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第五章:「初陣編」

第十五話「前哨戦を終えて」

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 統一暦一二〇三年七月二十三日。
 グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 午後三時過ぎ、カムラウ河での戦いを終え、私はヴェストエッケ城に向けて馬を進めている。

 私の初陣は思った以上に上手くいった。出来過ぎといっていいだろう。
 上手くはいったが、私は初めて人の死を目の当たりにし、精神的に少し参っている。

 弓と弩弓による遠距離攻撃であったため、目の前というほどではないが、数十メートル先で敵兵が次々と矢を受け、悲鳴を上げながら命を落とす光景に、吐き気を抑えるのが大変だった。

 それでも何とか耐えられたのは、矢での攻撃ということで無残な斬り裂かれた死体がなかったことと、川に落ちた敵兵が水面下に消えたため、目にした死体の数が少なかったからに過ぎない。

 もし、白兵戦が目の前で行われたとしたら、吐き気を抑えることができず、無様な姿を晒したことは容易に想像できる。

 今回は戦いの推移を見守りつつ、今後のためにどこをどう攻撃することが効果的かを考えることで、笑みを浮かべながら何とか耐えられた。もっともその笑みは引き攣ったものだったが。

 笑みを無理やりにでも浮かべ続けたことから、最も近くにいた護衛であるシャッテンのカルラ・シュヴァイツァー以外は、私が吐き気を必死に堪えているとは気づいていない。

 戦闘の結果だが、レヒト法国の白鳳騎士団の騎兵約二千に対し、その四分の三ほどが矢を受けて倒れ、味方に損失は皆無という完勝だった。敵の損害の正確な数は不明だが、倒れた後に水中に落ちていることから、千名以上は戦死しているはずだ。

 敵の四倍でかつ渡河中という有利な条件だが、第二騎士団とエッフェンベルク騎士団は実質的な初戦での大勝利に、兵たちの士気は大いに高まっている。

「見事なものだ。二百騎も倒せば十分だと思っていたが、その五倍以上の戦果を挙げたのだからな」

 王国騎士団の第二騎士団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵が馬を寄せ、私の肩を叩いて褒めてくれる。

 伯爵は今回の戦いでは前線で指揮を執っており、多くの敵兵を討ち取った立役者と言っていい。

 その彼からの賛美を素直に受け取れなかった。それはこの後の展開に悪影響を及ぼすのではないかと思っているからだ。

「私としてはやりすぎたと思っています。まあ、敵があれほど大胆に渡河してくると思っていなかったので仕方ないのですが、ロズゴニー騎士団長がこちらを警戒するのではないかと……」

 敵将であるギーナ・ロズゴニー白鳳騎士団長はこちらを雑兵と侮り、我が軍を殲滅すべく、幅百メートルにわたって騎兵を展開し、全速力で渡河してきた。

 そのため、先頭の騎兵が我が軍のいる北岸に到着する頃には千騎近い数の騎兵が川に入っていた。弓と弩による攻撃で先頭の騎兵を打ち倒したが、後続部隊も勢いを付けていたため、急に止まることができず、ほとんどの騎兵が川に入った。

 渡河地点の水深は五十センチほどと馬にとってはそれほど深いものではないが、川底は丸い大きな石がゴロゴロとあり、その他も蹄が沈む砂地であったため、速度を出すことができず、弓兵にとってはよい的だった。

 突撃を命じたロズゴニーも多少の損害は覚悟の上だったと思うが、我が方の陣に騎兵が躍り込めれば勝利は固いという意図で攻撃を命じたのだろう。実際数十騎でも陣に突入されたら彼の目論見通りになった可能性が高い。

 そのため、こちらも全力で攻撃したのだが、これで敵に警戒される恐れが出てきた。本来であれば、ロズゴニー率いる鳳凰騎士団とエーリッヒ・リートミュラー率いる黒狼騎士団の間に不和の種を蒔き、敵に混乱を与えることが目的だったにもかかわらずだ。

 ロズゴニーが必要以上に危機感を持てば、リートミュラーと共同戦線を張ることを厭わず、二万近い数の敵兵が一丸となって襲ってくることになる。

 そのことを言うと、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が笑った。

「勝ち過ぎて憂鬱な顔をするとは思わなかったぞ」

「敵の切り札が分かりませんので、敵が侮ってくれる方が助かるのは確かなんです」

「慎重なことはよいことですが、ここは兵たちの士気を上げるためにも喜んで見せた方がよいですな」

 参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵が真面目な顔で言ってきた。

「確かにそうですね」

 第二騎士団はもちろん、エッフェンベルク騎士団の兵も私のことをよく知っており、“軍師”である私の方を何度も見ていた。

 そのため、戦闘中はいつも通りに見えるよう、無理やり笑みを浮かべていたのだが、戦闘が終わったことで張っていた気が緩み、大量殺人の衝撃も相まって眉間にしわが寄ってしまったのだ。

