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番外編第五章:「料理人ジン・キタヤマ:大成編」

番外編第六十五話「ジン、寿司屋に名前を付ける」

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 大陸暦1095年11月。

 マシューが弟子入りしてから2年半ほど経った。
 この間にいろいろなことがあった。
 昨年の5月に次男のリュウが料理人として修業を始めた。と言っても俺の下ではなく。ジェイクのところだ。

 父親としては自分の手で教えてやりたいと思っていたが、子供からしたらやりにくいだろう。だから分からないでもないが、弟子入りを希望されたジェイクの方が面食らっていた。

「俺が教えるんですか。あの才能を潰さないか不安なんですが」

 リュウはジェイクの店に入る前に料理スキルのレベルが5になっている。一人前の料理人とほぼ同じで、修業の必要性はないと言われるレベルだ。

「他の見習いと同じように教えればいい。あいつに才能があるかは分からんが、基礎はきちんと学ばないといけないんだから」

 ジェイクも覚悟を決めたようで、「分かりました」と言ってくれ、他の見習いと全く同じように扱ってくれた。
 息子とは家で会うが、楽しそうに話していることから上手くいっているらしい。

 もう一人の息子、長男のケンは去年の12月に高等学校を卒業した。
 ケンは優秀な成績で卒業し、自らの力で役人になった。
 配属されたのは内務省の産業振興局で、希望通りだったそうだ。

 彼の就職に俺は一切関与していない。産業振興局ならその上位機関である産業政策部の部長であるダスティン・ノードリーに頼むか、更に上の内務卿に頼めば簡単に入れただろう。
 ただ、それでは彼のためにならないので、役人になりたいと言ってからは具体的なことは一切聞かないようにしていた。

 まだまだ駆け出しの官僚でしかないが、王立ブルートン醸造所の担当になり、販路拡大のための政策の立案に携わっているらしい。
 そのため、醸造所に行くとよく顔を見る。

 マシア共和国に行く前は少し溝があった感じだったが、今では普通に話せるようになり、醸造所では俺の意見を聞く係のような扱いだ。
 他の職員では遠慮して聞けないこともズケズケと聞いてくる。

「和食に合う酒はいいんだけど、トーレス料理に合う酒も必要じゃないかと思うんだ。父さんの意見はどう?」

「生酒は流通の問題が大きい気がする。もう少しラフに扱っても味が落ちない酒は造れないのかな」

 といった感じで、俺としても抜けている点を指摘してくれるのでありがたい。

 ただ、酒を飲み始めたのが最近ということもあり、まだまだ分かっていないことも多く、親としては危なっかしいと思うことも多い。

 長女のケイトだが、昨年結婚した。
 相手は弟子の一人であるジョーだ。

 うちの弟子たちは結婚が遅いが、ジョーもその先例に倣い、34歳まで独身だった。弟子たちの結婚が遅い理由だが、仕事が楽しいからという答えが返ってきた。
 サイモンに聞くと、

「仕事をすればするほど、腕が上がっていくじゃないですか。それが楽しいんですよ。探索者シーカーの結婚が遅いのも同じような理由じゃないですかね」

 この世界には“レベル”という概念がある。そのため、能力の可視化ができるので、成長が実感しやすい。特に若いうち、すなわちレベルが低い時の方が上がりやすく、それが楽しいというのは分からないでもない。

 ただし、職人の場合、スキルレベルはレベル5になると極端に上がりにくくなり、普通はレベル6で頭打ちになるらしい。そのため、20代前半くらいからはスキルレベルはほとんど上がることなく、そう言った意味での楽しさはなくなるという話だ。

 一方、うちの弟子たちだが、30歳くらいまで順調にスキルレベルが上がっている。そのため、修業に打ち込んでしまうというのだ。

 いずれにせよ、娘が結婚することになったことはめでたいことだ。
 めでたいのだが、娘の結婚というのは寂しいものでもある。結婚式では涙を堪え切れなかったほどだ。
 実子ではないが、彼女が物心つく前から一緒だったため、余計にそう思うのかもしれない。

 ケイトはうちの店の“若女将”だが、結婚後も変わらずに働いている。理由を聞くと、

「あの人の店を開きたいから。その資金を貯めるのと、開店後の店の仕切りを覚えておきたいから」

 ジョーは寿司屋を開きたいと以前から言っている。既に料理スキルのレベルが7であり、いつでも独立できるのだが、彼自身に拘りがあるのか、「レベルが8になるまではこの店で修業させてください」と言っていた。

