54 / 467
第三章:「王立学院高等部編」
第十三話「法国での反乱事件」
しおりを挟む
統一暦一二〇一年六月三十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
王立学院高等部二年の夏休みが始まる直前、大きなニュースが舞い込んできた。
情報をもたらしたのは叡智の守護者の王都の責任者、マルティン・ネッツァー上級魔導師だ。
ネッツァー氏は珍しく興奮気味で、私の部屋に入るとすぐに話し始めた。
「法国で大事件だ。君の謀略が見事に成功したようだよ!」
私は叡智の守護者の情報分析室、商人組合の大商人ライナルト・モーリスらの力を借り、ゾルダート帝国とレヒト法国で政情不安が起きるように工作を行っていた。
帝国でも効果は見えているが、法国では更に顕著だ。
昨年の秋に教団上層部に接触する方法を提案し、上手く食い込むことに成功している。
そのお陰で、東方教会に情報操作を仕掛けることができるようになった。
今年の三月には教団の主戦力である聖堂騎士団の一部、東方教会に属する赤竜騎士団が暴走し、グランツフート共和国に攻撃を仕掛けた。
そして、ゲルハルト・ケンプフェルト将軍率いる共和国軍の精鋭に敗北している。
この時も騎士団を煽るだけ煽っておいて、ケンプフェルト将軍に事前に情報を送ることで、万全の態勢で迎撃できるようにしていた。
目的はケンプフェルト将軍の名声を更に高め、共和国軍の強化を図ることだ。
共和国軍は近代化を進めているが、五年前のフェアラート会戦での敗北により、改革自体に否定的な意見が出るようになっていた。
そのため、王国で進めている軍改革を共和国でも行えるように、将軍の名声を高めることで後押しする必要があったのだ。
この他にも聖堂騎士団と教団上層部との間に軋轢を作ることで、騎士団の予算と権限を縮小させ、結果として弱体化させることも目的としていた。
今回必要な手続きを経ずに戦争を仕掛けて敗北したから、これで騎士団も少しは大人しくなると思っていたので、大事件と聞き、思わず聞き返した。
「レヒト法国で何があったのですか?」
「法王が弑逆された。赤竜騎士団の一部が聖都レヒトシュテットにある法王庁に乱入し、法王と側近たちを殺したらしい」
その情報で何が起きたのか何となく分かった。
「赤竜騎士団が……なるほど。情報操作が思った以上に上手く嵌まったようですね」
レヒト法国はトゥテラリィ教という一神教が支配する宗教国家で、教団の長である法王が国家元首だ。
しかし、教団による独裁国家ではあるが、複雑な国家でもある。
トゥテラリィ教団は東西南北の四つの教会がレヒト法国を分割統治している。各教会のトップは総主教と呼ばれ、徴税権や司法権、そして騎士団の指揮権も持っている。
すなわち、レヒト法国は四つの教会が持つ自治領が集まった連合国家なのだ。
法王は四つの教会の利害関係を調整するだけで絶対的な権力は持っていない。それどころか、聖都を守る騎士団がなく、治安維持に当たる警邏隊以外の戦力を持っていない。更に法国の主戦力である聖堂騎士団の指揮権も、名誉的なものしか有していない。
聖堂騎士団は北方教会の神狼騎士団、東方教会の聖竜騎士団、南方教会の鳳凰騎士団、西方教会の鷲獅子騎士団の四つで、それぞれが白、青、赤、黒の四つに分かれている。
その十六ある騎士団が輪番制で騎士団がいない聖都の防衛に当たっているのだ。
理由ははっきりとしていないが、法王が力を持つことにより中央集権化することで、各教会が力を削がれることを恐れた結果ではないかと思っている。
各自治領を統治している各教会だが、それぞれ特徴がある。
北方教会領と東方教会領はそれぞれグライフトゥルム王国とグランツフート共和国に接しており、いずれも領土的野心を抱いている。
そのため、どちらの教会も恒常的に侵略戦争を起こし、膨大な軍事費を浪費していた。
一方、南方教会と西方教会は他国と国境を接しておらず、戦争には消極的だ。それは自分たちには関係ない侵略戦争で浪費する軍事費を補填させられるためだ。
その結果、主戦派である北方と東方、反戦派である南方と西方という二極構図になっている。
但し、主戦派は一枚岩ではなく、自分たちの戦略が正しく戦力を集中すべきと主張し、北方教会と東方教会は反目しあっている。