 シャイデマン男爵に軽く会釈して感謝を示すと、私は再び無理やり笑みを浮かべ、話題を変える。

「今回の戦いで第二騎士団とエッフェンベルク騎士団の練度が非常に高いことが証明されました。命令に忠実に従って、敵の精鋭を冷静に攻撃しただけでなく、功を焦ることなく、的確に攻撃を加えていました。これが他の騎士団であれば、最終的な局面で功を焦って川に飛び込み、敵後続部隊の攻撃を受けて大きな損害を出していたはずです」

 白鳳騎士団の騎兵が下がった後、遅れていた歩兵と後続の赤鳳騎士団の騎兵が到着しており、調子に乗って渡河を行っていたら、逆襲を受けていたはずだ。それがなかっただけでも今回の戦いは評価できると思っている。

「ラウシェンバッハ殿のおっしゃる通りですな。将の命令が末端まで確実に届いておりました。フェアラートではまともに命令が伝達できずに惨敗しましたが、今なら帝国の精鋭であっても互角以上に戦えるでしょう」

 シャイデマン男爵は七年前のフェアラート会戦において、ノルトハウゼン騎士団の将の一人として参戦していた。その際、総大将のワイゲルト伯の命令がなく、ノルトハウゼン騎士団は味方の支援もなく孤立し、窮地に陥った。そのため、実感が篭っている。

「エッフェンベルク騎士団の長弓兵は素晴らしいな。我が第二騎士団の弓兵も優秀だが、遠距離攻撃ではエッフェンベルク騎士団に一日の長がある。百人の長弓兵が一体となって敵に集中射撃を行っていた様は素晴らしいとしか言いようがない。さすがはカルステン殿だ」

 グレーフェンベルク子爵がそう言ってエッフェンベルク伯爵を褒める。

「我が騎士団はマティアス君とケンプフェルト将軍に徹底的に鍛えられましたからな。特にマティアス君には指揮官の命令を確実に兵に伝える訓練で何度もダメ出しを食らっていますし、私を含めて指揮官には戦場全体を見るように何度も指導されましたよ。そのお陰で敵の弱点を的確に攻撃できたのでしょうな」

 伯爵の言葉には誇張がある。

「私は全体を見てくださいと言ったくらいですよ。私に戦術眼はないんですから」

 これは初陣を経て分かったことだ。
 敵の突撃を受けてどこに攻撃を加えたら効果的なのかという点では、私の判断は当てにならない。

 私が助言したのは勢いがある部隊に集中的に攻撃することと、迂回されないように左右に展開しようとしている部隊に牽制を加えることくらいで、グレーフェンベルク子爵とエッフェンベルク伯爵の二人が的確に敵の弱点を見抜いていた。
 そのことを伝えると、子爵が笑う。

「前線にいたカルステン殿はそうかもしれないが、私は君の助言に従って命令を出しただけだぞ。君に視線を向けると、“左翼の奥を”とか、“直進してくる敵の馬を狙って”とか、具体的に助言をくれたではないか。だから安心して命令を出せたのだが」

「そういったことを言ったかもしれませんが、私自身一杯一杯でしたから覚えていませんよ。何といっても初陣なんですから」

 吐き気を堪えるために全体を俯瞰しようとした気はするが、あまり覚えていない。

「そういえば初陣だったのだな。すっかり忘れていたよ」

 子爵がそう言って笑い、エッフェンベルク伯とシャイデマン男爵が釣られて笑う。
 恐らくだが、私の気を紛らわせてくれるために話題を振ってくれているのだろう。
 それとも周りの兵たちに司令部に余裕があることを見せるためかもしれない。

 午後四時過ぎにヴェストエッケ城に帰還した。
 城に到着するとすぐに後方撹乱作戦の指揮を執るイリスの下に向かう。

 彼女は私の顔を見ると、すぐに抱き着いてきた。

「無事だったのね。よかったわ」

「危険は全くなかったよ。負傷者もほとんどいないしね。それでこっちの状況はどうなっているんだい?」

 その言葉でイリスの表情が僅かに曇る。

「あなたがここを離れてから兄様の隊の通信の魔導具が故障したの。それで作戦を変更しなくてはならなくなって……」

 イリスはその時の状況を詳しく説明した。
 その話を要約すると、私がカムラウ河に向かった後、ラザファムの隊の通信の魔導具が故障し、一時連絡が取れなくなった。

 しかし、すぐに近くのシャッテンに合流を命じ、三十分ほどで連絡が取れるようになったが、ラザファム隊がエーリッヒ・リートミュラー団長率いる黒狼騎士団の隊に見つかってしまう。

 リートミュラー隊は精鋭であり身体強化を使って追ってくるため、いずれ追い付かれてしまうと、イリスは危惧した。

 疲労した上で後方から攻撃を受けると全滅の可能性があると考え、予め移動を命じてあったハルトムート隊に潜伏するよう指示し、釣り野伏の罠を張った。

 釣り野伏自体は上手くいった。
 しかし、リートミュラー隊は二百名ほどで、側面から奇襲を掛けたハルトムート隊と反転したラザファム隊とほぼ同数だった。また、団長直属ということで士気が高く、こちらが奇襲を仕掛けたにもかかわらず、互角の戦いとなってしまう。

 リートミュラーがクロイツホーフ城攻撃の報を受けて撤退したから短時間の戦闘で済んだが、もし伝令が現れなかったら敵の後続部隊が現れ、ラザファムとハルトムートが戦死した可能性もあったらしい。

「……戦死者は兄様の隊で五人、ハルトの隊で七人。重傷者もそれぞれ十人以上で、今こちらに向かって移動しているところよ。私がもう少し上手く指示を出していれば……」

 イリスは落ち込んでいるが、アクシデントが発生したのに戦略目的を達成し、全体の二割程度の損害しか出していない。

「君はよくやったよ。確かにアクシデントがなければ戦死者は出なかったかもしれないけど、最善を尽くしたんだ。ラズたちも納得しているんじゃないか?」

「ええ。でも……」

 まだ納得した様子はない。

「納得しろとは言わない。ただ仮に私がここにいても結果は同じだったと思う。私もさっき聞いた状況ならハルトの隊に支援させただろうから」

 その後、ラザファムたちに連絡を入れ、状況を確認した。
 既に渡河地点近くの森に移動しており、日没後にこちらに向かって移動すると連絡を受ける。

 カムラウ河の南岸に展開していた黒狼騎士団はクロイツホーフ城が攻撃を受けているという連絡を受け、既に城に引き上げているが、念のため日没まで待ったのだ。

 その時間を利用して、シャッテンが治癒魔導で治療を行ったため、重傷者の傷も癒えている。


 午後七時過ぎ、ラザファムたちが帰還した。
 私とイリスも城門で出迎え、彼らを労う。

「お疲れ様。君たちのお陰で白鳳騎士団の騎兵を千名ほど倒せたよ。まだ確定じゃないけど、リートミュラー団長とロズゴニー団長の間に楔は打ち込めたと思うから目的も達成できたはずだ」

 ラザファムはやや疲れた表情をしていたが、その目には困難な任務を達成したという高揚感があった。ハルトムートも同様で、命の危機を乗り越えたという悲壮感は全く見られない。

「マティもよくやってくれた。君のお陰で私たちも大戦果を挙げることができた。イリスも代役を完璧にこなしてくれて助かったよ」

 ラザファムはそう言いながら私の前に拳を出してきた。その横ではハルトムートも同じように拳を出している。
 私とイリスはその拳に自らの拳を合わせていった。

「リートミュラーの部隊にも結構なダメージを与えたぜ。まあ、あの男には全く歯が立たなかったがな」

 シャッテンの報告ではリートミュラー隊の戦死者は三十名程度だ。これはリートミュラーが強引に撤退を命じたためで、撤退に移るときに二十名程度討ち取ったらしい。

「それよりもマティの方が私たちより大活躍だったようだな。白鳳騎士団の重装騎兵を千人以上倒したと聞いた時には羨ましくなったよ」

「予定にない出撃だったからね。まあ私が提案したことなんだけど」

「次は敵の本隊との決戦だな。俺たちにも出番を作ってくれよ、マティ」

 ハルトムートがそう言って私の肩を軽く叩く。

「敵次第だけど、一応考えておくよ。それよりゆっくり休んでほしい。君たちの隊は明日一日丸々休暇をもらっているし、お酒の特別配給もあるはずだから」

 私の言葉にラザファムとハルトムートの隊の兵士が喜びの声を上げる。
 特にハルトムート隊の兵士は大声で歓声を上げ、全身で喜びを表していた。

「さすがは俺たちの軍師様だぜ! よく分かっているよ!」

「隊長! 先に行っていいっすか! 待ちきれないんで!」

 そのはしゃぎようにハルトムートが苦笑いを浮かべる。

「分かったから羽目を外しすぎるなよ! それから行き先は誰かに伝言しておけ! 俺も団長に報告したらすぐに合流するからな!」

 相変わらず兵たちとのコミュニケーションが上手いと感心する。

 グレーフェンベルク子爵たちに報告に行くが、帰還の報告を受けただけで詳細が聞かれることはなかった。

「詳細な報告は明日でいい。今日は羽目を外してこい! マティアス君、君もだ」

「ありがとうございます」

 それだけ言うと、私たちは司令官室を後にした。
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