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第五章:「初陣編」
第一話「ヴェストエッケへ」
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統一暦一二〇三年六月十七日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
王国第二騎士団団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵から臨時の参謀として招聘された。
王立学院の助教授であるため、今後の調整が必要であるが、幸いなことに七月から夏休みに入るため、期末テストがあるくらいで講義はほとんどなかった。
但し、行き先が約八百キロメートル離れたヴェストエッケであることから、いつ戻ってこられるか分からない。そのため、ロマーヌス・マインホフ教授と九月以降の講義の調整が必要になる。
他にも婚約したばかりのイリスとのこともある。
現在彼女は騎士団を辞め、王立学院の臨時の助手として私の手伝いをしているが、他に仕事はしていない。
この時間を使って花嫁修業でもしてくれればいいのだが、彼女の性格を考えると同行したいと言ってくることは容易に想像できる。
その確認のため、学院に行く前にエッフェンベルク伯爵邸を訪問することにした。
今朝、騎士団本部に行く前に学院には休暇の連絡を入れ、伯爵邸にも騎士団本部に向かうことは伝えてある。そのため、イリスも屋敷におり、私が来るのを待っていた。
イリスとだけ話す予定だったが、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵も私が騎士団本部に行ったと聞き、屋敷に残っていた。
イリスと伯爵にグレーフェンベルク子爵から聞いた話を簡単に説明する。
「法国が攻めてくるのか……我が騎士団への出動要請もあると」
「今頃グレーフェンベルク子爵閣下が陛下の裁可をいただいているはずですから、午後には正式な要請があると思います」
私の言葉に伯爵は獰猛な笑みを浮かべて頷く。
「ようやく実戦の機会が訪れるということだな。我が騎士団を侮っていた者たちに目にもの見せてくれる」
伯爵が先代から相続した際に強引な騎士団改革を行い、精強であったエッフェンベルク騎士団の質が落ちたという噂が広がっていた。実際、その時の改革は上手くいっておらず、実力が大きく落ちていたことは事実なのだが、そのことで伯爵は悔しい思いをしていた。
「あまり気負わないでください。ヴェストエッケの城壁とヴァイスホルン山脈があれば、防衛は容易なのですから」
「分かっているよ。我が騎士団を派遣するのは敵の思惑が分からぬため。逸って敵の罠に嵌まるなど本末転倒だからな」
興奮気味の伯爵だが、冷静さは失っていなかった。
「で、私はどうなるの? 無理にでも付いていくつもりだけど」
イリスがそう言って話に割り込んでくる。そのアイスブルーの瞳には強い意志があった。
「私としては王都に残ってほしいと思っているんだけど、それが無理だということは分かっているよ。だから、第二騎士団参謀部付きの騎士として私の指揮下に入ってもらうことにした」
私の言葉に厳しい表情を崩し、大きく頷いた。
「さすがは私の旦那様ね。よく分かっているわ」
「お褒めにあずかり光栄だが、私の指揮下に入るということは戦闘には参加しないということだよ。私と一緒に戦いを見ているだけだ。それでもいいんだね」
私自身は全く戦えないため、基本的に前線に出るつもりはなかった。
「もちろんよ。あなたを守ることが私の使命なのだから」
本来であれば連れていくべきではないが、彼女の意見も聞きたいという思いもある。彼女自身、兵学部では優秀な成績であったし、私やラザファム、ハルトムートといろいろな戦術について討議した際、独自の着眼点を持っていることが分かっているからだ。
