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第三章:「王立学院高等部編」
第十五話「獣人族の入植地」
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統一暦一二〇二年七月十五日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
領地に到着した二日後。
昨日は一日かけて領地の運営状況を確認した。代官であるムスタファ・フリッシュムートが適切に差配しているため、致命的な問題は全く見つからなかった。
特に不安視していた上下水道などのインフラ整備については、モーリス商会などの協力もあり、問題になっていない。人口が短期間で倍近くになっているのに、素晴らしい対応だと感心している。
但し、人口増加の影響によって、領地運営のための文官と治安維持のための兵士の数が足りなくなるという問題が起きていた。これについては簡単なアドバイスを行っている。
と言っても本当に簡単なものだ。
まず、文官だが、これについては商人組合に外注するというものだ。
商人組合と言っても実質的にはモーリス商会に依頼する。
彼らは帝国で情報収集のために人材派遣業を行っており、そのノウハウを持っているので、ここでは本業として人材を派遣してもらうつもりだ。
治安維持の方は現在の兵士を昇格させ、その下に獣人族の戦士を配置するという案を考えている。これについては入植地を見てからでないと何とも言えないが、これまで得た情報ではできそうな気がしている。
そして、今日はその獣人族の入植地の視察に向かう。
入植地は領都ラウシェンバッハから二十キロメートルほど南西にある。
一応、入植前に道路の整備は命じていたが、それまで未開の地ということで馬車がすれ違えないほど狭い道しかない。今も週に一回程度、行商人の荷馬車が通っているだけであるため、馬車では乗り心地が悪いらしく、私も今回は馬に乗っていくことになった。
メンバーは私たち四人の他に影の護衛兼メイドであるカルラ・シュヴァイツァー、代官のフリッシュムートと文官二名、我が家の兵士十名、ラザファムたちの護衛であるエッフェンベルク騎士団の騎士五名だ。もちろん、カルラの配下の影も見えないところで護衛してくれている。
そして、私以外は文官であるフリッシュムートを含めて全員が武装している。
獣人族が入植するようになってから魔獣が出る可能性は大きく低下しているのだが、元々魔獣の出没により開墾できなかった土地であり、不測の事態に備えるためだ。
もっともこの辺りに出ていた魔獣は比較的弱く、凄腕の暗殺者であるカルラ一人でも問題ないらしい。
早朝に出発し、草原の中に入っていく。
ラウシェンバッハ子爵領があるドライフェルス平原は比較的乾燥している土地で、小川の近く以外は農業にあまり適していない。
そのため、水が豊かなエンテ河の東側に農地が広がり、西側は放牧が僅かに行われているくらいで、二キロメートルほど行くと完全に無人の地になる。
その無人の地に獣人族の入植地を作った理由だが、一つには獣人たちが我々普人族に不信感を持っていることが大きい。
彼らはレヒト法国で迫害されていたため、普人族と一定の距離を保った方が無用なトラブルを避けることができ、スムーズに定着できるのではないかと考えたのだ。
他の理由としては、獣人族が魔獣や野生の獣を狩って、生計を立てていたためだ。
彼らも自給自足用に畑を作ることはあるが、基本的には狩猟民族であり、農耕はあまり得意としていない。
レヒト法国でも魔獣から取れる魔石や野生の獣の皮や肉と食料と交換していたと聞いている。そのため、狩りに適した土地を用意したのだ。
これは私の思惑である魔獣の間引きとも一致している。
細い道を馬に乗って進んでいく。
私以外は風景を見る余裕があるが、私は馬を操るのに必死で周りを見る余裕がない。
そのため、すぐに私だけでなく馬も疲れてしまい、何度も休憩を挟むことになってしまった。
それでもそれほど遠くはないため、昼過ぎには目的地である狼人族の村に到着した。
狼人族は最初期に入植しており、既に一年以上経っている。
