることは不可能だという話だったはずよ。黒狼騎士団のリートミュラー団長は反対しなかったのかしら?」
イリスの疑問にユーダが答える。
「黒鳳騎士団のリーツ団長と共に止めたそうです。ですが、赤鳳騎士団は災害級の魔獣であるキメラやサイクロプスの討伐の実績があるから問題ないと押し切ったそうです」
災害級とは町や村が全滅するレベルの魔獣で、通常は一流の狩人である金級が数十人か、職業軍人で構成された数百人規模の軍隊が必要と言われている。
法国軍の兵士は金級には及ばないものの、それに準ずる能力を持っているため、二千人であれば十分対応できると思ったのだろう。
確かに平地であれば対応できる。しかし、ヴァイスホルン山脈は足場が悪く、数の優位を生かせない。
これは神狼騎士団が何度も挑戦し失敗することで証明されており、事実上不可能な作戦とされているはずだ。
「リートミュラー団長も反対したのですか……なるほど……」
私がそう呟くと、シャイデマン男爵が聞いてきた。
「どういうことですかな?」
「ロズゴニー団長とプロイス団長はリートミュラー団長が反対したのは、赤鳳騎士団に手柄を上げさせないためだと考えたのではないかと思ったのです。あるいは自分たちが何度も失敗した作戦を成功させられると面目を失うと思って反対したのだと思ったのかもしれません」
「なるほど。確かに考えられますな」
男爵はそう言って頷く。
「本当にそうかしら?」
イリスが疑問を口にした。
「どういうことかな?」
男爵が私に代わって尋ねる。
「山脈を踏破する作戦は何百年も前から何度も失敗しています。ロズゴニー団長もプロイス団長も当然知っているはずです」
イリスの言う通り、グライフトゥルム王国とレヒト法国は休戦を挟みながら、千年近く国境紛争を続けている。そして、ヴァイスホルン山脈に軍隊を入れることの愚かさも染み付いているはずだ。
「確かにそうだね」
私が頷くと、イリスは説明を続けていく。
「それに山脈を踏破する作戦を考えていたのなら、今回の雲梯車による攻撃と連動させるはずです。鳳凰騎士団は七月二十三日に到着しているのですから、時間的には十分可能ですので。それが突然方針を変えました。おかしいと思いませんか」
男爵が重々しく頷く。
「なるほど。イリス殿のおっしゃることには一理ある」
「昨日の敗戦で自暴自棄になったという可能性もないでもないが、まだ全軍の八割以上が残っている。この状況で可能性がゼロに等しい作戦を強行する理由はないな……」
そこであることに気づいた。
「ユーダさんの話では、法国軍はこちらの諜報員を炙り出そうとしている。そう考えると、この無茶な策はこちらの諜報員を狩り出すことが目的かもしれないな……」
「私もそう思うわ。それに私なら、あえて王国軍にこの情報を流して、法国軍が本気で攻めてくるのは別動隊が到着してからと考えるように誘導するわ。そして、それを逆手に取る形で、油断している今夜のうちに大規模な夜襲を仕掛けるわね」
イリスの考えは合理的だと感心する。
「その可能性は充分にあるね。リーツ団長ならこちらが何らかの方法で情報を入手していると気づいているだろうから。それに山脈を強行突破するより成功率は高いし、だからと言って、こちらに積極的にできることは少ない。法国軍にとってはリスクが少ない策だと言えるね」
私たちの会話を聞き、男爵が微笑む。
「夫婦そろって素晴らしい戦術家ですな。いや、まだ婚約だけでしたな。失礼」
男爵の言葉に私とイリスは同時に顔を赤らめる。
「いずれにしてもクロイツホーフ城からの情報は今後少なくなると考えるべきです。我々にできることは警戒を強めることくらいですが、何かできることはないか、考えてみましょう」
それだけ言うと、作戦を考え始めた。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
昨日の戦いから一夜明けた。
兵士たちは未だに大勝利に酔っている感じが見られるが、指揮官クラスは法国軍の攻撃が激しくなることを警戒し、厳しい表情を浮かべている者が多い。