その結果、各教会の足並みは揃わず、惰性的に軍事費の浪費が止まることはなかった。そのため、平民の実質的な税率は六十パーセント以上と異常な高さで、多くの民が貧困に喘いでいる。
法王はこの状況を憂慮し、北方教会と東方教会を締め付けるが、私が流した偽情報に引っかかり、最も好戦的な赤竜騎士団が暴走した。
赤竜騎士団は独断で共和国に侵攻し、敗北した。本来対外戦争を行う際には法王が長である最高意思決定機関、枢機卿会の許可を得る必要があるが、それを無視した。そのため、法王は激怒し、赤竜騎士団の騎士団長を処刑するよう東方教会の責任者、総主教に命じる。
総主教はその命令に従うことなく辞任したが、騎士団長はそのことを恥じて自害した。
これも情報操作でそう仕向けたのだが、更に小細工をした。騎士団長は自害ではなく、法王の命令を受けた者に強要されたという噂を流したのだ。
そして、六月に入り、赤竜騎士団が聖都防衛の担当となった。
聖竜騎士団は約二万人の兵力を有しており、赤竜騎士団は五千人ほどになる。
敗戦のため、四千人ほどに減っているが、その一部、約五百名が法王のやり方に不満を持ち暴走した。
赤竜騎士団が聖都に入ることを危惧する枢機卿もいたが、これについても赤竜騎士団を疑うことは東方教会全体を疑うことだという噂を流し、順番通りに任に就いている。
影を使い、不満を持つ者たちに演習という名目で完全武装に疑問を持たせなくする策を授けた。また、騎士団の一部が不満を持っているため、間近で演習を行うことによって法王に圧力をかけるが、あくまで圧力だけだという噂も流している。
法王庁には警備兵が百名ほどいたが、実戦経験豊富な赤竜騎士団の敵ではなかった。また反乱に加わらなかった騎士たちも、当初は演習だと完全に思い込み、対応が後手に回る。その結果、五百名の兵士が法王庁に乱入し、法王と一部の聖職者を殺害したということだった。
ネッツァー氏の説明を受け、今後の見通しを確認する。
「次期法王はすんなり決まりそうですか?」
私の問いにネッツァー氏は肩を竦める。
「君がそれを聞くのかい。ここまでは君のシナリオ通りなのだろう?」
その言葉に私も同じように肩を竦めるしかなかった。
「さすがに法王が殺されるとまでは予想していませんでしたよ。法王庁を占領するくらいで終わると思っていましたから。まあ、その責任を法王や反戦派に追及させて、法国の政治を混乱させようとは思っていましたけど」
「そのために各教会の総主教の悪評を流していたのか」
今後は呆れたという感じで私を見る。
「悪評とおっしゃりますけど、ほとんど事実ですよ。北方教会が東方教会を嵌めようとしたとか、南方教会が次期法王の座を狙っているとか、西方教会が増税に反対しているとか、全部事実か、それに近い情報です。それをどう受け取るかは知りませんが」
反目しあうように、少し情報を操作しただけだ。
「そういうことにしておこうか……入ってきた情報では、次期法王は決まりそうにないそうだ。二ヶ月以上は掛かるのではないかという噂が流れているらしい」
法王は各教会の総主教四名と法王を補佐する枢機卿五名で構成される枢機卿会メンバーから選出される。その際、全員一致とならなければ法王として認められない。
そのため、法王選出には一ヶ月程度掛かると言われているが、今回は更に時間が掛かるという見通しだった。
「分かりました」
「何か指示しておくことはあるかな」
「これまでと同じように情報操作をお願いしますが、一点だけ追加で情報を流してもらうよう連絡してください。帝国が我が国に攻め込もうとしているので、王国も共和国も法国に介入する余裕はないと」
「なるほど。外から介入されないからじっくり揉めてくれということだな」
ネッツァー氏は私との付き合いが長いので、すぐに意図を理解してくれた。
それから二ヶ月半後の九月十五日、続報が入った。
「法王が決まったらしい。アンドレアスという名の枢機卿だ」
私はその名を聞き、大きく頷いた。
「想定通りですね。一番力のない候補者になりました」
アンドレアス枢機卿は三十八歳と非常に若く、有能な人物だ。しかし、その分、支持母体が脆弱で、四つの教会の利害関係の調整に苦しむはずだ。
もし、彼が選ばれなければ、西方教会のヴェンデル総主教が法王になったはずで、清廉で財政の健全化を訴える彼ならば、西方教会の力を背景に南方教会と協力して、法国内の改革に着手しただろう。