「娘のことで迷惑を掛ける」
私たちの会話を聞いていた伯爵が苦笑気味に頭を下げる。ラザファムには厳しいが、娘であるイリスには弱いようだ。
「私も彼女がいてくれる方が助かりますから」
「うむ。それはともかくとして、今後のことだ。出発が三日後として、我が騎士団は少し遅れることになるが、問題はないのだろうか。敵がクロイツホーフ城に到着するのはいつ頃と考えているのかね」
エッフェンベルク騎士団は伯爵領にいるため、一度領地に戻ってから出発となる。
早馬を送って準備させるとしても、距離の関係で数日の遅れが生じるため、そのことを気にしているらしい。
「まだはっきりとは分かっていませんが、鳳凰騎士団は七月下旬頃になる可能性が高いです。何といっても南方教会領の都ハーセナイから、クロイツホーフ城まで約千二百キロメートルもありますから」
「ならば、鳳凰騎士団の到着より前には、何とかヴェストエッケに入れるということだな」
伯爵は納得すると、すぐに領都エッフェンベルクに使者を走らせた。
その後、騎士団から正式に招聘されたため、学院でロマーヌス・マインホフ教授といろいろと調整を行い、自宅に戻って両親に話をした。
父リヒャルトは仕方がないという感じで認めてくれたが、母ヘーデは不安そうな表情を見せた。
「ヴェストエッケといえば王国の西の端。道中は山の中と聞いていますし、一ヶ月も掛かるのでしょ。その間、身体は大丈夫なのかしら。ネッツァー先生も同行されないですし……」
私自身、不安はある。
シュヴェーレンブルクからヴェストエッケまでは約八百キロメートル。西方街道は王国の大動脈であり、宿場町は整備されているものの、一日当たり二十五キロほど移動するから体力的に厳しい。
「ネッツァーさんは同行されませんが、カルラさんとユーダさんが一緒ですから、治癒魔導に関しては問題ありませんよ」
闇の監視者の影であり、私の護衛でありメイドであるカルラ・シュヴァイツァーと、同じく執事として働いているユーダ・カーンの正体は両親も知っている。
上級魔導師マルティン・ネッツァーから聞いた話では、二人は上級魔導師と同等か、それ以上の魔導の使い手らしい。
実際に使っているところを見たことはないが、二人とも長命種である闇森人、いわゆるダークエルフであり、普人族より魔導の才能があると聞いている。
「確かに山道ですし、天候が崩れやすいと聞いていますが、私は馬車を使うので問題ありませんよ」
何とか両親を説得した後、再びエッフェンベルク伯爵邸に向かった。
既に夕方になっており、ラザファムとハルトムートも伯爵邸に来ている。
しかし、伯爵はグレーフェンベルク子爵ら王国騎士団との調整が終わっていないらしく、屋敷に戻っていなかった。
そのため、学院時代のような気楽さで話をしている。
「四人で戦場に向かうことになるんだな」
ハルトムートが感慨深げに呟く。
「そうね。でもマティが作戦を立てて、兄様とハルトがそれを実行するのが、こんなに早い時期にやって来ると思っていなかったわ」
ラザファムがイリスの言葉を否定する。
「イリスはそういうけど、マティはともかく、私もハルトも中隊長に過ぎないんだ。連隊長や大隊長の命令を受けて、それを実行するだけになるはずだ」
二人は王立学院高等部の兵学部を優秀な成績で卒業したことから、百人の部下を持つ中隊長に任命されていた。これは以前からの慣習であり、二人が特別というわけではない。
「ラズの言いたいことは分かるよ。でも、私が立てた策を認めてもらえるなら、私のことを一番理解している二人に頼むつもりだ」
「もう作戦を考えているのか! さすがはマティだな」
ラザファムが驚きとも呆れともいえる表情で声を上げる。ハルトムートとイリスも笑みを浮かべて頷いているが、私はそれに同調しなかった。
