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番外編第四章:「料理人ジン・キタヤマ:飛躍編」
番外編第五十話「ジン、挑戦を受ける:後篇」
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トーレス王国の大貴族フォーテスキュー侯爵が店を貸し切ったが、敵意をむき出しにしてくる嫡男ノーマンに辟易している。
それでもこちらもプロなのでそのことは顔に出さず、スタッフたちに指示を出していった。
スタッフたちも最初は面食らい、硬くなっていたが、それでも俺の指示通りに動き始めると、その硬さは消え、普段通りの動きに戻っていた。
俺の前のカウンターには侯爵夫妻とノーマン夫妻、更に二組の若いカップルが座っている。
ルティエンス男爵からの情報では長女夫妻と次男夫妻で、長女が二十代半ば、次男が二十代前後といったところのようだ。
L字型のカウンターに座るというのが新鮮なのか、この二組のカップルの方は笑顔で話をしている。
おしぼりを出し、1杯目のグラスと料理を出していく。
「1杯目でございますが、白ブドウのみを使用したスパークリングワインとしました。合わせる料理はセオール川の切り裂き蟹を使いました、蟹真薯でございます」
蟹真薯は試飲の時から手を加えている。出汁を強めに利かせ、更に細かく刻んだ大葉と僅かだがレモンの皮をすりおろしたものを載せている。
侯爵はワイングラスを手に取ると、小さく頷いてから口をつけた。
そして、すぐに蟹真薯を小さなフォークに突き刺して口に運んだ。
「うむ。なかなかよいな。そう言えば、これに似た料理を食したことがあるが、何であったかな」
そう言いながらスパークリングワインに口をつける。
「食感は異なりますが、新年を祝う晩餐会で蒲鉾を出したことがございます。他にもスールジア料理の蟹シュウマイにも似ているのではないかと」
「なるほど。確かにスールジア料理に似たものがあったな。それにしてもこの料理はこのワインによく合う。ワインの冷やし加減も最適であるし、さすがは宮廷料理長が一目置く料理人だな」
侯爵はそう言って褒めるが、目は笑っていない。
俺も「ありがとうございます」とだけ答えるだけに留めた。
無難に1品目を終え、次の料理に移る。
「2杯目でございますが、軽めの白ワインでございます。合わせる料理は寿司でございます」
白ワインは若いソーヴィニヨンブランに似たもので、あえて寿司にしてみた。
寿司は昆布締めのヒラメとイクラ、ゆでエビで、舞踏会や晩餐会で出す時のようにスプーンに載せてある。
「どれから食べてもよいのかな?」と侯爵が聞いてきたので、「間にワインを挟んでいただければどれからでも問題ございません」と答える。
「これは一段と美味いな。さて、ワインにはどうかな」
侯爵はヒラメを食べた後、白ワインのグラスに手を伸ばす。
「ほう!」と驚いたような表情を見せるが、それ以上何も言わない。
「この気色の悪い色のものは何だ!」とノーマンが言ってきた。
俺が答える前に侯爵が「イクラを知らぬのか」と不機嫌そうに言った。
「イクラですか? 私は聞いたことがありませんが」
「お前は侯爵家を継ぐ気があるのか? これはキタヤマ殿が広めた新たな食材。ブルートンでは多くの店で使い始めているものなのだ。我が領地のワインにどう合わせればよいか、料理長に研究させておるのだが、それも知らんのか」
ノーマンは顔を赤くして下を向く。
どうやらこの親子は上手くいっていないらしい。
「もしよろしければ、他のワインもご用意しますが?」
「この白では合わぬということかな?」
「いえ、先ほどのお話ですと、合うワインをお探しとのこと。この寿司にはこの白が最も合うと判断しましたが、別の調理法の場合、これより合うものがございますので」
そう言ってから隣に立つ、弟子のサイモンに指示を出す。
「バジルを用意してくれ。ワインはさっきとは違うスパークリングワインだ」