また人口八百人を超える大所帯ということで労働力があるため、建物や防護柵なども完成しており、既に村として機能していた。
私が訪問することは予め伝えてあったため、村の入口に百人近い働き盛りの男たちが出迎えのために待っていた。
その中の一人、四十代半ばくらいの目つきの鋭い男性が片膝を突く。それを見た男たちも一斉に膝を突いた。
「ヴォルフ村にようこそおいでくださいました。私は村長のデニス・ヴォルフと申します」
それだけ言うと、大きく頭を下げる。慌てて馬を降り、挨拶を返した。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。皆さんの歓迎に感謝します。それでは皆さん、立ち上がってください」
私がそう言ってもデニスを始め、全員が頭を下げたままだ。
「マティアス様のお言葉を聞いただろう。すぐに頭を上げるのだ」
フリッシュムートが威厳のある声で命じると、デニスがゆっくりと頭を上げる。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。後ろの男たちも肩を震わせている。
「我々はマティアス様に命を救われました。その感謝の気持ちを表したかったのです」
私が関与したという話は、グランツフート共和国軍のゲルハルト・ケンプフェルト将軍が彼らに漏らしたと聞いているが、ここまで感謝されることはないはずだ。
「皆さんを救い出してくれたのはモーリス商会の方たちです。私はここに土地を用意しただけですよ」
「モーリス商会のロニー・トルンク殿から聞いております。マティアス様は我ら獣人族のために、想像もできないような壮大な策を考えてくださったと……」
ケンプフェルト将軍が話した後に、ロニー・トルンクがデニスに私のことを話したという報告は影から受けていた。しかし、具体的なことは何も話していないはずで、思わず首を傾げてしまう。
「我々の後に到着した連中から、我々が国を出た後、赤竜騎士団が共和国軍に敗れ、聖都では法王が殺されたと聞きました。その結果、法国は大混乱に陥り、後続の者たちがスムーズに脱出できたと……」
私は慌てて彼の言葉を遮った。
この話が広がると、私が謀略に関わっていることが知られてしまうと思ったためだ。
「ま、待ってください。それは偶然です!」
「これは私どもの勝手な想像です。ですが、我々はいろいろなことを見てきました。ロニー殿が聖竜騎士団や聖職者たちを動かしていたこと、ケンプフェルト将軍に予め護衛を依頼したこと……ここに到着してからもいろいろと考えました。そして、ある結論に達したのです。マティアス様が我々のために手配してくださったのだと。そう考えなければ辻褄が合わないと……我々はあなたに命を救われたのです……」
獣人族の、いやデニスの洞察力を侮っていた。
実際に現場を見てきたから分かると言っているが、それら断片的な事実とケンプフェルト将軍の言葉、更には法国で混乱が起きたという噂だけで、私が関与していると看破されるとは思ってもみなかった。
「このことは誰かに話していますか?」
「いえ。我が一族の者だけです。他の氏族の者にも話してはおりません」
その言葉に安堵するが、釘を刺しておく。
「皆さんの安全にも直結しますので、今の話は絶対に口外しないでください」
「もちろんです! この場だから私はお伝えしたのです。ですが、我らはマティアス様に忠誠を誓うと心に決めております! あなた様を危険に曝すようなことは決していたしません!」
崇拝するような目でそう言い切られるとたじろいでしまう。
「では、この話はこれで終わりにしましょう。村の中を案内していただけますか」
居たたまれない気持ちで強引に話を打ち切った。
村の中に入ると、更に多くの村人が平伏して待っていた。
全員に立つように命じ、村の中を進んでいく。
あとから知った話だが、共和国の英雄ケンプフェルト将軍が私の名を口にし、トルンクが私の関与を認めたため、私がすべてを仕組んだと思い込んだだけのようだ。
何とか落ち着いたところで話を聞いた。
「何か不自由なことはありませんか? すべての要望に応えることはできませんが、可能な限り対処しますが」
