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番外編第五章:「料理人ジン・キタヤマ:大成編」
番外編第五十三話「ジン、弟子について考える」
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大陸暦1082年7月25日。
料理スキルがレベル10になってから5ヶ月ほど経った。
トーレス王国が大々的に公表したものの、俺の名は出されなかったため、多くの人がレナルド・サッカレー宮廷料理長だと勘違いし、俺への影響は予想より少なかった。
但し、俺のことを知っている者にはすぐに分かったようで、多くの人から声が掛かっている。その中にはフォーテスキュー侯爵もおり、店に来るたびに勧誘の言葉を伝えてきた。
しつこくはないので放置しているが、未だに諦めていないことに少し呆れている。
俺の身代わりになった形のサッカレー氏だが、先日宮廷料理長の職を辞した。その際に俺のところにも挨拶に来ており、理由を教えてくれた。
「私も今年で57歳になりました。そろそろ後進に譲るべきだと思ったのですよ」
宮廷料理長という役職で57歳ならまだまだ若いという気はするが、既に10年以上その座にあり、このままでは自分の跡を継ぐ者が歳を取り過ぎてしまうと考えたらしい。
「これからどうなさるのですか?」
「小さな料理屋をやろうかと思っています。宮廷の作法に縛られず、自由に作りたいので。キタヤマ殿に倣うわけではありませんが、若い弟子を取って料理を教えるのもよいと思い始めているのですよ」
詳しく聞くと、貴族街に1日3組だけの小さなレストランを開くということだった。名前は彼らしく“レストラン・サッカレー”とシンプルだ。
「それは楽しみです。サッカレーさんが自由に作った料理をぜひとも楽しませてください」
オープンして1ヶ月ほど経ったところで、妻のマリーと行ってみたが、白を基調とした清潔感のある外観と温かい雰囲気の内装で、マリーも「雰囲気がいいですね」と言ってきたほどだ。
料理は奇をてらわず、オーソドックスなトーレス料理だが、一品一品が洗練されており、さすがは元宮廷料理長と唸るほどだった。
「どうでしたか?」とサッカレー氏が笑顔で聞いてきた。
「大満足です。メインはもちろん、前菜の田舎風パテはとろけるような食感とフォアグラのコクがワインにとても合っていました」
「それはよかった」と柔らかな笑みを浮かべている。宮廷料理長という重責から解放され、自分の作りたい料理を作れるようになったことで以前より余裕があるように感じた。
そのサッカレー氏にある頼みをした。
それは弟子のサイモンを1年間預かってほしいというものだ。
「サイモン君を預かる? 私は構いませんが、今でも充分な腕を持っていますし、ワショクの料理人を目指しているのですから、キタヤマ殿のところで修業した方がよいのではありませんか?」
「確かにあいつの腕は十分に一人前と言えるでしょう。ですが、問題があるんです」
「問題ですか? 思い当たりませんが?」と首を傾げる。
「あいつは私のやり方を忠実に守るんです。駆け出しの頃はそれでも構わないのですが、今でも私のやり方を頑なに守ろうとします」
「悪いことではないと思いますが?」とサッカレー氏は再び首を傾げた。
「それでは私を超えることはできません。ジェイクにしてもフランクにしても、別の料理を知っています。ですが、サイモンは私の料理しか知らないんです。それではそのうち行き詰ってしまいます」
ジェイクもフランクも俺のところ来る前に別の店で働いている。もちろん、下働きくらいで大した仕事はしていないが、それでも別の料理人の仕事を見ていた。
しかし、サイモンは兵士上がりで、兵舎の料理人をしていたものの、俺のところに来て初めて包丁の使い方といった基礎を学んでいる。
それともう一つ、彼には懸念がある。それは俺のことを妄信していることだ。
ジェイクは俺との付き合いが長い分、疑問を感じたらすぐに俺に聞くし、意見することもあった。
フランクは好奇心旺盛で、俺の料理を参考にいろいろと新しいメニューを考え、提案してくる。
しかし、サイモンは俺のレシピを寸分の狂いもなくマネするだけで、新たな料理を作り出そうとしたことがない。
