46 / 464
第三章:「王立学院高等部編」
第五話「舞踏会」
しおりを挟む
統一暦一二〇〇年四月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
高等部に入学して三ヶ月が経った。
高等部では専門分野以外でもやることは多い。特に私のような貴族家の者は人脈作りのための行事に参加しなくてはならない。
その行事とは王家主催の舞踏会のことで、王都にいる十代後半の貴族や騎士階級の子女のほとんどが招待され、参加することが義務付けられている。ちなみにハルトムートは平民なので招待されていない。
これは元々、王家が若い優秀な貴族の子弟をスカウトするために始められたもので、年に二回、春と秋に行われている。
子爵家の嫡男である私や伯爵家の嫡男と長女であるラザファムとイリスも参加する必要があり、今回初めて参加する。
正直言ってあまり気が進まない。
人脈造りは重要だと思うが、ダンスが苦手でそれで気が重いのだ。
一応習っているが、身体能力が低いことから正確なステップが踏めず、パートナーであるイリスにいつも迷惑を掛けてしまう。
彼女は剣術の腕からも分かるように運動神経は抜群で、私のミスを上手くカバーしてくれるのだが、多くの人が集まる舞踏会で彼女の足を引っ張ることに気が引けているという感じだ。
もっともイリス自身は舞踏会をとても楽しみにしていた。
「花が咲き誇っている王宮の庭園で、マティと踊れるのね。楽しみだわ……」
この舞踏会は王宮の庭園で行われる園遊会でもあった。
私はイリスをエスコートすることになっており、ラウシェンバッハ家の馬車でエッフェンベルク家に向かった。
本来なら正式な婚約者でなければ、このようなことはしないのだが、私もイリスもお互い以外から求婚されるのが面倒なので、婚約者を装っている。
ちなみにラザファムも参加するが、彼は決まった相手がいないため、エッフェンベルク家の馬車で王宮に向かう。
エッフェンベルク家に到着し、イリスを出迎えに行く。
彼女は桜色のドレスを身に纏い、きちんと化粧をしていた。その美しさに私は思わず見入ってしまう。
「似合っていないかしら?」
イリスは上目遣いで聞いてきたので、慌てて答える。
「に、似合っているよ。本当にきれいだ……」
本心ではあるが、自分の語彙力のなさに少し情けなくなる。
馬車にエスコートした後、王宮に向かうが、王宮までは一キロメートルもないため、すぐに到着する。
馬車から降りると、イリスの腕をとって庭園に向かう。
この舞踏会は若者だけというルールなので、十代後半の美しく着飾った男女が既に談笑していた。
庭園では先に到着していたラザファムが令嬢たちに囲まれている。
彼は名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男であり、誰もが振り向くような美男子だ。更にエリート校であるシュヴェーレンベルク王立学院で首席を争う秀才でもあり、出世は約束されている。そのため、玉の輿を狙う令嬢たちが先を争って彼の周囲に集まっていたのだ。
「兄様は大変そうね」
イリスが笑いながら呟く。
「君が正解だったようだね。もし一人ならラザファムと同じように囲まれていただろうから」
正直な思いだ。
イリスはラザファムと同じく類い稀なる美貌の持ち主であり、伯爵家の令嬢だ。
もしフリーなら伯爵家以上の令息に囲まれていたことは間違いないだろう。
「もしそうなっていたら、あなたは私を奪い去ってくれたかしら?」
小悪魔のような笑みで聞いてくる。
「そうだね。頑張って割り込もうと努力はしたと思うよ。体力的にできるとは思えないけどね」
「あら、そこは無理にでも奪うと宣言するものじゃなくて?」
そう言って笑う。
そんな話をしていると、国王の入来が告げられる。
国王フォルクマーク十世は第一王妃マルグリットと第二王妃アラベラを左右に従え、用意された席に座る。
その間、我々は敬意を表するため、礼法に従って頭を下げている。
「よく集まってくれた! 堅苦しいことをいうつもりはない。皆で楽しんでくれ」
国王が開会を宣言すると、楽士たちが音楽を奏で始める。
この世界の音楽は思った以上に進んでおり、オーケストラと言っていい規模の楽団が存在する。
音楽は軽快なワルツ調のもので、私はイリスに向き直り、作法通りに頭を下げる。