そうなった場合、対外戦争は封印されるだろうから当面の安全は確保できるが、五年後、十年後には今以上に力を付けるはずで脅威となる。
法国の民衆には悪いが、彼の国の政治が健全化されることは絶対に避けたい。
「法国全土で増税が行われるという情報を流してください。その目的が赤竜騎士団の抜本的な再編だということと合わせて」
「民衆の不満を高ぶらせるんだね。なるほど」
ネッツァー氏は頷くが、私は首を横に振る。
「それだけではありません。抜本的な再編と聞けば、法王を殺害した今の赤竜騎士団の騎士たちを解雇するように聞こえるでしょう。そうなれば、赤竜騎士団だけでなく、聖竜騎士団全体が反発します。当然、東方教会も反発するでしょう」
「確かにそうだね。ただ法国は商人組合を使えないから、モーリス商会だけだと噂はゆっくりとしか広がらないからもどかしいね」
レヒト法国には商人組合の支部はない。また、組合所属の大商会のほとんどが法国に支店を持っていない。
但し、ライナルト・モーリスのモーリス商会は主要な都市に支店を有している。これは叡智の守護者の情報分析室の要請、つまり私が希望したためだ。
モーリス商会には情報収集の他にあることも頼んであった。
虐げられている獣人を王国に亡命させるという案件だ。
トゥテラリィ教では獣人族は穢れた存在として人権はほとんどない。そのため、聖堂騎士団が戦闘奴隷として戦場に駆り出すが、獣人族は身体能力が高く、視覚や聴覚なども優れているため、王国や共和国にとっては厄介な存在だ。
また、獣人族の村は辺境にあるため、魔獣を間引く役目も担っている。実際、聖堂騎士団が獣人族狩りを行い、集落が消滅したため、街道にまで魔獣が出るようになり、大規模な魔獣狩りを行わなくてはならなくなったという事例もある。
その獣人族を密かに亡命させることで、法国の戦力と国力を低下させ、更に王国の戦力にしようという案だが、モーリス商会への支払いが長期の割賦にせざるを得ないため、割のいい仕事ではない。
ちなみに大商会のほとんどが支店を置いていない件だが、法国の税率が異常に高いことと、法国では独自の通貨しか使えないことが理由だ。
通貨については、以前は大陸共通の“組合マルク”が使われていたが、財政の悪化で独自通貨に切り替え、低質な通貨を大量に発行し、インフレを起こしている。
そのため、商人たちは貸していた金の価値がなくなり、大損害を被った。
更にたびたび通貨の質を下げるため、法国の通貨、“レヒトマルク”は信用が全くない。
「モーリス商会以外の伝手がないことは改善点ですね。トゥテラリィ教団上層部に協力者を作るにはまだ時間が掛かりそうですし、もう少し様子を見た方がいいでしょう」
その後、法国では政治的な停滞が続いており、更に国民の不満も徐々に高まりつつあった。
一応上手くいっているが、油断はできない。
国民の目を反らすために対外戦争を行うことはよくある話だ。
もし、王国に隙が見えれば、法国が戦争に踏み切る可能性は高い。
そのため、私は情報分析室にレヒト法国への監視強化を依頼した。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
王立学院高等部二年の夏休みが始まる直前、大きなニュースが舞い込んできた。
情報をもたらしたのは叡智の守護者の王都の責任者、マルティン・ネッツァー上級魔導師だ。
ネッツァー氏は珍しく興奮気味で、私の部屋に入るとすぐに話し始めた。
「法国で大事件だ。君の謀略が見事に成功したようだよ!」
私は叡智の守護者の情報分析室、商人組合の大商人ライナルト・モーリスらの力を借り、ゾルダート帝国とレヒト法国で政情不安が起きるように工作を行っていた。
帝国でも効果は見えているが、法国では更に顕著だ。
昨年の秋に教団上層部に接触する方法を提案し、上手く食い込むことに成功している。
そのお陰で、東方教会に情報操作を仕掛けることができるようになった。
今年の三月には教団の主戦力である聖堂騎士団の一部、東方教会に属する赤竜騎士団が暴走し、グランツフート共和国に攻撃を仕掛けた。
そして、ゲルハルト・ケンプフェルト将軍率いる共和国軍の精鋭に敗北している。
この時も騎士団を煽るだけ煽っておいて、ケンプフェルト将軍に事前に情報を送ることで、万全の態勢で迎撃できるようにしていた。
目的はケンプフェルト将軍の名声を更に高め、共和国軍の強化を図ることだ。
共和国軍は近代化を進めているが、五年前のフェアラート会戦での敗北により、改革自体に否定的な意見が出るようになっていた。
そのため、王国で進めている軍改革を共和国でも行えるように、将軍の名声を高めることで後押しする必要があったのだ。
この他にも聖堂騎士団と教団上層部との間に軋轢を作ることで、騎士団の予算と権限を縮小させ、結果として弱体化させることも目的としていた。
今回必要な手続きを経ずに戦争を仕掛けて敗北したから、これで騎士団も少しは大人しくなると思っていたので、大事件と聞き、思わず聞き返した。
「レヒト法国で何があったのですか?」
「法王が弑逆された。赤竜騎士団の一部が聖都レヒトシュテットにある法王庁に乱入し、法王と側近たちを殺したらしい」
その情報で何が起きたのか何となく分かった。
「赤竜騎士団が……なるほど。情報操作が思った以上に上手く嵌まったようですね」
レヒト法国はトゥテラリィ教という一神教が支配する宗教国家で、教団の長である法王が国家元首だ。
しかし、教団による独裁国家ではあるが、複雑な国家でもある。
トゥテラリィ教団は東西南北の四つの教会がレヒト法国を分割統治している。各教会のトップは総主教と呼ばれ、徴税権や司法権、そして騎士団の指揮権も持っている。
すなわち、レヒト法国は四つの教会が持つ自治領が集まった連合国家なのだ。
法王は四つの教会の利害関係を調整するだけで絶対的な権力は持っていない。それどころか、聖都を守る騎士団がなく、治安維持に当たる警邏隊以外の戦力を持っていない。更に法国の主戦力である聖堂騎士団の指揮権も、名誉的なものしか有していない。
聖堂騎士団は北方教会の神狼騎士団、東方教会の聖竜騎士団、南方教会の鳳凰騎士団、西方教会の鷲獅子騎士団の四つで、それぞれが白、青、赤、黒の四つに分かれている。
その十六ある騎士団が輪番制で騎士団がいない聖都の防衛に当たっているのだ。
理由ははっきりとしていないが、法王が力を持つことにより中央集権化することで、各教会が力を削がれることを恐れた結果ではないかと思っている。
各自治領を統治している各教会だが、それぞれ特徴がある。
北方教会領と東方教会領はそれぞれグライフトゥルム王国とグランツフート共和国に接しており、いずれも領土的野心を抱いている。
そのため、どちらの教会も恒常的に侵略戦争を起こし、膨大な軍事費を浪費していた。
一方、南方教会と西方教会は他国と国境を接しておらず、戦争には消極的だ。それは自分たちには関係ない侵略戦争で浪費する軍事費を補填させられるためだ。
その結果、主戦派である北方と東方、反戦派である南方と西方という二極構図になっている。
但し、主戦派は一枚岩ではなく、自分たちの戦略が正しく戦力を集中すべきと主張し、北方教会と東方教会は反目しあっている。
その結果、各教会の足並みは揃わず、惰性的に軍事費の浪費が止まることはなかった。そのため、平民の実質的な税率は六十パーセント以上と異常な高さで、多くの民が貧困に喘いでいる。
法王はこの状況を憂慮し、北方教会と東方教会を締め付けるが、私が流した偽情報に引っかかり、最も好戦的な赤竜騎士団が暴走した。
赤竜騎士団は独断で共和国に侵攻し、敗北した。本来対外戦争を行う際には法王が長である最高意思決定機関、枢機卿会の許可を得る必要があるが、それを無視した。そのため、法王は激怒し、赤竜騎士団の騎士団長を処刑するよう東方教会の責任者、総主教に命じる。
総主教はその命令に従うことなく辞任したが、騎士団長はそのことを恥じて自害した。
これも情報操作でそう仕向けたのだが、更に小細工をした。騎士団長は自害ではなく、法王の命令を受けた者に強要されたという噂を流したのだ。
そして、六月に入り、赤竜騎士団が聖都防衛の担当となった。
聖竜騎士団は約二万人の兵力を有しており、赤竜騎士団は五千人ほどになる。
敗戦のため、四千人ほどに減っているが、その一部、約五百名が法王のやり方に不満を持ち暴走した。
赤竜騎士団が聖都に入ることを危惧する枢機卿もいたが、これについても赤竜騎士団を疑うことは東方教会全体を疑うことだという噂を流し、順番通りに任に就いている。
影を使い、不満を持つ者たちに演習という名目で完全武装に疑問を持たせなくする策を授けた。また、騎士団の一部が不満を持っているため、間近で演習を行うことによって法王に圧力をかけるが、あくまで圧力だけだという噂も流している。
