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第三章:「王立学院高等部編」

第五話「舞踏会」

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 統一暦一二〇〇年四月十日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ

 高等部に入学して三ヶ月が経った。
 高等部では専門分野以外でもやることは多い。特に私のような貴族家の者は人脈作りのための行事に参加しなくてはならない。

 その行事とは王家主催の舞踏会のことで、王都にいる十代後半の貴族や騎士階級の子女のほとんどが招待され、参加することが義務付けられている。ちなみにハルトムートは平民なので招待されていない。

 これは元々、王家が若い優秀な貴族の子弟をスカウトするために始められたもので、年に二回、春と秋に行われている。

 子爵家の嫡男である私や伯爵家の嫡男と長女であるラザファムとイリスも参加する必要があり、今回初めて参加する。

 正直言ってあまり気が進まない。
 人脈造りは重要だと思うが、ダンスが苦手でそれで気が重いのだ。

 一応習っているが、身体能力が低いことから正確なステップが踏めず、パートナーであるイリスにいつも迷惑を掛けてしまう。

 彼女は剣術の腕からも分かるように運動神経は抜群で、私のミスを上手くカバーしてくれるのだが、多くの人が集まる舞踏会で彼女の足を引っ張ることに気が引けているという感じだ。

 もっともイリス自身は舞踏会をとても楽しみにしていた。

「花が咲き誇っている王宮の庭園で、マティと踊れるのね。楽しみだわ……」

 この舞踏会は王宮の庭園で行われる園遊会でもあった。

 私はイリスをエスコートすることになっており、ラウシェンバッハ家の馬車でエッフェンベルク家に向かった。

 本来なら正式な婚約者でなければ、このようなことはしないのだが、私もイリスもお互い以外から求婚されるのが面倒なので、婚約者を装っている。

 ちなみにラザファムも参加するが、彼は決まった相手がいないため、エッフェンベルク家の馬車で王宮に向かう。

 エッフェンベルク家に到着し、イリスを出迎えに行く。
 彼女は桜色のドレスを身に纏い、きちんと化粧をしていた。その美しさに私は思わず見入ってしまう。

「似合っていないかしら?」

 イリスは上目遣いで聞いてきたので、慌てて答える。

「に、似合っているよ。本当にきれいだ……」

 本心ではあるが、自分の語彙力のなさに少し情けなくなる。
 馬車にエスコートした後、王宮に向かうが、王宮までは一キロメートルもないため、すぐに到着する。

 馬車から降りると、イリスの腕をとって庭園に向かう。
 この舞踏会は若者だけというルールなので、十代後半の美しく着飾った男女が既に談笑していた。

 庭園では先に到着していたラザファムが令嬢たちに囲まれている。

 彼は名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男であり、誰もが振り向くような美男子だ。更にエリート校であるシュヴェーレンベルク王立学院で首席を争う秀才でもあり、出世は約束されている。そのため、玉の輿を狙う令嬢たちが先を争って彼の周囲に集まっていたのだ。

「兄様は大変そうね」

 イリスが笑いながら呟く。

「君が正解だったようだね。もし一人ならラザファムと同じように囲まれていただろうから」

 正直な思いだ。
 イリスはラザファムと同じく類い稀なる美貌の持ち主であり、伯爵家の令嬢だ。
 もしフリーなら伯爵家以上の令息に囲まれていたことは間違いないだろう。

「もしそうなっていたら、あなたは私を奪い去ってくれたかしら?」

 小悪魔のような笑みで聞いてくる。

「そうだね。頑張って割り込もうと努力はしたと思うよ。体力的にできるとは思えないけどね」

「あら、そこは無理にでも奪うと宣言するものじゃなくて?」

 そう言って笑う。

 そんな話をしていると、国王の入来が告げられる。
 国王フォルクマーク十世は第一王妃マルグリットと第二王妃アラベラを左右に従え、用意された席に座る。

 その間、我々は敬意を表するため、礼法に従って頭を下げている。

「よく集まってくれた! 堅苦しいことをいうつもりはない。皆で楽しんでくれ」

 国王が開会を宣言すると、楽士たちが音楽を奏で始める。
 この世界の音楽は思った以上に進んでおり、オーケストラと言っていい規模の楽団が存在する。

 音楽は軽快なワルツ調のもので、私はイリスに向き直り、作法通りに頭を下げる。

「一曲お願いできますか、お嬢様」

「よろしくお願いいたしますわ」

 普段とは違う言葉遣いに二人同時に噴き出しそうになるが、国王がいる前で笑い出すわけにもいかず、神妙な顔を作って手を取り、身体を密着させる。
 女性らしい心地よい香りが漂うが、イリスが小声でステップの合図を送ってきた。

「今よ。右、左……そこで左にターン……」

 言われるままに身体を動かす。
 一応ステップは覚えているのだが、頭で考えるより彼女の声に従った方が上手く踊れる。

 一曲目を無事に踊り終え、互いにお辞儀をする。しかし、すぐに手を取り、次の曲に備えるように身体を近づける。
 これはパートナーを他に渡さないという意思表示だ。

 その甲斐あって、数曲踊ったが、誰も割り込んではこなかった。
 軽く汗を掻いたので、踊りの輪から外れて、用意されているテーブルに向かう。椅子に座った後、給仕が運んできた飲み物に口を付ける。

 飲み物には酒もあるが、まだ十代半ばであるため、柑橘系の果実水を選んだ。
 一息ついたところで周囲を見回していく。

「兄様はグレーテル様とご一緒のようね。二人ともよくお似合いだわ」

 彼女の視線の先を見ると、ラザファムがグレーテル・フォン・ヴァインガルトナー公爵令嬢と踊っている姿があった。
 グレーテルは初等部で同じクラスだった女性だ。

 ラザファムは初等部時代からグレーテルのことが気になっていたが、国王の従妹に当たるため、身分を気にして積極的にアプローチしていない。

 一方のグレーテルもラザファムを憎からず思っている節があったが、こちらも自ら行動を起こしておらず、傍から見ているともどかしいと感じていた。

 開会から三十分ほど経つと、国王は一曲も踊ることなく、引き上げていった。第二王妃が後宮に入るまでは第一王妃とよく踊っていたらしいが、第二王妃との間が上手くいっておらず、第一王妃が遠慮しているようだった。

「陛下と二人の妃殿下との関係が微妙だな」

 小声でイリスに話す。他に聞かれると不敬罪を問われかねないためだ。

「そうね。笑顔をお見せにならなかったし……」

 国王はまだ三十歳にもなっていないが、四十前の疲れた感じの中年男性に見えるほど疲れているように見えた。

 国王が退出したので、いつでも引き上げられるが、あまり早すぎるのも不敬に当たるので、もう一曲だけ踊ってから帰ることにした。

 本来なら人脈づくりのために積極的に話しかけるべきなのだが、先日のイザーク・フォン・マルクトホーフェンの件があり、目立ちたくないというのが本音だ。

 こちらは完全に被害者であり、その点は問題ないのだが、マルクトホーフェン派の貴族の子弟から勧誘される可能性があるため、そのことを気にしている。

 最後にしようと思っていた曲が終わり、イリスと二人で引き上げようとしたが、そこで声が掛かった。

「マティアス・フォン・ラウシェンバッハ殿とお見受けするが」

 振り向くと、痩身で細い目をした二十歳くらいの男が張り付けたような笑みを浮かべて立っていた。

「その通りですが?」

 名を名乗らなかったのであえて不審そうな目を向けておく。男も私の視線に気づいたのか、大仰な仕草で頭を軽く下げた。

「これは失礼。私はフレンツヒェン・フォン・トーヴィルと申す者。以後、お見知りおきを」

 名を聞き、マルクトホーフェン侯爵派のトーヴィル子爵家の嫡男であると気づく。

「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。屋敷に戻ろうと考えておりますが、ご用件は何でしょうか?」

 正直言ってマルクトホーフェン侯爵派とはあまり接触したくないので、婉曲に帰りたいことを伝える。

「ある方が少し話をしたいとおっしゃっているのだ。少しだけ時間をもらえないかな」

 ある方という言い方で、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵だと理解する。
 フレンツヒェンとミヒャエルは学院の同期で、現在十九歳のはずだ。そのため、この舞踏会に参加しているらしい。

「正直に言わせていただきますが、イザーク先輩の件で侯爵家の方とは会いたくないと思っています。私が学院に相談したことがきっかけになったという噂が広がっていますので」

「そのことで侯爵閣下が謝罪したいとおっしゃっておられる」

 そこまで言われると行かざるを得ない。

「分かりました。私のレディを馬車まで送った後にお伺いしましょう」

 イリスを巻き込むと面倒なことになりそうなので先手を打った。イリスは私の脇腹を肘で突き、不満そうな顔をしている。

「それで構わない。奥のテーブル席に来てくれないか」

 そう言って庭園の奥にある貴賓席を指差す。

 イリスをエスコートして王宮のエントランスにある車寄せに向かう。

「私も一緒に行きたかったわ」

 小声で文句を言ってきた。

「大した話をするわけじゃないから。それに君を近くで見られたくないんだ。侯爵本人はどうか知らないが、先代のルドルフ卿は女好きとして有名だった。侯爵がその血を引き継いでいないとも限らないからね」

 本心ではイリスが感情的になって拗れることを警戒しているが、別の理由で説得した。

「そ、そういうことなら仕方ないわね。あとでどんな話をしたか教えてよ」

 イリスは顔を赤らめている。
 うちの馬車を呼んでもらい、先に帰ってもらう。本来であれば、最後までエスコートすべきだが、男性が政治的な話で残ることはよくあるため、マナー違反にはならない。

 イリスを送り出した後、貴賓席に向かう。
 貴賓席は侯爵以上の大貴族専用の席になっている。そのため、周囲には高そうな酒や豪華な料理が並んでいた。

 フレンツヒェンが私を見つけ、マルクトホーフェン侯爵家用の一画に案内する。
 そこには多くの取り巻きに囲まれた若い男が座っていた。見た目はスラリとしたスマートな体形で金色の髪と青い瞳が印象的な美男子だ。

「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。侯爵閣下がお呼びと伺い、参上いたしました」

 そう言って上位者に対する正式な礼をする。

「うむ」

 侯爵は頷いた後、私を数秒見てから名乗った。

「ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェンだ。愚弟のことで迷惑を掛けたと聞く」

 話をしながら私を探るように見つめていた。
 その視線に気づかないふりをしながら、笑みを作る。

「イザーク先輩とはいろいろありましたが、今は特に何も思っておりません」

 侯爵に対し、子爵家の長男が苦情を言うことはあり得ないし、逆に礼を言うのもおかしな話であるため、当たり障りのない答えを言った。
 この程度なら如才ない貴族の子息であれば答えられるため、警戒されないと思ったのだ。

「うむ。だが、あれでも一応は我が弟であったからな。迷惑を掛けた謝罪をさせてもらう」

 そう言って頭の角度を僅かに下げる。

「め、滅相もございません! 閣下から謝罪をしていただくようなことは……本当に私は何とも思っておりませんので……」

 慌てた振りをして対応するが、これは下級貴族の子息なら当然の反応だ。
 私の演技に満足したのか、侯爵は小さく頷いた。

「では、この件はこれで手打ちとしよう。そういえば、卿は学院の兵学部で首席であったな。今度我が屋敷に来て話をしないか」

 本題に入ってきた。どうやら私をスカウトする気らしい。

「光栄なことでございます。ですが、父と相談しなければお答えいたしかねます」

 これもごく一般的な対応だ。
 もしミヒャエルが侯爵家の嫡男であったなら、父に相談するという言い訳はできないが、侯爵本人からの申し出であれば、貴族の家としての対応が必要になるため、当主に相談するという言い訳はおかしなものではない。

「確かにそうだな。では、ラウシェンバッハ子爵に話をしておこう」

 これでこの問題は終わった。
 父はマルクトホーフェン侯爵と距離を置いており、私が侯爵派に取り込まれることを望むことはない。申し出はあるだろうが、適当な言い訳で断ることは目に見えている。

「では、閣下の貴重なお時間をこれ以上使っていただくわけには参りませんので、これにて下がらせていただきます」

 侯爵という上位者との面談に気後れしたという雰囲気を醸し出しながら、その場を去った。

■■■

 統一暦一二〇〇年四月十日。
 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、グライフトゥルム王宮。

 マティアスが去った後、ミヒャエルは後ろにいた五十歳くらいの銀髪の男、コルネール・フォン・アイスナー男爵に声を掛ける。

「奴をどう見た?」

 アイスナーは先代のルドルフの代から王都を任せられているほど辣腕の家臣で、ミヒャエルも一目置いている。

「下級貴族の子息を演じておりましたな。どうやら警戒されておるようです」

「そうなのか? 私にはただの下級貴族の子に見えたが?」

 ミヒャエルは首を傾げる。

「ただの下級貴族でしたら、当主であったとしても閣下が頭を下げたところでパニックになるでしょう。そうであれば、その後の屋敷に呼ぶという話もすんなりと受けたはずです。ですが、ラウシェンバッハは慌てた振りをしながらも、当主に相談すると如才なく答えておりました。なかなかできることではありませんな」

「卿がそういうのであれば、そうなのだろう。で、奴が私の配下になる可能性はどれくらいと見る」

 その問いにアイスナーは即座に答える。

「皆無でしょうな。あれは見た目とは異なり、なかなかの曲者です。エッフェンベルク家にも近いですし、諦めた方がよいでしょう」

「なるほどな。では、今のうちから排除すべきか」

「それもやめておいた方がよいでしょう」

 アイスナーは即座に否定する。
 ミヒャエルは否定されたことに不満げな表情を浮かべる。

「なぜだ? 我が家の役に立たぬだけでなく、害になる可能性があるのだ。今のうちに手を打っておいた方がよいと思うが」

「イザーク様の件がございます。彼に何かあれば、一番に侯爵家の関与が疑われます。少なくとも数年は放置すべきでしょう」

「イザークの奴め。放逐したのに未だに祟るか」

 ミヒャエルはそう吐き捨てると、マティアスに対しては特に手を出さない方針を決めた。
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