「何も問題はございません。前の村では考えられないほど幸せなのです」
きっぱりと言い切られるが、先ほどのこともあるので念を押す。
「本当にありませんか? 遠慮は無用ですよ」
その問いにもデニスは大きく首を横に振る。
「騎士団の奴隷狩りに怯えることもなければ、行商人に足元を見られることもありません。食料や薬も望むものが手に入りますし、治癒師を派遣していただいたおかげで、子供が冬に死ぬことがありませんでした。これまで毎年十人は冬を越せずに死んでおりましたので……今の生活が夢ではないかと思えるほどなのです」
行商人は子爵家が雇って巡回させている。護衛も兵士を付けており、警備のコストも掛からないことと兵士が見張っていることから、商人も必要以上に値を上げることはなく、町とほとんど同じ値段で買い物ができる。
また、気候や風土が変わるため、身体に影響がないかの確認と長期的な健康管理のために、治癒師と文官を定期的に派遣していた。もし、獣人族特有の風土病が発生するようなら、ここへの入植を取りやめる必要があるためだ。
これらのことも私を崇拝する原因のようだが、私としては当たり前のことをしているだけなので困惑してしまう。
「このご恩をお返しするために、我らヴォルフ族はマティアス様に絶対の忠誠を誓います! どのようなことでもお命じください!」
「そのお気持ちだけで充分です。それに村を繁栄させることこそが私の望みです。ですので、あまり思い詰めず、幸せに暮らすことだけを考えてください」
狼人族は上位者に対して忠誠を尽くす氏族だと聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
警邏隊に編入しようと考えていたが、張り切り過ぎて暴走しかねず、逆に危険だと思い始めた。
また、五感に優れている獣人族たちで斥候隊を作ることも視野に入れていたが、王国に忠誠を尽くすのではなく、私個人に対して忠誠を誓っており、王国騎士団に入れることもためらわれる。
その夜、ラザファム、イリス、ハルトムートに相談を持ち掛けた。
「彼らを王国軍に入れることはやはり難しいかな?」
私の問いにラザファムが頷く。
「君の私兵としてなら最高だが、騎士団には入れられないな。ラウシェンバッハ家の兵士としても君への忠誠心が強すぎて、君以外が統率することはできないだろう」
ラザファムの意見にハルトムートも頷く。
「俺も同じ意見だな。ただ、訓練はしておいた方がいいと思う。あの身のこなしなら既に一流の戦士たちだろう。集団での戦い方を覚えておけば、必ず役に立つ」
イリスも話に乗ってきた。
「そうね。見ただけだけど、デニスとその周りにいた男たちには全然隙がなかったわ。すぐにでも手合わせしてもらおうと思ったほどよ」
彼ら三人は東方系武術の使い手であり、見ただけでも身体能力がある程度分かる。
「将来を見据えて訓練をしてもらうとしても、誰にやってもらうかだな。うちじゃ無理だし、王国騎士団も難しいとなると、エッフェンベルク騎士団くらいか……」
ラウシェンバッハ家に騎士団はない。一応、兵士は百人ほどいるし、王家から召集が掛かれば三百人ほどの部隊は派遣するが、文官の家系ということで戦力的には全く期待されておらず、演習も碌に行っていない。
「エッフェンベルク騎士団で訓練してもらえばいいんじゃないか?」
ハルトムートが軽い感じで勧めてきた。
「うちしかないと思うが、父上でも彼らを従えるのは難しいと思うぞ」
ラザファムは否定的だが、ハルトムートは断言した。
「いや、伯爵様なら大丈夫だ」
イリスが首を傾げる。
「どうして? お父様は生粋の武人じゃないわよ」
そこでハルトムートがニヤリと笑った。
「伯爵様がマティアスの奥方の父上だと説明すればいい。上下関係で言えば、マティアスより上位になるんだから、素直に言うことを聞くんじゃないか」
「なるほど」
ラザファムは大きく頷くが、イリスは顔を赤くして俯いている。
「確かにそれはいい案かもしれない。今後法国から来る獣人族をエッフェンベルク領に受け入れてもらうにしても、狼人族が恭順の姿勢を見せてくれれば、伯爵を説得しやすいからね」
私が冷静にそう言うと、イリスが肘で突いてきた。
「奥方様って……まだ婚約もしていないのに……」
