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2巻
2-3
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二.肉を味わう
ミノタウロス狩りを終え、午後三時くらいに迷宮から出た俺とウィズだが、いろいろとあったため、宿に戻ったのは四時頃だった。と言っても店の予約は六時だから、充分に余裕はある。
宿に戻ったところで、支配人であるバーナードが「お帰りなさいませ」ときれいなお辞儀で出迎えてくれた。
ウィズがすぐに駆け寄り、「今日も美味かったぞ! さすがはバーナードじゃ!」と彼の肩を軽く叩いている。そんな馴れ馴れしい行動にもバーナードは「ありがとうございます」とにこやかに応えてくれる。
「本当に美味しかったです。アツアツのミートパイにあのワインの組み合わせは最高でした。それに冷製スープもいい口直しでしたね。また、よろしくお願いします」
「お口に合ったようで安心しました。料理長にもお二人のお言葉を伝えておきます」
籐の籠を返し、部屋に戻る。装備を外し、シャワーを浴びたが、出かけるにはまだ少し余裕があった。そのため、明日以降の予定を確認する。
「鶏と牛の肉は充分に確保できたと思うんだが、明日はどうする?」
「そうじゃの。あとは豚じゃが、オークキングは面倒じゃの」
「二百階のガーディアンの部屋にしか出てこない割に、肉を落とす確率は低いからな」
オークは百五十一階から二百階に出る魔物で、階層が深くなるにつれ上位種が現れる。しかし、最上級の豚肉と言われるオークキングはガーディアンとして二百階に出るだけで、フィールドには現れない。
更に肉のドロップ率は三割程度と比較的低く、効率は決してよくない。
「それならセオール川に行ってみるか? ここから二、三十キロという話だから飛んでいけばすぐだ。それに一度行っておけば転移魔術で簡単にいけるようになるし」
竜であるウィズはもちろん、俺も風魔術の〝飛行〟が使えるから、三十キロメートルの距離でも飛んでいけば二十分も掛からない。
「そうじゃな。カールの言っておった〝切り裂き蟹〟を狩るのも一興じゃの」
シーカーズ・ダイニングのシェフ、カールに聞いたリッパークラブは、甲羅の幅が一メートルほどの大型の蟹だ。鋭い爪と硬い甲羅を持つ厄介な魔物だが、その身はコクがあって美味いという話だった。
「あとはどこに食いに行くかじゃ。キースの言っておった〝ハイランド料理〟というのも気になるが、エディやリアが行く店も気になるの」
「そうだな。まずはエディさんたちの情報を聞いてからだな。この世界に来る前は若い連中が食う脂っこいものは苦手だったが、この身体になってからは何を食っても調子がいい。どんな料理なのか、興味がある」
「それにしても、ここまで楽しめるとは思わなんだぞ。迷宮から解放されてまだ五日しか経っておらぬが、生まれてから五千年で一番楽しい時を過ごしておる」
若い女性の姿をしているから忘れそうになるが、ウィズは五千年という長い時間を生き続けているエンシェントドラゴンだ。迷宮に封じられている時はもちろん、その前も一人でいる時間が長かったらしいから、ワイワイガヤガヤとやる雰囲気は味わったことがないのだろう。
「俺もこれほど楽しめるとは思っていなかった。でもまだ五日なんだな。一ヶ月以上経ったような気がしているよ」
濃い時間を過ごしているからか、時間の流れが遅い気がしていた。
そんな話をして時間を潰した後、宿のロビーでドワーフたちとエディ、リアを待つ。
時間通りに集合し、マシュー・ロスの店〝ロス・アンド・ジン〟に向かった。
店はここ探索者街から少し離れた商業地区にある。少し離れたと言っても十分ほどで到着できるため、それほど急ぐ必要はない。
ロス・アンド・ジンは落ち着いた雰囲気のカフェのような外観だ。扉には〝臨時休業〟と書かれており、前回同様貸し切りにしてくれるらしい。
中に入ると、ホールスタッフのタバサが奥の席に案内してくれる。
「オーナーですが、ここ数日、物凄く気合が入っていましたよ。私も味見をさせてもらいましたけど、今まで食べた料理で一番美味しかったですね」
タバサとは、前回訪れた時に意気投合している。
二十代半ばで髪を後ろで無造作に括った、少し垢抜けない感じの女性だが、笑顔を絶やさないため、とても感じがいい。
日本酒好きが高じてマシューの店でホールスタッフとして働くことになったらしく、前回も俺が日本酒に詳しいと知り、最後の方は酒の話で盛り上がった。
席に着いたところで、板前らしい紺色の調理衣姿の店主、マシューが顔を出す。
「今日は肉がメインということでいつもと趣向を変えています。純粋なカイセキではありませんが、ご満足いただけると思います」
「さすがに肉ばかりだと会席料理は難しいですよね。どんな料理が出てくるのか楽しみです」
俺の言葉にマシューはニコリと微笑み、皆に尋ねる。
「では飲み物はどういたしますか? 皆さん飲める方ばかりのようですし、こちらで合わせることもできますが」
全員の顔を見ていくと、皆小さく頷き返してくる。
「では、それでお願いします」と頼む。
マシューが厨房に戻ると、エディがボソリと「俺とリアは飲めるうちに入らないと思うんだけどな」と呟いた。
「そうね。ドワーフのトーマスさんたちは当然だけど、ゴウさんもウィズさんも凄い酒豪だから」
すっかり飲み仲間となった鍛冶師のドワーフ四人組は、「儂らも驚いたわい」と言って笑う。
そんな話をしていると、タバサが二合徳利を四つ運んできた。
「最初のお酒ですが、ノースハイランドで造られている珍しいサケで、〝ハイスプリングウォーター〟という銘柄です。名前の通り、軽めのきれいなお酒ですよ」
「ハイランドですか? ウイスキーのイメージが強いのですが、日本酒も造っているんですね」
そう言いながら、ぐい呑みに酒を注ぐ。口を付けると、名前の通り透き通ったきれいな酒で、淡麗さの中に米の旨味を感じた。