「一曲お願いできますか、お嬢様」
「よろしくお願いいたしますわ」
普段とは違う言葉遣いに二人同時に噴き出しそうになるが、国王がいる前で笑い出すわけにもいかず、神妙な顔を作って手を取り、身体を密着させる。
女性らしい心地よい香りが漂うが、イリスが小声でステップの合図を送ってきた。
「今よ。右、左……そこで左にターン……」
言われるままに身体を動かす。
一応ステップは覚えているのだが、頭で考えるより彼女の声に従った方が上手く踊れる。
一曲目を無事に踊り終え、互いにお辞儀をする。しかし、すぐに手を取り、次の曲に備えるように身体を近づける。
これはパートナーを他に渡さないという意思表示だ。
その甲斐あって、数曲踊ったが、誰も割り込んではこなかった。
軽く汗を掻いたので、踊りの輪から外れて、用意されているテーブルに向かう。椅子に座った後、給仕が運んできた飲み物に口を付ける。
飲み物には酒もあるが、まだ十代半ばであるため、柑橘系の果実水を選んだ。
一息ついたところで周囲を見回していく。
「兄様はグレーテル様とご一緒のようね。二人ともよくお似合いだわ」
彼女の視線の先を見ると、ラザファムがグレーテル・フォン・ヴァインガルトナー公爵令嬢と踊っている姿があった。
グレーテルは初等部で同じクラスだった女性だ。
ラザファムは初等部時代からグレーテルのことが気になっていたが、国王の従妹に当たるため、身分を気にして積極的にアプローチしていない。
一方のグレーテルもラザファムを憎からず思っている節があったが、こちらも自ら行動を起こしておらず、傍から見ているともどかしいと感じていた。
開会から三十分ほど経つと、国王は一曲も踊ることなく、引き上げていった。第二王妃が後宮に入るまでは第一王妃とよく踊っていたらしいが、第二王妃との間が上手くいっておらず、第一王妃が遠慮しているようだった。
「陛下と二人の妃殿下との関係が微妙だな」
小声でイリスに話す。他に聞かれると不敬罪を問われかねないためだ。
「そうね。笑顔をお見せにならなかったし……」
国王はまだ三十歳にもなっていないが、四十前の疲れた感じの中年男性に見えるほど疲れているように見えた。
国王が退出したので、いつでも引き上げられるが、あまり早すぎるのも不敬に当たるので、もう一曲だけ踊ってから帰ることにした。
本来なら人脈づくりのために積極的に話しかけるべきなのだが、先日のイザーク・フォン・マルクトホーフェンの件があり、目立ちたくないというのが本音だ。
こちらは完全に被害者であり、その点は問題ないのだが、マルクトホーフェン派の貴族の子弟から勧誘される可能性があるため、そのことを気にしている。
最後にしようと思っていた曲が終わり、イリスと二人で引き上げようとしたが、そこで声が掛かった。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハ殿とお見受けするが」
振り向くと、痩身で細い目をした二十歳くらいの男が張り付けたような笑みを浮かべて立っていた。
「その通りですが?」
名を名乗らなかったのであえて不審そうな目を向けておく。男も私の視線に気づいたのか、大仰な仕草で頭を軽く下げた。
「これは失礼。私はフレンツヒェン・フォン・トーヴィルと申す者。以後、お見知りおきを」
名を聞き、マルクトホーフェン侯爵派のトーヴィル子爵家の嫡男であると気づく。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。屋敷に戻ろうと考えておりますが、ご用件は何でしょうか?」
正直言ってマルクトホーフェン侯爵派とはあまり接触したくないので、婉曲に帰りたいことを伝える。
「ある方が少し話をしたいとおっしゃっているのだ。少しだけ時間をもらえないかな」
ある方という言い方で、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵だと理解する。
フレンツヒェンとミヒャエルは学院の同期で、現在十九歳のはずだ。そのため、この舞踏会に参加しているらしい。
「正直に言わせていただきますが、イザーク先輩の件で侯爵家の方とは会いたくないと思っています。私が学院に相談したことがきっかけになったという噂が広がっていますので」