「今回の相手は想定していなかった。情報を集めるように叡智の守護者の情報分析室にはお願いしたけど、どの程度の質と量の情報が戦いまでに届けられるか微妙だ。敵の狙いが分からない中で、どこまでやれるか自信がない」
「そうは言っても考えてあるんだろ。俺たちがそれを成功させてやるよ。なあ、ラズ」
ハルトムートの全幅の信頼が少し重い。ハルトムートの言葉にラザファムも大きく頷く。
「ああ。私も全力で成功させるつもりだ。といってもマティがどんな突拍子もないことを言ってくるか、そっちの方が心配だよ」
「羨ましいわ。私はこの人と一緒にいるだけだから」
そんな話で盛り上がったが、ラザファムが真面目な表情になる。
「さっきから深刻そうな顔をしているが、実際どの程度危険だと思っているんだ?」
「これまで通りの法国軍なら大きな危険はないよ。敵が二万二千に対して、こちらが一万五千とはいえ、ヴェストエッケの城壁を破るのは難しいから。それにエッフェンベルク騎士団が参戦してくれることが心強い」
ヴェストエッケの城壁は高さが二十メートルで、西側にある海岸ギリギリまである。東はヴァイスホルン山脈の裾野に掛かるため、そこまでの高さはないが、山自体が切り立った断崖になっているから鉄壁の城壁といっていい。
防衛用の兵器も投石器と大型の弩砲が多数あり、法国側に当たる城壁の南には草原が広がっているだけで遮蔽物がなく、近づく敵を一方的に攻撃できる。
また、迂回するルートが存在しない。
ヴァイスホルン山脈を強引に通過するという方法が考えられるが、この方法はこれまで何度も挑戦しているらしいが、一度も成功していない。
理由は魔獣の存在だ。
ヴァイスホルン山脈には天災級や災害級と呼ばれる強力な魔獣が多く存在する。
天災級の魔獣は身長十五メートルを超える巨人や炎を吐く三つ首の巨犬ケルベロスなど、城壁に守られた大都市を滅ぼすことができるほど強力だ。
そのほとんどが山脈から出ないが、人間が入り込めば襲い掛かってくるため、大規模な軍であっても足場の悪い山岳では間違いなく全滅する。
そのため、敵が迂回してくる可能性は限りなくゼロであり、法国側である南に戦力を集中できる。また、今回は充分な戦力があるから城内で休息も摂れるので長期戦にも不安はない。
「さっきも言ったけど、鳳凰騎士団がなぜ派遣されることになったのかが気になっている。鳳凰騎士団はこれまで国内の不満分子の討伐などの治安維持でしか使われてこなかった。調べてみたけど、鳳凰騎士団がヴェストエッケに派遣されたのは六十年以上前だった。その時も主力は北方教会の神狼騎士団で、鳳凰騎士団と西方教会の鷲獅子騎士団は援軍という扱いだった」
「つまり集団戦の経験が少ない鳳凰騎士団を主力にするなら、何らかの策があるはずだと考えているんだな」
ラザファムの言葉に大きく頷く。
「その通り。一応私が思いつく限りの策は潰せるように手を打つつもりなんだけど、これだけ情報がないと不安になるんだ」
最も考えられる策は、ヴェストエッケに潜り込んでいる工作員が内部から城門を開放することだ。
これについては既に闇の監視者に調査を依頼してあるから問題はない。
他に考えられるのは大規模な攻勢を掛けつつ、トンネルを掘って内部に侵入させるという作戦だ。
これも対応方法は分かっているから大きな問題にはならないだろう。
あと考えられるのは大規模な攻城兵器の使用だ。
投石器はこれまでも使っているが、ヴェストエッケの南側の平原には充分な面積があり、大規模なものを使うことが可能だ。
対抗手段としてこちらからも投石器や大型の弩砲で攻撃することだが、数で圧倒されると手の打ちようがない。
投石器の運搬に時間が掛かるから、今まではそれほど使われなかったが、南方教会は海上交易で財を成しているから輸送船を多く持っている。
人が多数乗っていなければ、海の魔獣も襲う可能性は低いから、海上輸送で送り込むことは充分に考えられる。
また、砲弾となる岩は荒地である平原やヴァイスホルン山脈に多数あるため、一度設置してしまえば継続して使用が可能で、十分に脅威になると考えていた。