朝食後、私は昨日捕虜にした獣人奴隷たちの様子を見に、彼らに与えられた兵舎に向かった。
同行するのはいつも通りイリスとカルラだ。私はいつも通りの軽装だが、二人は朝食を食べる前から装備を整えていた。理由を聞くと、夜襲を警戒していたとのことだ。
兵舎は念のため南門から最も遠い場所を選んでおり、十分ほど歩くことになる。
その間に影の統括者、ユーダ・カーンが合流し、クロイツホーフ城の状況を聞いていく。
「兵士たちの間はまだ険悪なままですが、黒鳳騎士団のリーツ団長が積極的に動いており、決定的なところまでは至っておりません。それどころか、黒狼騎士団のリートミュラー団長も我々の存在に気づいたらしく、調査を始めております」
「潜入している影の方が見つかる可能性はありますか? もし危険なら脱出していただきたいのですが」
貴重な影を失うということもあるが、それ以上に間者がいたという事実を知られたくない。
「その点は問題ございません。元々レヒト法国は諜報関係に疎いですので、どのように調べたらよいかすら分かっておらぬようです。現在は闇雲に聞き取りを行っているだけで、見破られる恐れはないと報告を受けております」
レヒト法国は既に消滅した魔導師の塔、魔象界の恩寵という組織が母体だ。
魔象界の恩寵は魔導や魔導具を使い、魔象界のエネルギーを積極的に利用しようと考えていたため、世界の崩壊を防ぐ代行者、四聖獣によって滅ぼされた。
その際に運よく生き残った下級魔導師たちがトゥテラリィ教を立ち上げ、そこからレヒト法国が誕生したため、この国に手を貸す魔導師の塔は存在しない。
その結果、どの国にも間者や暗殺者を派遣する真理の探究者ですら、レヒト法国には真実の番人の間者を貸し出すことはない。
一応、自国で間者を育てようとしているが、三つの塔の間者と比較するのもおこがましいほど質は低い。
余談だが、レヒト法国は間者を育てられなかったことが響き、グライフトゥルム王国の支援を受けたグランツフート共和国に独立を許している。
その後、今日の夜から夜襲を行おうとしていることなどを聞き、更なる情報収集を依頼してから別れる。
義勇兵の歩哨が警備する兵舎に到着する。
歩哨にあいさつした後、中に入っていくが、思いのほか静かだった。
生き残っていた獣人は約七百名だが、その多くが骨折や火傷を負い、更にほとんどの者が熱中症になっていた。
負傷者には治癒魔導師による治療を行い、全員に水分と糖分、塩分などを与え、安静にしたことで、その多くが回復しつつある。真夏の作戦であるにもかかわらず、鎖で逃げられないようにした上、水分すら用意しなかった法国軍に、私は強い怒りを覚えている。
最初に声を掛けた熊獣人族のゲルティ・ベーアをとりあえずの代表者に指名し、彼らの一族を救出するために動き出したことを報告する。
「先ほど聖都に向けて伝令を走らせました。恐らく二十日頃には担当者に接触し、今月中にはハーセナイで交渉に入れると思います」
ゲルティは安堵の表情を見せた後、頭を下げる。
「ありがたいことだ。俺たちにできることがあれば、なんでも言ってくれ」
「まずは身体を回復させることを第一に考えてください。あとは今夜辺りから法国軍が夜襲を掛けてきますので、窮屈だとは思いますが、この兵舎から出ないようにお願いしたいと思います」
「分かっている。俺たちは元々敵だったんだからな」
「何か困ったことがあれば、歩哨に立っている義勇兵の責任者に伝えてください。私も毎日顔を出すつもりですので、その際でも構いません」
「分かった。何から何まで済まねぇ」
そう言って頭を下げる。
悪役プロレスラーのような強面だが、仲間想いのいい族長のようだ。
ゲルティとの話を終え、司令官室に向かう。
その途中、イリスが話し掛けてきた。
「彼らは問題なさそうね。でも義勇兵の方が気になったわ」
「私も同じだよ。これまで捕虜になる敵はいなかったし、獣人の決死隊には何度も痛い目に合っているから、緊張しているんだろうね」
