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番外編第五章:「料理人ジン・キタヤマ:大成編」
番外編第六十一話「ジン、新たな酒米を探す:後篇」
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大陸暦1093年2月10日。
オーデッツ商会のチャーリーが満面の笑みを浮かべて店にやってきた。
「マシアから新しい酒が届きましたよ! とりあえずヴェンノヴィア醸造の分だけですが」
昨年探した米で作った日本酒が届いたらしい。
息子のマークが収納袋から一升瓶を取り出し、カウンターに並べていく。
弟子のサイモンとジョーも気になるのか、仕込みの手を止め、見入っている。
「何種類あるんだ?」と聞くと、マークが一升瓶を指さしながら教えてくれた。
「ここからここまでが純米酒で10種類です。純米吟醸がこの5種類で、純米大吟醸が2種類になりますね。すべて生原酒だそうです。ヴェンノヴィア支店のジミー・ラサムからの情報ではロートン社長もなかなかの出来だと言っていたそうですよ」
ヴェンノヴィア醸造のミノル・ロートンは杜氏兼社長で、酒造りの偉人ナオヒロ・ノウチ氏の教えを受けた実力派だ。
昨年半年以上一緒に暮らし、気心も知れている彼が“なかなかの出来”と言ったことに期待が膨らむ。
一升瓶には簡単なラベルしかなく、“LA01-65”とか、“AS03-70”といった表記しかない。これは米の産地の2文字と識別用の番号、精米歩合を表している。
例えば、LA01-65では、マシア共和国の西部を流れるノローボウ河の下流にあるラクチュヴィンという町の1番目に見つけた米を65パーセントまで精米した純米酒であることを表している。
「ダスティンさんとルイスにも声を掛けていますから、そろそろ来ると思います」
試飲会の準備をしていると、真冬なのに額に汗を浮かべたダスティンと息子のルイスがやってきた。
「お待たせしました」と言って二人は頭を下げる。
「まだ準備中ですから。ジョー、二人に水を。喉が渇いていたら印象が変わるから」
ジョーが「分かりました!」と答え、水を置く。
その後、弟子のジェイクとフランクも現れた。二人も俺が米から探したという酒に興味を示しており、試飲すると聞いて、サイモンが呼びにいかせたようだ。
試飲するのは俺と弟子4人、妻のマリー、ダスティンとルイス、チャーリーとマークの10人になる。
17種類もあるため、小さめの蛇の目を用意し、それを洗って使う。その中から香りのいいものがあれば、白ワイン用のグラスで確認するつもりだ。
「どれからいきますか?」とチャーリーが聞いてきた。
「とりあえず純米からいこう。その後に純米吟醸、純米大吟醸でいいだろう」
サイモンが蛇の目に酒を注ぎ、俺の前に置いた。
「ラクチュヴィンの1番、65パーセント精米です」
蛇の目の中を見ると、ごく薄い山吹色で僅かに濁りがある。米の味が分かるように無濾過にしたのだろう。
口に含むとやや辛口で、後から米の香りが追いかけてくる感じだ。
酸味が強く、これ自体は悪くない。白身魚の刺身に合いそうだが、旨みが足りない感じだ。
口に含んだ酒を吐き出す。さすがに17種類も飲むと最後の方は味が分からなくなるし、夜の営業にも支障が出るためだ。
そして、感じたことを紙に書いていく。その場で言わないのは人の意見に影響される可能性があるためだ。そのため、俺以外も同じように紙に書く。
そんな感じで試飲を続け、17種類の酒の味を見た。ちなみに米の味をはっきりさせるため、使っている酵母は皆同じだ。
「では、一つずつ感想を言っていくか。まず一番の酒だが……」
俺が言い終わると、ジェイクから順番に感想を述べていく。