これらのことを説明すると、イリスが呆れたような声を上げた。
「充分に考えているじゃない。これで不安って……」
「そうは言ってもあくまで私の予想に過ぎないんだ。それに今言った話は常識的なものなんだ。私の想像を遥かに超える策があるかもしれない。何といっても一神教の狂信者たちなんだからね」
「打てるだけの手を打って、あとは敵の出方を待つという方法もある。君ならその場でいい手を思いつくはずだ」
「そうだな。マティの裏を掻けるような奴がいたら会ってみたいね。まあ、俺は考えるのが苦手だから」
ラザファムとハルトムートは笑顔で頷きあっている。
「それにしてももったいなかったな」
ハルトムートが何かを思い出したのか、そんなことを口にする。
「何のことだ?」
ラザファムが尋ねるが、私も何のことか思いつかない。
「法国から引き抜いた獣人族のことだ。彼らを戦力として使えたら、もう少し戦術の幅が広がったんじゃないかと思っただけだ」
ラザファムが頷く。
「なるほど。確かに狼人族だけでも役に立った可能性はあるな。あの身体能力なら城壁の上でも充分に使える」
私も少しだけ同じことを考えていた。
今回の作戦で遊撃部隊として使えれば、鳳凰騎士団の奥の手に対抗できる可能性が高まるからだ。
しかし、惜しいとは思っていない。
「確かに戦術の幅は広がったかもしれないけど、彼らに法国軍の相手をさせる気はないよ。法国からの亡命者だとバレたら、法国にいる獣人族たちにどんな影響が出るか分からないからね」
「それはそうね。まだ少しずつだけど王国に来てくれているんだし」
イリスの言う通り、奴隷に扮しての亡命は未だに続いている。
そろそろラウシェンバッハ領だけでは受け入れが難しくなりつつあるほどだ。
「それは考えなかったな。まあ、その分、俺たちが働いてやるから、存分に使ってくれよ、マティ!」
ハルトムートが豪快に私の肩を叩き、場は学生時代と同じ和やかな感じに包まれた。
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王立学院の助教授であるため、今後の調整が必要であるが、幸いなことに七月から夏休みに入るため、期末テストがあるくらいで講義はほとんどなかった。
但し、行き先が約八百キロメートル離れたヴェストエッケであることから、いつ戻ってこられるか分からない。そのため、ロマーヌス・マインホフ教授と九月以降の講義の調整が必要になる。
他にも婚約したばかりのイリスとのこともある。
現在彼女は騎士団を辞め、王立学院の臨時の助手として私の手伝いをしているが、他に仕事はしていない。
この時間を使って花嫁修業でもしてくれればいいのだが、彼女の性格を考えると同行したいと言ってくることは容易に想像できる。
その確認のため、学院に行く前にエッフェンベルク伯爵邸を訪問することにした。
今朝、騎士団本部に行く前に学院には休暇の連絡を入れ、伯爵邸にも騎士団本部に向かうことは伝えてある。そのため、イリスも屋敷におり、私が来るのを待っていた。
イリスとだけ話す予定だったが、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵も私が騎士団本部に行ったと聞き、屋敷に残っていた。
イリスと伯爵にグレーフェンベルク子爵から聞いた話を簡単に説明する。
「法国が攻めてくるのか……我が騎士団への出動要請もあると」
「今頃グレーフェンベルク子爵閣下が陛下の裁可をいただいているはずですから、午後には正式な要請があると思います」
私の言葉に伯爵は獰猛な笑みを浮かべて頷く。
「ようやく実戦の機会が訪れるということだな。我が騎士団を侮っていた者たちに目にもの見せてくれる」
伯爵が先代から相続した際に強引な騎士団改革を行い、精強であったエッフェンベルク騎士団の質が落ちたという噂が広がっていた。実際、その時の改革は上手くいっておらず、実力が大きく落ちていたことは事実なのだが、そのことで伯爵は悔しい思いをしていた。
「あまり気負わないでください。ヴェストエッケの城壁とヴァイスホルン山脈があれば、防衛は容易なのですから」
「分かっているよ。我が騎士団を派遣するのは敵の思惑が分からぬため。逸って敵の罠に嵌まるなど本末転倒だからな」
興奮気味の伯爵だが、冷静さは失っていなかった。
「で、私はどうなるの? 無理にでも付いていくつもりだけど」
イリスがそう言って話に割り込んでくる。そのアイスブルーの瞳には強い意志があった。
「私としては王都に残ってほしいと思っているんだけど、それが無理だということは分かっているよ。だから、第二騎士団参謀部付きの騎士として私の指揮下に入ってもらうことにした」
私の言葉に厳しい表情を崩し、大きく頷いた。
「さすがは私の旦那様ね。よく分かっているわ」
「お褒めにあずかり光栄だが、私の指揮下に入るということは戦闘には参加しないということだよ。私と一緒に戦いを見ているだけだ。それでもいいんだね」
私自身は全く戦えないため、基本的に前線に出るつもりはなかった。
「もちろんよ。あなたを守ることが私の使命なのだから」
本来であれば連れていくべきではないが、彼女の意見も聞きたいという思いもある。彼女自身、兵学部では優秀な成績であったし、私やラザファム、ハルトムートといろいろな戦術について討議した際、独自の着眼点を持っていることが分かっているからだ。
「娘のことで迷惑を掛ける」
私たちの会話を聞いていた伯爵が苦笑気味に頭を下げる。ラザファムには厳しいが、娘であるイリスには弱いようだ。
「私も彼女がいてくれる方が助かりますから」
「うむ。それはともかくとして、今後のことだ。出発が三日後として、我が騎士団は少し遅れることになるが、問題はないのだろうか。敵がクロイツホーフ城に到着するのはいつ頃と考えているのかね」
エッフェンベルク騎士団は伯爵領にいるため、一度領地に戻ってから出発となる。
早馬を送って準備させるとしても、距離の関係で数日の遅れが生じるため、そのことを気にしているらしい。
「まだはっきりとは分かっていませんが、鳳凰騎士団は七月下旬頃になる可能性が高いです。何といっても南方教会領の都ハーセナイから、クロイツホーフ城まで約千二百キロメートルもありますから」
「ならば、鳳凰騎士団の到着より前には、何とかヴェストエッケに入れるということだな」
伯爵は納得すると、すぐに領都エッフェンベルクに使者を走らせた。
その後、騎士団から正式に招聘されたため、学院でロマーヌス・マインホフ教授といろいろと調整を行い、自宅に戻って両親に話をした。
父リヒャルトは仕方がないという感じで認めてくれたが、母ヘーデは不安そうな表情を見せた。
「ヴェストエッケといえば王国の西の端。道中は山の中と聞いていますし、一ヶ月も掛かるのでしょ。その間、身体は大丈夫なのかしら。ネッツァー先生も同行されないですし……」
私自身、不安はある。
シュヴェーレンブルクからヴェストエッケまでは約八百キロメートル。西方街道は王国の大動脈であり、宿場町は整備されているものの、一日当たり二十五キロほど移動するから体力的に厳しい。
「ネッツァーさんは同行されませんが、カルラさんとユーダさんが一緒ですから、治癒魔導に関しては問題ありませんよ」
闇の監視者の影であり、私の護衛でありメイドであるカルラ・シュヴァイツァーと、同じく執事として働いているユーダ・カーンの正体は両親も知っている。
上級魔導師マルティン・ネッツァーから聞いた話では、二人は上級魔導師と同等か、それ以上の魔導の使い手らしい。
実際に使っているところを見たことはないが、二人とも長命種である闇森人、いわゆるダークエルフであり、普人族より魔導の才能があると聞いている。