そう言いながらイクラをボウルに出し、軽くぬめりを取った後、オリーブオイルとレモン汁を掛けてさっと和える。
サイモンが用意したバジルの葉を細かく刻み、スプーンに載せたイクラの上に振りかけ、最後にワインビネガーで軽く味を調え、侯爵のところに持っていった。
「和食ではございませんが、こちらの方にはこの方が好まれるのではないかと。黒ブドウを使ったスパークリングワインがオイルのコクとビネガーの酸味、バジルの香りとよく合うと思います」
その間にサイモンが、俺が作ったものと同じものを用意していく。何も言わなくてもやってくれるところが彼らしい。
侯爵はそのイクラを口に入れると、「確かにこの味付けの方が馴染みがある」と言った後、スパークリングワインを口に含んだ。
「なるほど。言わんとすることはよく分かった。確かにこのワインにはサーモンのマリネがよく合う。ならば、その卵であるイクラのマリネにも合うということか」
さすがは世界的に有名なワインの生産地の領主だけのことはあり、俺の意図を正確に見抜いていた。
このやりとりで侯爵の表情が柔らかくなった気がする。
3杯目は重厚な5年物の白ワインと黒鯛の西京焼きだ。
ワインは木の樽の香りがしっかりとついているが、ブドウ本来の香りも充分にあり、白味噌で漬けた少し癖のある黒鯛とよく合った。
4杯目は微発泡のやや甘口の白ワインだ。
これはリースリングを使ったドイツワイン、それもアウスレーゼと呼ばれるやや甘口のものに近い感じだったので、天ぷらを合わせてみた。
板場には既に熱した油が入った鍋があり、サイモンが粉とネタを準備していた。
「次は天ぷらでございます。合わせるワインは微発泡のものとなります。この料理は調理したものを皆様の前に置いていくスタイルですので、そのままお待ちください」
天ぷらは海老、イカ、牡蠣、アスパラガス、マッシュルームだ。
今回選んだネタは比較的個性の強いものにしている。これはドイツワインに似たやや甘口のワインに合わせたためだ。
「テンプラか。これを初めて食した時には衝撃を受けたものだ」
侯爵は国王主催の晩餐会で俺の揚げた天ぷらを食べたことがあり、その際、絶賛してくれたことを思い出した。
「以前お出ししたものより、ネタの個性が強いものを選んでおります。ワインとの相性を考えなければ、天つゆでもよろしいのですが、ワインに合わせるのであれば、塩のみで召し上がっていただいた方がよいかもしれません」
一応天つゆも出しているが、これは侯爵夫妻以外に天ぷらを食べたことがないため、料理自体を楽しんでもらおうと考えたからだ。
話しながら海老を揚げていく。
海老は頭と身を別々に揚げるが、今回の主役は身だ。日本酒なら頭を揚げたものの方が香ばしくてつまみになるが、甘く爽やかなワインにはプリっと甘い身の方が美味い。
侯爵は身を食べた後、ワインを口に含む。
「見事なものだ。このワインにはボイルしたソーセージにマスタードか、酸味を強く利かせたマリネくらいしか合わぬと思っておったのだが」
やはり試されたようだ。
他のネタもおおむね好評だった。
とりあえず、最難関のワインはクリアした。しかし、この後の赤ワインが本命なので気が抜けない。
フォーテスキューのワインは白も美味いが、何といっても芳醇な香りと濃厚な味の赤ワインが世界的にも有名だ。
だから、今回のお題の中に、同じ畑で熟成度合いだけが違うものが4種類もあったのだ。
「まずは最も若い3年物の赤ワインに合う和食をご用意しました」
俺の説明の間にココット皿のような小さな器が出されていく。
「牛の内臓に野菜を加え、味噌を使って煮込みました。少し甘めに仕上げております」
俺の説明に侯爵を含め、全員が顔をしかめる。
「我らに内臓を食わせるというのか!」とノーマンが文句を言ってきた。
この国にも内臓料理はあるが、基本的には庶民の食べ物だ。
また、処理が甘く、臭みが強いものを出す店が多い。そのため、ニンニクなどの香辛料で誤魔化しているところがほとんどで、美味い料理という印象はなかった。
「食わず嫌いはよくないと思うが、我がフォーテスキューの最高級のワインにこれが合うとは思えぬ」
それまで上機嫌だった侯爵の声にも険があった。
「一度口にしていただき、どうしても合わないようでしたら、別の料理をご用意いたします」
そこまで言うと、侯爵は渋々という感じでもつ煮込みをスプーンで掬って食べた。
次の瞬間、大きく目を見開く。そして、何も言わずにもう一度口に運んだ。
「これが内臓だというのか……臭みなど全く感じぬ。それどころか肉とは違ったコクと旨味を強く感じるほどだ……」
そこでワインがあったことに気づいたのか、ようやくグラスに口を付けた。
「何と言うことだ! ブドウの香りが更に上がったようだ……これはどういうことなのだ……」
侯爵の言葉に残りの7人も、もつ煮込みを口に運んだ。
そして、同じように驚いている。
「内臓は丁寧に処理しなければ臭みは消えません。今回の料理の中で材料費は最も安いのですが、最も手間が掛かっております」
「なるほど。素材の値段だけではないと言いたいのだな。だが、それだけでこの若い赤ワインに合うとは思えぬのだが」
「このワインは力強く、ブドウの持つ果実感が非常によく出ておりました。若い割に渋みも適度で、最初は脂ののった肉を出そうかと思ったほどです」
「それが王道だ」と侯爵が大きく頷く。
「ですが、この若いワインには当然のことながら熟成感が足りません。そこで熟成させて作る味噌をベースにし、更に10日以上中身を足しながら煮込むことで、料理に熟成感を与えてみたのです」
「10日以上も掛けたというのか……」
10日以上掛けているが、いわゆる継ぎ足しで作ったためで、無駄に煮込んだわけではない。
「これには正直、やられたとしか言えぬ。さすがはキタヤマ殿だ」
侯爵が満足げにそう言っているが、ノーマンはまだ不満げな表情のままだ。しかし、もつ煮込みはきれいに平らげており、料理に不満があるわけではなさそうだ。
そして本日のメインになる。
「料理としては最後になります。合わせるワインは15年物の赤ワインで、料理はコカトリスの照り焼きでございます」
赤ワインが用意され、更に焼けたばかりの照り焼きが甘辛い匂いをさせながら出てきた。
「照り焼きは醤油をベースに砂糖などを加えた甘辛いタレを付けて焼く手法です」
コカトリスの照り焼きは一口大にカットしてあり、侯爵はそれをフォークに刺し、口に運ぶ。
「ほう! 焼き加減もよい。それ以上にこの濃厚なソースがよいな。ショウユと言ったが、赤ワインも入っておるのではないか?」
さすがは美食家として有名なだけあり、初めて食べたはずなのにしっかりとソースの素材を言い当ててきた。
「その通りでございます。旨味と酸味を加えるために、先ほど飲まれました3年物を少量入れております。他にもニンニクや生姜などもごく少量ですが加えております」
そこで侯爵はワインを一口飲んだ。
「先ほどのような意外性はないが、見事な組み合わせだ。これほど美味なコカトリス料理は久しぶりに食べた気がする」
その後、天ぷら茶漬けと漬物を出した。さすがにこれにワインは合わせない。
「最後にデザートをお出しします」
そう言ってその場でフライパンを使い、あるものを焼いていく。
その間にスタッフたちが貴腐ワインを出していった。
ワインは黄金色で、甘い香りが漂ってくるほど濃厚なものだ。
デザートはあんこに溶いた小麦粉を絡めて焼いた“きんつば”だ。
それを小さな皿に載せ、黒文字代わりのデザート用の小さなフォークを付ける。
「これがデザートだと……」
見た目は小豆色の四角い物体に白い衣を纏った感じで、パッと見では何か分からないかもしれない物体だ。そのため、侯爵たちは首を傾げている。
「茹でた小豆に甘みを加えた後に四角く成形し、溶いた小麦粉を絡めて表面を焼いたものです。色はチョコレートに近いですが、カカオは全く使っておりません」
「なるほど……で、どのように食せばよいのかな?」
「フォークで少量ずつ切り取って食べていただき、ワインを楽しんでいただければと思います」
貴腐ワインにあんこは、俺としても結構チャレンジングな組み合わせだと思っている。但し、貴腐ワインに焼き菓子は定番の組み合わせなので、甘さが邪魔をすることはない。
不安があるとすれば、豆を甘くするという文化がなく食べ慣れないという点だろう。その点を考慮し、小麦粉を纏わせて焼き香ばしさを出した。うちの連中には割と好評だったが、和食を食べ慣れていない侯爵たちがどんな反応をするのか、興味があった。
「……うむ。素朴な味と言えばよいのかな。バターやナッツなどがない分、あっさりした感じを受けるな……」
そう言いながら侯爵はグラスに口を付けた。
「なるほど……焼いた小麦粉の香りが貴腐ワインによい。個人的にはバターの香りが欲しいところだが、和食ではあまり使わぬと聞いたから、これはこれでよいと思う」
何とか及第点をもらえたようだ。
実際、デザートにワインを合わせるのをやめて、練り切りの和菓子を出し、目で楽しんでもらおうかと考えたこともある。
しかし、せっかくのお題なので、デザートワインである貴腐ワインにできるだけ合いそうものを出してみたのだ。
「さすがはキタヤマ殿だ。今回は存分に楽しませてもらった。せっかくよい店もあることだし、時々来させてもらうことにしよう」
その侯爵の言葉に、心の中で安堵の息を吐き出した。
自信がなかったわけではないが、ワインに和食はやはり厳しい。
「次回は是非とも日本酒を合わせていただきたいと思います。その方がより和食を楽しめると思いますので」
「なるほど。今日よりも更に美味なる食事ができるのであれば、是非ともそうさせてもらおう」
そう言うと、侯爵は上機嫌で帰っていった。
侯爵たちを見送った後、サブのカウンターの様子をジェイクに聞いた。
「何とかご満足いただけたようです。でも緊張しましたよ。フランクがいなければどこかでミスっていたかもしれないです」
そう言いながらもジェイク自身満足げだ。これを機に更に自信を付けてもらいたいと思っている。
それでもこちらもプロなのでそのことは顔に出さず、スタッフたちに指示を出していった。
スタッフたちも最初は面食らい、硬くなっていたが、それでも俺の指示通りに動き始めると、その硬さは消え、普段通りの動きに戻っていた。
俺の前のカウンターには侯爵夫妻とノーマン夫妻、更に二組の若いカップルが座っている。
ルティエンス男爵からの情報では長女夫妻と次男夫妻で、長女が二十代半ば、次男が二十代前後といったところのようだ。
L字型のカウンターに座るというのが新鮮なのか、この二組のカップルの方は笑顔で話をしている。
おしぼりを出し、1杯目のグラスと料理を出していく。
「1杯目でございますが、白ブドウのみを使用したスパークリングワインとしました。合わせる料理はセオール川の切り裂き蟹を使いました、蟹真薯でございます」
蟹真薯は試飲の時から手を加えている。出汁を強めに利かせ、更に細かく刻んだ大葉と僅かだがレモンの皮をすりおろしたものを載せている。
侯爵はワイングラスを手に取ると、小さく頷いてから口をつけた。
そして、すぐに蟹真薯を小さなフォークに突き刺して口に運んだ。
「うむ。なかなかよいな。そう言えば、これに似た料理を食したことがあるが、何であったかな」
そう言いながらスパークリングワインに口をつける。
「食感は異なりますが、新年を祝う晩餐会で蒲鉾を出したことがございます。他にもスールジア料理の蟹シュウマイにも似ているのではないかと」
「なるほど。確かにスールジア料理に似たものがあったな。それにしてもこの料理はこのワインによく合う。ワインの冷やし加減も最適であるし、さすがは宮廷料理長が一目置く料理人だな」
侯爵はそう言って褒めるが、目は笑っていない。
俺も「ありがとうございます」とだけ答えるだけに留めた。
無難に1品目を終え、次の料理に移る。
「2杯目でございますが、軽めの白ワインでございます。合わせる料理は寿司でございます」
白ワインは若いソーヴィニヨンブランに似たもので、あえて寿司にしてみた。
寿司は昆布締めのヒラメとイクラ、ゆでエビで、舞踏会や晩餐会で出す時のようにスプーンに載せてある。
「どれから食べてもよいのかな?」と侯爵が聞いてきたので、「間にワインを挟んでいただければどれからでも問題ございません」と答える。
「これは一段と美味いな。さて、ワインにはどうかな」
侯爵はヒラメを食べた後、白ワインのグラスに手を伸ばす。
「ほう!」と驚いたような表情を見せるが、それ以上何も言わない。
「この気色の悪い色のものは何だ!」とノーマンが言ってきた。
俺が答える前に侯爵が「イクラを知らぬのか」と不機嫌そうに言った。
「イクラですか? 私は聞いたことがありませんが」
「お前は侯爵家を継ぐ気があるのか? これはキタヤマ殿が広めた新たな食材。ブルートンでは多くの店で使い始めているものなのだ。我が領地のワインにどう合わせればよいか、料理長に研究させておるのだが、それも知らんのか」
ノーマンは顔を赤くして下を向く。
どうやらこの親子は上手くいっていないらしい。
「もしよろしければ、他のワインもご用意しますが?」
「この白では合わぬということかな?」
「いえ、先ほどのお話ですと、合うワインをお探しとのこと。この寿司にはこの白が最も合うと判断しましたが、別の調理法の場合、これより合うものがございますので」
そう言ってから隣に立つ、弟子のサイモンに指示を出す。
「バジルを用意してくれ。ワインはさっきとは違うスパークリングワインだ」
そう言いながらイクラをボウルに出し、軽くぬめりを取った後、オリーブオイルとレモン汁を掛けてさっと和える。
サイモンが用意したバジルの葉を細かく刻み、スプーンに載せたイクラの上に振りかけ、最後にワインビネガーで軽く味を調え、侯爵のところに持っていった。
「和食ではございませんが、こちらの方にはこの方が好まれるのではないかと。黒ブドウを使ったスパークリングワインがオイルのコクとビネガーの酸味、バジルの香りとよく合うと思います」
その間にサイモンが、俺が作ったものと同じものを用意していく。何も言わなくてもやってくれるところが彼らしい。
侯爵はそのイクラを口に入れると、「確かにこの味付けの方が馴染みがある」と言った後、スパークリングワインを口に含んだ。
「なるほど。言わんとすることはよく分かった。確かにこのワインにはサーモンのマリネがよく合う。ならば、その卵であるイクラのマリネにも合うということか」
さすがは世界的に有名なワインの生産地の領主だけのことはあり、俺の意図を正確に見抜いていた。
このやりとりで侯爵の表情が柔らかくなった気がする。
3杯目は重厚な5年物の白ワインと黒鯛の西京焼きだ。
ワインは木の樽の香りがしっかりとついているが、ブドウ本来の香りも充分にあり、白味噌で漬けた少し癖のある黒鯛とよく合った。
4杯目は微発泡のやや甘口の白ワインだ。
これはリースリングを使ったドイツワイン、それもアウスレーゼと呼ばれるやや甘口のものに近い感じだったので、天ぷらを合わせてみた。
板場には既に熱した油が入った鍋があり、サイモンが粉とネタを準備していた。
「次は天ぷらでございます。合わせるワインは微発泡のものとなります。この料理は調理したものを皆様の前に置いていくスタイルですので、そのままお待ちください」
天ぷらは海老、イカ、牡蠣、アスパラガス、マッシュルームだ。
今回選んだネタは比較的個性の強いものにしている。これはドイツワインに似たやや甘口のワインに合わせたためだ。
「テンプラか。これを初めて食した時には衝撃を受けたものだ」
侯爵は国王主催の晩餐会で俺の揚げた天ぷらを食べたことがあり、その際、絶賛してくれたことを思い出した。
「以前お出ししたものより、ネタの個性が強いものを選んでおります。ワインとの相性を考えなければ、天つゆでもよろしいのですが、ワインに合わせるのであれば、塩のみで召し上がっていただいた方がよいかもしれません」
一応天つゆも出しているが、これは侯爵夫妻以外に天ぷらを食べたことがないため、料理自体を楽しんでもらおうと考えたからだ。
話しながら海老を揚げていく。
海老は頭と身を別々に揚げるが、今回の主役は身だ。日本酒なら頭を揚げたものの方が香ばしくてつまみになるが、甘く爽やかなワインにはプリっと甘い身の方が美味い。
侯爵は身を食べた後、ワインを口に含む。
「見事なものだ。このワインにはボイルしたソーセージにマスタードか、酸味を強く利かせたマリネくらいしか合わぬと思っておったのだが」
やはり試されたようだ。
他のネタもおおむね好評だった。
とりあえず、最難関のワインはクリアした。しかし、この後の赤ワインが本命なので気が抜けない。
フォーテスキューのワインは白も美味いが、何といっても芳醇な香りと濃厚な味の赤ワインが世界的にも有名だ。
だから、今回のお題の中に、同じ畑で熟成度合いだけが違うものが4種類もあったのだ。
「まずは最も若い3年物の赤ワインに合う和食をご用意しました」
俺の説明の間にココット皿のような小さな器が出されていく。
「牛の内臓に野菜を加え、味噌を使って煮込みました。少し甘めに仕上げております」
俺の説明に侯爵を含め、全員が顔をしかめる。
「我らに内臓を食わせるというのか!」とノーマンが文句を言ってきた。
この国にも内臓料理はあるが、基本的には庶民の食べ物だ。
また、処理が甘く、臭みが強いものを出す店が多い。そのため、ニンニクなどの香辛料で誤魔化しているところがほとんどで、美味い料理という印象はなかった。
「食わず嫌いはよくないと思うが、我がフォーテスキューの最高級のワインにこれが合うとは思えぬ」
それまで上機嫌だった侯爵の声にも険があった。
「一度口にしていただき、どうしても合わないようでしたら、別の料理をご用意いたします」
そこまで言うと、侯爵は渋々という感じでもつ煮込みをスプーンで掬って食べた。
次の瞬間、大きく目を見開く。そして、何も言わずにもう一度口に運んだ。
「これが内臓だというのか……臭みなど全く感じぬ。それどころか肉とは違ったコクと旨味を強く感じるほどだ……」
そこでワインがあったことに気づいたのか、ようやくグラスに口を付けた。
「何と言うことだ! ブドウの香りが更に上がったようだ……これはどういうことなのだ……」
侯爵の言葉に残りの7人も、もつ煮込みを口に運んだ。
そして、同じように驚いている。
「内臓は丁寧に処理しなければ臭みは消えません。今回の料理の中で材料費は最も安いのですが、最も手間が掛かっております」
「なるほど。素材の値段だけではないと言いたいのだな。だが、それだけでこの若い赤ワインに合うとは思えぬのだが」
「このワインは力強く、ブドウの持つ果実感が非常によく出ておりました。若い割に渋みも適度で、最初は脂ののった肉を出そうかと思ったほどです」
「それが王道だ」と侯爵が大きく頷く。
「ですが、この若いワインには当然のことながら熟成感が足りません。そこで熟成させて作る味噌をベースにし、更に10日以上中身を足しながら煮込むことで、料理に熟成感を与えてみたのです」
「10日以上も掛けたというのか……」
10日以上掛けているが、いわゆる継ぎ足しで作ったためで、無駄に煮込んだわけではない。
「これには正直、やられたとしか言えぬ。さすがはキタヤマ殿だ」
侯爵が満足げにそう言っているが、ノーマンはまだ不満げな表情のままだ。しかし、もつ煮込みはきれいに平らげており、料理に不満があるわけではなさそうだ。
そして本日のメインになる。
「料理としては最後になります。合わせるワインは15年物の赤ワインで、料理はコカトリスの照り焼きでございます」
赤ワインが用意され、更に焼けたばかりの照り焼きが甘辛い匂いをさせながら出てきた。
「照り焼きは醤油をベースに砂糖などを加えた甘辛いタレを付けて焼く手法です」
コカトリスの照り焼きは一口大にカットしてあり、侯爵はそれをフォークに刺し、口に運ぶ。
「ほう! 焼き加減もよい。それ以上にこの濃厚なソースがよいな。ショウユと言ったが、赤ワインも入っておるのではないか?」
さすがは美食家として有名なだけあり、初めて食べたはずなのにしっかりとソースの素材を言い当ててきた。
「その通りでございます。旨味と酸味を加えるために、先ほど飲まれました3年物を少量入れております。他にもニンニクや生姜などもごく少量ですが加えております」
そこで侯爵はワインを一口飲んだ。
「先ほどのような意外性はないが、見事な組み合わせだ。これほど美味なコカトリス料理は久しぶりに食べた気がする」
その後、天ぷら茶漬けと漬物を出した。さすがにこれにワインは合わせない。
「最後にデザートをお出しします」
そう言ってその場でフライパンを使い、あるものを焼いていく。
その間にスタッフたちが貴腐ワインを出していった。
ワインは黄金色で、甘い香りが漂ってくるほど濃厚なものだ。
デザートはあんこに溶いた小麦粉を絡めて焼いた“きんつば”だ。
それを小さな皿に載せ、黒文字代わりのデザート用の小さなフォークを付ける。
「これがデザートだと……」
見た目は小豆色の四角い物体に白い衣を纏った感じで、パッと見では何か分からないかもしれない物体だ。そのため、侯爵たちは首を傾げている。
「茹でた小豆に甘みを加えた後に四角く成形し、溶いた小麦粉を絡めて表面を焼いたものです。色はチョコレートに近いですが、カカオは全く使っておりません」
「なるほど……で、どのように食せばよいのかな?」
「フォークで少量ずつ切り取って食べていただき、ワインを楽しんでいただければと思います」
貴腐ワインにあんこは、俺としても結構チャレンジングな組み合わせだと思っている。但し、貴腐ワインに焼き菓子は定番の組み合わせなので、甘さが邪魔をすることはない。
不安があるとすれば、豆を甘くするという文化がなく食べ慣れないという点だろう。その点を考慮し、小麦粉を纏わせて焼き香ばしさを出した。うちの連中には割と好評だったが、和食を食べ慣れていない侯爵たちがどんな反応をするのか、興味があった。
「……うむ。素朴な味と言えばよいのかな。バターやナッツなどがない分、あっさりした感じを受けるな……」
そう言いながら侯爵はグラスに口を付けた。
「なるほど……焼いた小麦粉の香りが貴腐ワインによい。個人的にはバターの香りが欲しいところだが、和食ではあまり使わぬと聞いたから、これはこれでよいと思う」
何とか及第点をもらえたようだ。
実際、デザートにワインを合わせるのをやめて、練り切りの和菓子を出し、目で楽しんでもらおうかと考えたこともある。
しかし、せっかくのお題なので、デザートワインである貴腐ワインにできるだけ合いそうものを出してみたのだ。
「さすがはキタヤマ殿だ。今回は存分に楽しませてもらった。せっかくよい店もあることだし、時々来させてもらうことにしよう」
その侯爵の言葉に、心の中で安堵の息を吐き出した。
自信がなかったわけではないが、ワインに和食はやはり厳しい。
「次回は是非とも日本酒を合わせていただきたいと思います。その方がより和食を楽しめると思いますので」
「なるほど。今日よりも更に美味なる食事ができるのであれば、是非ともそうさせてもらおう」
そう言うと、侯爵は上機嫌で帰っていった。
侯爵たちを見送った後、サブのカウンターの様子をジェイクに聞いた。
「何とかご満足いただけたようです。でも緊張しましたよ。フランクがいなければどこかでミスっていたかもしれないです」
そう言いながらもジェイク自身満足げだ。これを機に更に自信を付けてもらいたいと思っている。
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しかし、シュヴァリエは私の方がもっと強いのだという。まさかとは思ったが、それには理由があったのだ。
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書籍化にともない本編を引き下げいたしました
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