「俺には少し物足りませんでしたね。師匠のおっしゃる通り、旨みが足りない感じがしました。ただ、甘いサケと混ぜたら面白いんじゃないかと思いました。特に4番目の重いサケに合わせたら酸味がいい具合になるんじゃないかと」
ジェイクの感想に皆が感心している。
フランク、サイモン、ジョーと続き、ダスティンの番になる。
「名だたる料理人の後で素人が発表するのは恥ずかしいですね」と言った後、
「私も物足りませんでした。ブラックドラゴンを飲み慣れているからかもしれませんが、軽い白ワインみたいに感じましたね」
そんな感じで感想を述べていった。
そして、7番目の純米になった。これは俺が可能性を感じた酒だ。
「次はアーサロウゼンの3番、70パーセント精米です。ジンさん、よろしくお願いします」とチャーリーに言われたので小さく頷く。
「この酒は口に含んだ瞬間、力強さを感じた。米が前面に出てくる感じで少し重いが、甘みと旨みは圧倒的だった。焼魚が一番合いそうだが、肉料理に合わせても美味いだろう……」
この酒を飲んだ時に思ったことは日本で飲んだ“雄町”に近いというものだ。
どっしりと重く、コクが強い。甘みがあり、酸味によるキレもあるため、バランスを取るのが難しそうだが、美味く特徴を引き出せば、山田錦に似たノウチニシキに匹敵するのではないかと思ったほどだ。
ジェイクら弟子たちにもおおむね好評で、特にダスティンとチャーリーは絶賛していた。唯一、マリーだけは微妙な感じで、
「私には少し重すぎる感じでした。どちらかというと“オールド・ノウチ”のようなお酒が好きですから」
マリーも酒をよく飲むが、軽くて香り豊かなものを好む。
「この米でも飲みやすい酒はできると思う。どうすればいいのかは杜氏に任せるしかないがな」
更に感想の発表は進んでいった。
俺が可能性を感じたのは7番の他に純米の9番目、アーサロウゼンの5番の米を65パーセント精米にしたものと、純米吟醸の2番目、ラクチュヴィンの4番の米の50パーセント精米だ。
アーサロウゼンの5番も雄町に近い感じで、恐らく米自体は同じものだ。
ラクチュヴィンの4番は全く違う感じのライトなものだ。日本の酒米で言えば、五百万石が近いと思った。
この酒はマリーが絶賛し、弟子たちも魚に合いそうだと評価が高かったものだ。
最後に俺が可能性を感じた3種類の酒をワイングラスで味わう。
「アーサロウゼンの純米は磨いた方がいいな。この米なら、このままでも充分に使えるな」
蛇の目で飲んだ時には力強さが勝っていたが、ワイングラスに入れることで香りが膨らみ、バランスがよくなった感じだ。
「ラクチュヴィンはこのまま飲むならこれでもいいが、料理に合わせるなら磨きを減らした方がいいかもしれない」
「どうしてですか? これでも充分料理に合うと思いますが」とマークが聞いてきた。
「確かに料理の味をきれいに流してくれそうだが、酒が負ける気がする。米の味がもう少しあってもいいんじゃないかと思ったんだ」
「なるほど」とマークは頷き、グラスに口を付ける。
彼はこの後、マシアまで行き、ヴェンノヴィア醸造に俺たちの意見を伝えることになっているため、誰よりも真剣な表情をしていた。
「そう言えば、ヴェンノヴィア醸造のミノルさんがなかなかの出来と言っていた酒はどれなんだ? 一通り味を見たから教えてもらいたいんだが」
試飲をする前には先入観を無くすため、聞いていなかったのだ。
マークが別の手紙を開く。彼も見ていなかったのか、読み進めるうちに目が見開いていった。
「ジンさんと全く同じでした。アーサロウゼンの5番、7番、ラクチュヴィンの4番で精米歩合を変えたものを作ると書かれています。さすがですね」
「ここにいるみんなも同じような意見だったんだから、俺が凄いわけじゃないさ。それより、次の酒が飲みたくなるな」
ダスティンがそれまでの表情から官僚らしい真面目な表情に変えて聞いてきた。
「今回見つけた酒米を王立醸造所で使ってみてもいいですか。問題がないなら、すぐにでも買い付けに行かせようと思っているんですが」
「ホレスさんにこの酒を飲んでもらって判断した方がいいですよ。まあ、私としては問題ないと思いますが」
王立醸造所の責任者ホレス・ティレットに確認してもらうように言うが、ダスティンは頷いて了承するものの、すぐに息子のルイスに顔を向ける。
「分かりました。ルイス、この酒米を作っている農家は分かっているな」
「もちろん。トーレス王国が直接取引するかもしれないと既に言ってあるし、優先権の契約も終わっているよ」
今回の試験醸造の結果次第では酒米を確保できなくなる可能性があるため、予め唾を付けておいたらしい。
「いつの間にそんな交渉をしたんだ?」
「ジンさんが米作りや酒造りをやっている時に交渉しておきました。ジンさんが絡んでいるんですから、手を打っておけと出発前に父と内務卿閣下から言われていましたので」
相変わらずダスティンは抜け目がない。
「それを言ったら、うちも同じですよ。ヴェンノヴィア醸造とガウアー酒造で作る新しいサケの優先契約権の契約は終わらせていますから」
マークが誇らしげにそう言った。
「いきなり成功する可能性は低いと言ったつもりだったんだがな」と呆れる。
「今年失敗しても来年以降で必ず成功すると確信していましたから。何といってもジンさんが直接出向いたんですから」
俺に対する信頼が強すぎ、この先が心配だ。
そのことを言ってみたが、ダスティンたちは笑うだけで改める気はないようだ。
その後、アーサロウゼンのガウアー酒造からも試験醸造した酒が届いた。
同じように可能性を感じる米があり、いろいろ試してみることになった。
■■■
ジンが集めた米はヴェンノヴィア醸造で番号が付けられた。ジンたちに送った時は産地と番号だったが、それとは別に先頭に“J”の文字が付けられていたのだ。
例えばラクチュヴィンの4番であれば、JLA04となる。
ミノル・ロートンは深い意味があってそうしたわけではなかったが、のちにこの処置がブランド化に大きな影響を与えた。
JLA04やJAS05、JAS07はその後、マシア共和国の酒造家たちの間で高い評価を得た。
当初はヴェンノヴィア醸造が独自に開発したものだと思われていたが、頭文字に気づいた杜氏がミノルに話を聞いた。
「このJというのはどういう意味なのだろうか」
「ジン・キタヤマ様が集められたコメという意味です。この中によい酒米があれば、キタヤマ様に名づけをお願いしたいと考えておりますので」
「あのノウチ翁の再来といわれたキタヤマ様が……」
ジンの名はミノルの父、ハリス・ロートンがノウチニシキの名付け親として広めていた。また、それまでの火入れ一辺倒だった酒造りに一石を投じ、生酒の良さを再認識させただけでなく、料理との相性を追求するという今のスタイルを作った偉人として知られている。
この話により、いわゆる“Jシリーズ”は一気に価値が上昇した。特に先の3種の酒米は多くの酒蔵が求めるほど人気を博した。
しかし、生産地に行ってみると、既にその酒米の行き先はほぼ決まっていると言われた。
どこに売るのかと蔵人に問われた農家はニコニコしながら答えた。
「ガウアー酒造さんとヴェンノヴィア醸造さん、それにトーレス王国のブルートン醸造所ですよ」
「2社は分かるが、トーレス王国の醸造所だと……」と絶句する。
「ええ。ここが一番でしたね。何と言っても酒を造る前から優先権の契約をしていますので」
「酒を造る前から……」と更に絶句した。
「今年は無理ですが、来年以降は大丈夫ですよ。トーレス王国のお役人が共和国の農務省に直談判して補助金を出してもらえるようにしてくれましたから、作付面積を一気に増やせたんです」
「ま、待ってくれ。トーレスの役人が我が国の役所に直談判したというのか!」