そんな彼女を見て、私たち三人は笑った。
翌日、ラザファムとハルトムートがデニスら狼人族戦士と手合わせした。
ラザファムたちはそれぞれの流派で中伝、すなわち身体強化まで可能という実力者だが、デニスたちは我流の戦い方で圧倒していた。
「凄いものだね。ラズとハルトが圧倒されるなんて久しぶりに見た気がするよ。皆伝クラスの使い手に匹敵するってことかな」
隣で見ていたイリスに聞くと、少し迷った後に頷いた。
「うちの騎士のクレーマンほどではないから、皆伝まではいかないと思うけど、相当な使い手であることは間違いないわ。私も手合わせしたかったな……」
イリスは私の婚約者になる女性と紹介したため、狼人族戦士たちが木剣とはいえ武器を向けたくないと言って尻込みしてしまったのだ。
その後、他の氏族の集落を順次訪問していく。
狼人族ほどではないが、どこでも熱烈に歓迎され、感謝の言葉を掛けられている。
ただ、他の氏族の集落は入植開始一年未満であるため、自立できているとは言い難い。
その状況からエッフェンベルク伯爵領で訓練を行うのは、時期尚早だという結論に達した。
「時期尚早というのは分からないでもないが、いつくらいを考えているんだ?」
ラザファムが聞いてきた。
「早くても来年の春以降だな。それほど急ぐ理由もないし、彼らが落ち着いてからじっくり話し合った方がいいだろうね」
「もったいない気がするな。少なくとも狼人族はエッフェンベルクに何人か送り込んでもいいんじゃないか?」
ハルトムートの意見にイリスも頷いている。
「いずれエッフェンベルクにも入植させるのでしょ。なら、先に行ってもらった方がいいんじゃないかしら」
「だから来年の春以降なんだ。入植したら騎士団で訓練が必須みたいに思われるのが嫌なんだよ」
忠誠心が高い狼人族がエッフェンベルク騎士団で訓練を受ければ、伯爵の目に必ず留まる。そうなれば、入植する獣人族に期待するだろうし、獣人族側もそうすることが当然と思う可能性がある。
私としては王国軍兵士ではなく、狩人として治安維持の一端を担ってくれれば充分だと思っている。兵士にすることは、故郷を追われた彼らを利用しているようで気に入らないのだ。
そのことを説明すると、三人は理解を示してくれた。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
領地に到着した二日後。
昨日は一日かけて領地の運営状況を確認した。代官であるムスタファ・フリッシュムートが適切に差配しているため、致命的な問題は全く見つからなかった。
特に不安視していた上下水道などのインフラ整備については、モーリス商会などの協力もあり、問題になっていない。人口が短期間で倍近くになっているのに、素晴らしい対応だと感心している。
但し、人口増加の影響によって、領地運営のための文官と治安維持のための兵士の数が足りなくなるという問題が起きていた。これについては簡単なアドバイスを行っている。
と言っても本当に簡単なものだ。
まず、文官だが、これについては商人組合に外注するというものだ。
商人組合と言っても実質的にはモーリス商会に依頼する。
彼らは帝国で情報収集のために人材派遣業を行っており、そのノウハウを持っているので、ここでは本業として人材を派遣してもらうつもりだ。
治安維持の方は現在の兵士を昇格させ、その下に獣人族の戦士を配置するという案を考えている。これについては入植地を見てからでないと何とも言えないが、これまで得た情報ではできそうな気がしている。
そして、今日はその獣人族の入植地の視察に向かう。
入植地は領都ラウシェンバッハから二十キロメートルほど南西にある。
一応、入植前に道路の整備は命じていたが、それまで未開の地ということで馬車がすれ違えないほど狭い道しかない。今も週に一回程度、行商人の荷馬車が通っているだけであるため、馬車では乗り心地が悪いらしく、私も今回は馬に乗っていくことになった。
メンバーは私たち四人の他に影の護衛兼メイドであるカルラ・シュヴァイツァー、代官のフリッシュムートと文官二名、我が家の兵士十名、ラザファムたちの護衛であるエッフェンベルク騎士団の騎士五名だ。もちろん、カルラの配下の影も見えないところで護衛してくれている。
