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番外編第三章:「料理人ジン・キタヤマ:開店編」
番外編第三十三話「ジン、マフィアに殴られる」
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和食屋キタヤマをオープンして三ヶ月が過ぎた。
五月に入り、爽やかな日が続き、店の方も順調だ。
仕入れを任せているチャーリーのオーデッツ商会からこの時期らしい魚が届き、刺身や寿司を作り始めている。
もっとも、まだ客には出しておらず、ダスティン・ノードリーら友人にのみ味わってもらっている。
その理由だが、この国では生で魚を食べる習慣がなく、忌避されるためだ。
ダスティンやフィル・ソーンダイクら付き合いが長い連中は俺が美味いと言えば、ためらわずに食べるが、常連客にそれとなく聞いても“生魚を食べたいと思わない”という答えしか返ってこない。
食中毒や寄生虫の問題もあるが、これについては“鑑定”という便利なスキルがあるため、生で食べられる魚を選別することができているので問題はないと考えている。
その鑑定だが、王宮に料理を教えに行く時に、王宮の鑑定士が行った結果を聞いている。
王宮の鑑定士は国王らが安全に食事ができるように配置されており、俺が王宮に行くたびに国王に料理を振舞っているため、持ち込んだ食材を毎回鑑定してくれている。
この鑑定士だが、スキルレベルが高く、細かな情報まで知ることができる。そのため、鑑定した時に安全かどうかだけでなく、他の情報も聞くことでただで情報を得ることができているのだ。
刺身や寿司だが、ダスティンたちには大好評だ。特に寿司はお気に入りで、
「これほど美味いものを独占していいのかって思いますよ。陛下にお出ししてもいいのではないですかね」と言っているほどだ。
鰻の寿司は出しているが、火を入れたり酢で絞めたりしたネタ以外の生の魚を出すのはちょっとためらっている。それでも好評なので、そのうち出してもいいかなと思い始めている。
店の方は順調だが、以前より落ち着いている。
弟子入りしたジェイクが思った以上に使えるためで、最近では下処理や片付けだけでなく、簡単な料理を作らせている。
と言っても、まだ目を離していいほどではないため、時々チェックしながらになるが。
給仕のマリーもずいぶん慣れ、酒に関する知識も積極的に吸収しており、俺が酒の説明をしなくてもよくなった。
お陰で料理に集中でき、これも余裕ができるようになった要因の一つと言える。
売上も一日平均2千ソル、日本円で20万円ほどで、この辺りでは一番の繁盛店になっている。王家への借金についても当初の予定では一年間返済を免除してもらうことにしていたが、四月から2千ソルずつ返済するように変更した。
そんな日が続いていたが、トラブルがやってきた。
日本でいうところの暴力団に目を付けられたのだ。
きっかけはガラの悪そうな四人組が夜の営業中に入ってきたことだ。
最初は俺も普通に対応していたが、他の客に絡み始めたため、注意したところ、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「この店じゃ、見た目で差別するのかよ。他の客と話をしようとしただけじゃねぇか」
こういった手合いは日本にもいたので、一応対策は考えてあった。マリーを厨房に下げさせ、ジェイクに裏口から警備隊の詰所に走るよう、手で合図する。
二人が動いたことを確認したところで、
「放してもらえませんか?」と冷静さを保ちながら相手の目を睨みつける。
「なんだと?」というが、こちらを睨みつけながら、
「この辺りで店を出すなら、ロバーツ一家にあいさつがいるんだよ。今日は金貨10枚で勘弁してやる」
他の三人が椅子を蹴り、店の中は騒然となる。
「さっきも言いましたが、他のお客様の迷惑になります。それにそんな話は聞いたことがありません」
「舐めているのか、てめぇは!」
そう言って俺の身体を浮かせる。相手の方が頭半分ほど大きく、軽々と持ち上げられてしまった。
日本だと、こういった場合、手を出させた方が話は早い。
傷害事件なら被害者からの告訴がなくても、警察が動いてくれるためだ。相手もそのことが分かっており、言葉で脅してくることが多い。
中には気の短い奴はおり、痛いだけで済まないこともあるので、お勧めできる方法ではないが。
やはりここは日本ではなかった。
手を出さないなんてことはなく、思いっきり殴られてしまう。