レヒト法国軍では投降することが禁じられているわけではないが、グライフトゥルム王国側が投降を認めずに殺してしまうことが多い。
これはレヒト法国軍の兵士が身体強化を使えるため、下手に捕虜にすると、自力で拘束から抜け出して破壊工作を行うからだ。実際、百人ほどの兵を捕虜とし、牢に収容したが、脱獄されて大混乱に陥ったことがあったらしい。
また、王国軍は基本的に城から打って出ることがなく、捕虜になる可能性が低い。そのため、捕虜交換が行われることはなく、捕虜を得てしまうと長く管理しなくてはならない。それなら最初から面倒にならないように、殺してしまった方がいいとなったらしい。
ジュネーブ条約のような戦争に関する国際条約がなく、人権意識も皆無であるため仕方がないのだが、二十一世紀の日本人であった私としてはこれでいいのかと思わないでもない。
「念のため、ジーゲル閣下とフランケル副兵団長にはもう一度お願いしておこうと思っているよ。あの二人から言われて無視することはないだろうから」
「そうね。それがいいわ」
そんな話をしながら司令官室に入る。
まだ、騎士団長たち司令官クラスは誰もいないが、第二騎士団の参謀長、ベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵は部下の参謀たちと昨日の戦闘に関する記録を整理していた。
「おはようございます」
シャイデマン男爵が笑顔で挨拶を返してきた。
「おはようございます。昨日は遅くまで対応されていたのに早いですな」
男爵はカムラウ河の戦い以降、私に対して敬語を使うようになっている。
私は彼の部下であり、子爵家を継いでいるわけでもないので、敬語は不要と言っているのだが、敬意を表するためと言って聞いてくれない。
彼の部下の参謀たちはそのことを不愉快そうに見ていた。学院を出たばかりの若造が上司になるだけでなく、王国一の名将が手放しで褒め、更に歴戦の参謀長が敬意を示していることが気に入らないのだろう。
ただ、最近では慣れてきたのか、私のことを評価したのかは分からないが、敵意を見せない者が多くなりつつある。
「遅くまで働いていましたが、昼間は意外と暇でしたから、それほど疲れていませんよ」
実際、総司令部で守備兵団のハインツ・ハラルド・ジーゲル将軍の補佐をしていたが、現地でほとんど対処していたため、私の出番はあまりなかった。
「ご謙遜を。昨日はラウシェンバッハ殿の準備した策のお陰で助かりましたぞ。あれがなければ勝てたかどうかも怪しかったと思っておりますよ」
参謀長の言葉に伝令たちが頷いている。
彼らも前線で戦いを目の当たりにしており、実感しているようだ。
「お手伝いすることがあれば、何でもおっしゃってください。敵は夜襲を仕掛けてくるようですから、今のところ急いですることがありませんから」
臨時の参謀に過ぎない私には参謀長のような事務仕事はなく、また騎士団長たちのように部下のケアをすることもない。情報収集は影に任せており、今のところすることがない。
「それでしたら、午前中はゆっくりお休みください。午後には作戦会議がありますが、午前中は急いですべきことはありませんから」
そう言われても困るが、これ以上話していると邪魔になると思い、法国軍がどんな戦術を使ってくるか、イリスと一緒に考えようとした。
それを始めようとしたところで、先ほど別れたばかりのユーダが私の下に現れた。
「先ほど潜入している影から至急の報告がありました。敵が奇策を考えているようです」
その言葉を聞きつけ、シャイデマン男爵も私の近くやってきた。
「具体的にはどのような奇策なのだろうか?」
男爵の問いにユーダは小さく頷くと、周辺地図が張られている壁に向かう。
「ヴァイスホルン山脈を踏破し、ヴェストエッケの北側に約二千の兵を送り込む策です」
ヴァイスホルン山脈には三千メートル級の山々が連なる。更に大型の魔獣が跋扈し、これまで一度も成功したことがないはずだ。
「誰が提案したのでしょうか?」