そして、私以外は文官であるフリッシュムートを含めて全員が武装している。
獣人族が入植するようになってから魔獣が出る可能性は大きく低下しているのだが、元々魔獣の出没により開墾できなかった土地であり、不測の事態に備えるためだ。
もっともこの辺りに出ていた魔獣は比較的弱く、凄腕の暗殺者であるカルラ一人でも問題ないらしい。
早朝に出発し、草原の中に入っていく。
ラウシェンバッハ子爵領があるドライフェルス平原は比較的乾燥している土地で、小川の近く以外は農業にあまり適していない。
そのため、水が豊かなエンテ河の東側に農地が広がり、西側は放牧が僅かに行われているくらいで、二キロメートルほど行くと完全に無人の地になる。
その無人の地に獣人族の入植地を作った理由だが、一つには獣人たちが我々普人族に不信感を持っていることが大きい。
彼らはレヒト法国で迫害されていたため、普人族と一定の距離を保った方が無用なトラブルを避けることができ、スムーズに定着できるのではないかと考えたのだ。
他の理由としては、獣人族が魔獣や野生の獣を狩って、生計を立てていたためだ。
彼らも自給自足用に畑を作ることはあるが、基本的には狩猟民族であり、農耕はあまり得意としていない。
レヒト法国でも魔獣から取れる魔石や野生の獣の皮や肉と食料と交換していたと聞いている。そのため、狩りに適した土地を用意したのだ。
これは私の思惑である魔獣の間引きとも一致している。
細い道を馬に乗って進んでいく。
私以外は風景を見る余裕があるが、私は馬を操るのに必死で周りを見る余裕がない。
そのため、すぐに私だけでなく馬も疲れてしまい、何度も休憩を挟むことになってしまった。
それでもそれほど遠くはないため、昼過ぎには目的地である狼人族の村に到着した。
狼人族は最初期に入植しており、既に一年以上経っている。
また人口八百人を超える大所帯ということで労働力があるため、建物や防護柵なども完成しており、既に村として機能していた。
私が訪問することは予め伝えてあったため、村の入口に百人近い働き盛りの男たちが出迎えのために待っていた。
その中の一人、四十代半ばくらいの目つきの鋭い男性が片膝を突く。それを見た男たちも一斉に膝を突いた。
「ヴォルフ村にようこそおいでくださいました。私は村長のデニス・ヴォルフと申します」
それだけ言うと、大きく頭を下げる。慌てて馬を降り、挨拶を返した。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。皆さんの歓迎に感謝します。それでは皆さん、立ち上がってください」
私がそう言ってもデニスを始め、全員が頭を下げたままだ。
「マティアス様のお言葉を聞いただろう。すぐに頭を上げるのだ」
フリッシュムートが威厳のある声で命じると、デニスがゆっくりと頭を上げる。その目には薄っすらと涙が浮かんでいた。後ろの男たちも肩を震わせている。
「我々はマティアス様に命を救われました。その感謝の気持ちを表したかったのです」
私が関与したという話は、グランツフート共和国軍のゲルハルト・ケンプフェルト将軍が彼らに漏らしたと聞いているが、ここまで感謝されることはないはずだ。
「皆さんを救い出してくれたのはモーリス商会の方たちです。私はここに土地を用意しただけですよ」
「モーリス商会のロニー・トルンク殿から聞いております。マティアス様は我ら獣人族のために、想像もできないような壮大な策を考えてくださったと……」
ケンプフェルト将軍が話した後に、ロニー・トルンクがデニスに私のことを話したという報告は影から受けていた。しかし、具体的なことは何も話していないはずで、思わず首を傾げてしまう。
「我々の後に到着した連中から、我々が国を出た後、赤竜騎士団が共和国軍に敗れ、聖都では法王が殺されたと聞きました。その結果、法国は大混乱に陥り、後続の者たちがスムーズに脱出できたと……」
私は慌てて彼の言葉を遮った。
この話が広がると、私が謀略に関わっていることが知られてしまうと思ったためだ。
「ま、待ってください。それは偶然です!」