「ハイランドにはドワーフが結構いますから、いろいろなお酒が造られているんですよ。そうですよね、トーマスさん?」
タバサがそう言ってトーマスに話を振る。
「そうじゃ。食い物はこの国の方が美味いが、酒はハイランドの方がよいものが多いと思っておる」
そんな話をしながら飲み始めたところで、マシューが料理を持って現れた。
俺の前に長方形の皿が置かれる。そこには表面が強めに炙られ、中はレア状態の鶏肉、いわゆる〝タタキ〟が載っていた。火の入れ加減は絶妙でギリギリで火が通っているという感じだ。
「一品目は物凄く悩みました」と言いながら全員分の皿を置いていく。
「コカトリスのタタキです。カールさんのところでも肉尽くしだったそうですので、うちも最初から肉で頑張ってみました」
マシューは説明を終えると、次の料理のためにすぐに厨房に下がっていく。
鶏の脂の焼けた香りが空きっ腹を刺激する。細切りのネギと紅葉おろし、ポン酢の他に柚子胡椒のような、やや灰色がかった緑色の調味料も出てきた。
「さっぱり食べるなら紅葉おろしにポン酢が美味しいと思います。ですが、レモン胡椒だけでもいけますよ。特にお酒との相性は一番かもしれません」
タバサが簡単に説明してくれる。柚子胡椒と思ったものはレモン胡椒だった。
「青唐辛子もあるんですね」と言うと、タバサは「これもご存じなんですね。この辺りの方だとほとんど知らないんですが」と驚いていた。
まずはおろしポン酢で食べる。さっぱりとしたポン酢が地鶏のようなしっかりとしたコカトリスの肉の味を和らげ、旨味だけが口に残る感じだ。
「美味いの。じゃが、これはほとんど生肉ではないのか?」
「ギリギリ火が通っている感じだな。魚のタタキなら中が生でもいいんだが、鶏肉はこのくらいの方が好きだな」
日本でも地鶏のタタキは割とメジャーな料理だが、ほとんどの店では表面を軽く炙るだけで出している。焼きすぎると肉がパサつくからなのだろうが、ある程度火が入った方が美味いと思っている。
二切れ目はシンプルにレモン胡椒でいく。
柑橘特有の爽やかな香りの後にほのかな酸味、そして強めの塩味が広がり、最後に青唐辛子の強い辛みが舌を刺激する。
コカトリスの焼けた脂に酸味と辛み、塩分が加わり、猛烈に酒が欲しくなった。
その状態でハイスプリングウォーターを口に含む。辛みと脂はきれいに流れるが、肉の香りはしっかりと残り、酒の旨味が更に増す。
「これは本当に合いますね。鶏の脂に淡麗辛口だと酒が負けることが多いんですが、これはしっかりと旨味もあるから全然負けません。いいチョイスです」
「ありがとうございます。頑張って選んだ甲斐がありました」
タタキを食べ終えたところで、酒がなくなった。
見計らったようにタバサが徳利を持って戻ってくる。
「二杯目のお酒は〝ローレルリース〟です。ハイスプリングウォーターより華やかさを感じると思いますが、基本的にはスッキリ系のお酒です」
ローレルリースは大吟醸らしく、口に含むと純米とは違うスッキリとした味だった。酵母の香りなのか、米の旨味より華やかさを強く感じる。
酒を飲んでいる間にタバサが「二品目です」と言ってテーブルに小鉢を置いていく。
中にはじっくりと炊かれた牛肉が少量入っていた。どうやら、しぐれ煮のようだ。
「牛肉のシグレニです。次の料理までのつなぎですので、ゆっくり召し上がってくださいね」
「シグレニとは何じゃ?」
ウィズがしぐれ煮をフォークで突き刺して、しげしげと見ながら質問する。
「醤油と砂糖、みりんに生姜を加えて煮詰めた料理だな。甘辛さの中に生姜の爽やかさがあって酒にも白米にもよく合う」
「しかし小さいの。一度に何枚か食った方がよいのか?」
「味は思った以上にしっかりしているから、一枚ずつで充分だ。少しずつゆっくりと味わいながら酒を飲んだらいい」
このしぐれ煮だが、スライスした牛肉を一口大に切って炊いたものだ。
箸で一枚取って口に入れる。濃い甘辛さの中に生姜の香りが効いているが、佃煮ほど炊き込んでいないため、思ったよりしょっぱさはない。牛肉の旨味もしっかりと残っており、噛むほどに肉の味が口の中にあふれてくる。
そこにローレルリースを流し込む。淡麗な酒が甘辛さを流しながらも、牛肉の香りが相乗効果を見せ、更に旨味が増した。
「これはいいな。何杯でも飲めそうだ」
ウィズも同じタイミングで酒を飲み、「うむ。これこそ酒のつまみよの」と満足げに頷いている。
「初めて食ったが、これはありじゃな」とトーマスも満足している。
あっという間に俺もローレルリースを飲み干してしまう。お代わりをするが、しぐれ煮は一人三枚ほどしかないため、こちらもすぐになくなってしまった。
「もう少しあってもよいのじゃがの」
ウィズが零すと、ドワーフ四人組も「儂らには少なすぎる」と賛同している。
「濃い味ですからこのくらいでいいんですよ。次の酒が出てきましたし」
「〝ブルートンホマレ〟です。今度はジュンマイのカンザケです。このお酒はオーナーの師匠が携わったものだそうです」
王都ブルートンで造っている酒で、マシューの師匠ジン・キタヤマ氏が酒造りを監修しており、しっかりとしていながらも香り豊かな、和食に合う酒を目指したものだそうだ。
温度は人肌くらいのぬる燗で、米の香りがストレートに口に広がった。
そこにマシューが現れ、蓋付きの鉢を置いていく。
「三品目はコカトリスを使ったチクゼンニです。レンコンは本場マーリアのものですよ」
見た目は日本で見た筑前煮とほぼ同じで、水分を飛ばした野菜と鶏肉の煮物だった。
「コカトリスでチクゼンニなんて初めて作りましたよ。普通はレッサーコカトリスですら使わないんですが、今日はブラックコカトリスがありますから贅沢にいってみました」
マシューは笑いながら厨房に戻っていく。
まずはレンコンに箸を付けた。見た目は日本のものとほぼ同じだ。
口に入れるとシャリッという歯ざわりの後にモッチリとした食感。最高級のレンコンは根菜特有の甘味があるが、それに劣らないくらいの野菜の甘味を感じた。
ゴボウやダイコン、ニンジンにもコカトリスと干し椎茸の出汁がしっかりと染みており、どれを食べても酒のつまみになる。
「この肉はコカトリスなのじゃな。先ほどのタタキとはまるで違うが」
「そうだな。火の入れ方が全然違うから食感も味も全く違うものになる。さっきのタタキは軽くしか火を入れていないが、筑前煮は最初に具材をすべて炒めてから調味して水分を飛ばすんだ。出汁の旨味が全体に回る分、複雑な味になっていると思う」
コカトリスの肉はカールの店でも食べているが、これほどいろいろと楽しめるとは思わなかった。
「これって野菜が主役なんですか?」とリアが聞いてきた。
聞きたくなる気持ちは分かる。コカトリスの肉も美味いが、野菜が信じられないくらい美味いからだ。
「どうなんでしょうね。私としては具材全部が主役の料理と思っていますけど」
「俺はそんなに野菜が好きじゃなかったんですけど、これはいいですね。これがあれば野菜嫌いの子供なんていなくなると思いますよ」
エディの言葉にリアが笑いながら、「そう言えば子供の頃、野菜を残してお母さんに怒られていたわね」と暴露する。
その言葉にエディは「昔の話だろ」と真っ赤になって恥ずかしがっていた。
「お二人は仲がいいですね」
俺が言うと、エディがはにかみながら答える。
「家が近いだけの腐れ縁ですけど、一緒に酒を飲むようになったのはゴウさんたちと出会ってからですよ。それまでは部署も違いますし、顔を合わせることはほとんどなかったんですから」
「彼の言う通りです」とリアも大きく頷いている。
若い子をからかいすぎるのも悪いと思い、この話は切り上げ、トーマスたちドワーフに今日の料理の感想を聞いてみた。
「今日の料理はどうですか? ドワーフの方たちが和食を食べるというイメージがないので」
「美味いが、物足りぬというのが正直なところじゃな。儂らは油の多い、ガッツリとした料理が好みじゃ」
「和食だとそういうのは難しいかも……」と言いかけたところで、ある料理が頭に浮かんだ。
「もしかしたらこの後に、トーマスさんたちが満足するものが出てくるかもしれませんよ」
「どういうことじゃ?」とトーマスが首を傾げながら聞いてきた。
「まあ私の思い違いかもしれませんし、出てくるのを待ちましょう」
そんな話をしていると、タバサが次の酒を持ってきた。
「王都ブルートンの〝シャーロック〟です。香り豊かなジュンマイギンジョウのナマザケで、これだけで飲んでも美味しいお酒ですね。これもオーナーの師匠が関係していた酒蔵のものです」
それまでのぐい呑みではなく、ワイングラスが置かれる。
「このお酒はワイングラスで飲んだ方が美味しいんです。まずは香りから楽しんでください」
薄い琥珀色の日本酒で、ソーヴィニヨン・ブランのライトな白ワインに見えないこともない。しかし、グラスに口を近づけると、その香りはまさしく日本酒のそれであり、花のような吟醸香の後に米の香りが上ってくる。
口を付けると適度に冷やされており、僅かに発泡していて爽やかだ。舌の上で感じる味は最初甘口と錯覚するほど柔らかいが、辛口のシャープさもあった。
「これは美味い酒ですね。酒米が今までのものと違う気がしますが?」
「さすがですね。ジン・キタヤマさんがマシア共和国で見つけた酒米を改良したもので、キタヤマニシキという名だそうです」
タバサが流れるように説明してくれる。彼女はまだ若いが、酒についてよく勉強しており、知識は豊富だ。
酒を楽しんでいると、鶏の脂が焼ける、いい香りが漂ってきた。厨房の方を見ていると、マシューが皿を持ってやってきた。
「お待たせしました。ブラックコカトリスです」
「ついに来たか!」とウィズが声を上げる。トーマスたちも何が出てくるのか興味津々という感じだ。
「食べていいのかな」と不安そうなエディに、ウィズが答える。
「もちろんじゃ。まだ三キロほどあるから全く問題はないぞ。それに、奴らならいつでも狩れるしの」
彼女が言う通り、ブラックコカトリスは出現場所が分かるようになったから以前より簡単に狩れるだろう。
「それに今後は他のシーカーたちも狩るでしょうから、もっと流通するようになると思いますよ」
俺がそう言うと、エディは「それはないと思いますよ」とボソリと言い、リアを見る。
「私もそう思うわ」
リアも頷くが、料理が並んだのでその話題はそこで終わった。
料理はシンプルな鶏もも肉の塩焼きに見える。しかし、僅かに香辛料の香りが漂ってきた。
「ブラックコカトリスの山椒焼きです。と言っても山椒はほとんど使っていません。肉そのものの味を楽しんでください」
山椒もジン・キタヤマ氏が見つけ、トーレス王国に普及させたらしい。
山椒焼きはブラックコカトリスを塊のまま焼いた後、五ミリくらいの削ぎ切りにしており、断面から透明な肉汁が流れている。
一切れ口に入れたが、その美味さに涙が出そうになった。
「何という肉の旨味だ……塩と僅かな山椒でここまで脂に甘みが出るとは……」
それ以上言葉にならない。
歯触りは上質な鴨の胸肉。絹のようにきめ細かくしっとりとしていながらも、肉の歯ごたえがしっかりと残っている。
肉を噛んでいくと上質の鶏の脂が岩塩と混じり合い、最高のソースとなった。
特に美味いのは皮だ。表面はパリッと焼かれているが、厚みがあるので充分に柔らかさが残っている。皮から出る脂にべたつきなど一切なく、博多の高級店で出される水炊きのスープのようだ。
強い香りと舌に刺激を与える山椒だが、主張しすぎず、脂のコッテリ感を爽やかさに変えてくれる。
シャーロックのグラスを口に運ぶと、キリリと冷えた香りよい日本酒が肉の旨味と融合し、得も言われぬ美味さに変わった。
いつもなら真っ先に声を上げるウィズが黙々と肉を口に運んでいる。トーマスたちも皆無口で、肉を食べては酒を飲むという行為を繰り返していた。
エディとリアもその雰囲気に呑まれたのか、無言で食べている。
「どうでしょうか?」とマシューが恐る恐る尋ねてきた。あまりに反応がなく、気になったようだ。
「素晴らしいです……すみません。これを表現できる言葉を私は知りません」
「そ、そうですか……」
マシューはどう反応していいのかという感じでちょっと引いている。
「一つだけ言えることは、今まで食べたどの肉より美味い、いえ、圧倒的に美味いということです。きめ細かな食感、嫌みが全くない脂、噛むほどに上ってくる力強い肉の香り……秀逸なのは皮です。絶妙の焼き加減で、スープを固めたかのような旨味の塊……確かに最高の鶏肉というのがよく分かりました。ですが、それ以上にマシューさんの腕に感服しました。これほどの食材を完璧に生かしたのですから……」
途中で味を表現していた気がするが、何を言ったのかよく覚えていない。それほどまでに感動していたのだ。
「ゴウと同じ気持ちじゃ。我はここに来て本当によかったと思うぞ」
俺たちの言葉に安堵したのか、マシューはようやく笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。私の方こそ、これほどの食材を扱わせてもらえて、料理人としてこれ以上ない幸せです」
トーマスたちも食べ終えたのか、満足げに頷いているが、次の料理が気になるようだ。
「まだ次の料理があるのではないのか。確かに美味かったが、まだまだ食い足りぬぞ」
ブラックコカトリスは一キログラムしかなく、八人で割ると一人百二十五グラムになってしまう。それまでの料理も決して量が多いとは言えず、確かにまだまだ足りない。
「失礼しました。次の料理の準備は既に終わっています。タバサ、セッティングを手伝ってくれ」
それだけ言うとマシューは慌ただしく厨房に戻っていった。
ふと、ずっと黙っているエディとリアが気になり、声を掛けた。
「どうでしたか」
俺の問いに二人は顔を見合わせる。そして、リアが話し始めた。
「月並みな言い方しかできませんけど、とても美味しかったです。こんな美味しいものを食べさせてもらってもいいのかって……私たちにはもったいなさすぎて」
「他のことは気にせず、楽しめばいいと思いますよ。美味しい料理や酒は〝一期一会〟ですから」
「〝イチゴイチエ〟ですか……何となく意味は分かりますけど……」
言語理解のスキルは自動翻訳に近いが、完璧ではないらしい。
「一期一会は〝一つの出会いは生涯に一度しかないので、その貴重な出会いを大切に〟という意味です。料理でもお酒でもそうですが、同じものでもその日の体調や気分、気候の違いなどで感じ方が変わります。つまり、今回食べた料理の味には二度と出会うことができません。ですから、その貴重な機会を楽しむべきだと思います」
「よい言葉じゃな。これからは我も〝一期一会〟の気持ちで食わねばならんな」
そんな話をしていると、マシューとタバサが戻ってきた。マシューは五徳が付いた卓上コンロのようなものをテーブルに置くと、再び厨房に戻っていく。
その間にタバサが酒を用意していた。
「〝グリーフマサムネ〟のジュンマイです。生原酒ですから少し重い感じがするかもしれません」
次は地元の酒、グリーフマサムネだ。以前リアたちと行った居酒屋ポットエイトでも飲んでおり、この町ではポピュラーな酒らしい。
ぐい呑みに口を付けると生原酒らしい酸と米の旨味を感じる。しかし、これの前に飲んでいたシャーロックが爽やかすぎて、野暮ったい感じは否めない。
だがこの酒を選んだ理由は何となく分かっていた。次の料理が予想できたからだ。
マシューが厨房から鉄鍋を運んできた。醤油とみりんの甘辛い香りが広がる。
「次はギュウナベです。肉はたくさんあるので存分にどうぞ」
濃い醤油味の牛鍋やすき焼きにはきれいな酒より、米の旨味が強い、どっしりとした酒の方が合う。だからこの酒を選んだのだろう。
セッティングが終わると、タバサが生玉子の入った器を配っていく。
「肉は玉子を絡めて食べてください。玉子のお代わりはいつでも言ってくださいね」
マシューとタバサは牛鍋の横に立ち、給仕をするようだ。肉を入れ、程よく火が通ったところで、タバサが肉を持ち上げる。
「肉からいきますね」と言いながら、俺の器に入れた。上がる蒸気からも醤油と肉の香りを感じる。
肉にサシはほとんど入っていない。牛のランプ肉のような見事な赤身だ。
アツアツの肉に生玉子の黄金の衣をまとわせる。肉の熱で少しトロッとなった玉子が、食欲をそそる。
口に放り込むと玉子のまろやかさを最初に感じ、その後に割り下の甘みとコク、そして凝縮された牛肉の旨味が口いっぱいに広がる。
肉を飲み込んだところでグリーフマサムネの入ったぐい呑みを手に取り、クイッと飲む。心地よい酸味が肉の脂と玉子のまったり感を流してくれる。
「こいつは美味ぇ!」とドワーフのガルドが声を上げた。
「儂もこれが気に入ったぞ」と同じくルドルフが頷き、酒を呷っている。
「我もこれが気に入った! ミノタウロスチャンピオンもギュウナベにせねばならぬな」
ウィズが二人に応じるように言った。
その言葉で、迷宮最下層で食べたミノタウロスチャンピオンの素焼きを思い浮かべる。
「確かに興味があるな。グレートバイソンでこれほど美味いんだから、チャンピオンならどうなるのか気になる。あの脂の感じなら、牛鍋じゃなくすき焼きでもいいな」
「スキヤキとは何じゃ? ギュウナベとは違うのか?」
「牛鍋はこうやって割り下という汁の中で牛肉を煮込むが、すき焼きは油を引いた鍋で先に肉を焼いてから、醤油と砂糖で味を付けるんだ。まあ、予め作っておいた割り下を使うところもあるがな」
「それも美味そうじゃな」とウィズも乗り気だ。
俺たちの会話に、肉を入れ続けているマシューが入ってきた。
「スキヤキと悩んだんです。ギュウナベよりスキヤキの方がダイレクトに肉の香りを味わえますから」
「ならば、なぜギュウナベにしたのじゃ?」と好奇心の塊となっているウィズが彼に聞く。
「ブラックコカトリスからの流れを考えると、グレートバイソンの肉では味が負けるかなと思ったんです。ギュウナベなら肉だけではなく、野菜の旨味も足されますから」
「私も牛鍋で正解だと思いますよ。それにしてもこの割り下はずいぶん拘っているようですね」
割り下は醤油とみりん、砂糖のバランスがよく、他にも何か入っている感じだが、俺にはよく分からない。
ミノタウロス狩りを終え、午後三時くらいに迷宮から出た俺とウィズだが、いろいろとあったため、宿に戻ったのは四時頃だった。と言っても店の予約は六時だから、充分に余裕はある。
宿に戻ったところで、支配人であるバーナードが「お帰りなさいませ」ときれいなお辞儀で出迎えてくれた。
ウィズがすぐに駆け寄り、「今日も美味かったぞ! さすがはバーナードじゃ!」と彼の肩を軽く叩いている。そんな馴れ馴れしい行動にもバーナードは「ありがとうございます」とにこやかに応えてくれる。
「本当に美味しかったです。アツアツのミートパイにあのワインの組み合わせは最高でした。それに冷製スープもいい口直しでしたね。また、よろしくお願いします」
「お口に合ったようで安心しました。料理長にもお二人のお言葉を伝えておきます」
籐の籠を返し、部屋に戻る。装備を外し、シャワーを浴びたが、出かけるにはまだ少し余裕があった。そのため、明日以降の予定を確認する。
「鶏と牛の肉は充分に確保できたと思うんだが、明日はどうする?」
「そうじゃの。あとは豚じゃが、オークキングは面倒じゃの」
「二百階のガーディアンの部屋にしか出てこない割に、肉を落とす確率は低いからな」
オークは百五十一階から二百階に出る魔物で、階層が深くなるにつれ上位種が現れる。しかし、最上級の豚肉と言われるオークキングはガーディアンとして二百階に出るだけで、フィールドには現れない。
更に肉のドロップ率は三割程度と比較的低く、効率は決してよくない。
「それならセオール川に行ってみるか? ここから二、三十キロという話だから飛んでいけばすぐだ。それに一度行っておけば転移魔術で簡単にいけるようになるし」
竜であるウィズはもちろん、俺も風魔術の〝飛行〟が使えるから、三十キロメートルの距離でも飛んでいけば二十分も掛からない。
「そうじゃな。カールの言っておった〝切り裂き蟹〟を狩るのも一興じゃの」
シーカーズ・ダイニングのシェフ、カールに聞いたリッパークラブは、甲羅の幅が一メートルほどの大型の蟹だ。鋭い爪と硬い甲羅を持つ厄介な魔物だが、その身はコクがあって美味いという話だった。
「あとはどこに食いに行くかじゃ。キースの言っておった〝ハイランド料理〟というのも気になるが、エディやリアが行く店も気になるの」
「そうだな。まずはエディさんたちの情報を聞いてからだな。この世界に来る前は若い連中が食う脂っこいものは苦手だったが、この身体になってからは何を食っても調子がいい。どんな料理なのか、興味がある」
「それにしても、ここまで楽しめるとは思わなんだぞ。迷宮から解放されてまだ五日しか経っておらぬが、生まれてから五千年で一番楽しい時を過ごしておる」
若い女性の姿をしているから忘れそうになるが、ウィズは五千年という長い時間を生き続けているエンシェントドラゴンだ。迷宮に封じられている時はもちろん、その前も一人でいる時間が長かったらしいから、ワイワイガヤガヤとやる雰囲気は味わったことがないのだろう。
「俺もこれほど楽しめるとは思っていなかった。でもまだ五日なんだな。一ヶ月以上経ったような気がしているよ」
濃い時間を過ごしているからか、時間の流れが遅い気がしていた。
そんな話をして時間を潰した後、宿のロビーでドワーフたちとエディ、リアを待つ。
時間通りに集合し、マシュー・ロスの店〝ロス・アンド・ジン〟に向かった。
店はここ探索者街から少し離れた商業地区にある。少し離れたと言っても十分ほどで到着できるため、それほど急ぐ必要はない。
ロス・アンド・ジンは落ち着いた雰囲気のカフェのような外観だ。扉には〝臨時休業〟と書かれており、前回同様貸し切りにしてくれるらしい。
中に入ると、ホールスタッフのタバサが奥の席に案内してくれる。
「オーナーですが、ここ数日、物凄く気合が入っていましたよ。私も味見をさせてもらいましたけど、今まで食べた料理で一番美味しかったですね」
タバサとは、前回訪れた時に意気投合している。
二十代半ばで髪を後ろで無造作に括った、少し垢抜けない感じの女性だが、笑顔を絶やさないため、とても感じがいい。
日本酒好きが高じてマシューの店でホールスタッフとして働くことになったらしく、前回も俺が日本酒に詳しいと知り、最後の方は酒の話で盛り上がった。
席に着いたところで、板前らしい紺色の調理衣姿の店主、マシューが顔を出す。
「今日は肉がメインということでいつもと趣向を変えています。純粋なカイセキではありませんが、ご満足いただけると思います」
「さすがに肉ばかりだと会席料理は難しいですよね。どんな料理が出てくるのか楽しみです」
俺の言葉にマシューはニコリと微笑み、皆に尋ねる。
「では飲み物はどういたしますか? 皆さん飲める方ばかりのようですし、こちらで合わせることもできますが」
全員の顔を見ていくと、皆小さく頷き返してくる。
「では、それでお願いします」と頼む。
マシューが厨房に戻ると、エディがボソリと「俺とリアは飲めるうちに入らないと思うんだけどな」と呟いた。
「そうね。ドワーフのトーマスさんたちは当然だけど、ゴウさんもウィズさんも凄い酒豪だから」
すっかり飲み仲間となった鍛冶師のドワーフ四人組は、「儂らも驚いたわい」と言って笑う。
そんな話をしていると、タバサが二合徳利を四つ運んできた。
「最初のお酒ですが、ノースハイランドで造られている珍しいサケで、〝ハイスプリングウォーター〟という銘柄です。名前の通り、軽めのきれいなお酒ですよ」
「ハイランドですか? ウイスキーのイメージが強いのですが、日本酒も造っているんですね」
そう言いながら、ぐい呑みに酒を注ぐ。口を付けると、名前の通り透き通ったきれいな酒で、淡麗さの中に米の旨味を感じた。
「ハイランドにはドワーフが結構いますから、いろいろなお酒が造られているんですよ。そうですよね、トーマスさん?」
タバサがそう言ってトーマスに話を振る。
「そうじゃ。食い物はこの国の方が美味いが、酒はハイランドの方がよいものが多いと思っておる」
そんな話をしながら飲み始めたところで、マシューが料理を持って現れた。
俺の前に長方形の皿が置かれる。そこには表面が強めに炙られ、中はレア状態の鶏肉、いわゆる〝タタキ〟が載っていた。火の入れ加減は絶妙でギリギリで火が通っているという感じだ。
「一品目は物凄く悩みました」と言いながら全員分の皿を置いていく。
「コカトリスのタタキです。カールさんのところでも肉尽くしだったそうですので、うちも最初から肉で頑張ってみました」
マシューは説明を終えると、次の料理のためにすぐに厨房に下がっていく。
鶏の脂の焼けた香りが空きっ腹を刺激する。細切りのネギと紅葉おろし、ポン酢の他に柚子胡椒のような、やや灰色がかった緑色の調味料も出てきた。
「さっぱり食べるなら紅葉おろしにポン酢が美味しいと思います。ですが、レモン胡椒だけでもいけますよ。特にお酒との相性は一番かもしれません」
タバサが簡単に説明してくれる。柚子胡椒と思ったものはレモン胡椒だった。
「青唐辛子もあるんですね」と言うと、タバサは「これもご存じなんですね。この辺りの方だとほとんど知らないんですが」と驚いていた。
まずはおろしポン酢で食べる。さっぱりとしたポン酢が地鶏のようなしっかりとしたコカトリスの肉の味を和らげ、旨味だけが口に残る感じだ。
「美味いの。じゃが、これはほとんど生肉ではないのか?」
「ギリギリ火が通っている感じだな。魚のタタキなら中が生でもいいんだが、鶏肉はこのくらいの方が好きだな」
日本でも地鶏のタタキは割とメジャーな料理だが、ほとんどの店では表面を軽く炙るだけで出している。焼きすぎると肉がパサつくからなのだろうが、ある程度火が入った方が美味いと思っている。
二切れ目はシンプルにレモン胡椒でいく。
柑橘特有の爽やかな香りの後にほのかな酸味、そして強めの塩味が広がり、最後に青唐辛子の強い辛みが舌を刺激する。
コカトリスの焼けた脂に酸味と辛み、塩分が加わり、猛烈に酒が欲しくなった。
その状態でハイスプリングウォーターを口に含む。辛みと脂はきれいに流れるが、肉の香りはしっかりと残り、酒の旨味が更に増す。
「これは本当に合いますね。鶏の脂に淡麗辛口だと酒が負けることが多いんですが、これはしっかりと旨味もあるから全然負けません。いいチョイスです」
「ありがとうございます。頑張って選んだ甲斐がありました」
タタキを食べ終えたところで、酒がなくなった。
見計らったようにタバサが徳利を持って戻ってくる。
「二杯目のお酒は〝ローレルリース〟です。ハイスプリングウォーターより華やかさを感じると思いますが、基本的にはスッキリ系のお酒です」
ローレルリースは大吟醸らしく、口に含むと純米とは違うスッキリとした味だった。酵母の香りなのか、米の旨味より華やかさを強く感じる。
酒を飲んでいる間にタバサが「二品目です」と言ってテーブルに小鉢を置いていく。
中にはじっくりと炊かれた牛肉が少量入っていた。どうやら、しぐれ煮のようだ。
「牛肉のシグレニです。次の料理までのつなぎですので、ゆっくり召し上がってくださいね」
「シグレニとは何じゃ?」
ウィズがしぐれ煮をフォークで突き刺して、しげしげと見ながら質問する。
「醤油と砂糖、みりんに生姜を加えて煮詰めた料理だな。甘辛さの中に生姜の爽やかさがあって酒にも白米にもよく合う」
「しかし小さいの。一度に何枚か食った方がよいのか?」
「味は思った以上にしっかりしているから、一枚ずつで充分だ。少しずつゆっくりと味わいながら酒を飲んだらいい」
このしぐれ煮だが、スライスした牛肉を一口大に切って炊いたものだ。
箸で一枚取って口に入れる。濃い甘辛さの中に生姜の香りが効いているが、佃煮ほど炊き込んでいないため、思ったよりしょっぱさはない。牛肉の旨味もしっかりと残っており、噛むほどに肉の味が口の中にあふれてくる。
そこにローレルリースを流し込む。淡麗な酒が甘辛さを流しながらも、牛肉の香りが相乗効果を見せ、更に旨味が増した。
「これはいいな。何杯でも飲めそうだ」
ウィズも同じタイミングで酒を飲み、「うむ。これこそ酒のつまみよの」と満足げに頷いている。
「初めて食ったが、これはありじゃな」とトーマスも満足している。
あっという間に俺もローレルリースを飲み干してしまう。お代わりをするが、しぐれ煮は一人三枚ほどしかないため、こちらもすぐになくなってしまった。
「もう少しあってもよいのじゃがの」
ウィズが零すと、ドワーフ四人組も「儂らには少なすぎる」と賛同している。
「濃い味ですからこのくらいでいいんですよ。次の酒が出てきましたし」
「〝ブルートンホマレ〟です。今度はジュンマイのカンザケです。このお酒はオーナーの師匠が携わったものだそうです」
王都ブルートンで造っている酒で、マシューの師匠ジン・キタヤマ氏が酒造りを監修しており、しっかりとしていながらも香り豊かな、和食に合う酒を目指したものだそうだ。
温度は人肌くらいのぬる燗で、米の香りがストレートに口に広がった。
そこにマシューが現れ、蓋付きの鉢を置いていく。
「三品目はコカトリスを使ったチクゼンニです。レンコンは本場マーリアのものですよ」
見た目は日本で見た筑前煮とほぼ同じで、水分を飛ばした野菜と鶏肉の煮物だった。
「コカトリスでチクゼンニなんて初めて作りましたよ。普通はレッサーコカトリスですら使わないんですが、今日はブラックコカトリスがありますから贅沢にいってみました」
マシューは笑いながら厨房に戻っていく。
まずはレンコンに箸を付けた。見た目は日本のものとほぼ同じだ。
口に入れるとシャリッという歯ざわりの後にモッチリとした食感。最高級のレンコンは根菜特有の甘味があるが、それに劣らないくらいの野菜の甘味を感じた。
ゴボウやダイコン、ニンジンにもコカトリスと干し椎茸の出汁がしっかりと染みており、どれを食べても酒のつまみになる。
「この肉はコカトリスなのじゃな。先ほどのタタキとはまるで違うが」
「そうだな。火の入れ方が全然違うから食感も味も全く違うものになる。さっきのタタキは軽くしか火を入れていないが、筑前煮は最初に具材をすべて炒めてから調味して水分を飛ばすんだ。出汁の旨味が全体に回る分、複雑な味になっていると思う」
コカトリスの肉はカールの店でも食べているが、これほどいろいろと楽しめるとは思わなかった。
「これって野菜が主役なんですか?」とリアが聞いてきた。
聞きたくなる気持ちは分かる。コカトリスの肉も美味いが、野菜が信じられないくらい美味いからだ。
「どうなんでしょうね。私としては具材全部が主役の料理と思っていますけど」
「俺はそんなに野菜が好きじゃなかったんですけど、これはいいですね。これがあれば野菜嫌いの子供なんていなくなると思いますよ」
エディの言葉にリアが笑いながら、「そう言えば子供の頃、野菜を残してお母さんに怒られていたわね」と暴露する。
その言葉にエディは「昔の話だろ」と真っ赤になって恥ずかしがっていた。
「お二人は仲がいいですね」
俺が言うと、エディがはにかみながら答える。
「家が近いだけの腐れ縁ですけど、一緒に酒を飲むようになったのはゴウさんたちと出会ってからですよ。それまでは部署も違いますし、顔を合わせることはほとんどなかったんですから」
「彼の言う通りです」とリアも大きく頷いている。
若い子をからかいすぎるのも悪いと思い、この話は切り上げ、トーマスたちドワーフに今日の料理の感想を聞いてみた。
「今日の料理はどうですか? ドワーフの方たちが和食を食べるというイメージがないので」
「美味いが、物足りぬというのが正直なところじゃな。儂らは油の多い、ガッツリとした料理が好みじゃ」
「和食だとそういうのは難しいかも……」と言いかけたところで、ある料理が頭に浮かんだ。
「もしかしたらこの後に、トーマスさんたちが満足するものが出てくるかもしれませんよ」
「どういうことじゃ?」とトーマスが首を傾げながら聞いてきた。
「まあ私の思い違いかもしれませんし、出てくるのを待ちましょう」
そんな話をしていると、タバサが次の酒を持ってきた。
「王都ブルートンの〝シャーロック〟です。香り豊かなジュンマイギンジョウのナマザケで、これだけで飲んでも美味しいお酒ですね。これもオーナーの師匠が関係していた酒蔵のものです」
それまでのぐい呑みではなく、ワイングラスが置かれる。
「このお酒はワイングラスで飲んだ方が美味しいんです。まずは香りから楽しんでください」
薄い琥珀色の日本酒で、ソーヴィニヨン・ブランのライトな白ワインに見えないこともない。しかし、グラスに口を近づけると、その香りはまさしく日本酒のそれであり、花のような吟醸香の後に米の香りが上ってくる。
口を付けると適度に冷やされており、僅かに発泡していて爽やかだ。舌の上で感じる味は最初甘口と錯覚するほど柔らかいが、辛口のシャープさもあった。
「これは美味い酒ですね。酒米が今までのものと違う気がしますが?」
「さすがですね。ジン・キタヤマさんがマシア共和国で見つけた酒米を改良したもので、キタヤマニシキという名だそうです」
タバサが流れるように説明してくれる。彼女はまだ若いが、酒についてよく勉強しており、知識は豊富だ。
酒を楽しんでいると、鶏の脂が焼ける、いい香りが漂ってきた。厨房の方を見ていると、マシューが皿を持ってやってきた。
「お待たせしました。ブラックコカトリスです」
「ついに来たか!」とウィズが声を上げる。トーマスたちも何が出てくるのか興味津々という感じだ。
「食べていいのかな」と不安そうなエディに、ウィズが答える。
「もちろんじゃ。まだ三キロほどあるから全く問題はないぞ。それに、奴らならいつでも狩れるしの」
彼女が言う通り、ブラックコカトリスは出現場所が分かるようになったから以前より簡単に狩れるだろう。
「それに今後は他のシーカーたちも狩るでしょうから、もっと流通するようになると思いますよ」
俺がそう言うと、エディは「それはないと思いますよ」とボソリと言い、リアを見る。
「私もそう思うわ」
リアも頷くが、料理が並んだのでその話題はそこで終わった。
料理はシンプルな鶏もも肉の塩焼きに見える。しかし、僅かに香辛料の香りが漂ってきた。
「ブラックコカトリスの山椒焼きです。と言っても山椒はほとんど使っていません。肉そのものの味を楽しんでください」
山椒もジン・キタヤマ氏が見つけ、トーレス王国に普及させたらしい。
山椒焼きはブラックコカトリスを塊のまま焼いた後、五ミリくらいの削ぎ切りにしており、断面から透明な肉汁が流れている。
一切れ口に入れたが、その美味さに涙が出そうになった。
「何という肉の旨味だ……塩と僅かな山椒でここまで脂に甘みが出るとは……」
それ以上言葉にならない。
歯触りは上質な鴨の胸肉。絹のようにきめ細かくしっとりとしていながらも、肉の歯ごたえがしっかりと残っている。
肉を噛んでいくと上質の鶏の脂が岩塩と混じり合い、最高のソースとなった。
特に美味いのは皮だ。表面はパリッと焼かれているが、厚みがあるので充分に柔らかさが残っている。皮から出る脂にべたつきなど一切なく、博多の高級店で出される水炊きのスープのようだ。
強い香りと舌に刺激を与える山椒だが、主張しすぎず、脂のコッテリ感を爽やかさに変えてくれる。
シャーロックのグラスを口に運ぶと、キリリと冷えた香りよい日本酒が肉の旨味と融合し、得も言われぬ美味さに変わった。
いつもなら真っ先に声を上げるウィズが黙々と肉を口に運んでいる。トーマスたちも皆無口で、肉を食べては酒を飲むという行為を繰り返していた。
エディとリアもその雰囲気に呑まれたのか、無言で食べている。
「どうでしょうか?」とマシューが恐る恐る尋ねてきた。あまりに反応がなく、気になったようだ。
「素晴らしいです……すみません。これを表現できる言葉を私は知りません」
「そ、そうですか……」
マシューはどう反応していいのかという感じでちょっと引いている。
「一つだけ言えることは、今まで食べたどの肉より美味い、いえ、圧倒的に美味いということです。きめ細かな食感、嫌みが全くない脂、噛むほどに上ってくる力強い肉の香り……秀逸なのは皮です。絶妙の焼き加減で、スープを固めたかのような旨味の塊……確かに最高の鶏肉というのがよく分かりました。ですが、それ以上にマシューさんの腕に感服しました。これほどの食材を完璧に生かしたのですから……」
途中で味を表現していた気がするが、何を言ったのかよく覚えていない。それほどまでに感動していたのだ。
「ゴウと同じ気持ちじゃ。我はここに来て本当によかったと思うぞ」
俺たちの言葉に安堵したのか、マシューはようやく笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。私の方こそ、これほどの食材を扱わせてもらえて、料理人としてこれ以上ない幸せです」
トーマスたちも食べ終えたのか、満足げに頷いているが、次の料理が気になるようだ。
「まだ次の料理があるのではないのか。確かに美味かったが、まだまだ食い足りぬぞ」
ブラックコカトリスは一キログラムしかなく、八人で割ると一人百二十五グラムになってしまう。それまでの料理も決して量が多いとは言えず、確かにまだまだ足りない。
「失礼しました。次の料理の準備は既に終わっています。タバサ、セッティングを手伝ってくれ」
それだけ言うとマシューは慌ただしく厨房に戻っていった。
ふと、ずっと黙っているエディとリアが気になり、声を掛けた。
「どうでしたか」
俺の問いに二人は顔を見合わせる。そして、リアが話し始めた。
「月並みな言い方しかできませんけど、とても美味しかったです。こんな美味しいものを食べさせてもらってもいいのかって……私たちにはもったいなさすぎて」
「他のことは気にせず、楽しめばいいと思いますよ。美味しい料理や酒は〝一期一会〟ですから」
「〝イチゴイチエ〟ですか……何となく意味は分かりますけど……」
言語理解のスキルは自動翻訳に近いが、完璧ではないらしい。
「一期一会は〝一つの出会いは生涯に一度しかないので、その貴重な出会いを大切に〟という意味です。料理でもお酒でもそうですが、同じものでもその日の体調や気分、気候の違いなどで感じ方が変わります。つまり、今回食べた料理の味には二度と出会うことができません。ですから、その貴重な機会を楽しむべきだと思います」
「よい言葉じゃな。これからは我も〝一期一会〟の気持ちで食わねばならんな」
そんな話をしていると、マシューとタバサが戻ってきた。マシューは五徳が付いた卓上コンロのようなものをテーブルに置くと、再び厨房に戻っていく。
その間にタバサが酒を用意していた。
「〝グリーフマサムネ〟のジュンマイです。生原酒ですから少し重い感じがするかもしれません」
次は地元の酒、グリーフマサムネだ。以前リアたちと行った居酒屋ポットエイトでも飲んでおり、この町ではポピュラーな酒らしい。
ぐい呑みに口を付けると生原酒らしい酸と米の旨味を感じる。しかし、これの前に飲んでいたシャーロックが爽やかすぎて、野暮ったい感じは否めない。
だがこの酒を選んだ理由は何となく分かっていた。次の料理が予想できたからだ。
マシューが厨房から鉄鍋を運んできた。醤油とみりんの甘辛い香りが広がる。
「次はギュウナベです。肉はたくさんあるので存分にどうぞ」
濃い醤油味の牛鍋やすき焼きにはきれいな酒より、米の旨味が強い、どっしりとした酒の方が合う。だからこの酒を選んだのだろう。
セッティングが終わると、タバサが生玉子の入った器を配っていく。
「肉は玉子を絡めて食べてください。玉子のお代わりはいつでも言ってくださいね」
マシューとタバサは牛鍋の横に立ち、給仕をするようだ。肉を入れ、程よく火が通ったところで、タバサが肉を持ち上げる。
「肉からいきますね」と言いながら、俺の器に入れた。上がる蒸気からも醤油と肉の香りを感じる。
肉にサシはほとんど入っていない。牛のランプ肉のような見事な赤身だ。
アツアツの肉に生玉子の黄金の衣をまとわせる。肉の熱で少しトロッとなった玉子が、食欲をそそる。
口に放り込むと玉子のまろやかさを最初に感じ、その後に割り下の甘みとコク、そして凝縮された牛肉の旨味が口いっぱいに広がる。
肉を飲み込んだところでグリーフマサムネの入ったぐい呑みを手に取り、クイッと飲む。心地よい酸味が肉の脂と玉子のまったり感を流してくれる。
「こいつは美味ぇ!」とドワーフのガルドが声を上げた。
「儂もこれが気に入ったぞ」と同じくルドルフが頷き、酒を呷っている。
「我もこれが気に入った! ミノタウロスチャンピオンもギュウナベにせねばならぬな」
ウィズが二人に応じるように言った。
その言葉で、迷宮最下層で食べたミノタウロスチャンピオンの素焼きを思い浮かべる。
「確かに興味があるな。グレートバイソンでこれほど美味いんだから、チャンピオンならどうなるのか気になる。あの脂の感じなら、牛鍋じゃなくすき焼きでもいいな」
「スキヤキとは何じゃ? ギュウナベとは違うのか?」
「牛鍋はこうやって割り下という汁の中で牛肉を煮込むが、すき焼きは油を引いた鍋で先に肉を焼いてから、醤油と砂糖で味を付けるんだ。まあ、予め作っておいた割り下を使うところもあるがな」
「それも美味そうじゃな」とウィズも乗り気だ。
俺たちの会話に、肉を入れ続けているマシューが入ってきた。
「スキヤキと悩んだんです。ギュウナベよりスキヤキの方がダイレクトに肉の香りを味わえますから」
「ならば、なぜギュウナベにしたのじゃ?」と好奇心の塊となっているウィズが彼に聞く。
「ブラックコカトリスからの流れを考えると、グレートバイソンの肉では味が負けるかなと思ったんです。ギュウナベなら肉だけではなく、野菜の旨味も足されますから」
「私も牛鍋で正解だと思いますよ。それにしてもこの割り下はずいぶん拘っているようですね」
割り下は醤油とみりん、砂糖のバランスがよく、他にも何か入っている感じだが、俺にはよく分からない。
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