「ええ。この辺りの酒米は美味いサケが作れる可能性が高いとキタヤマさんという方がおっしゃっていたそうで、農務省のお役人もすぐに認めたそうです」
蔵人はその言葉に呆然とするが、すぐに翌年以降の仕入れの交渉を始めた。
後にジンが雄町米に似たと言ったJAS05とJAS07は“マシアオマチ”と名付けられた。国の名前と“雄町”を合わせたもので、名付け親はジンだった。
この名を付けるに当たり、マシア共和国の農務省の役人がジンに依頼するため、ブルートンを訪問した。
名づけを依頼されたものの、当初ジンは断っていた。
「この酒米は手当たり次第集めたもので、酒として使えると確認したのはミノル・ロートンさんとニック・ガウアーさんです。私が付ける必要はないのではありませんか」
ジンの発言は想定されていた。そのため、役人は即座に事情を説明する。
「おっしゃることはもっともですが、まず酒米の名を付ける作法といいますか、付け方が分かりません。その点、流れ人であるキタヤマ様なら適切な名を付けられるのではないでしょうか」
「日本の酒米の名に拘る必要はないと思いますが」
「ノウチ先生の偉業を称えるために“ノウチニシキ”という名を付けられたという話はマシアの酒造りに携わる者なら知らぬ者はおりません。サケはニホンが発祥であり、それを広めたノウチ先生もニホンのご出身です。できれば、ニホンの作法に従いたいというのが、蔵人の総意なのです」
「日本でも特にルールはないんですが……」
ジンが困惑しながらそう言うものの、役人はそれを丁重に無視して次の理由を説明していく。
「もう一つの理由ですが、今後、この酒米で酒を造る場合のブランド力を考えたためです」
「ブランド力ですか?」
「はい。今でもノウチニシキを使ったサケは評価が高く、入手困難になっております。新たな酒米も同じように人気が出ることは明らかでしょう。そうなった場合、ノウチニシキのように由緒ある名があった方がブランド的には有利なのです」
「分からないでもないですが……」とジンは更に困惑の表情を強める。
「ノウチニシキはキタヤマ様が名を付けられ、新たな酒米はキタヤマ様が関与されたのに名を付けられないとなると、新たな酒米の可能性を閉じることすらあり得るのです。新たな酒米の未来をより良いものにするためにキタヤマ様に名を付けていただきたいのです」
ジンはその説得に負け、名を付けた。
「マシアはそのまま国の名前です。オマチは山田錦に並ぶ酒米、備前雄町から付けました。ちなみに備前は日本の古い国の名前です。この米の第一印象が雄町米でしたので、この名にしました。これでいかがでしょうか」
「素晴らしい!」と大げさに喜んだ後、
「もう一つのラクチュヴィンの4番にも是非とも名づけをお願いします」
「ノローホマレでどうでしょうか?」
「どのような意味があるのでしょうか? ノローはノローボウ河から採ったというのは何となく分かるのですが」
「ノローはおっしゃる通りです。ホマレは栄光とか、誇れる事柄という意味です。このホマレという言葉も酒米に使われるものです」
「なるほど。そう言えば、ブルートンホマレという酒がありましたが、サケにも使われる言葉なのですね」
「そうです」とジンは苦笑気味に答えた。
後にマシアオマチは“オマチ系”と呼ばれる酒米の基となった。また、ノウチニシキの“ニシキ系”と並び立つ酒米として、多くの酒蔵が使うようになった。
ノローホマレは淡麗な酒の酒米としてノウチニシキに次ぐ作付面積を誇るほどになった。特にハイランド連合王国では淡麗辛口のサケが好まれ、ハイランド向けに作られることになる。
この2種の酒米の名づけを行ったジンは妻のマリーにこう零したという。
「俺が適当に名前を付けていいんだろうか。全部苦し紛れなんだが、もうネタ切れだ」
その後も新たな酒米の名づけの依頼が来たが、ジンは代表3種の名を付けたので、これで勘弁してほしいとすべて断ったという。
オーデッツ商会のチャーリーが満面の笑みを浮かべて店にやってきた。
「マシアから新しい酒が届きましたよ! とりあえずヴェンノヴィア醸造の分だけですが」
昨年探した米で作った日本酒が届いたらしい。
息子のマークが収納袋から一升瓶を取り出し、カウンターに並べていく。
弟子のサイモンとジョーも気になるのか、仕込みの手を止め、見入っている。
「何種類あるんだ?」と聞くと、マークが一升瓶を指さしながら教えてくれた。
「ここからここまでが純米酒で10種類です。純米吟醸がこの5種類で、純米大吟醸が2種類になりますね。すべて生原酒だそうです。ヴェンノヴィア支店のジミー・ラサムからの情報ではロートン社長もなかなかの出来だと言っていたそうですよ」
ヴェンノヴィア醸造のミノル・ロートンは杜氏兼社長で、酒造りの偉人ナオヒロ・ノウチ氏の教えを受けた実力派だ。
昨年半年以上一緒に暮らし、気心も知れている彼が“なかなかの出来”と言ったことに期待が膨らむ。
一升瓶には簡単なラベルしかなく、“LA01-65”とか、“AS03-70”といった表記しかない。これは米の産地の2文字と識別用の番号、精米歩合を表している。
例えば、LA01-65では、マシア共和国の西部を流れるノローボウ河の下流にあるラクチュヴィンという町の1番目に見つけた米を65パーセントまで精米した純米酒であることを表している。
「ダスティンさんとルイスにも声を掛けていますから、そろそろ来ると思います」
試飲会の準備をしていると、真冬なのに額に汗を浮かべたダスティンと息子のルイスがやってきた。
「お待たせしました」と言って二人は頭を下げる。
「まだ準備中ですから。ジョー、二人に水を。喉が渇いていたら印象が変わるから」
ジョーが「分かりました!」と答え、水を置く。
その後、弟子のジェイクとフランクも現れた。二人も俺が米から探したという酒に興味を示しており、試飲すると聞いて、サイモンが呼びにいかせたようだ。
試飲するのは俺と弟子4人、妻のマリー、ダスティンとルイス、チャーリーとマークの10人になる。
17種類もあるため、小さめの蛇の目を用意し、それを洗って使う。その中から香りのいいものがあれば、白ワイン用のグラスで確認するつもりだ。
「どれからいきますか?」とチャーリーが聞いてきた。
「とりあえず純米からいこう。その後に純米吟醸、純米大吟醸でいいだろう」
サイモンが蛇の目に酒を注ぎ、俺の前に置いた。
「ラクチュヴィンの1番、65パーセント精米です」
蛇の目の中を見ると、ごく薄い山吹色で僅かに濁りがある。米の味が分かるように無濾過にしたのだろう。
口に含むとやや辛口で、後から米の香りが追いかけてくる感じだ。
酸味が強く、これ自体は悪くない。白身魚の刺身に合いそうだが、旨みが足りない感じだ。
口に含んだ酒を吐き出す。さすがに17種類も飲むと最後の方は味が分からなくなるし、夜の営業にも支障が出るためだ。
そして、感じたことを紙に書いていく。その場で言わないのは人の意見に影響される可能性があるためだ。そのため、俺以外も同じように紙に書く。
そんな感じで試飲を続け、17種類の酒の味を見た。ちなみに米の味をはっきりさせるため、使っている酵母は皆同じだ。
「では、一つずつ感想を言っていくか。まず一番の酒だが……」
俺が言い終わると、ジェイクから順番に感想を述べていく。
「俺には少し物足りませんでしたね。師匠のおっしゃる通り、旨みが足りない感じがしました。ただ、甘いサケと混ぜたら面白いんじゃないかと思いました。特に4番目の重いサケに合わせたら酸味がいい具合になるんじゃないかと」
ジェイクの感想に皆が感心している。
フランク、サイモン、ジョーと続き、ダスティンの番になる。
「名だたる料理人の後で素人が発表するのは恥ずかしいですね」と言った後、
「私も物足りませんでした。ブラックドラゴンを飲み慣れているからかもしれませんが、軽い白ワインみたいに感じましたね」
そんな感じで感想を述べていった。
そして、7番目の純米になった。これは俺が可能性を感じた酒だ。
「次はアーサロウゼンの3番、70パーセント精米です。ジンさん、よろしくお願いします」とチャーリーに言われたので小さく頷く。
「この酒は口に含んだ瞬間、力強さを感じた。米が前面に出てくる感じで少し重いが、甘みと旨みは圧倒的だった。焼魚が一番合いそうだが、肉料理に合わせても美味いだろう……」
この酒を飲んだ時に思ったことは日本で飲んだ“雄町”に近いというものだ。
どっしりと重く、コクが強い。甘みがあり、酸味によるキレもあるため、バランスを取るのが難しそうだが、美味く特徴を引き出せば、山田錦に似たノウチニシキに匹敵するのではないかと思ったほどだ。
ジェイクら弟子たちにもおおむね好評で、特にダスティンとチャーリーは絶賛していた。唯一、マリーだけは微妙な感じで、
「私には少し重すぎる感じでした。どちらかというと“オールド・ノウチ”のようなお酒が好きですから」
マリーも酒をよく飲むが、軽くて香り豊かなものを好む。
「この米でも飲みやすい酒はできると思う。どうすればいいのかは杜氏に任せるしかないがな」
更に感想の発表は進んでいった。
俺が可能性を感じたのは7番の他に純米の9番目、アーサロウゼンの5番の米を65パーセント精米にしたものと、純米吟醸の2番目、ラクチュヴィンの4番の米の50パーセント精米だ。
アーサロウゼンの5番も雄町に近い感じで、恐らく米自体は同じものだ。
ラクチュヴィンの4番は全く違う感じのライトなものだ。日本の酒米で言えば、五百万石が近いと思った。
この酒はマリーが絶賛し、弟子たちも魚に合いそうだと評価が高かったものだ。
最後に俺が可能性を感じた3種類の酒をワイングラスで味わう。
「アーサロウゼンの純米は磨いた方がいいな。この米なら、このままでも充分に使えるな」
蛇の目で飲んだ時には力強さが勝っていたが、ワイングラスに入れることで香りが膨らみ、バランスがよくなった感じだ。
「ラクチュヴィンはこのまま飲むならこれでもいいが、料理に合わせるなら磨きを減らした方がいいかもしれない」
「どうしてですか? これでも充分料理に合うと思いますが」とマークが聞いてきた。
「確かに料理の味をきれいに流してくれそうだが、酒が負ける気がする。米の味がもう少しあってもいいんじゃないかと思ったんだ」
「なるほど」とマークは頷き、グラスに口を付ける。
彼はこの後、マシアまで行き、ヴェンノヴィア醸造に俺たちの意見を伝えることになっているため、誰よりも真剣な表情をしていた。
「そう言えば、ヴェンノヴィア醸造のミノルさんがなかなかの出来と言っていた酒はどれなんだ? 一通り味を見たから教えてもらいたいんだが」
試飲をする前には先入観を無くすため、聞いていなかったのだ。
マークが別の手紙を開く。彼も見ていなかったのか、読み進めるうちに目が見開いていった。
「ジンさんと全く同じでした。アーサロウゼンの5番、7番、ラクチュヴィンの4番で精米歩合を変えたものを作ると書かれています。さすがですね」
「ここにいるみんなも同じような意見だったんだから、俺が凄いわけじゃないさ。それより、次の酒が飲みたくなるな」
ダスティンがそれまでの表情から官僚らしい真面目な表情に変えて聞いてきた。
「今回見つけた酒米を王立醸造所で使ってみてもいいですか。問題がないなら、すぐにでも買い付けに行かせようと思っているんですが」
「ホレスさんにこの酒を飲んでもらって判断した方がいいですよ。まあ、私としては問題ないと思いますが」
王立醸造所の責任者ホレス・ティレットに確認してもらうように言うが、ダスティンは頷いて了承するものの、すぐに息子のルイスに顔を向ける。
「分かりました。ルイス、この酒米を作っている農家は分かっているな」
「もちろん。トーレス王国が直接取引するかもしれないと既に言ってあるし、優先権の契約も終わっているよ」
今回の試験醸造の結果次第では酒米を確保できなくなる可能性があるため、予め唾を付けておいたらしい。
「いつの間にそんな交渉をしたんだ?」
「ジンさんが米作りや酒造りをやっている時に交渉しておきました。ジンさんが絡んでいるんですから、手を打っておけと出発前に父と内務卿閣下から言われていましたので」
相変わらずダスティンは抜け目がない。
「それを言ったら、うちも同じですよ。ヴェンノヴィア醸造とガウアー酒造で作る新しいサケの優先契約権の契約は終わらせていますから」
マークが誇らしげにそう言った。
「いきなり成功する可能性は低いと言ったつもりだったんだがな」と呆れる。
「今年失敗しても来年以降で必ず成功すると確信していましたから。何といってもジンさんが直接出向いたんですから」
俺に対する信頼が強すぎ、この先が心配だ。
そのことを言ってみたが、ダスティンたちは笑うだけで改める気はないようだ。
その後、アーサロウゼンのガウアー酒造からも試験醸造した酒が届いた。
同じように可能性を感じる米があり、いろいろ試してみることになった。
■■■
ジンが集めた米はヴェンノヴィア醸造で番号が付けられた。ジンたちに送った時は産地と番号だったが、それとは別に先頭に“J”の文字が付けられていたのだ。
例えばラクチュヴィンの4番であれば、JLA04となる。
ミノル・ロートンは深い意味があってそうしたわけではなかったが、のちにこの処置がブランド化に大きな影響を与えた。
JLA04やJAS05、JAS07はその後、マシア共和国の酒造家たちの間で高い評価を得た。
当初はヴェンノヴィア醸造が独自に開発したものだと思われていたが、頭文字に気づいた杜氏がミノルに話を聞いた。
「このJというのはどういう意味なのだろうか」
「ジン・キタヤマ様が集められたコメという意味です。この中によい酒米があれば、キタヤマ様に名づけをお願いしたいと考えておりますので」
「あのノウチ翁の再来といわれたキタヤマ様が……」
ジンの名はミノルの父、ハリス・ロートンがノウチニシキの名付け親として広めていた。また、それまでの火入れ一辺倒だった酒造りに一石を投じ、生酒の良さを再認識させただけでなく、料理との相性を追求するという今のスタイルを作った偉人として知られている。
この話により、いわゆる“Jシリーズ”は一気に価値が上昇した。特に先の3種の酒米は多くの酒蔵が求めるほど人気を博した。
しかし、生産地に行ってみると、既にその酒米の行き先はほぼ決まっていると言われた。
どこに売るのかと蔵人に問われた農家はニコニコしながら答えた。
「ガウアー酒造さんとヴェンノヴィア醸造さん、それにトーレス王国のブルートン醸造所ですよ」
「2社は分かるが、トーレス王国の醸造所だと……」と絶句する。
「ええ。ここが一番でしたね。何と言っても酒を造る前から優先権の契約をしていますので」
「酒を造る前から……」と更に絶句した。
「今年は無理ですが、来年以降は大丈夫ですよ。トーレス王国のお役人が共和国の農務省に直談判して補助金を出してもらえるようにしてくれましたから、作付面積を一気に増やせたんです」
「ま、待ってくれ。トーレスの役人が我が国の役所に直談判したというのか!」
「ええ。この辺りの酒米は美味いサケが作れる可能性が高いとキタヤマさんという方がおっしゃっていたそうで、農務省のお役人もすぐに認めたそうです」
蔵人はその言葉に呆然とするが、すぐに翌年以降の仕入れの交渉を始めた。
後にジンが雄町米に似たと言ったJAS05とJAS07は“マシアオマチ”と名付けられた。国の名前と“雄町”を合わせたもので、名付け親はジンだった。
この名を付けるに当たり、マシア共和国の農務省の役人がジンに依頼するため、ブルートンを訪問した。
名づけを依頼されたものの、当初ジンは断っていた。
「この酒米は手当たり次第集めたもので、酒として使えると確認したのはミノル・ロートンさんとニック・ガウアーさんです。私が付ける必要はないのではありませんか」
ジンの発言は想定されていた。そのため、役人は即座に事情を説明する。
「おっしゃることはもっともですが、まず酒米の名を付ける作法といいますか、付け方が分かりません。その点、流れ人であるキタヤマ様なら適切な名を付けられるのではないでしょうか」
「日本の酒米の名に拘る必要はないと思いますが」
「ノウチ先生の偉業を称えるために“ノウチニシキ”という名を付けられたという話はマシアの酒造りに携わる者なら知らぬ者はおりません。サケはニホンが発祥であり、それを広めたノウチ先生もニホンのご出身です。できれば、ニホンの作法に従いたいというのが、蔵人の総意なのです」
「日本でも特にルールはないんですが……」
ジンが困惑しながらそう言うものの、役人はそれを丁重に無視して次の理由を説明していく。
「もう一つの理由ですが、今後、この酒米で酒を造る場合のブランド力を考えたためです」
「ブランド力ですか?」
「はい。今でもノウチニシキを使ったサケは評価が高く、入手困難になっております。新たな酒米も同じように人気が出ることは明らかでしょう。そうなった場合、ノウチニシキのように由緒ある名があった方がブランド的には有利なのです」
「分からないでもないですが……」とジンは更に困惑の表情を強める。
「ノウチニシキはキタヤマ様が名を付けられ、新たな酒米はキタヤマ様が関与されたのに名を付けられないとなると、新たな酒米の可能性を閉じることすらあり得るのです。新たな酒米の未来をより良いものにするためにキタヤマ様に名を付けていただきたいのです」
ジンはその説得に負け、名を付けた。
「マシアはそのまま国の名前です。オマチは山田錦に並ぶ酒米、備前雄町から付けました。ちなみに備前は日本の古い国の名前です。この米の第一印象が雄町米でしたので、この名にしました。これでいかがでしょうか」
「素晴らしい!」と大げさに喜んだ後、
「もう一つのラクチュヴィンの4番にも是非とも名づけをお願いします」
「ノローホマレでどうでしょうか?」
「どのような意味があるのでしょうか? ノローはノローボウ河から採ったというのは何となく分かるのですが」
「ノローはおっしゃる通りです。ホマレは栄光とか、誇れる事柄という意味です。このホマレという言葉も酒米に使われるものです」
「なるほど。そう言えば、ブルートンホマレという酒がありましたが、サケにも使われる言葉なのですね」
「そうです」とジンは苦笑気味に答えた。
後にマシアオマチは“オマチ系”と呼ばれる酒米の基となった。また、ノウチニシキの“ニシキ系”と並び立つ酒米として、多くの酒蔵が使うようになった。
ノローホマレは淡麗な酒の酒米としてノウチニシキに次ぐ作付面積を誇るほどになった。特にハイランド連合王国では淡麗辛口のサケが好まれ、ハイランド向けに作られることになる。
この2種の酒米の名づけを行ったジンは妻のマリーにこう零したという。
「俺が適当に名前を付けていいんだろうか。全部苦し紛れなんだが、もうネタ切れだ」
その後も新たな酒米の名づけの依頼が来たが、ジンは代表3種の名を付けたので、これで勘弁してほしいとすべて断ったという。
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