「確かに山道ですし、天候が崩れやすいと聞いていますが、私は馬車を使うので問題ありませんよ」
何とか両親を説得した後、再びエッフェンベルク伯爵邸に向かった。
既に夕方になっており、ラザファムとハルトムートも伯爵邸に来ている。
しかし、伯爵はグレーフェンベルク子爵ら王国騎士団との調整が終わっていないらしく、屋敷に戻っていなかった。
そのため、学院時代のような気楽さで話をしている。
「四人で戦場に向かうことになるんだな」
ハルトムートが感慨深げに呟く。
「そうね。でもマティが作戦を立てて、兄様とハルトがそれを実行するのが、こんなに早い時期にやって来ると思っていなかったわ」
ラザファムがイリスの言葉を否定する。
「イリスはそういうけど、マティはともかく、私もハルトも中隊長に過ぎないんだ。連隊長や大隊長の命令を受けて、それを実行するだけになるはずだ」
二人は王立学院高等部の兵学部を優秀な成績で卒業したことから、百人の部下を持つ中隊長に任命されていた。これは以前からの慣習であり、二人が特別というわけではない。
「ラズの言いたいことは分かるよ。でも、私が立てた策を認めてもらえるなら、私のことを一番理解している二人に頼むつもりだ」
「もう作戦を考えているのか! さすがはマティだな」
ラザファムが驚きとも呆れともいえる表情で声を上げる。ハルトムートとイリスも笑みを浮かべて頷いているが、私はそれに同調しなかった。
「今回の相手は想定していなかった。情報を集めるように叡智の守護者の情報分析室にはお願いしたけど、どの程度の質と量の情報が戦いまでに届けられるか微妙だ。敵の狙いが分からない中で、どこまでやれるか自信がない」
「そうは言っても考えてあるんだろ。俺たちがそれを成功させてやるよ。なあ、ラズ」
ハルトムートの全幅の信頼が少し重い。ハルトムートの言葉にラザファムも大きく頷く。
「ああ。私も全力で成功させるつもりだ。といってもマティがどんな突拍子もないことを言ってくるか、そっちの方が心配だよ」
「羨ましいわ。私はこの人と一緒にいるだけだから」
そんな話で盛り上がったが、ラザファムが真面目な表情になる。
「さっきから深刻そうな顔をしているが、実際どの程度危険だと思っているんだ?」
「これまで通りの法国軍なら大きな危険はないよ。敵が二万二千に対して、こちらが一万五千とはいえ、ヴェストエッケの城壁を破るのは難しいから。それにエッフェンベルク騎士団が参戦してくれることが心強い」
ヴェストエッケの城壁は高さが二十メートルで、西側にある海岸ギリギリまである。東はヴァイスホルン山脈の裾野に掛かるため、そこまでの高さはないが、山自体が切り立った断崖になっているから鉄壁の城壁といっていい。
防衛用の兵器も投石器と大型の弩砲が多数あり、法国側に当たる城壁の南には草原が広がっているだけで遮蔽物がなく、近づく敵を一方的に攻撃できる。
また、迂回するルートが存在しない。
ヴァイスホルン山脈を強引に通過するという方法が考えられるが、この方法はこれまで何度も挑戦しているらしいが、一度も成功していない。
理由は魔獣の存在だ。
ヴァイスホルン山脈には天災級や災害級と呼ばれる強力な魔獣が多く存在する。
天災級の魔獣は身長十五メートルを超える巨人や炎を吐く三つ首の巨犬ケルベロスなど、城壁に守られた大都市を滅ぼすことができるほど強力だ。
そのほとんどが山脈から出ないが、人間が入り込めば襲い掛かってくるため、大規模な軍であっても足場の悪い山岳では間違いなく全滅する。
そのため、敵が迂回してくる可能性は限りなくゼロであり、法国側である南に戦力を集中できる。また、今回は充分な戦力があるから城内で休息も摂れるので長期戦にも不安はない。
「さっきも言ったけど、鳳凰騎士団がなぜ派遣されることになったのかが気になっている。鳳凰騎士団はこれまで国内の不満分子の討伐などの治安維持でしか使われてこなかった。調べてみたけど、鳳凰騎士団がヴェストエッケに派遣されたのは六十年以上前だった。その時も主力は北方教会の神狼騎士団で、鳳凰騎士団と西方教会の鷲獅子騎士団は援軍という扱いだった」
「つまり集団戦の経験が少ない鳳凰騎士団を主力にするなら、何らかの策があるはずだと考えているんだな」
ラザファムの言葉に大きく頷く。
「その通り。一応私が思いつく限りの策は潰せるように手を打つつもりなんだけど、これだけ情報がないと不安になるんだ」
最も考えられる策は、ヴェストエッケに潜り込んでいる工作員が内部から城門を開放することだ。
これについては既に闇の監視者に調査を依頼してあるから問題はない。
他に考えられるのは大規模な攻勢を掛けつつ、トンネルを掘って内部に侵入させるという作戦だ。
これも対応方法は分かっているから大きな問題にはならないだろう。
あと考えられるのは大規模な攻城兵器の使用だ。
投石器はこれまでも使っているが、ヴェストエッケの南側の平原には充分な面積があり、大規模なものを使うことが可能だ。
対抗手段としてこちらからも投石器や大型の弩砲で攻撃することだが、数で圧倒されると手の打ちようがない。
投石器の運搬に時間が掛かるから、今まではそれほど使われなかったが、南方教会は海上交易で財を成しているから輸送船を多く持っている。
人が多数乗っていなければ、海の魔獣も襲う可能性は低いから、海上輸送で送り込むことは充分に考えられる。
また、砲弾となる岩は荒地である平原やヴァイスホルン山脈に多数あるため、一度設置してしまえば継続して使用が可能で、十分に脅威になると考えていた。
これらのことを説明すると、イリスが呆れたような声を上げた。
「充分に考えているじゃない。これで不安って……」
「そうは言ってもあくまで私の予想に過ぎないんだ。それに今言った話は常識的なものなんだ。私の想像を遥かに超える策があるかもしれない。何といっても一神教の狂信者たちなんだからね」
「打てるだけの手を打って、あとは敵の出方を待つという方法もある。君ならその場でいい手を思いつくはずだ」
「そうだな。マティの裏を掻けるような奴がいたら会ってみたいね。まあ、俺は考えるのが苦手だから」
ラザファムとハルトムートは笑顔で頷きあっている。
「それにしてももったいなかったな」
ハルトムートが何かを思い出したのか、そんなことを口にする。
「何のことだ?」
ラザファムが尋ねるが、私も何のことか思いつかない。
「法国から引き抜いた獣人族のことだ。彼らを戦力として使えたら、もう少し戦術の幅が広がったんじゃないかと思っただけだ」
ラザファムが頷く。
「なるほど。確かに狼人族だけでも役に立った可能性はあるな。あの身体能力なら城壁の上でも充分に使える」
私も少しだけ同じことを考えていた。
今回の作戦で遊撃部隊として使えれば、鳳凰騎士団の奥の手に対抗できる可能性が高まるからだ。
しかし、惜しいとは思っていない。
「確かに戦術の幅は広がったかもしれないけど、彼らに法国軍の相手をさせる気はないよ。法国からの亡命者だとバレたら、法国にいる獣人族たちにどんな影響が出るか分からないからね」
「それはそうね。まだ少しずつだけど王国に来てくれているんだし」
イリスの言う通り、奴隷に扮しての亡命は未だに続いている。
そろそろラウシェンバッハ領だけでは受け入れが難しくなりつつあるほどだ。
「それは考えなかったな。まあ、その分、俺たちが働いてやるから、存分に使ってくれよ、マティ!」
ハルトムートが豪快に私の肩を叩き、場は学生時代と同じ和やかな感じに包まれた。
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※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。
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