 そのジョーが先日、レベル8になった。
 レベル8は美食の国トーレス王国の宮廷料理長と同じだ。つまり、世界有数の腕というお墨付きを得たことになる。

 レベル8になった祝いを行った際、彼の方から独立のことを切り出してきた。

「寿司屋を開きたいと思っています。許可をお願いします」

 そう言って大きく頭を下げた。横で話を聞いていたケイトも同じように頭を下げる。

「許可も何もないぞ。前からいつでも独り立ちしていいと言っているんだからな」

 俺の言葉に二人は安堵の表情を浮かべた。

「開店資金はどうなんだ? 目途は立っているのか?」

 聞いてみたものの、あまり心配していない。無駄に金を使う方ではなかったし、目標があるからしっかり貯めていると思っていたためだ。
 俺の問いにしっかりとした答えが返ってくる。

「資金の方はある程度貯まっています。足りない分は国の融資制度を利用しようと思っています」

 予想通りの答えに安心する。
 ちなみに国の融資制度はダスティンが発案したもので、優秀な料理人が店を出す時、王国が低利で一定額を貸すというものだ。

「だとすると、あとは店だな。目星は付けてあるのか?」

「それがまだ……いくつか候補はあったんですが、そう言った場所はすぐに他の店が入ってしまって。明日から探そうと思っています」

 王都ブルートンは城塞都市であり、住居や店舗の空きは恒常的に少ない。特に景気が良くなってからは商業地区の空店舗はほとんどないらしい。

「そうだな。俺からダスティンさんとチャーリーに声を掛けてみよう。あの二人ならいい物件を知っているだろうし」

「よろしくお願いします」と再び二人で頭を下げた。

 祝いに来ていたダスティンとチャーリーを捕まえ、店の話をする。

「確かに厳しいかもしれませんね」とダスティンが難しい顔で伝えてきた。

「やっぱりそうですか」と俺が言うと、チャーリーが「いいところを知っていますよ」と言ってきた。

「どこなんですか!」と俺と一緒に聞いていたジョーが前のめりで聞く。

「商業地区じゃないんだが、官庁街と貴族街の間くらいにあるバーだ。そこなんだが、店主が近々故郷のハイランドに帰るらしく店を畳むそうだ。希望の場所とは違うかもしれないが、君のやる店なら貴族や役人を相手にした方がいいだろう。一度見に行ってみるか?」

 チャーリーは大手の商会の商会長だが、商売が好きで割と自分でいろいろなところに営業に行っている。最近では日本酒の販売も好調で、珍しい酒に興味を持ったバーのマスターにも営業に行き、そこでそんなうわさ話を拾ったらしい。

 それからとんとん拍子でジョーの店が決まった。
 開店準備が始まった。手伝いたかったが、準備も楽しいと分かっているので相談を受けるまで我慢している。

 ジョーが開きたい店は本格的な握り寿司の店で、8人掛けの白木のカウンター席と個室が1つというこぢんまりとした店のようだ。

「寿司はカウンターで食べてもらいたいですから。まあ、家族連れや宴会のことも考えて一応個室もいるかなと……本店の造りを参考にさせてもらいました」

 カウンターといっても日本のような冷蔵機能が付いたネタケースがあるわけではない。昔ながらの木箱にネタを入れるスタイルだ。
 木箱であっても収納袋マジックバッグに入れることで、鮮度は保てるので品質上は全く問題ない。

 肝心のジョーの寿司職人としての腕だが、はっきり言って俺より上だ。俺の場合、本場の江戸前の名店で修業しているが、3年間と短い期間だけだ。

 ジョーは俺から基本を学んだ後、毎日寿司を握る練習を行い、それを10年以上続けている。握った寿司は俺が試食し、改善点を伝えていたが、3年ほど経った頃から俺が言うべきことがなくなったほどで、和食屋キタヤマで出す寿司の多くはジョーが握っていた。
 生魚のネタ以外でも玉子焼きは絶妙で、うちの名物料理にもなっている。

 ある程度準備が終わったのは年が明けた1月の半ば頃。
 内装も凝っており、日本の寿司屋かと思うほどだ。これは俺が持っていたタブレットにあった資料を参考にしたためで、落ち着いた雰囲気がうちの店によく似ている。

「いい店だな」

「ありがとうございます」と少し得意げな表情でジョーは軽く頭を下げた。

「ところで店の名前は決まったのか?」

 準備期間の間に決めていると思い聞いてみたが、思わぬ答えが返ってきた。

「そのことでお願いがあるんです。師匠にこの店の名前を付けてもらいたいんです。フランクさん“ポットエイト”やフウタ君の“ウインドムーン”のような師匠の世界に因んだ名前を付けてもらえないでしょうか」

 正直、困ったと思った。

「難しい注文だな。寿司屋はあまり奇をてらった名前を付けないからな」

「そこをなんとか、お願いできないでしょうか」と言って大きく頭を下げる。

 一緒にいたケイトも「お父さん、私からもお願いします」と言って頭を下げてきたため、引き受けざるを得なかった。

「日本に因んだ名前は難しいが、何とか考えてみるよ」

 それから結構悩んだ。
 そもそも寿司屋の名前は店主や創業者の名前を取ったものや地名などが多い。
 一晩考え抜いたが、思い付いた名前は一つしかなかった。

 ジョーとケイトを呼んだ。

「一応考えてみたが、一つしか思いつかなかった。気に入らなかったら断ってくれてもいい」と前置きする。

「師匠が考えてくれた名前ですから、どんな名前でもありがたくいただきます」

 真剣な目でそう言われたので、静かに頷く。

「寿司割烹ジョースケだ」

「寿司割烹ジョースケ……」とジョーはオウム返しで呟く。

「それはどんな意味があるの」とケイトが聞いてきた。

「“寿司割烹”は、カウンター中心で寿司を提供するスタイルという意味と、寿司以外にも一品を出すという意味がある。まあ、厳密に決まっているわけじゃないから語呂で決めただけだ」

「ジョースケはどういう意味? ジョーは彼の名前だということは分かるのだけど」

 紙を取り出して大きく文字を書く。

「まずジョーは日本語で“丈”と書くことができる。この文字は“丈夫”という言葉に使われる。丈夫というのは頑丈という意味があるが、それ以外にも“一人前の男”という意味もある」

「一人前ですか……」と再びジョーが呟く。

「なら、“スケ”はどんな意味があるのかしら?」とケイトがジョーに代わって聞いてきた。

 ここでもう一度文字を書いた。

「スケは日本語で“助”と書く。これは助けるという意味だ。お前がジョーを助ける、つまり夫婦で助け合って店を盛り立てていくという意味だ」

「夫婦で助け合って……」とケイトが少しうっとりとした表情で呟く。

「ありがとうございました! この名前、“寿司割烹ジョースケ”を使わせていただきます!」

 ジョーが感極まった感じで大きく頭を下げた。それに合わせてケイトも「お父さん、ありがとう!」といって抱き着いてきた。

「ああ……気に入ってくれたのならいい」

 俺としては微妙だ。
 この名前は以前行った寿司屋の名前をほぼそのままもらっただけだからだ。

 看板はうちの店と同じように漢字で“寿司割烹丈助”と大きく書かれ、その下に現地の文字が小さく書かれている。

 見た目だけなら充分に日本の寿司屋で、でき自体は非常にいい。
 ただ毎度のことだが、店の名前を付けるのは結構しんどい。今後も名前を付けてくれと言ってくる可能性が高いが、できるだけ断りたいと真剣に思っている。

■■■

 “寿司割烹ジョースケ”は大陸暦1096年2月11日にオープンした。
 当初、“寿司”という料理に馴染みがなく、“和食屋キタヤマ”の常連が通うだけだった。

 それでも寿司のファンは多く、産業政策部長のダスティン・ノードリーが部下を連れていくと、たちまち人気店になった。

 カウンター席がメインであり、当初は夫婦二人でやっていたが、すぐに手が回らなくなり、キタヤマから若手を回してもらうようになる。
 その中にはジンの次男、リュウもおり、彼は寿司に魅せられ、キタヤマ問屋街店からジョースケに移った。

 それでも寿司という料理はなかなか広がらなかった。
 それは生魚に対する忌避感が強いことと、米という穀物に対する知識がなかったためで、ジョーとリュウは寿司の普及にいろいろと知恵を絞った。

 その甲斐もあって、1100年代に入るとブルートンでは寿司が一般的になり、それに合わせて米も主食として認知されていった。
 その陰にはジンの支援もあったとされるが、彼が表に出ることはなかった。
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