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番外編第五章:「料理人ジン・キタヤマ:大成編」

番外編第六十四話「閑話:マシュー・ロス」

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 僕の名前はマシュー・ロス。
 ジン・キタヤマさんの店で働く料理人だ。
 先日、料理スキルレベルが7に上がり、師匠を始め、大先輩のサイモンさんやジョーさんが祝福してくれた。

 レベル7というと、普通に店を持てるだけでなく、一流と呼ばれるレベルで、美食の町と言われているブルートンでも、18歳でなった人はいないらしい。

 ただ、僕自身はそれほど凄いことだとは思っていない。
 師匠の初期の頃の弟子であるサイモンさんたちに比べれば、まだまだ大したことはないからだ。

 それに僕の目標は師匠の技術をすべて受け継ぐこと。だから、このレベルになったからといって、何か変わるとは全然思っていない。

 最近、常連のお客さんたちは僕の料理が師匠のものにそっくりだと言ってくれるけど、僕の料理は師匠のものに全く及ばない。
 真似ようと頑張っているけど、何かが違う。出汁の取り方や火の入れ方の微妙な部分で、どうしても師匠のものとは違ったものになってしまうのだ。

 そのことが分かっているから、毎日師匠に教えを乞い、自分でも仕事が終わった夜中まで研究している。

 ここまで料理に嵌った切っ掛けは偶然だった。
 友人のケンの家に遊びに行った時、師匠が偶然在宅していて、僕たちに料理を作ってくれた。その時作ってくれたのは、すじ肉の玉子とじ丼と豚汁。

 その料理を一口食べ、僕は言い知れぬ感動を覚えた。
 世の中にこんなに美味しい物がある。食べるだけで幸せになれるような料理を作り出せる人がいる。そのことに感動し、5年ほど経った今でもはっきりと覚えているほどだ。

 その時もあまりに美味しくて、ケンに思ったことを言った。

「これ凄く美味しいよね! みんながこんなに美味しい料理を食べられたら、争いごとなんて起きないと思うよ」

 僕の興奮気味の言葉にケンは少し引いていた。

「確かに父さんの料理は美味しいけど、そこまでかな?」

「食べ慣れているからだよ。王様が料理を作ってほしいって呼び出す気持ちがよく分かるよ」

 ケンは微妙な顔のままで何も言わなかった。
 彼も料理を作れるし、食べたことがあるが、結構美味しかった。その時、こんな凄腕の料理人の息子だからだと納得した記憶がある。
 しかし、彼自身はあまりその話題に触れてほしくないみたいだったので言っていない。

 家に帰った後、すぐに両親に料理人になりたいと言った。

 父の仕事はオーデッツ商会で食品の仕入れだ。その関係もあって、和食屋キタヤマについてはよく知っていた。

「あの店なら問題ないが、途中で投げ出すような半端な気持ちなら絶対に認めん。商会長や他の人たちに迷惑が掛かるんだからな……」

 そこでオーデッツ商会と師匠の関係について教えてもらった。
 師匠と商会長は20年以上の友人であるだけでなく、師匠がこの世界に迷い込んだお陰で、オーデッツ商会はトーレス王国一の食品卸商会になれたそうだ。

 父が商会に入ったのは大きくなり始めた時だそうで、魚介関係の仕入れ責任者となり、師匠の店にも多くの魚介類を納めている。そんな関係もあり、僕が中途半端に修業を投げ出したら、父や商会に迷惑が掛かることはその時の僕でも分かった。

 もちろん、投げ出すつもりなどなく、父も僕の気持ちを分かってくれ、認めてくれた。
 しかし、師匠からダメ出しをされてしまった。

「うちは16歳からしか雇わないんだ。2年後に気持ちが変わっていなかったら、また来てほしい」

 その時は酷く落ち込んだが、それでもその時間を利用してできることをしようと思った。
 父の手伝いと称して、店に時々顔を出し、サイモンさんやジョーさんの仕事を見せてもらった。他にもいろいろな話を聞かせてもらい、自分でも家で料理を作るようになった。
 そのお陰で、2年間で料理スキルレベルは3になれた。

 店に入ってからは野菜の皮むきなどの下準備や洗い物ばかりで、結構大変だった。僕より前に入った先輩たちは「しんどい」、「面倒だ」などと零していたが、僕は全く苦にならなかった。

 何と言っても師匠の仕事を間近で見られるのだ。それだけでも僕のテンションは上がりぱっなしだった。

 師匠の作る料理の凄いところは、同じ料理でも毎回微妙に違うことだ。
 味が安定しないというわけじゃなく、その時の材料で最高の味に仕上がるように微妙に変えているのだ。