勢いよく殴られたため、四人が座っていたテーブルに吹き飛ばされ、椅子が倒れる音の後に食器が割れる派手な音が店内に響く。
「キャー!」というマリーの悲鳴が響き、他の客が立ち上がる。
口の中に血の味がし、頭がクラクラとする。立ち上がれずにいると、追い打ちをかけるように他の三人から蹴りが入る。
「やめてください!」とマリーが叫びながら出てきた。
「さ、下がっていろ」と掠れた声でいうが、俺を殴った男がマリーに近づいていく。
「かわいい顔をしているじゃねぇか。こいつに馬鹿にされて傷ついた俺の心を慰めてもらおうか」
マリーの顎を掴みながら、ふざけたことを言っているが、俺は蹴られ続けているため、助けに行けない。
他の客もこいつらが質の悪い奴らだと知っているためか、どうしていいのか目を泳がせるだけで何もできない。
そこに外からバタバタという複数の足音が聞こえてきた。すぐに格子戸が開けられ、
「王都警備隊だ! 全員大人しくしろ!」という声が響く。
ちらりと見ると、警備隊らしき赤い鎧を着た兵士が四人とジェイクが入ってきた。
「はぁ? 警備隊だと? 俺たちが誰か知っているのか?」
警備隊の責任者らしき男が「あ……」と絶句する。
「そういうことだ。帰りな」
思った以上に大物だったらしい。しかし、兵士の方もすごすごと帰るわけにもいかないのか、掠れた声で反論する。
「こ、これ以上やったらロバーツ一家といえどもお咎めなしにはできんぞ」
そこで短い時間だが睨み合いになる。
先に折れたのは俺を殴った男だった。
「ちっ、分かったよ。今日はこのくらいで勘弁してやる。明日も来るからな」
そう言って仲間を引き連れ店を出ていった。
「ジンさん!」と言ってマリーが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか! すぐに治癒師を呼んでこないと……」
いつもの大人しさは消え、完全にパニックになっている。
「大丈夫。打ち身くらいだから」と言いながら立ち上がり、警備隊の兵士に話を聞く。
「あれはいったい何なんですか? ロバーツ一家とか言っていましたが」
そこで兵士は苦々しい顔をし、
「あいつらはこの町で一番でかいマフィアの一員だ。この辺りには滅多に現れないんだが……」
「何とかならないんですか? 無法者を取り締まるのが仕事だと思うんですが」
何となく駄目そうだが、一応言ってみた。
「俺たちでも下手に手を出すと命に関わるくらい危険な連中だ。悪いことは言わんから逆らわんことだ」
それだけ言うと、引き上げていった。
「マリー、済まないが、ここを片付けておいてくれ」と指示し、他の客に大きく頭を下げる。
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
そこで顔を上げ、
「今日は営業を続けられる状況でもありませんので、これで閉店させていただきます。お詫びでもありませんが、本日のお代はいただきません」
そう言うと、残っていた十人ほどの客は「運が悪かったね」とか、「気を落とさないようにな」などと俺に声を掛けながら帰っていった。
「ジェイク、済まないが、片付けを頼む」
「分かりました。師匠はどうされるんですか?」
「このままじゃ店が開けられん。ダスティンさんに相談してくる」
「でも、あいつらがまだ近くにいるかもしれないですよ。危なくないですか」
「大丈夫だろう」
「俺がノードリーさんを呼んできます。マリーさんが家に帰るのにこのままじゃ危険ですから」
「そうだな。済まないが、頼む」
そう言ったところで緊張の糸が切れ、猛烈な痛みに襲われ、椅子に座り込む。
「だ、大丈夫ですか!」と慌ててマリーが支える。
「ジェイク君、ダスティンさんとフィルさん、それに治癒師の方も呼んできて! できるだけ早く!」
「わ、分かりました!」
ジェイクはそういうと大慌てで裏口から出ていった。
マリーはすぐに入口の扉を閉め、しっかりと鍵を掛ける。更にジェイクが出ていった裏口にも鍵を掛けていた。
「歩けそうですか? 上で横になった方がいいと思います」
「ああ、大丈夫だ。とりあえず、片付けをしよう」
そう言って立ち上がろうとするが、痛みで動きが鈍い。
「ジンさんはそこで座っていてください。片付けは私がしますから」
顔がだんだんと腫れてきて、蹴られた脇腹や背中がズキズキと痛み始める。
三十分ほど経ったところで、裏口の扉が叩かれる。
「ジェイクです。ノードリーさんたちをお連れしました」