「そのことで侯爵閣下が謝罪したいとおっしゃっておられる」
そこまで言われると行かざるを得ない。
「分かりました。私のレディを馬車まで送った後にお伺いしましょう」
イリスを巻き込むと面倒なことになりそうなので先手を打った。イリスは私の脇腹を肘で突き、不満そうな顔をしている。
「それで構わない。奥のテーブル席に来てくれないか」
そう言って庭園の奥にある貴賓席を指差す。
イリスをエスコートして王宮のエントランスにある車寄せに向かう。
「私も一緒に行きたかったわ」
小声で文句を言ってきた。
「大した話をするわけじゃないから。それに君を近くで見られたくないんだ。侯爵本人はどうか知らないが、先代のルドルフ卿は女好きとして有名だった。侯爵がその血を引き継いでいないとも限らないからね」
本心ではイリスが感情的になって拗れることを警戒しているが、別の理由で説得した。
「そ、そういうことなら仕方ないわね。あとでどんな話をしたか教えてよ」
イリスは顔を赤らめている。
うちの馬車を呼んでもらい、先に帰ってもらう。本来であれば、最後までエスコートすべきだが、男性が政治的な話で残ることはよくあるため、マナー違反にはならない。
イリスを送り出した後、貴賓席に向かう。
貴賓席は侯爵以上の大貴族専用の席になっている。そのため、周囲には高そうな酒や豪華な料理が並んでいた。
フレンツヒェンが私を見つけ、マルクトホーフェン侯爵家用の一画に案内する。
そこには多くの取り巻きに囲まれた若い男が座っていた。見た目はスラリとしたスマートな体形で金色の髪と青い瞳が印象的な美男子だ。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。侯爵閣下がお呼びと伺い、参上いたしました」
そう言って上位者に対する正式な礼をする。
「うむ」
侯爵は頷いた後、私を数秒見てから名乗った。
「ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェンだ。愚弟のことで迷惑を掛けたと聞く」
話をしながら私を探るように見つめていた。
その視線に気づかないふりをしながら、笑みを作る。
「イザーク先輩とはいろいろありましたが、今は特に何も思っておりません」
侯爵に対し、子爵家の長男が苦情を言うことはあり得ないし、逆に礼を言うのもおかしな話であるため、当たり障りのない答えを言った。
この程度なら如才ない貴族の子息であれば答えられるため、警戒されないと思ったのだ。
「うむ。だが、あれでも一応は我が弟であったからな。迷惑を掛けた謝罪をさせてもらう」
そう言って頭の角度を僅かに下げる。
「め、滅相もございません! 閣下から謝罪をしていただくようなことは……本当に私は何とも思っておりませんので……」
慌てた振りをして対応するが、これは下級貴族の子息なら当然の反応だ。
私の演技に満足したのか、侯爵は小さく頷いた。
「では、この件はこれで手打ちとしよう。そういえば、卿は学院の兵学部で首席であったな。今度我が屋敷に来て話をしないか」
本題に入ってきた。どうやら私をスカウトする気らしい。
「光栄なことでございます。ですが、父と相談しなければお答えいたしかねます」
これもごく一般的な対応だ。
もしミヒャエルが侯爵家の嫡男であったなら、父に相談するという言い訳はできないが、侯爵本人からの申し出であれば、貴族の家としての対応が必要になるため、当主に相談するという言い訳はおかしなものではない。
「確かにそうだな。では、ラウシェンバッハ子爵に話をしておこう」
これでこの問題は終わった。
父はマルクトホーフェン侯爵と距離を置いており、私が侯爵派に取り込まれることを望むことはない。申し出はあるだろうが、適当な言い訳で断ることは目に見えている。
「では、閣下の貴重なお時間をこれ以上使っていただくわけには参りませんので、これにて下がらせていただきます」
侯爵という上位者との面談に気後れしたという雰囲気を醸し出しながら、その場を去った。
■■■
統一暦一二〇〇年四月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。
マティアスが去った後、ミヒャエルは後ろにいた五十歳くらいの銀髪の男、コルネール・フォン・アイスナー男爵に声を掛ける。
「奴をどう見た?」
アイスナーは先代のルドルフの代から王都を任せられているほど辣腕の家臣で、ミヒャエルも一目置いている。
「下級貴族の子息を演じておりましたな。どうやら警戒されておるようです」
「そうなのか? 私にはただの下級貴族の子に見えたが?」
ミヒャエルは首を傾げる。
「ただの下級貴族でしたら、当主であったとしても閣下が頭を下げたところでパニックになるでしょう。そうであれば、その後の屋敷に呼ぶという話もすんなりと受けたはずです。ですが、ラウシェンバッハは慌てた振りをしながらも、当主に相談すると如才なく答えておりました。なかなかできることではありませんな」
「卿がそういうのであれば、そうなのだろう。で、奴が私の配下になる可能性はどれくらいと見る」
その問いにアイスナーは即座に答える。
「皆無でしょうな。あれは見た目とは異なり、なかなかの曲者です。エッフェンベルク家にも近いですし、諦めた方がよいでしょう」
「なるほどな。では、今のうちから排除すべきか」
「それもやめておいた方がよいでしょう」
アイスナーは即座に否定する。
ミヒャエルは否定されたことに不満げな表情を浮かべる。
「なぜだ? 我が家の役に立たぬだけでなく、害になる可能性があるのだ。今のうちに手を打っておいた方がよいと思うが」
「イザーク様の件がございます。彼に何かあれば、一番に侯爵家の関与が疑われます。少なくとも数年は放置すべきでしょう」
「イザークの奴め。放逐したのに未だに祟るか」
ミヒャエルはそう吐き捨てると、マティアスに対しては特に手を出さない方針を決めた。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
高等部に入学して三ヶ月が経った。
高等部では専門分野以外でもやることは多い。特に私のような貴族家の者は人脈作りのための行事に参加しなくてはならない。
その行事とは王家主催の舞踏会のことで、王都にいる十代後半の貴族や騎士階級の子女のほとんどが招待され、参加することが義務付けられている。ちなみにハルトムートは平民なので招待されていない。
これは元々、王家が若い優秀な貴族の子弟をスカウトするために始められたもので、年に二回、春と秋に行われている。
子爵家の嫡男である私や伯爵家の嫡男と長女であるラザファムとイリスも参加する必要があり、今回初めて参加する。
正直言ってあまり気が進まない。
人脈造りは重要だと思うが、ダンスが苦手でそれで気が重いのだ。
一応習っているが、身体能力が低いことから正確なステップが踏めず、パートナーであるイリスにいつも迷惑を掛けてしまう。
彼女は剣術の腕からも分かるように運動神経は抜群で、私のミスを上手くカバーしてくれるのだが、多くの人が集まる舞踏会で彼女の足を引っ張ることに気が引けているという感じだ。
もっともイリス自身は舞踏会をとても楽しみにしていた。
「花が咲き誇っている王宮の庭園で、マティと踊れるのね。楽しみだわ……」
この舞踏会は王宮の庭園で行われる園遊会でもあった。
私はイリスをエスコートすることになっており、ラウシェンバッハ家の馬車でエッフェンベルク家に向かった。
本来なら正式な婚約者でなければ、このようなことはしないのだが、私もイリスもお互い以外から求婚されるのが面倒なので、婚約者を装っている。
ちなみにラザファムも参加するが、彼は決まった相手がいないため、エッフェンベルク家の馬車で王宮に向かう。
エッフェンベルク家に到着し、イリスを出迎えに行く。
彼女は桜色のドレスを身に纏い、きちんと化粧をしていた。その美しさに私は思わず見入ってしまう。
「似合っていないかしら?」
イリスは上目遣いで聞いてきたので、慌てて答える。
「に、似合っているよ。本当にきれいだ……」
本心ではあるが、自分の語彙力のなさに少し情けなくなる。
馬車にエスコートした後、王宮に向かうが、王宮までは一キロメートルもないため、すぐに到着する。
馬車から降りると、イリスの腕をとって庭園に向かう。
この舞踏会は若者だけというルールなので、十代後半の美しく着飾った男女が既に談笑していた。
庭園では先に到着していたラザファムが令嬢たちに囲まれている。
彼は名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男であり、誰もが振り向くような美男子だ。更にエリート校であるシュヴェーレンベルク王立学院で首席を争う秀才でもあり、出世は約束されている。そのため、玉の輿を狙う令嬢たちが先を争って彼の周囲に集まっていたのだ。
「兄様は大変そうね」
イリスが笑いながら呟く。
「君が正解だったようだね。もし一人ならラザファムと同じように囲まれていただろうから」
正直な思いだ。
イリスはラザファムと同じく類い稀なる美貌の持ち主であり、伯爵家の令嬢だ。
もしフリーなら伯爵家以上の令息に囲まれていたことは間違いないだろう。
「もしそうなっていたら、あなたは私を奪い去ってくれたかしら?」
小悪魔のような笑みで聞いてくる。
「そうだね。頑張って割り込もうと努力はしたと思うよ。体力的にできるとは思えないけどね」
「あら、そこは無理にでも奪うと宣言するものじゃなくて?」
そう言って笑う。
そんな話をしていると、国王の入来が告げられる。
国王フォルクマーク十世は第一王妃マルグリットと第二王妃アラベラを左右に従え、用意された席に座る。
その間、我々は敬意を表するため、礼法に従って頭を下げている。
「よく集まってくれた! 堅苦しいことをいうつもりはない。皆で楽しんでくれ」
国王が開会を宣言すると、楽士たちが音楽を奏で始める。
この世界の音楽は思った以上に進んでおり、オーケストラと言っていい規模の楽団が存在する。
音楽は軽快なワルツ調のもので、私はイリスに向き直り、作法通りに頭を下げる。
「一曲お願いできますか、お嬢様」
「よろしくお願いいたしますわ」
普段とは違う言葉遣いに二人同時に噴き出しそうになるが、国王がいる前で笑い出すわけにもいかず、神妙な顔を作って手を取り、身体を密着させる。
女性らしい心地よい香りが漂うが、イリスが小声でステップの合図を送ってきた。
「今よ。右、左……そこで左にターン……」
言われるままに身体を動かす。
一応ステップは覚えているのだが、頭で考えるより彼女の声に従った方が上手く踊れる。
一曲目を無事に踊り終え、互いにお辞儀をする。しかし、すぐに手を取り、次の曲に備えるように身体を近づける。
これはパートナーを他に渡さないという意思表示だ。
その甲斐あって、数曲踊ったが、誰も割り込んではこなかった。
軽く汗を掻いたので、踊りの輪から外れて、用意されているテーブルに向かう。椅子に座った後、給仕が運んできた飲み物に口を付ける。
飲み物には酒もあるが、まだ十代半ばであるため、柑橘系の果実水を選んだ。
一息ついたところで周囲を見回していく。
「兄様はグレーテル様とご一緒のようね。二人ともよくお似合いだわ」
彼女の視線の先を見ると、ラザファムがグレーテル・フォン・ヴァインガルトナー公爵令嬢と踊っている姿があった。
グレーテルは初等部で同じクラスだった女性だ。
ラザファムは初等部時代からグレーテルのことが気になっていたが、国王の従妹に当たるため、身分を気にして積極的にアプローチしていない。
一方のグレーテルもラザファムを憎からず思っている節があったが、こちらも自ら行動を起こしておらず、傍から見ているともどかしいと感じていた。
開会から三十分ほど経つと、国王は一曲も踊ることなく、引き上げていった。第二王妃が後宮に入るまでは第一王妃とよく踊っていたらしいが、第二王妃との間が上手くいっておらず、第一王妃が遠慮しているようだった。
「陛下と二人の妃殿下との関係が微妙だな」
小声でイリスに話す。他に聞かれると不敬罪を問われかねないためだ。
「そうね。笑顔をお見せにならなかったし……」
国王はまだ三十歳にもなっていないが、四十前の疲れた感じの中年男性に見えるほど疲れているように見えた。
国王が退出したので、いつでも引き上げられるが、あまり早すぎるのも不敬に当たるので、もう一曲だけ踊ってから帰ることにした。
本来なら人脈づくりのために積極的に話しかけるべきなのだが、先日のイザーク・フォン・マルクトホーフェンの件があり、目立ちたくないというのが本音だ。
こちらは完全に被害者であり、その点は問題ないのだが、マルクトホーフェン派の貴族の子弟から勧誘される可能性があるため、そのことを気にしている。
最後にしようと思っていた曲が終わり、イリスと二人で引き上げようとしたが、そこで声が掛かった。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハ殿とお見受けするが」
振り向くと、痩身で細い目をした二十歳くらいの男が張り付けたような笑みを浮かべて立っていた。
「その通りですが?」
名を名乗らなかったのであえて不審そうな目を向けておく。男も私の視線に気づいたのか、大仰な仕草で頭を軽く下げた。
「これは失礼。私はフレンツヒェン・フォン・トーヴィルと申す者。以後、お見知りおきを」
名を聞き、マルクトホーフェン侯爵派のトーヴィル子爵家の嫡男であると気づく。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。屋敷に戻ろうと考えておりますが、ご用件は何でしょうか?」
正直言ってマルクトホーフェン侯爵派とはあまり接触したくないので、婉曲に帰りたいことを伝える。
「ある方が少し話をしたいとおっしゃっているのだ。少しだけ時間をもらえないかな」
ある方という言い方で、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵だと理解する。
フレンツヒェンとミヒャエルは学院の同期で、現在十九歳のはずだ。そのため、この舞踏会に参加しているらしい。
「正直に言わせていただきますが、イザーク先輩の件で侯爵家の方とは会いたくないと思っています。私が学院に相談したことがきっかけになったという噂が広がっていますので」
「そのことで侯爵閣下が謝罪したいとおっしゃっておられる」
そこまで言われると行かざるを得ない。
「分かりました。私のレディを馬車まで送った後にお伺いしましょう」
イリスを巻き込むと面倒なことになりそうなので先手を打った。イリスは私の脇腹を肘で突き、不満そうな顔をしている。
「それで構わない。奥のテーブル席に来てくれないか」
そう言って庭園の奥にある貴賓席を指差す。
イリスをエスコートして王宮のエントランスにある車寄せに向かう。
「私も一緒に行きたかったわ」
小声で文句を言ってきた。
「大した話をするわけじゃないから。それに君を近くで見られたくないんだ。侯爵本人はどうか知らないが、先代のルドルフ卿は女好きとして有名だった。侯爵がその血を引き継いでいないとも限らないからね」
本心ではイリスが感情的になって拗れることを警戒しているが、別の理由で説得した。
「そ、そういうことなら仕方ないわね。あとでどんな話をしたか教えてよ」
イリスは顔を赤らめている。
うちの馬車を呼んでもらい、先に帰ってもらう。本来であれば、最後までエスコートすべきだが、男性が政治的な話で残ることはよくあるため、マナー違反にはならない。
イリスを送り出した後、貴賓席に向かう。
貴賓席は侯爵以上の大貴族専用の席になっている。そのため、周囲には高そうな酒や豪華な料理が並んでいた。
フレンツヒェンが私を見つけ、マルクトホーフェン侯爵家用の一画に案内する。
そこには多くの取り巻きに囲まれた若い男が座っていた。見た目はスラリとしたスマートな体形で金色の髪と青い瞳が印象的な美男子だ。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。侯爵閣下がお呼びと伺い、参上いたしました」
そう言って上位者に対する正式な礼をする。
「うむ」
侯爵は頷いた後、私を数秒見てから名乗った。
「ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェンだ。愚弟のことで迷惑を掛けたと聞く」
話をしながら私を探るように見つめていた。
その視線に気づかないふりをしながら、笑みを作る。
「イザーク先輩とはいろいろありましたが、今は特に何も思っておりません」
侯爵に対し、子爵家の長男が苦情を言うことはあり得ないし、逆に礼を言うのもおかしな話であるため、当たり障りのない答えを言った。
この程度なら如才ない貴族の子息であれば答えられるため、警戒されないと思ったのだ。
「うむ。だが、あれでも一応は我が弟であったからな。迷惑を掛けた謝罪をさせてもらう」
そう言って頭の角度を僅かに下げる。
「め、滅相もございません! 閣下から謝罪をしていただくようなことは……本当に私は何とも思っておりませんので……」
慌てた振りをして対応するが、これは下級貴族の子息なら当然の反応だ。
私の演技に満足したのか、侯爵は小さく頷いた。
「では、この件はこれで手打ちとしよう。そういえば、卿は学院の兵学部で首席であったな。今度我が屋敷に来て話をしないか」
本題に入ってきた。どうやら私をスカウトする気らしい。
「光栄なことでございます。ですが、父と相談しなければお答えいたしかねます」
これもごく一般的な対応だ。
もしミヒャエルが侯爵家の嫡男であったなら、父に相談するという言い訳はできないが、侯爵本人からの申し出であれば、貴族の家としての対応が必要になるため、当主に相談するという言い訳はおかしなものではない。
「確かにそうだな。では、ラウシェンバッハ子爵に話をしておこう」
これでこの問題は終わった。
父はマルクトホーフェン侯爵と距離を置いており、私が侯爵派に取り込まれることを望むことはない。申し出はあるだろうが、適当な言い訳で断ることは目に見えている。
「では、閣下の貴重なお時間をこれ以上使っていただくわけには参りませんので、これにて下がらせていただきます」
侯爵という上位者との面談に気後れしたという雰囲気を醸し出しながら、その場を去った。
■■■
統一暦一二〇〇年四月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。
マティアスが去った後、ミヒャエルは後ろにいた五十歳くらいの銀髪の男、コルネール・フォン・アイスナー男爵に声を掛ける。
「奴をどう見た?」
アイスナーは先代のルドルフの代から王都を任せられているほど辣腕の家臣で、ミヒャエルも一目置いている。
「下級貴族の子息を演じておりましたな。どうやら警戒されておるようです」
「そうなのか? 私にはただの下級貴族の子に見えたが?」
ミヒャエルは首を傾げる。
「ただの下級貴族でしたら、当主であったとしても閣下が頭を下げたところでパニックになるでしょう。そうであれば、その後の屋敷に呼ぶという話もすんなりと受けたはずです。ですが、ラウシェンバッハは慌てた振りをしながらも、当主に相談すると如才なく答えておりました。なかなかできることではありませんな」
「卿がそういうのであれば、そうなのだろう。で、奴が私の配下になる可能性はどれくらいと見る」
その問いにアイスナーは即座に答える。
「皆無でしょうな。あれは見た目とは異なり、なかなかの曲者です。エッフェンベルク家にも近いですし、諦めた方がよいでしょう」
「なるほどな。では、今のうちから排除すべきか」
「それもやめておいた方がよいでしょう」
アイスナーは即座に否定する。
ミヒャエルは否定されたことに不満げな表情を浮かべる。
「なぜだ? 我が家の役に立たぬだけでなく、害になる可能性があるのだ。今のうちに手を打っておいた方がよいと思うが」
「イザーク様の件がございます。彼に何かあれば、一番に侯爵家の関与が疑われます。少なくとも数年は放置すべきでしょう」
「イザークの奴め。放逐したのに未だに祟るか」
ミヒャエルはそう吐き捨てると、マティアスに対しては特に手を出さない方針を決めた。
11
お気に入りに追加
123
あなたにおすすめの小説
幼少期に溜め込んだ魔力で、一生のんびり暮らしたいと思います。~こう見えて、迷宮育ちの村人です~
月並 瑠花
ファンタジー
※ファンタジー大賞に微力ながら参加させていただいております。応援のほど、よろしくお願いします。
「出て行けっ! この家にお前の居場所はない!」――父にそう告げられ、家を追い出された澪は、一人途方に暮れていた。
そんな時、幻聴が頭の中に聞こえてくる。
『秋篠澪。お前は人生をリセットしたいか?』。澪は迷いを一切見せることなく、答えてしまった――「やり直したい」と。
その瞬間、トラックに引かれた澪は異世界へと飛ばされることになった。
スキル『倉庫(アイテムボックス)』を与えられた澪は、一人でのんびり二度目の人生を過ごすことにした。だが転生直後、レイは騎士によって迷宮へ落とされる。
※2018.10.31 hotランキング一位をいただきました。(11/1と11/2、続けて一位でした。ありがとうございます。)
※2018.11.12 ブクマ3800達成。ありがとうございます。
異世界に召喚されたけど、聖女じゃないから用はない? それじゃあ、好き勝手させてもらいます!
明衣令央
ファンタジー
糸井織絵は、ある日、オブルリヒト王国が行った聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界ルリアルークへと飛ばされてしまう。
一緒に召喚された、若く美しい女が聖女――織絵は召喚の儀に巻き込まれた年増の豚女として不遇な扱いを受けたが、元スマホケースのハリネズミのぬいぐるみであるサーチートと共に、オブルリヒト王女ユリアナに保護され、聖女の力を開花させる。
だが、オブルリヒト王国の王子ジュニアスは、追い出した織絵にも聖女の可能性があるとして、織絵を連れ戻しに来た。
そして、異世界転移状態から正式に異世界転生した織絵は、若く美しい姿へと生まれ変わる。
この物語は、聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界転移後、新たに転生した一人の元おばさんの聖女が、相棒の元スマホケースのハリネズミと楽しく無双していく、恋と冒険の物語。
2022.9.7 話が少し進みましたので、内容紹介を変更しました。その都度変更していきます。
転生幼女のチートな悠々自適生活〜伝統魔法を使い続けていたら気づけば賢者になっていた〜
犬社護
ファンタジー
ユミル(4歳)は気がついたら、崖下にある森の中にいた。
馬車が崖下に落下した影響で、前世の記憶を思い出す。周囲には散乱した荷物だけでなく、さっきまで会話していた家族が横たわっており、自分だけ助かっていることにショックを受ける。
大雨の中を泣き叫んでいる時、1体の小さな精霊カーバンクルが現れる。前世もふもふ好きだったユミルは、もふもふ精霊と会話することで悲しみも和らぎ、互いに打ち解けることに成功する。
精霊カーバンクルと仲良くなったことで、彼女は日本古来の伝統に関わる魔法を習得するのだが、チート魔法のせいで色々やらかしていく。まわりの精霊や街に住む平民や貴族達もそれに振り回されるものの、愛くるしく天真爛漫な彼女を見ることで、皆がほっこり心を癒されていく。
人々や精霊に愛されていくユミルは、伝統魔法で仲間たちと悠々自適な生活を目指します。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
【完結】天候を操れる程度の能力を持った俺は、国を富ませる事が最優先!~何もかもゼロスタートでも挫けずめげず富ませます!!~
udonlevel2
ファンタジー
幼い頃から心臓の悪かった中村キョウスケは、親から「無駄金使い」とののしられながら病院生活を送っていた。
それでも勉強は好きで本を読んだりニュースを見たりするのも好きな勤勉家でもあった。
唯一の弟とはそれなりに仲が良く、色々な遊びを教えてくれた。
だが、二十歳までしか生きられないだろうと言われていたキョウスケだったが、医療の進歩で三十歳まで生きることができ、家での自宅治療に切り替わったその日――階段から降りようとして両親に突き飛ばされ命を落とす。
――死んだ日は、土砂降りの様な雨だった。
しかし、次に目が覚めた時は褐色の肌に銀の髪をした5歳くらいの少年で。
自分が転生したことを悟り、砂漠の国シュノベザール王国の第一王子だと言う事を知る。
飢えに苦しむ国民、天候に恵まれないシュノベザール王国は常に飢えていた。だが幸いな事に第一王子として生まれたシュライは【天候を操る程度の能力】を持っていた。
その力は凄まじく、シュライは自国を豊かにするために、時に鬼となる事も持さない覚悟で成人と認められる15歳になると、頼れる弟と宰相と共に内政を始める事となる――。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載中です。
無断朗読・無断使用・無断転載禁止。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
【12/29にて公開終了】愛するつもりなぞないんでしょうから
真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」
期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。
※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。
※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。
※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。
※コミカライズにより12/29にて公開を終了させていただきます。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる