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第三章:「王立学院高等部編」

第九話「反省」

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 統一暦一二〇〇年五月九日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。ラザファム・フォン・エッフェンベルク

 三日間の演習を終え、休日を挟んだ今日、私はマティアスの足元にも及ばぬことが嫌というほど理解し、落ち込んでいる。

 まず心構えから間違えていた。
 私は授業の一環として漫然と演習に参加したが、マティアスは実戦に近い状況で経験を積むという目的を持っていた。

 その違いが出発時の偵察の有無だ。
 実戦であれば、彼がやったように目標地点とそこまでのルートの安全確認は当然のことだろう。

 また、敵の戦力が事前の情報通りとは限らないことはよくあることだ。当然、最新の情報を得るために偵察を行うことは理に適っているというより常識と言っていい。

 私はそれを怠った。いや、気付きもしなかった。
 野営地に到着した後も、敵の野営地への偵察と警戒を強めることは命じたが、どこかで命令書通り、翌日まで何も起きないと漫然と思っていた。

 しかし、マティアスは実戦を想定し、指揮官である私が油断していることを看破すると、迷うことなく攻撃を仕掛けてきた。

 それも最初のうちは攻撃を仕掛けるように見せかけるだけで手を出さず、やはり命令書に従うのだと私に思い込ませた。

 そして夜明けの少し前、五度目の鬨の声が上がったが、疲れていた私はそれまでと同じだと思い込み、四度目と同じように休息を優先するように命じてしまう。
 その結果、初動が遅れ、敵に防御策を突破されるという失態を演じてしまった。

 その後は一方的な蹂躙だった。
 第一大隊の兵士たちの士気は異常に高く、これは実戦なのかと思うほどの迫力があった。
 一方の私が指揮する第二大隊の兵士は命令通りに迎撃するものの、粘り強く戦うという姿勢が見られなかった。

 あとでハルトムートに聞いたが、マティアスは兵士たちを本気にさせるため、反抗的な兵士を処刑すると言ったらしい。
 実際、その兵士の首に剣を突きつけ、動脈を切り裂くと脅したと聞いている。

 このことは第一大隊の兵士の前で行われ、彼らはマティアスが本気で軍規違反に対して処刑すると思い、夜襲でもいつもの演習ではなく、実戦並みの緊張感と気合で挑んでいる。

 私はそこまで考えていなかった。
 兵士たちをどう動かすか、どうやって命令を確実に伝えるかということばかり考え、兵士たちのやる気を出させるという指揮官として最も重要なことをおざなりにしていたのだ。

 演習の帰りにマティアスにそのことを聞いてみた。

「本気で処刑するつもりだったのか? 脅しだけじゃなく」

「もちろん本気だったよ」

 いつもの笑顔でそう言い切られた。
 しかし、私は納得できず、更に質問を重ねる。

「処刑したら問題になる。そうなったら君自身が責任を取らないといけなくなるんだ。君がそのことを考えなかったとは思えないんだが?」

「もちろん考えたし、責任は取るつもりだった。あの兵士が最後まで反抗したままだったら、ためらわずに剣を動かしたと思う。その後で責任を取るために私は学院を辞めて、子爵家の継承権を放棄するつもりだったよ」

 私には理解できなかった。

「たかが演習でそこまでするのか。理解できない……」

 そこでマティアスからいつもの笑みが消え、真剣な表情を浮かべた。

「臨時とはいえ、大隊長の任にあったんだ。あれを許せば王国軍改革なんてできはしない。それを示すためには身命を賭してやる必要があった。それだけだ」

 私はそれ以上何も言えなくなった。
 私が微妙な顔をしていると、マティアスは優しい笑みを浮かべて話題を変えてきた。

「そんなことより、君の用意周到さには驚いたよ。まさか防御柵まで用意しているとは思わなかったからね」

「行軍のルートに三つの村があったからな。そこで物資を調達することも演習の目的だと思っただけだ。それに演習で使う物資を保管しているという話は事前に聞いていた。だから、数百本の木の棒とスコップなんかの工具、それに荷馬車を調達することは思った以上に簡単だったな」

「さすがだなぁ。偵察隊の報告を聞いた時、どうやって攻略するか本気で悩んだよ」

 そう言って褒めてくれるが、自分の至らなさで心の中は一杯だった。そのことに気づいたのか、妹が話に加わってきた。

「それにしてもマティが陣頭指揮を執るとは思わなかったわ。ハルトに任せるものばかりだと思っていたから」

 それは私も思ったことだ。
 それに対し、マティアスは苦笑いを浮かべる。

「あれを陣頭指揮と言っていいのか微妙だけどね。最初はみんなと一緒に丘を駆け上がったんだけど、三十秒もしないうちに兵士たちは見えなくなっていたし、ハルトにだいぶ迷惑を掛けたよ」

 その言葉にハルトムートが笑いながら答える。

「そうだな。俺だけなら付いていけたんだが、隊長は二人で一人という話だったから、後ろで我慢したんだぞ」

 確かにマティアスは夜襲がほとんど終わった後に肩で息をし、ハルトムートの肩を借りながら私たちの陣地に入ってきた。

 しかし、事前にそのことは予想していたようで、中隊長たちに部下たちをしっかり見ておくように指示しており、作戦完了後に誰が活躍し、誰が失敗したのか、聞いて回ったそうだ。
 この点も私が及ばないところだ。

「まあ、今回の演習の評価がどうなるかは分からないけどね。私の場合は命令書に違反しているし、兵士を処刑すると脅しているから。敗れたとはいえ、周到に準備したラズとイリスの方が評価は高い気がするよ」