「これは私どもの勝手な想像です。ですが、我々はいろいろなことを見てきました。ロニー殿が聖竜騎士団や聖職者たちを動かしていたこと、ケンプフェルト将軍に予め護衛を依頼したこと……ここに到着してからもいろいろと考えました。そして、ある結論に達したのです。マティアス様が我々のために手配してくださったのだと。そう考えなければ辻褄が合わないと……我々はあなたに命を救われたのです……」
獣人族の、いやデニスの洞察力を侮っていた。
実際に現場を見てきたから分かると言っているが、それら断片的な事実とケンプフェルト将軍の言葉、更には法国で混乱が起きたという噂だけで、私が関与していると看破されるとは思ってもみなかった。
「このことは誰かに話していますか?」
「いえ。我が一族の者だけです。他の氏族の者にも話してはおりません」
その言葉に安堵するが、釘を刺しておく。
「皆さんの安全にも直結しますので、今の話は絶対に口外しないでください」
「もちろんです! この場だから私はお伝えしたのです。ですが、我らはマティアス様に忠誠を誓うと心に決めております! あなた様を危険に曝すようなことは決していたしません!」
崇拝するような目でそう言い切られるとたじろいでしまう。
「では、この話はこれで終わりにしましょう。村の中を案内していただけますか」
居たたまれない気持ちで強引に話を打ち切った。
村の中に入ると、更に多くの村人が平伏して待っていた。
全員に立つように命じ、村の中を進んでいく。
あとから知った話だが、共和国の英雄ケンプフェルト将軍が私の名を口にし、トルンクが私の関与を認めたため、私がすべてを仕組んだと思い込んだだけのようだ。
何とか落ち着いたところで話を聞いた。
「何か不自由なことはありませんか? すべての要望に応えることはできませんが、可能な限り対処しますが」
「何も問題はございません。前の村では考えられないほど幸せなのです」
きっぱりと言い切られるが、先ほどのこともあるので念を押す。
「本当にありませんか? 遠慮は無用ですよ」
その問いにもデニスは大きく首を横に振る。
「騎士団の奴隷狩りに怯えることもなければ、行商人に足元を見られることもありません。食料や薬も望むものが手に入りますし、治癒師を派遣していただいたおかげで、子供が冬に死ぬことがありませんでした。これまで毎年十人は冬を越せずに死んでおりましたので……今の生活が夢ではないかと思えるほどなのです」
行商人は子爵家が雇って巡回させている。護衛も兵士を付けており、警備のコストも掛からないことと兵士が見張っていることから、商人も必要以上に値を上げることはなく、町とほとんど同じ値段で買い物ができる。
また、気候や風土が変わるため、身体に影響がないかの確認と長期的な健康管理のために、治癒師と文官を定期的に派遣していた。もし、獣人族特有の風土病が発生するようなら、ここへの入植を取りやめる必要があるためだ。
これらのことも私を崇拝する原因のようだが、私としては当たり前のことをしているだけなので困惑してしまう。
「このご恩をお返しするために、我らヴォルフ族はマティアス様に絶対の忠誠を誓います! どのようなことでもお命じください!」
「そのお気持ちだけで充分です。それに村を繁栄させることこそが私の望みです。ですので、あまり思い詰めず、幸せに暮らすことだけを考えてください」
狼人族は上位者に対して忠誠を尽くす氏族だと聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
警邏隊に編入しようと考えていたが、張り切り過ぎて暴走しかねず、逆に危険だと思い始めた。
また、五感に優れている獣人族たちで斥候隊を作ることも視野に入れていたが、王国に忠誠を尽くすのではなく、私個人に対して忠誠を誓っており、王国騎士団に入れることもためらわれる。
その夜、ラザファム、イリス、ハルトムートに相談を持ち掛けた。
「彼らを王国軍に入れることはやはり難しいかな?」
私の問いにラザファムが頷く。
「君の私兵としてなら最高だが、騎士団には入れられないな。ラウシェンバッハ家の兵士としても君への忠誠心が強すぎて、君以外が統率することはできないだろう」
ラザファムの意見にハルトムートも頷く。