修業中ならそれでもいいが、独立してもいいほどの腕になっているのだ。そろそろ自分の料理を作ってもいいと思うのだが、彼にそれを言っても、「まだまだですから」と言って殻を破ろうとしない。
そのため、荒療治でもないが、全く別の料理の店で修業させようと考えたのだ。その思いを伝えると、サッカレー氏は大きく頷き、
「私にできることであれば協力します」と言ってくれた。
修業先は確保したが、まだサイモンにこのことは伝えていない。
そして、今日それを伝えるため、店が終わった後、酒を飲みながら切り出した。
「サッカレーさんのところで修業してみないか」
「えっ?」と驚く。
「俺のところだけで修業しても限界がある。特にお前は俺以外の料理人の下についたことがない。幅を広げるためにもサッカレーさんのところで修業した方がいいと思うんだ」
「師匠に教えてもらうだけで充分に腕は上がっています! このまま師匠のところで修業させてください!」
そう言って土下座せんばかりに頭を下げた後、涙を浮かべて訴えてくる。
「それとも俺には教える価値がないんでしょうか!」
「そんなことはない。お前は努力家だし、俺の料理を一番継承していると思っている。和食に限るが、ジェイクやフランクより才能があるとさえ思っているんだ」
「なら、どうして!」
その問いにストレートに答えず、昔話を始めた。
「俺は30歳で店を開くまでに3軒の店を渡り歩いた。最初は本格的な割烹だ。そこで料理の基本を学んだ。それから本場で寿司を覚えた。そして最後の店ではいろんな食材を使う親方の下で料理の楽しさを教えてもらったんだ……」
サイモンは食い入るような目で俺を見つめながら話を聞いている。
「……和食の職人として一人前になるだけなら、最初の店だけでもよかったかもしれない。その方が早く店を持てただろう。だが、いろんな店を見たお陰で、俺は料理を楽しむってことが何となく分かった。だからお前にも料理の楽しさを知ってほしいと思ったんだ」
「今でも楽しいですよ。師匠の料理を見て、自分に足りないところが何か分かるんです。それを克服した時の嬉しさっていうのはここでしか味わえないと思うんです」
「確かにそれも楽しいな。だが、昔ほど新たな発見って奴はないんじゃないか? それにトーレス料理を学ぶことは和食の職人としてやっていく上で必ずプラスになる。特にここにいる限りは」
「どういうことでしょうか?」
「ここで発展してきたのはトーレス料理だ。昔の流れ人が伝えた料理も多いが、何百年も経って、完全にこの土地の料理になっている。その味を理解し、それを和食に生かすんだ。そうすれば、更にここの人に受け入れられる」
「今でも十分に受け入れられていると思うんですが」
その問いに俺は首を横に振る。
「確かに一部の人に受け入れられてはいる。しかし、まだ多くの人が和食を楽しんだことがない。俺としては少しでも多くの人に和食の素晴らしさを感じてもらいたいんだが、そのためにはこの国の料理になる。いや、この国に根付くと言った方がいいかもしれん」
「この国に根付くですか……何となく意味は分かりますが……」
「ここブルートンにはハイランド料理やスールジア料理の店が何軒もある。結構昔からあるそうだから、ここの人々に馴染んでいなければ、やっていけないだろう……」
ハイランド料理は隣の国、ハイランド連合王国の料理だ。様々な種族がいる関係で、バラエティー豊かだ。森林や湖から採れる豊富な素材と大胆な味付けで、アメリカンな感じの料理がある一方、チーズを多く使ったスイスや北イタリアのような料理もある。
スールジア料理は大陸の東の端にあるスールジア魔導王国のもので、地球でいうところの中華料理に近いものだ。
それも独特のスパイスを多用し、刺激的な味付けの四川料理風が一番多い。
それらの料理店はブルートンに数軒ずつあり、意外に繁盛している。どちらの料理も食べにいったが、バターやオリーブオイル、地元のハーブなどを使っており、ここの人に合わせている感じだ。
“合わせた感じ”と言ったのは、俺自身、本場で食べたことがないので、比べようがないためだ。
「……話を戻すが、和食はまだブルートンの人に完全に認知されたわけじゃない。マシアやマーリアの食材を使う変わった料理という位置づけだろう」
「そうでしょうか?」
「ほとんどの客は国王陛下のお気に入りの料理というのが気になるだけだ。それで美味いと思ってくれた人が常連になってくれているが、まだまだ変わった料理という印象しかないだろうな」
これは正直な思いだ。
特にランチでは主食を米ではなく、パンに変えられないかと聞いてくる客が未だに結構いる。
鶏の唐揚げ定食やトンカツ定食ならまだ分かるが、西京焼き定食やサバの味噌煮定食でも言ってくる人がおり、“一度ご飯を食べてほしい”とお願いしても不服そうな顔をされる。
「師匠のおっしゃることは何となく分かりました。どこまでできるかは分かりませんが、サッカレーさんのところで頑張ってみます」
「期待しているぞ」と言って彼の肩をポンと叩き、
「まあ、店自体は近くなんだからいつでも遊びに来い。俺としちゃ、是非とも戻ってきてほしいが、別の道に進みたくなったら自分のことを一番に考えろよ。何といってもまだ若いんだからな」
「絶対帰ってきます」と真剣な表情で答える。
サイモンはまだ25歳だ。既に料理の基礎は充分に学んでいるから、今から別の料理を目指しても十分に切り替えられる。
「まあ、気負わずにやってこい!」
8月に入ると、サイモンはレストラン・サッカレーで働き始めた。一応、弟子という形で入ったが、既に一流と呼ばれる腕になっており、元々いたサッカレー氏の弟子をあっという間に追い抜いたそうだ。
サッカレー氏は手放しで褒めている。
「本当にいい腕をしておりますね。仕事は丁寧だし、若い弟子の面倒見もいい。私の後継者にほしいくらいですよ」
サイモン本人も時々顔を見せ、報告してくれるが、新しい料理が新鮮だと言っていた。
8月の終わり頃、もう一人の弟子の将来を考えていた。
本店をオープンした後に入ってきた弟子の一人で、オリヴァー・エヴァンスという若者だ。
オリヴァーは王国の北部にあるリストンという町の生まれで、実家はワインの醸造家だ。
17歳の時、ブルートンに父親と共にワインの売り込みに来た際、俺の店で料理を食べて日本酒を飲んだことから弟子入りしてきた。
ワインに関する知識は豊富で、更に日本酒についても王立ブルートン醸造所に行って勉強するなど努力家だが、残念なことに料理の才能がなかった。
味覚の方は悪くないのだが、不器用で包丁使いがなかなか上手くならない。仕事が終わった後も残って練習していたが、どうしても上達しなかった。また、焼物や煮物でも判断が遅く、火が入りすぎたり、味が濃すぎたりと、スキルレベルも3から上がっていない。
あとから入った後輩にも抜かれ、本人は結構悩んでいた。
俺としても何とかしてやりたいが、どうしても上手くいかない。そこである提案をしようかと妻のマリーに相談していた。
マリーも「オリヴァー君ならそっちの方がいいかも。あの子も興味を持っているでしょうから」と賛成してくれたため、彼を呼び出し、話を切り出すことにした。
オリヴァーは細面で背が高く、真面目な表情を滅多に崩さず、少し猫背な感じで歩くため、料理人というより学者の卵のような印象を受ける。
今日も俺の呼び出しを受けて、緊張しているのか、やや俯き加減だ。
「話があるんだが、いいか」と言って切り出す。
「は、はい……」と答えるものの、彼にも何となくどんな話か分かっているようで、表情が暗くなる。
「ブルートン醸造所で働いてみないか」
予想外の言葉だったのか、オリヴァーが「えっ?」と聞き返す。
「常に人手不足なのは知っているだろう。だから、あそこで働いてみないか」
ブルートン醸造所はこの国最初の日本酒の醸造所で、国王が力を入れており、毎年設備が増え、生産量も増えている。
杜氏のホレス・ティレットを含め、酒造りの本場、マシア共和国から多くの若手醸造家が来ている。また、この国の出身者も多数採用しているが、人手不足は解消していない。
「やっぱり料理人は無理だということですか……」と肩を落とす。
「無理かどうかはまだ分からないな。一番大事な味覚はいいんだから」
「で、でも……」
「お前自身、酒造りに挑戦したいと思っているんじゃないか? 実家のワインとは違う日本酒造りを」
そこでオリヴァーは目を見開く。
「家業を継ぐのが嫌でこの世界に飛び込んだんだろ。まあ、美味いものが好きだっていうことは分かっているが」
「は、はい……父や兄がやっている仕事をやるのがどうしても嫌だったんです。でも、師匠の料理を覚えたいっていうのは本当なんです! あんなに美味い料理があるとは思わなかったので」
「ああ、分かっている。だが、酒を造ってみたいとも思っているんだろ。それにお前は酒に関してはうちの店でもトップクラスだ。フランクやサイモンがいつも感心していたぞ。もちろん、俺もだ」
ワインの知識は元々あり、そこに日本酒の知識が加わった。料理との相性を考える時、彼の意見は的を射ていることが多く、俺自身も参考になっている。
「料理に合う酒を造るというのもいい仕事だと思うぞ。やってみたいなら、ホレスさんに俺から話を通す。どうだ?」
オリヴァーは少し悩んだ後、「お願いします」と大きく頭を下げた。
それから彼は王立ブルートン醸造所に入り、酒造りを学び始めた。
■■■
その後、オリヴァー・エヴァンスはブルートン醸造所で頭角を現していく。
そして、5年後の1087年、実家のあるリストンに戻り、日本酒造りを始めた。僅か5年しか修業していないことにジンは不安を感じたが、杜氏であるホレスが太鼓判を押していた。
「オリヴァーは天才ですよ。本場マーデュにもこれほど才能を持った奴は見たことがありません。それにジンさんに料理を教えてもらっていますから、ワショクに合う酒を造るのが上手い。すぐに頭角を現すでしょうね……」
ホレスの予想通り、オリヴァーはリストンで醸造所を開くと、個性的でありながらも和食に合う酒を次々と作っていった。
最初に作った酒はコクがありながらもしっかりとした辛口の原酒だった。
その酒の名は“オーガキラー”。
名付けを頼まれたジンが迷うことなく決めた名だった。
名の由来を尋ねられたジンは即座にこう答えた。
「どっしりとしているが辛口で飲み飽きない。飲み過ぎてオーガのようなデカい奴でもぶっ倒れるっていう意味だ。オーガが酒を飲んで本当に倒れるかは知らないが……」
オーガキラーはその名が縁起がいいということで、探索者たちに人気が出た。そのため、迷宮都市と呼ばれるグリーフの居酒屋には必ず置かれ、オリヴァーの始めたリストン醸造の経営を助けることになった。
料理スキルがレベル10になってから5ヶ月ほど経った。
トーレス王国が大々的に公表したものの、俺の名は出されなかったため、多くの人がレナルド・サッカレー宮廷料理長だと勘違いし、俺への影響は予想より少なかった。
但し、俺のことを知っている者にはすぐに分かったようで、多くの人から声が掛かっている。その中にはフォーテスキュー侯爵もおり、店に来るたびに勧誘の言葉を伝えてきた。
しつこくはないので放置しているが、未だに諦めていないことに少し呆れている。
俺の身代わりになった形のサッカレー氏だが、先日宮廷料理長の職を辞した。その際に俺のところにも挨拶に来ており、理由を教えてくれた。
「私も今年で57歳になりました。そろそろ後進に譲るべきだと思ったのですよ」
宮廷料理長という役職で57歳ならまだまだ若いという気はするが、既に10年以上その座にあり、このままでは自分の跡を継ぐ者が歳を取り過ぎてしまうと考えたらしい。
「これからどうなさるのですか?」
「小さな料理屋をやろうかと思っています。宮廷の作法に縛られず、自由に作りたいので。キタヤマ殿に倣うわけではありませんが、若い弟子を取って料理を教えるのもよいと思い始めているのですよ」
詳しく聞くと、貴族街に1日3組だけの小さなレストランを開くということだった。名前は彼らしく“レストラン・サッカレー”とシンプルだ。
「それは楽しみです。サッカレーさんが自由に作った料理をぜひとも楽しませてください」
オープンして1ヶ月ほど経ったところで、妻のマリーと行ってみたが、白を基調とした清潔感のある外観と温かい雰囲気の内装で、マリーも「雰囲気がいいですね」と言ってきたほどだ。
料理は奇をてらわず、オーソドックスなトーレス料理だが、一品一品が洗練されており、さすがは元宮廷料理長と唸るほどだった。
「どうでしたか?」とサッカレー氏が笑顔で聞いてきた。
「大満足です。メインはもちろん、前菜の田舎風パテはとろけるような食感とフォアグラのコクがワインにとても合っていました」
「それはよかった」と柔らかな笑みを浮かべている。宮廷料理長という重責から解放され、自分の作りたい料理を作れるようになったことで以前より余裕があるように感じた。
そのサッカレー氏にある頼みをした。
それは弟子のサイモンを1年間預かってほしいというものだ。
「サイモン君を預かる? 私は構いませんが、今でも充分な腕を持っていますし、ワショクの料理人を目指しているのですから、キタヤマ殿のところで修業した方がよいのではありませんか?」
「確かにあいつの腕は十分に一人前と言えるでしょう。ですが、問題があるんです」
「問題ですか? 思い当たりませんが?」と首を傾げる。
「あいつは私のやり方を忠実に守るんです。駆け出しの頃はそれでも構わないのですが、今でも私のやり方を頑なに守ろうとします」
「悪いことではないと思いますが?」とサッカレー氏は再び首を傾げた。
「それでは私を超えることはできません。ジェイクにしてもフランクにしても、別の料理を知っています。ですが、サイモンは私の料理しか知らないんです。それではそのうち行き詰ってしまいます」
ジェイクもフランクも俺のところ来る前に別の店で働いている。もちろん、下働きくらいで大した仕事はしていないが、それでも別の料理人の仕事を見ていた。
しかし、サイモンは兵士上がりで、兵舎の料理人をしていたものの、俺のところに来て初めて包丁の使い方といった基礎を学んでいる。
それともう一つ、彼には懸念がある。それは俺のことを妄信していることだ。
ジェイクは俺との付き合いが長い分、疑問を感じたらすぐに俺に聞くし、意見することもあった。
フランクは好奇心旺盛で、俺の料理を参考にいろいろと新しいメニューを考え、提案してくる。
しかし、サイモンは俺のレシピを寸分の狂いもなくマネするだけで、新たな料理を作り出そうとしたことがない。
修業中ならそれでもいいが、独立してもいいほどの腕になっているのだ。そろそろ自分の料理を作ってもいいと思うのだが、彼にそれを言っても、「まだまだですから」と言って殻を破ろうとしない。
そのため、荒療治でもないが、全く別の料理の店で修業させようと考えたのだ。その思いを伝えると、サッカレー氏は大きく頷き、
「私にできることであれば協力します」と言ってくれた。
修業先は確保したが、まだサイモンにこのことは伝えていない。
そして、今日それを伝えるため、店が終わった後、酒を飲みながら切り出した。
「サッカレーさんのところで修業してみないか」
「えっ?」と驚く。
「俺のところだけで修業しても限界がある。特にお前は俺以外の料理人の下についたことがない。幅を広げるためにもサッカレーさんのところで修業した方がいいと思うんだ」
「師匠に教えてもらうだけで充分に腕は上がっています! このまま師匠のところで修業させてください!」
そう言って土下座せんばかりに頭を下げた後、涙を浮かべて訴えてくる。
「それとも俺には教える価値がないんでしょうか!」
「そんなことはない。お前は努力家だし、俺の料理を一番継承していると思っている。和食に限るが、ジェイクやフランクより才能があるとさえ思っているんだ」
「なら、どうして!」
その問いにストレートに答えず、昔話を始めた。
「俺は30歳で店を開くまでに3軒の店を渡り歩いた。最初は本格的な割烹だ。そこで料理の基本を学んだ。それから本場で寿司を覚えた。そして最後の店ではいろんな食材を使う親方の下で料理の楽しさを教えてもらったんだ……」
サイモンは食い入るような目で俺を見つめながら話を聞いている。
「……和食の職人として一人前になるだけなら、最初の店だけでもよかったかもしれない。その方が早く店を持てただろう。だが、いろんな店を見たお陰で、俺は料理を楽しむってことが何となく分かった。だからお前にも料理の楽しさを知ってほしいと思ったんだ」
「今でも楽しいですよ。師匠の料理を見て、自分に足りないところが何か分かるんです。それを克服した時の嬉しさっていうのはここでしか味わえないと思うんです」
「確かにそれも楽しいな。だが、昔ほど新たな発見って奴はないんじゃないか? それにトーレス料理を学ぶことは和食の職人としてやっていく上で必ずプラスになる。特にここにいる限りは」
「どういうことでしょうか?」
「ここで発展してきたのはトーレス料理だ。昔の流れ人が伝えた料理も多いが、何百年も経って、完全にこの土地の料理になっている。その味を理解し、それを和食に生かすんだ。そうすれば、更にここの人に受け入れられる」
「今でも十分に受け入れられていると思うんですが」
その問いに俺は首を横に振る。
「確かに一部の人に受け入れられてはいる。しかし、まだ多くの人が和食を楽しんだことがない。俺としては少しでも多くの人に和食の素晴らしさを感じてもらいたいんだが、そのためにはこの国の料理になる。いや、この国に根付くと言った方がいいかもしれん」
「この国に根付くですか……何となく意味は分かりますが……」
「ここブルートンにはハイランド料理やスールジア料理の店が何軒もある。結構昔からあるそうだから、ここの人々に馴染んでいなければ、やっていけないだろう……」
ハイランド料理は隣の国、ハイランド連合王国の料理だ。様々な種族がいる関係で、バラエティー豊かだ。森林や湖から採れる豊富な素材と大胆な味付けで、アメリカンな感じの料理がある一方、チーズを多く使ったスイスや北イタリアのような料理もある。
スールジア料理は大陸の東の端にあるスールジア魔導王国のもので、地球でいうところの中華料理に近いものだ。
それも独特のスパイスを多用し、刺激的な味付けの四川料理風が一番多い。
それらの料理店はブルートンに数軒ずつあり、意外に繁盛している。どちらの料理も食べにいったが、バターやオリーブオイル、地元のハーブなどを使っており、ここの人に合わせている感じだ。
“合わせた感じ”と言ったのは、俺自身、本場で食べたことがないので、比べようがないためだ。
「……話を戻すが、和食はまだブルートンの人に完全に認知されたわけじゃない。マシアやマーリアの食材を使う変わった料理という位置づけだろう」
「そうでしょうか?」
「ほとんどの客は国王陛下のお気に入りの料理というのが気になるだけだ。それで美味いと思ってくれた人が常連になってくれているが、まだまだ変わった料理という印象しかないだろうな」
これは正直な思いだ。
特にランチでは主食を米ではなく、パンに変えられないかと聞いてくる客が未だに結構いる。
鶏の唐揚げ定食やトンカツ定食ならまだ分かるが、西京焼き定食やサバの味噌煮定食でも言ってくる人がおり、“一度ご飯を食べてほしい”とお願いしても不服そうな顔をされる。
「師匠のおっしゃることは何となく分かりました。どこまでできるかは分かりませんが、サッカレーさんのところで頑張ってみます」
「期待しているぞ」と言って彼の肩をポンと叩き、
「まあ、店自体は近くなんだからいつでも遊びに来い。俺としちゃ、是非とも戻ってきてほしいが、別の道に進みたくなったら自分のことを一番に考えろよ。何といってもまだ若いんだからな」
「絶対帰ってきます」と真剣な表情で答える。
サイモンはまだ25歳だ。既に料理の基礎は充分に学んでいるから、今から別の料理を目指しても十分に切り替えられる。
「まあ、気負わずにやってこい!」
8月に入ると、サイモンはレストラン・サッカレーで働き始めた。一応、弟子という形で入ったが、既に一流と呼ばれる腕になっており、元々いたサッカレー氏の弟子をあっという間に追い抜いたそうだ。
サッカレー氏は手放しで褒めている。
「本当にいい腕をしておりますね。仕事は丁寧だし、若い弟子の面倒見もいい。私の後継者にほしいくらいですよ」
サイモン本人も時々顔を見せ、報告してくれるが、新しい料理が新鮮だと言っていた。
8月の終わり頃、もう一人の弟子の将来を考えていた。
本店をオープンした後に入ってきた弟子の一人で、オリヴァー・エヴァンスという若者だ。
オリヴァーは王国の北部にあるリストンという町の生まれで、実家はワインの醸造家だ。
17歳の時、ブルートンに父親と共にワインの売り込みに来た際、俺の店で料理を食べて日本酒を飲んだことから弟子入りしてきた。
ワインに関する知識は豊富で、更に日本酒についても王立ブルートン醸造所に行って勉強するなど努力家だが、残念なことに料理の才能がなかった。
味覚の方は悪くないのだが、不器用で包丁使いがなかなか上手くならない。仕事が終わった後も残って練習していたが、どうしても上達しなかった。また、焼物や煮物でも判断が遅く、火が入りすぎたり、味が濃すぎたりと、スキルレベルも3から上がっていない。
あとから入った後輩にも抜かれ、本人は結構悩んでいた。
俺としても何とかしてやりたいが、どうしても上手くいかない。そこである提案をしようかと妻のマリーに相談していた。
マリーも「オリヴァー君ならそっちの方がいいかも。あの子も興味を持っているでしょうから」と賛成してくれたため、彼を呼び出し、話を切り出すことにした。
オリヴァーは細面で背が高く、真面目な表情を滅多に崩さず、少し猫背な感じで歩くため、料理人というより学者の卵のような印象を受ける。
今日も俺の呼び出しを受けて、緊張しているのか、やや俯き加減だ。
「話があるんだが、いいか」と言って切り出す。
「は、はい……」と答えるものの、彼にも何となくどんな話か分かっているようで、表情が暗くなる。
「ブルートン醸造所で働いてみないか」
予想外の言葉だったのか、オリヴァーが「えっ?」と聞き返す。
「常に人手不足なのは知っているだろう。だから、あそこで働いてみないか」
ブルートン醸造所はこの国最初の日本酒の醸造所で、国王が力を入れており、毎年設備が増え、生産量も増えている。
杜氏のホレス・ティレットを含め、酒造りの本場、マシア共和国から多くの若手醸造家が来ている。また、この国の出身者も多数採用しているが、人手不足は解消していない。
「やっぱり料理人は無理だということですか……」と肩を落とす。
「無理かどうかはまだ分からないな。一番大事な味覚はいいんだから」
「で、でも……」
「お前自身、酒造りに挑戦したいと思っているんじゃないか? 実家のワインとは違う日本酒造りを」
そこでオリヴァーは目を見開く。
「家業を継ぐのが嫌でこの世界に飛び込んだんだろ。まあ、美味いものが好きだっていうことは分かっているが」
「は、はい……父や兄がやっている仕事をやるのがどうしても嫌だったんです。でも、師匠の料理を覚えたいっていうのは本当なんです! あんなに美味い料理があるとは思わなかったので」
「ああ、分かっている。だが、酒を造ってみたいとも思っているんだろ。それにお前は酒に関してはうちの店でもトップクラスだ。フランクやサイモンがいつも感心していたぞ。もちろん、俺もだ」
ワインの知識は元々あり、そこに日本酒の知識が加わった。料理との相性を考える時、彼の意見は的を射ていることが多く、俺自身も参考になっている。
「料理に合う酒を造るというのもいい仕事だと思うぞ。やってみたいなら、ホレスさんに俺から話を通す。どうだ?」
オリヴァーは少し悩んだ後、「お願いします」と大きく頭を下げた。
それから彼は王立ブルートン醸造所に入り、酒造りを学び始めた。
■■■
その後、オリヴァー・エヴァンスはブルートン醸造所で頭角を現していく。
そして、5年後の1087年、実家のあるリストンに戻り、日本酒造りを始めた。僅か5年しか修業していないことにジンは不安を感じたが、杜氏であるホレスが太鼓判を押していた。
「オリヴァーは天才ですよ。本場マーデュにもこれほど才能を持った奴は見たことがありません。それにジンさんに料理を教えてもらっていますから、ワショクに合う酒を造るのが上手い。すぐに頭角を現すでしょうね……」
ホレスの予想通り、オリヴァーはリストンで醸造所を開くと、個性的でありながらも和食に合う酒を次々と作っていった。
最初に作った酒はコクがありながらもしっかりとした辛口の原酒だった。
その酒の名は“オーガキラー”。
名付けを頼まれたジンが迷うことなく決めた名だった。
名の由来を尋ねられたジンは即座にこう答えた。
「どっしりとしているが辛口で飲み飽きない。飲み過ぎてオーガのようなデカい奴でもぶっ倒れるっていう意味だ。オーガが酒を飲んで本当に倒れるかは知らないが……」
オーガキラーはその名が縁起がいいということで、探索者たちに人気が出た。そのため、迷宮都市と呼ばれるグリーフの居酒屋には必ず置かれ、オリヴァーの始めたリストン醸造の経営を助けることになった。
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