 マティアスの言葉をイリスがすぐに否定する。

「それはないわ」

「どうして? 私のやったことを第三者が冷静に見たら、否定的な意見になるはずだけど」

 マティアスがそう言って聞くとイリスは言葉に詰まる。

「……だってあなたが勝ったのよ……」

 どうやら大好きなマティアスを評価したいらしい。
 そのことに少しほっこりとした気持ちになるが、私が代わって理由を説明した。

「まず評価者が第二騎士団の大隊長という点だな。特に第一連隊はグレーフェンベルク子爵家の子飼いの騎士が隊長を務めていたはずだ。だとすれば、きちんとした教育は受けているだろうし、君がやったことを理解できるはずだ」

「そこまで浸透しているのか微妙な気がしたけど、そうなら嬉しいね」

 嬉しいというのは自分が評価されることではなく、騎士団の改革が上手くいっている証明になるからだろう。

 そして、マティアスが高く評価されたことは、今日行われた演習の講評で証明された。
 実際の評価者である大隊長、ケヴィン・ボッシュではなかったが、戦術担当の教官、ロマーヌス・マインホフから説明があった。

 マインホフは研究科の教授で、兵学部では戦史と戦術を教えている。父とそれほど年齢は違わなかったと聞いているが、灰色の髪と不健康そうな皮膚、落ちくぼんだ目からやる気のない五十代の中年男性に見える。

 但し、教育については見た目と異なり覇気に満ちていていた。
 クリストフおじさんから聞いたところでは、王国軍改革の計画書や教本を見てから変わったらしい。

『今回の演習については第二騎士団の評価者より高い評価を受けている。特に第一大隊を指揮したラウシェンバッハ君とイスターツ君、そして第二大隊を指揮したラザファム君とイリス君は……』

 マインホフからの説明が終わった後、演習に参加しなかった学生から質問が出た。

『第一大隊は命令に反して夜襲を行ったと聞きます。上位者の命に従わないのは秩序の破壊をもたらすのではありませんか?』

 発言した学生はマルクトホーフェン侯爵家に属する男爵家の長男だった。
 それに対し、マインホフはきっぱりと否定する。

『命令書に書かれたことに対して、反した行動を採ったことは事実だが、必ずしも命令に反していたわけではない。命令書の補足説明を連隊長代理に相当する人物に確認し、今回の戦闘の目的に合致している行動であることは明白だからだ』

『それはおかしくないですか? それなら命令書など不要でしょう』

 その学生の言葉にマインホフは小さく首を横に振った後、ゆっくりとした口調で説明していく。

『戦場に出れば、状況が変わることは起こりえる。いや、戦史を紐解けば、状況が変わらないことの方が少ない。そのような状況で現地の指揮官が目的を達するために最善の行動を採ることは、命令に反している行為ではないのだ。つまり、命令書が作られた時と状況が変わっている可能性は常に気にしておくべきであり、上位者への確認が可能であれば、ためらわずに行うべきなのだ』

 その学生は納得したようには見えなかったが、研究科の教授と議論しても勝てないと思い、それ以上何も言わなかった。

『今の質問は非常によい観点と言える。今回のラウシェンバッハ君たちのように命令書に反する行為がいつでも正当化されるとは言えないためだ。君たちはまだ学んでいないから仕方がないが、戦闘はあくまで目的を達成するための手段に過ぎないのだ。そのことをよく覚えておくといい』

 マインホフの言葉を理解できたのは私たち四人くらいだろう。
 今日の授業を終え、家に帰る。いつもならラウシェンバッハ邸か、うちの屋敷で勉強会を行うが、マティアスは用事があるということで、イリスとハルトの三人になった。

 勉強会もマティアスがいないため、あまり気乗りせず、剣術の鍛錬を行った後、雑談になる。

「ハルトから見てマティはどうだった?」

 イリスが唐突に質問した。

「正直なところ驚いたとしか言いようがないな。あいつが凄いことは理解しているつもりだったが、全然分かっていなかった」

「ねぇ、あの兵士を処刑するって話だけど、本当にするつもりだったのかしら? あの優しいマティがそんなことを本気で考えるとは思えないのだけど」

「俺も最初は狂言じゃないかと疑ったよ。だけど、奴の目は本気だった。だから、ボッシュ大隊長が慌てて止めに入ろうとしたし、あの兵士も折れたんだと思う」

 イリスはまだ信じられないという顔をしているが、ハルトムートが嘘を吐くとも思えず、困ったような顔をしている。

「なんにしても彼に追い付くのは至難の業だな。知識だけじゃなく、心構えから違うのだから」

 私の言葉にハルトムートが大きく頷いた。

「俺も同じことを思ったよ。それとは違うが、考えさせられることがあったな」

 ハルトムートが感慨深くそう言うと、イリスが興味津々という感じで前のめりになる。

「それは何?」

 ハルトムートは少し憂いを含んだ表情を浮かべて話し始めた。

「こいつは本気で国を守ろうと考えている。それに引き換え、俺は自分の復讐のために兵学部に入った。この違いは何なんだろうなと……」

 ハルトムートはフェアラート会戦で戦死した兄の敵を討つため、味方を置いて逃げ出したマルクトホーフェン侯爵派の男爵を決闘で殺すために騎士になろうとしている。

「今は深く考えなくてもいいんじゃないか。私たちはマティに置いていかれないように頑張るしかないのだから」

 私の言葉でハルトムートの顔から憂いが消えた。

「そうだな。復讐するにしても兵学部を優秀な成績で卒業しなくちゃ話にならない。卒業した後も……追いつけるかはともかく、やれるだけのことはやるべきだろう……」

 それから三人で指揮官用の教本を使って意見を言い合った。
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