「俺も同じ意見だな。ただ、訓練はしておいた方がいいと思う。あの身のこなしなら既に一流の戦士たちだろう。集団での戦い方を覚えておけば、必ず役に立つ」
イリスも話に乗ってきた。
「そうね。見ただけだけど、デニスとその周りにいた男たちには全然隙がなかったわ。すぐにでも手合わせしてもらおうと思ったほどよ」
彼ら三人は東方系武術の使い手であり、見ただけでも身体能力がある程度分かる。
「将来を見据えて訓練をしてもらうとしても、誰にやってもらうかだな。うちじゃ無理だし、王国騎士団も難しいとなると、エッフェンベルク騎士団くらいか……」
ラウシェンバッハ家に騎士団はない。一応、兵士は百人ほどいるし、王家から召集が掛かれば三百人ほどの部隊は派遣するが、文官の家系ということで戦力的には全く期待されておらず、演習も碌に行っていない。
「エッフェンベルク騎士団で訓練してもらえばいいんじゃないか?」
ハルトムートが軽い感じで勧めてきた。
「うちしかないと思うが、父上でも彼らを従えるのは難しいと思うぞ」
ラザファムは否定的だが、ハルトムートは断言した。
「いや、伯爵様なら大丈夫だ」
イリスが首を傾げる。
「どうして? お父様は生粋の武人じゃないわよ」
そこでハルトムートがニヤリと笑った。
「伯爵様がマティアスの奥方の父上だと説明すればいい。上下関係で言えば、マティアスより上位になるんだから、素直に言うことを聞くんじゃないか」
「なるほど」
ラザファムは大きく頷くが、イリスは顔を赤くして俯いている。
「確かにそれはいい案かもしれない。今後法国から来る獣人族をエッフェンベルク領に受け入れてもらうにしても、狼人族が恭順の姿勢を見せてくれれば、伯爵を説得しやすいからね」
私が冷静にそう言うと、イリスが肘で突いてきた。
「奥方様って……まだ婚約もしていないのに……」
そんな彼女を見て、私たち三人は笑った。
翌日、ラザファムとハルトムートがデニスら狼人族戦士と手合わせした。
ラザファムたちはそれぞれの流派で中伝、すなわち身体強化まで可能という実力者だが、デニスたちは我流の戦い方で圧倒していた。
「凄いものだね。ラズとハルトが圧倒されるなんて久しぶりに見た気がするよ。皆伝クラスの使い手に匹敵するってことかな」
隣で見ていたイリスに聞くと、少し迷った後に頷いた。
「うちの騎士のクレーマンほどではないから、皆伝まではいかないと思うけど、相当な使い手であることは間違いないわ。私も手合わせしたかったな……」
イリスは私の婚約者になる女性と紹介したため、狼人族戦士たちが木剣とはいえ武器を向けたくないと言って尻込みしてしまったのだ。
その後、他の氏族の集落を順次訪問していく。
狼人族ほどではないが、どこでも熱烈に歓迎され、感謝の言葉を掛けられている。
ただ、他の氏族の集落は入植開始一年未満であるため、自立できているとは言い難い。
その状況からエッフェンベルク伯爵領で訓練を行うのは、時期尚早だという結論に達した。
「時期尚早というのは分からないでもないが、いつくらいを考えているんだ?」
ラザファムが聞いてきた。
「早くても来年の春以降だな。それほど急ぐ理由もないし、彼らが落ち着いてからじっくり話し合った方がいいだろうね」
「もったいない気がするな。少なくとも狼人族はエッフェンベルクに何人か送り込んでもいいんじゃないか?」
ハルトムートの意見にイリスも頷いている。
「いずれエッフェンベルクにも入植させるのでしょ。なら、先に行ってもらった方がいいんじゃないかしら」
「だから来年の春以降なんだ。入植したら騎士団で訓練が必須みたいに思われるのが嫌なんだよ」
忠誠心が高い狼人族がエッフェンベルク騎士団で訓練を受ければ、伯爵の目に必ず留まる。そうなれば、入植する獣人族に期待するだろうし、獣人族側もそうすることが当然と思う可能性がある。
私としては王国軍兵士ではなく、狩人として治安維持の一端を担ってくれれば充分だと思っている。兵士にすることは、故郷を追われた彼らを利用しているようで気に入らないのだ。
そのことを説明すると、三人は理解を示してくれた。
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