法王庁には警備兵が百名ほどいたが、実戦経験豊富な赤竜騎士団の敵ではなかった。また反乱に加わらなかった騎士たちも、当初は演習だと完全に思い込み、対応が後手に回る。その結果、五百名の兵士が法王庁に乱入し、法王と一部の聖職者を殺害したということだった。
ネッツァー氏の説明を受け、今後の見通しを確認する。
「次期法王はすんなり決まりそうですか?」
私の問いにネッツァー氏は肩を竦める。
「君がそれを聞くのかい。ここまでは君のシナリオ通りなのだろう?」
その言葉に私も同じように肩を竦めるしかなかった。
「さすがに法王が殺されるとまでは予想していませんでしたよ。法王庁を占領するくらいで終わると思っていましたから。まあ、その責任を法王や反戦派に追及させて、法国の政治を混乱させようとは思っていましたけど」
「そのために各教会の総主教の悪評を流していたのか」
今後は呆れたという感じで私を見る。
「悪評とおっしゃりますけど、ほとんど事実ですよ。北方教会が東方教会を嵌めようとしたとか、南方教会が次期法王の座を狙っているとか、西方教会が増税に反対しているとか、全部事実か、それに近い情報です。それをどう受け取るかは知りませんが」
反目しあうように、少し情報を操作しただけだ。
「そういうことにしておこうか……入ってきた情報では、次期法王は決まりそうにないそうだ。二ヶ月以上は掛かるのではないかという噂が流れているらしい」
法王は各教会の総主教四名と法王を補佐する枢機卿五名で構成される枢機卿会メンバーから選出される。その際、全員一致とならなければ法王として認められない。
そのため、法王選出には一ヶ月程度掛かると言われているが、今回は更に時間が掛かるという見通しだった。
「分かりました」
「何か指示しておくことはあるかな」
「これまでと同じように情報操作をお願いしますが、一点だけ追加で情報を流してもらうよう連絡してください。帝国が我が国に攻め込もうとしているので、王国も共和国も法国に介入する余裕はないと」
「なるほど。外から介入されないからじっくり揉めてくれということだな」
ネッツァー氏は私との付き合いが長いので、すぐに意図を理解してくれた。
それから二ヶ月半後の九月十五日、続報が入った。
「法王が決まったらしい。アンドレアスという名の枢機卿だ」
私はその名を聞き、大きく頷いた。
「想定通りですね。一番力のない候補者になりました」
アンドレアス枢機卿は三十八歳と非常に若く、有能な人物だ。しかし、その分、支持母体が脆弱で、四つの教会の利害関係の調整に苦しむはずだ。
もし、彼が選ばれなければ、西方教会のヴェンデル総主教が法王になったはずで、清廉で財政の健全化を訴える彼ならば、西方教会の力を背景に南方教会と協力して、法国内の改革に着手しただろう。
そうなった場合、対外戦争は封印されるだろうから当面の安全は確保できるが、五年後、十年後には今以上に力を付けるはずで脅威となる。
法国の民衆には悪いが、彼の国の政治が健全化されることは絶対に避けたい。
「法国全土で増税が行われるという情報を流してください。その目的が赤竜騎士団の抜本的な再編だということと合わせて」
「民衆の不満を高ぶらせるんだね。なるほど」
ネッツァー氏は頷くが、私は首を横に振る。
「それだけではありません。抜本的な再編と聞けば、法王を殺害した今の赤竜騎士団の騎士たちを解雇するように聞こえるでしょう。そうなれば、赤竜騎士団だけでなく、聖竜騎士団全体が反発します。当然、東方教会も反発するでしょう」
「確かにそうだね。ただ法国は商人組合を使えないから、モーリス商会だけだと噂はゆっくりとしか広がらないからもどかしいね」
レヒト法国には商人組合の支部はない。また、組合所属の大商会のほとんどが法国に支店を持っていない。
但し、ライナルト・モーリスのモーリス商会は主要な都市に支店を有している。これは叡智の守護者の情報分析室の要請、つまり私が希望したためだ。
モーリス商会には情報収集の他にあることも頼んであった。
虐げられている獣人を王国に亡命させるという案件だ。
トゥテラリィ教では獣人族は穢れた存在として人権はほとんどない。そのため、聖堂騎士団が戦闘奴隷として戦場に駆り出すが、獣人族は身体能力が高く、視覚や聴覚なども優れているため、王国や共和国にとっては厄介な存在だ。
また、獣人族の村は辺境にあるため、魔獣を間引く役目も担っている。実際、聖堂騎士団が獣人族狩りを行い、集落が消滅したため、街道にまで魔獣が出るようになり、大規模な魔獣狩りを行わなくてはならなくなったという事例もある。
その獣人族を密かに亡命させることで、法国の戦力と国力を低下させ、更に王国の戦力にしようという案だが、モーリス商会への支払いが長期の割賦にせざるを得ないため、割のいい仕事ではない。
ちなみに大商会のほとんどが支店を置いていない件だが、法国の税率が異常に高いことと、法国では独自の通貨しか使えないことが理由だ。
通貨については、以前は大陸共通の“組合マルク”が使われていたが、財政の悪化で独自通貨に切り替え、低質な通貨を大量に発行し、インフレを起こしている。
そのため、商人たちは貸していた金の価値がなくなり、大損害を被った。
更にたびたび通貨の質を下げるため、法国の通貨、“レヒトマルク”は信用が全くない。
「モーリス商会以外の伝手がないことは改善点ですね。トゥテラリィ教団上層部に協力者を作るにはまだ時間が掛かりそうですし、もう少し様子を見た方がいいでしょう」
その後、法国では政治的な停滞が続いており、更に国民の不満も徐々に高まりつつあった。
一応上手くいっているが、油断はできない。
国民の目を反らすために対外戦争を行うことはよくある話だ。
もし、王国に隙が見えれば、法国が戦争に踏み切る可能性は高い。
そのため、私は情報分析室にレヒト法国への監視強化を依頼した。
11
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説

異世界転生ファミリー
くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?!
辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。
アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。
アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。
長男のナイトはクールで賢い美少年。
ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。
何の不思議もない家族と思われたが……
彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされ、生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれてしまった、ベテランオッサン冒険者のお話。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
2回目の人生は異世界で
黒ハット
ファンタジー
増田信也は初めてのデートの待ち合わせ場所に行く途中ペットの子犬を抱いて横断歩道を信号が青で渡っていた時に大型トラックが暴走して来てトラックに跳ね飛ばされて内臓が破裂して即死したはずだが、気が付くとそこは見知らぬ異世界の遺跡の中で、何故かペットの柴犬と異世界に生き返った。2日目の人生は異世界で生きる事になった
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?



ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します
怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。
本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。
彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。
世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。
喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる