グライフトゥルム戦記~微笑みの軍師マティアスの救国戦略~

愛山雄町

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第一章:「転生編」

第十九話「ある分析員の述懐:後編」

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 統一暦一一九六年十月三十日。
 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、魔導師の塔。ヘルガ・エヴァルト上級魔導師

 私の名は森人族エルフェのヘルガ・エヴァルト、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師にして、情報分析室の主任分析員だ。

 最近になって驚くべきことを知った。
 それはマティアス君がゾルダート帝国とレヒト法国に対し謀略を考え、実行していたのだ。

 謀略といっても暗殺などの破壊工作をしたり、内部に協力者を作って敵国内部を混乱させたりといった直接的なものではない。
 帝都などを中心にさまざまな噂を流すことで不信の種を蒔いていたのだ。

 そのため、大賢者マグダ様から闇の監視者シャッテンヴァッヘの組頭への命令権を与えられていた。
 組頭は五十人のシャッテンを束ねる長で、組織に十人しかいない。

 それだけのシャッテンを使うことは滅多になく、その事実を知った時に私は驚きを隠せなかった。もっともマティアス君は具体的な人数まで知らされておらず、その重大さに気づいていなかったが。

 謀略について話を戻すが、具体的にやっていることは、ゾルダート帝国では皇帝の諮問機関である枢密院の派閥争いを激化させるため、敵対派閥が不利益になる情報を商人や軍人の耳に入れるというものだった。

 マティアス君は人に関する情報も重視していて、彼の指示で帝国を含む各国の要人に関する情報を私が集めていた。そのため、ちょっとしたスキャンダルなら結構手に入れていることを知っている。

 そういった情報を集める際にも質問していた。

「帝国では皇帝の権限は大きいから、枢密院ならともかく、それより下の家臣の情報を集めてもあまり意味がないと思うのだけど?」

 私の問いに対し、マティアス君は小さく首を横に振った後、理由を説明してくれた。

「結局、国は人が動かすものです。帝国や王国では君主の権限は大きいですが、君主だけでは国は動きません。ですので、君主の周りにいる人物はもちろん、実際に実務を担当している人の情報は適宜集めておかないといけないんです。そうすることで、将来出世するかもしれない人が分かりますし、もっと上の人たちの情報を得られるかもしれませんから」

 マティアス君は皇帝や帝室関係者はもちろん、枢密院の元老でも我々が持っているコネクションでは直接アクセスできないと考え、その伝手を探すことも考えていたのだ。

 派閥争いを激化させるということに対しても質問している。

「噂を流す相手の身分が低すぎて、枢密院の元老たちまで情報が上がらない気がするわ。派閥争いにも影響しないと思うのだけど」

「ヘルガさんの考えは間違っていないと思いますよ。私もすぐに効果があるとは思っていませんし」

 その答えに私は困惑する。

「なら何のためにやっているの?」

「十年後、二十年後を見据えてですね」

「そんな先のことを……」

 私が絶句している間にもマティアス君は説明を続けていた。

「枢密院の議員は九名です。帝室関係者が三名、軍関係者が三名、官僚出身者が三名とそれぞれが派閥を作っています。それだけではなく、その派閥の中にもいくつもの派閥があって、いろいろと画策しあっているみたいなんです……」

 マティアス君の言う通り、枢密院議員の定員は九名で、任期は最大十年。新たな議員は前任者が指名する形らしく、元老と呼ばれる議員になるための派閥内での争いは結構激しいらしい。

「噂を流しておけば、それを使って立身出世を目指す者が出てくるかもしれません。それに他の派閥から譲歩を引き出すために噂を使う可能性は充分にあります。その際に有能な人物、つまり我が国にとって危険な人を貶めるためにネガティブな噂を流しておけば、どこかで役に立つかもしれませんから」

「なるほど」

 そんなことまで考えていることに感心することしかできなかった。

「特に気にしているのは現皇帝コルネリウス二世の後継者争いですね。第一皇子のゴットフリートと第二皇子のマクシミリアンはいずれも優秀な方のようですから、情報を上手く使えば、後継者を巡って派閥間の争いを激化させることもできると思います」

「皇帝はまだ四十歳にもなっていないわ。健康問題もないと聞いているし。第一皇子はこの前大活躍したけどまだ二十歳を越えたばかりだし、第二皇子は十代半ばでしかなかったわ。後継者争いを起こすには早すぎる気がするんだけど」

「これも二十年後を見据えてですね。今から煽っておけば、二人の皇子を巡って修復できないほどの亀裂を作ることもできるかもしれません。二人の皇子が反目し合うだけでも宮廷内はギスギスするでしょうし、上手くいけば内戦まで引き起こせるかもしれません」

「……」

 その先を見据える考えに驚き、言葉にならなかった。しかし、マティアス君は更に驚くべきことを話し始める。

「リヒトロット皇国内でも帝国の悪評を流しているんです。帝国に占領されると兵士に何をされるか分からない。特に若い女性は危険だとか」

「でも帝国軍の軍規は厳しいから、あまりトラブルになっていないはずよ。それでも効果はあるのかしら?」

 マティアス君は優しい笑みを浮かべたまま、私の問いに答えていく。

「どうでしょう? 確かに兵士に軍紀の乱れはありませんが、トラブルがゼロというわけではないんです。実際、婦女暴行で罰を受ける兵士は後を絶ちませんし」

「そうなのね……」

 そういうもののあまり腑に落ちなかった。

「事実を混ぜて情報を流すことが大事なんですよ。人は見たいものを、信じたいものを事実だと思いたがりますから。なので少し誇張して伝えても、事実を含んでいるなら意外にそのまま信じるものなんです。もっとも帝国への不信感を強めるのは別の目的からなんですが」

「別の目的?」

「ええ。兵士たちの素行に加えて、一定上の財産を持っていると没収されるという噂も流しています。特にグリューン河流域とシュトルムゴルフ湾では船が奪われるという話を広めているんです。こうしておけば、船を持つ者は帝国に占領される前に船を売るか、我が国に逃げてきますから。帝国に水上輸送の手段を持たれるとシュヴァーン河での防衛という前提が崩れてしまいますからね」

「……」

 私は唖然として言葉が出てこなかった。
 シュヴァーン河での防衛が我が国にとって合理的な策であることは理解しているが、それを敵に強要するために既に手を打っている。その周到さに言葉が出なかったのだ。

「もう少し悪辣な手も考え付いたんですけど、さすがにそれを実行することは躊躇われましたので」

 そう言ってニコリと微笑んだ。どんなことを考えたのかは聞いていないが、その笑みに私は背筋に冷たいものが流れる。

「それはともかく、そろそろオストインゼル公国にも謀略を仕掛けたいと思っているんです。ですが、あそこは真理の探究者ヴァールズーハ-の本拠地ですから、闇の監視者シャッテンヴァッヘの皆さんを危険晒すことにもなりますから、ちょっと厳しいかなと」

 オストインゼル公国はエンデラント大陸の東にある島国で、元々はリヒトロット皇国の一部だった。自らが皇国から独立するため、ゾルダート帝国に様々な支援を行っているという噂があった。

 真理の探究者ヴァールズーハ-は大陸に三つある魔導師の塔の一つで、オストインゼル島の山岳地帯に本拠を持っている。

 オストインゼル公国とは直接関係はないが、真実の番人ヴァールヴェヒターという間者組織を持っているため、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの下部組織である闇の監視者シャッテンヴァッヘの間者を派遣することは危険が伴う。

「オストインゼルはともかく、今回の敗戦でもう少し積極的にやらないといけないんじゃないかと思い始めています。私だけではなくて大賢者様も」

 今回の敗戦というのはグライフトゥルム王国とグランツフート共和国の連合軍が帝国軍に惨敗したことを指している。

 リヒトロット皇国救援のために王国と共和国は計六万の大軍を皇国西部に派遣した。しかし、軍の合流とシュヴァーン河の渡河に手間取ったため、ローデリヒ・マウラー元帥率いる帝国軍第三軍団に先を越され、要衝フェアラートを占領されてしまう。

 この時、マウラー元帥は大胆にも三分の二に当たる二万を別動隊とし、丘陵地帯の森の中に隠した。

 連合軍の総司令官ロタール・フォン・ワイゲルト伯爵は当初の作戦を実行するため、フェアラートへの攻撃を決意した。しかし、彼は情報を軽視し、敵の戦力の確認を怠った。

 強引に攻撃を加えるものの、攻城戦を想定していなかった連合軍は一昼夜攻撃してもフェアラートを陥落させることができない。

 漫然と攻撃を加えているワイゲルト伯爵の本隊に対し、帝国軍の別動隊二万がその後方から奇襲を掛け、あっという間にワイゲルト伯は戦死した。

 その後、カスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵と共和国軍のゲルハルト・ケンプフェルト将軍らの奮闘と、更にはマティアス君が用意させた大量のいしゆみによって何とか撤退できたものの大損害を被った。

 グライフトゥルム王国軍は半数の約一万五千が戦死ないし捕虜となり、祖国に帰還できた兵士は半数に満たなかった。その兵士たちも七割以上が傷を負い、軍としては全滅と判断されるレベルの惨敗だった。

 また、連合軍を形成するグランツフート共和国軍も戦死者五千、負傷者五千という大きな損害を受けている。

 現在、マティアス君は商人組合ヘンドラーツンフトを通じて、捕虜となった兵士の買い取りを指示しているらしいが、多くても五千人が戻ってこられるかどうからしい。
 当然、作戦のやりなおしは不可能だ。

 これによって帝国軍に大きな損害を与えて南部鉱山地帯を奪還するという戦略目的の達成は不可能になった。

 それだけに留まらず、王国軍は大きな損害を受けたことから今後の対帝国・対皇国戦略を見直す必要が出てきた。皇国に対して積極的に支援を行い続けるのか、それとも帝国との関係を見直し皇国を切り捨てるのか、その選択を迫られると考えたのだ。

 しかし、マティアス君の話では対帝国戦略に大きな変更がないようにしか聞こえなかった。

「帝国との関係の見直しは行わないかしら?」

 私の問いにマティアス君は小さく首を傾げる。

「私が決めることではありませんよ」

 確かにその通りだ。
 ここでいろいろな情報を扱い、帝国への謀略を行っているが、彼は王国の重臣でもなく、十一歳の子供に過ぎないのだ。

 しかし、私はそのことを完全に失念していた。彼が王国の、そして我々叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの行く末を左右する重要人物にしか思えなかったためだ。

「国王陛下と宰相閣下がお考えになるでしょう。今までより現実的な路線にできるかもしれませんし」

 今回の敗戦で王国の大貴族マルクトホーフェン侯爵が失脚した。侯爵はこれまで自らの利益のために国政に何度も口出しをしている。彼はそのことを示唆したのだ。

 但し、失脚といっても当主であったルドルフが隠居し、領地で謹慎することが決まったに過ぎない。

 彼の娘アラベラは敗戦に関係なく盛大な結婚式を挙げて第二王妃に収まっている。
 また、嫡男のミヒャエルはまだ十六歳に過ぎず、ルドルフが実質的な当主であることに変わりはない。腹心たちを使って国政に口出すことは容易に想像できる。

「いずれにしても私は年が明けたら学院の初等部に入ることになっていますから。あまり関われません。もっとも入学試験に合格できたらですけど」

「ぷっ!」

 私は思わず噴き出してしまった。

「その心配は必要ないわ。君なら研究科ですら余裕で合格できるわよ」

 確かにシュヴェーレンブルク王立学院は大陸で最も高い水準の教育機関だ。しかし、彼ほどの知識と知性を有した者が初等部の試験で失敗することは考えられない。高等部の上、研究科ですら余裕で合格できるはずだ。

「そうならいいんですけど。どんな問題が出されるのか、全然知らないので」

 大賢者マグダ様も私と同じように彼の合格を疑っていないため、試験に関する話をするのを忘れたのだろう。

「この塔には王立学院に行った人はいないから、皆さん失念しているのね。まあ、王都に戻ってから対応すれば十分間に合うわ」

 そのことを言うと、彼は苦笑いを浮かべていた。
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