 ただ、ほとんどの人は気づいていない。
 サイモンさんやジョーさんは何となく分かっていたが、他の先輩たちは「そうなのか?」と半信半疑だった。

 気になったので、師匠に直接聞いたことがある。

「微妙に味付けや火入れの時間を変えているのは食材に合わせているからですか?」

 師匠はいつも通り仕事の手を止めることなく、答えてくれた。

「そうだ。食材は時期によって微妙に味が変わる。同じ時期でも物によっても変わるし、その日の気温でも微妙に味を変えている」

「気温で、ですか?」

「ああ。暑い日と涼しい日では汗の掻き方が違うし、それだけでも塩分量が変わってくる。それに飲む酒が変わることが多いんだ。暑ければビールが多くなるし、寒ければ日本酒サケになる。お客さんが何を飲むのかは気分次第だろうが、常連さんならその日の天候なんかである程度予想は付く。だから、それに合うように微妙に変えているんだ」

 その言葉に思わず、「そこまで考えないといけないんですか……」と言ってしまった。
 師匠は僕の言葉に笑い、

「あまり気にするな。俺だって全部そうしているわけじゃないんだから。それより他の料理とのバランスなんかも考えた方がいいぞ。お勧めの食材は毎日変わるんだから、どう組み立てるかを考えた方が面白いはずだ」

 それから毎日書いているノートにそう言った観点でも記録するようにし始めた。
 でも、すぐにこのことがどれほど難しいことか分かった。

 食材の味の幅は何となく分かった。でも、他の料理とのバランスといっても、どう変えたらいいのか全く分からない。

 僕がレベル7に上がった1ヶ月ほど後、ジョーさんのレベルが8に上がった。
 レベル8は宮廷料理長と同じで、師匠がこの世界に来るまで上限と言われていたほど凄いことだ。

 ここブルートンにも現役のレベル8の料理人は片手で数えられるほどらしい。そう考えると、師匠の初期の弟子の方たちだけで埋まってしまうが、実際他には現在の宮廷料理長くらいしかいないそうだ。

 師匠を始め、主だった人たちが集まり、祝福していく。
 僕も「おめでとうございます!」と祝いの言葉を掛けた。

「次はお前の番だな」とジョーさんが僕の肩をポンと叩く。

「僕になれるんですかね」と思わず言ってしまった。レベルは上がったが、自分の腕が上がった実感がなく、自信を失っていたのだ。

「まあ、のんびりやったらいいと思うぞ。別にレベルを気にするのは国のお偉いさんや一部のお客さんだけだ。俺もそうだが、師匠も気にしていないんだ」

 ジョーさんの言っている通り、師匠はスキルレベルというものにほとんど関心がない。これは師匠の世界には“スキル”というものがないためで、師匠自身、史上初と言われる“レベル10”になった時ですら、いつ上がったのか気づかなかったほどだ。

 その言葉で少し気が楽になった。

「ありがとうございます。ところでジョーさんはお店を出すんですか?」

 以前から師匠に勧められており、フランクさんもレベル8になった時に独立したからどうするのか気になったのだ。

「師匠にも同じことを聞かれたよ。俺としてはこの店にいてもいいんだが、お前もいることだし、独立するつもりだ」

「なら、寿司屋ですか!」

 ジョーさんは寿司を握ることが好きで、僕もよく教えてもらっている。

「ああ、ブルートン、いや、トーレス王国初の寿司屋を開くことにした」

 世界初じゃないかと思ったが、もしかしたらマシア共和国やマーリア連邦にあるかもしれないと思い、口にしなかった。
 後で師匠に聞いたら、マシアにもマーリアにも握り寿司はないが、押し寿司に似た料理はあるらしい。但し、寿司専門店はないらしく、ジョーさんの店が世界初になるようだ。

 それからジョーさんは自分の店の準備を行うことになり、和食屋キタヤマの板場にはあまり立たなくなった。
 その代わり、師匠が板場に戻り、僕がその横に立つようになった。

 厨房で焼方や煮方をやるのかと思っていたので、その話を聞いた時、驚いて聞き直したほどだ。

「僕でいいんでしょうか?」

 師匠は下拵えをしながら、答えてくれた。

「もちろんだ。お前の腕なら一人でもいいと思うんだが、まずは俺のやり方を見て慣れてくれ。そのうち一人で立ってもらうつもりだから」

「一人で、ですか……」と呆然となる。

 板場に立つということは“和食屋キタヤマ”の看板を背負うということだ。そこそこ美味いものは作れるようになったと思うけど、師匠はもちろん、サイモンさんに遠く及ばない。

「すぐってわけじゃない。お前の歳じゃ、お客さんと話もできんだろうから、そんなところも勉強してからだ」

 この店のカウンターでは料理人がお客さんと話をする。他の店だとそんなことはしないので、初めて見た時には驚いた。
 その話も料理のことだけじゃなく、天気の話や政治の話、更にはどこそこの貴族の家のスキャンダルなんていうものも出てくる。

 そんな話をしながら師匠は料理を作り、更に注文まで受けている。正直なところ、僕には無理だ。

「まずは社会勉強からだな」

「社会勉強ですか……」と更に不安になる。

「そうさ。俺たちは聞き役なんだ。まあ、料理や酒の話はこっちが主体だが、他の話はお客さんが気持ちよく話せるように相槌を打つくらいでいい」

「相槌ですか。僕にはそんな風に見えませんでしたが」

 実際、新しい政策についても師匠はよく知っているし、どこかの街道で変わった魔物が出たなんていう話まで知っていたりする。

 そのことを話すと、師匠は笑いながら、説明してくれた。

「ほとんどの場合、お客さんが言ったことを繰り返しているだけだぞ。俺に政策の話なんて分かるわけはないし、魔物なんて護衛と一緒に迷宮に入った時に見たくらいなんだからな」

「ですが、ダスティンさんとはよく話をされていますし、内務卿閣下ともよくお会いしていると思うんですが」

「俺は料理人だぞ。ダスティンさんから酒造りや米作りの相談を受けることはあるが、それ以外の話なんてほとんどしていないんだ。まあ、日本の話は少ししているから、多少は政策に関係しているかもしれんが、伯爵様とは酒の話しかしていないぞ」

「そうなんですか……」

「それにもし俺が政治のことを知っていたとしても、店じゃ絶対に話さないぞ。他のお客さんから聞いた話もそうだが、みんなが知っているような話以外は聞いても話しちゃいけない。誰がどこで聞いているか分からないんだからな。だから、そんなことを含めて勉強なんだよ」

 うちの店には侯爵や伯爵クラスの偉い人も良く来る。もちろん、そういった人たちは個室で食事をされるが、目の前で料理を作ることが多いから自然と話をすることになる。
 他にも騎士団の隊長クラスとか、役所の局長クラス、大手の商会の商会長なんていう人たちも来るからそんな人が話したことを漏らすのはまずいというのは何となく分かる。

「客商売をするつもりなら、いろいろ勉強しなくちゃいけないってことだ」

 僕が板場に立たなかった理由がようやく分かった気がした。
 今までレベル6になれば板場に立てた。でも、僕がレベル6になった時、その話は一切出なかった。

 僕に不満はなかったけど、見習いの先輩たちはおかしいんじゃないかと言っていた。
 師匠は17歳の若造を板場に立たせるのは早すぎると思っていたのだろう。

「まだ僕には早いです。もう少し厨房で修業してからの方が……」

 僕の言葉に師匠が少し困った顔をしている。

「正直なところ、俺もまだ早いと思っている」

「なら……」と言いかけたところで、師匠は小さく首を振った。

「料理だけじゃなく、いろんなことを学ぶっていうのは人として大事なことだ。お前がもう少し生意気だったらまだ早いと言って厨房の中で仕事をさせたんだが、今のお前なら問題はない」

 そう言ってもらえるのは嬉しいけど、不安の方が大きい。そのことが顔に出たらしく、師匠が仕事の手を止めて、僕の方を見た。

「言おうか迷ったが、これだけは言っておく」

 真剣な表情に僕も居住まいを正す。

「お前には俺を超えてほしいと思っている」

 僕は咄嗟とっさに「そんなの無理です」と言ってしまった。実際、天才料理人ジン・キタヤマを超えることなんて考えたこともない。

「お前だけじゃない。サイモンを含め、すべての弟子には俺を超えてもらいたいと思っている」

「なら、サイモンさんにもそのことは……」

「ああ、伝えている。ただあいつの場合、お前より不利な点があるからあまり強くは言っていない」

「不利な点ですか?」

「そうだ。あいつが修業を始めた頃、今ほど調味料や食材が揃っていなかった。まあ、出汁や醤油なんかは直接探しに行ったからある程度はあったんだが、それでも足りないものの方が多かったほどだ……」

 この話は父から聞いたことがある。

「……チャーリーやお前のお父さんを始めとしたオーデッツ商会の人たちが頑張ってくれて、必要なものが揃ったと思えるようになったのは今から10年ほど前のことだ。それにお客さんが和食を理解してくれるようになったのも同じ頃だろう。あいつが修業し始めた頃は珍しい料理という感じだった……」

 師匠は昔を思い出しながら話してくれた。
 和食が認められるようになったのがそんなに最近のことだとは思っていなかった。食材や調味料も少なく、お客さんも分からずに食べている状況というのは想像できない。

「その点、お前は最初から充分な食材があり、味の分かる客が付いてくれている。修業する条件としてはサイモンよりかなりいいと思う」

「だからって師匠を超えるのは無理です」

 師匠はゆっくりとした口調で話を続ける。

「今のお前の目標は俺の料理をそっくりそのまま覚えることだろう」

「はい」と頷く。

「当面はそれでいい。だが、将来は師匠を超えるという目標を持て。そうしなければ、和食という料理が消えてしまう。そう思っておいてくれ」

「和食が消える……」

「技術は常に進歩しないといけない。これは料理でも同じだ。先代の縮小再生産ではいつか衰退してしまうんだ」

「それでも……」

「もちろん、すぐに追い抜かれるつもりはないぞ。俺だって毎日美味い料理を作ろうと研究しているんだからな。だからその気概だけは持っていてくれということだ」

 それだけ言うと、下拵えを再開した。

 師匠の言いたいことは理解できる。しかし、僕にできるのかという点は別問題だ。
 ただ、その気概だけは持つというのは分かった気がする。これからの仕事の中でそのことを忘れないようにしようと心に誓った。
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