「赤鳳騎士団のエドムント・プロイス団長です。白鳳騎士団のギーナ・ロズゴニー団長もそれを承認したと噂になっているそうです」
「でも、ヴァイスホルン山脈を通ることは不可能だという話だったはずよ。黒狼騎士団のリートミュラー団長は反対しなかったのかしら?」
イリスの疑問にユーダが答える。
「黒鳳騎士団のリーツ団長と共に止めたそうです。ですが、赤鳳騎士団は災害級の魔獣であるキメラやサイクロプスの討伐の実績があるから問題ないと押し切ったそうです」
災害級とは町や村が全滅するレベルの魔獣で、通常は一流の狩人である金級が数十人か、職業軍人で構成された数百人規模の軍隊が必要と言われている。
法国軍の兵士は金級には及ばないものの、それに準ずる能力を持っているため、二千人であれば十分対応できると思ったのだろう。
確かに平地であれば対応できる。しかし、ヴァイスホルン山脈は足場が悪く、数の優位を生かせない。
これは神狼騎士団が何度も挑戦し失敗することで証明されており、事実上不可能な作戦とされているはずだ。
「リートミュラー団長も反対したのですか……なるほど……」
私がそう呟くと、シャイデマン男爵が聞いてきた。
「どういうことですかな?」
「ロズゴニー団長とプロイス団長はリートミュラー団長が反対したのは、赤鳳騎士団に手柄を上げさせないためだと考えたのではないかと思ったのです。あるいは自分たちが何度も失敗した作戦を成功させられると面目を失うと思って反対したのだと思ったのかもしれません」
「なるほど。確かに考えられますな」
男爵はそう言って頷く。
「本当にそうかしら?」
イリスが疑問を口にした。
「どういうことかな?」
男爵が私に代わって尋ねる。
「山脈を踏破する作戦は何百年も前から何度も失敗しています。ロズゴニー団長もプロイス団長も当然知っているはずです」
イリスの言う通り、グライフトゥルム王国とレヒト法国は休戦を挟みながら、千年近く国境紛争を続けている。そして、ヴァイスホルン山脈に軍隊を入れることの愚かさも染み付いているはずだ。
「確かにそうだね」
私が頷くと、イリスは説明を続けていく。
「それに山脈を踏破する作戦を考えていたのなら、今回の雲梯車による攻撃と連動させるはずです。鳳凰騎士団は七月二十三日に到着しているのですから、時間的には十分可能ですので。それが突然方針を変えました。おかしいと思いませんか」
男爵が重々しく頷く。
「なるほど。イリス殿のおっしゃることには一理ある」
「昨日の敗戦で自暴自棄になったという可能性もないでもないが、まだ全軍の八割以上が残っている。この状況で可能性がゼロに等しい作戦を強行する理由はないな……」
そこであることに気づいた。
「ユーダさんの話では、法国軍はこちらの諜報員を炙り出そうとしている。そう考えると、この無茶な策はこちらの諜報員を狩り出すことが目的かもしれないな……」
「私もそう思うわ。それに私なら、あえて王国軍にこの情報を流して、法国軍が本気で攻めてくるのは別動隊が到着してからと考えるように誘導するわ。そして、それを逆手に取る形で、油断している今夜のうちに大規模な夜襲を仕掛けるわね」
イリスの考えは合理的だと感心する。
「その可能性は充分にあるね。リーツ団長ならこちらが何らかの方法で情報を入手していると気づいているだろうから。それに山脈を強行突破するより成功率は高いし、だからと言って、こちらに積極的にできることは少ない。法国軍にとってはリスクが少ない策だと言えるね」
私たちの会話を聞き、男爵が微笑む。
「夫婦そろって素晴らしい戦術家ですな。いや、まだ婚約だけでしたな。失礼」
男爵の言葉に私とイリスは同時に顔を赤らめる。
「いずれにしてもクロイツホーフ城からの情報は今後少なくなると考えるべきです。我々にできることは警戒を強めることくらいですが、何かできることはないか、考えてみましょう」
それだけ言うと、作戦を考え始めた。
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