マリーが裏口に行き、鍵を開ける。
「ジンさん! 大丈夫ですか!」とダスティンが焦りを含んだ声で叫ぶ。
「大丈夫だと思います。結構派手にやられましたけど」
「本当に酷いことに……治癒師は手配しています。すぐに来るはずです」
その後ろからフィルが怒りに満ちた表情を浮かべていた。
「ロバーツ一家にやられたと聞きましたが……」
「そう名乗っていましたよ。警備隊の兵士ですら手を出せない存在なんですか?」
「そのようですな。しかし、情けない! 赤騎士団に厳重に抗議します!」
いつもは温厚なダスティンが怒りのあまり真っ赤になってプルプルと震えている。
ちなみにトーレス王国に四つある騎士団のうち、赤騎士団は国内の治安維持を担当しており、王都警備隊も赤騎士団の一員だそうだ。
「抗議はともかく、何とかしないとマリーの身が危険です。どうしたらいいですかね」
「当分の間、私が護衛に付きます。奴らも役人に手は出せませんから」とフィルが怒りに燃えた目で宣言する。
正直ありがたい申し出だ。
フィルは探索者の経験があり、兵士としても優秀だ。
「内務卿閣下に報告して警備の人員を回してもらいます」と言ったところで、扉を叩く音が聞こえた。
治癒師が到着したようで、すぐに治療してもらう。
迷宮に入って訓練は行ったが、俺自身が攻撃を受けたことはなく、今回初めて治癒魔術を施された。
その即効性に驚きを隠せない。
「凄いもんですね。あんなに痛かったのにきれいに治っている」
「腕のいい治癒師を頼みましたから」とダスティンが言ったので、役所の力を使ったのだろう。
「ジンさんはもう休んでください。ジェイク君、悪いけど実家に今日はここに泊まると伝えてくれるかしら」
マリーがそう言ってジェイクに指示を出す。
「怪我も治ったし、ケイトちゃんが待っているんだ。フィルさんに送ってもらって……」と言いかけたところで遮られる。
「駄目です。私が帰ったら、ジンさんは明日の準備を始めそうですから」
「いや、明日の朝まではゆっくり休むつもりだが」
「明日は臨時休業にしましょう。ダスティンさん、早急に対応をお願いします。そうしていただかないと、ジンさんは店を開けてしまいますから」
「そ、そうだな」とダスティンもマリーの勢いに押され気味になる。
俺はそのまま二階に追いやられ、寝るように言われてしまった。
■■■
ジンが自室に行き、治癒師が帰った後、ダスティンらは今後の協議に入った。
「まずは奴らを何とかしないとな」とダスティンがいうと、ジェイクが大きく頷く。
「師匠は奴らのことを知らないんで、危険だと思っていないようなんです。マリーさんが言わなければ、明日も普通に店を開けていたと思います」
ジェイクはジンの危機感のなさに危惧を抱いていた。
「ノードリーさん、国王陛下のお力で何とかできませんか? ロバーツ一家は貴族にも顔が利くから騎士団でも手が出せないという噂を聞いたことがありますから」
「それは私も聞いたことがある。陛下のお力はともかく、内務卿閣下には早急に動いていただくつもりだ。それでも駄目なら王太子殿下にお話して、白騎士団を動かしてもらう。近衛である白騎士団ならロバーツ一家であろうと関係はないからな」
白騎士団は王宮を守護する精鋭で、王家に絶対的な忠誠を誓っている。近衛兵であるが、実力主義が徹底されており、縁故によって動くことはない。
「どうして突然、奴らが目を付けたんでしょうか? 私はこの辺りに長く住んでいますし、前の店で働いている時に奴らを見かけたことなんてなかったんですが」
ジェイクの言葉にフィルが答える。
「この店が繁盛しているという噂を聞いたんだろうな」
それにダスティンが疑問を口にする。
「それにしてはタイミングが遅い気がするな。この店がオープンして三ヶ月以上だ。最初から大繁盛しているから、三月頃に現れてもおかしくはない」
「そう言われるとそうですね……ジンさんに恨みを持つ人間が関わっているかもしれませんね」
「ジンさんに恨みを持つ者なんていない気がするが」とダスティンが首を傾げると、
「マッコール商会の前の商会長ならどうです。チャーリーのところに手を出せば、すぐにばれますが、ジンさんならと考えそうな気がします」
フィルはモーリス・マッコールが怪しいと考えていた。
「まあ、それはともかく、私はこれから内務卿閣下にこの件を報告する。できるだけ早く兵士を派遣してもらうが、それまでフィルがここを守ってくれ」
「了解です。そのつもりで剣も持ってきていますから、安心してください」
そう言って腰に差している剣を叩く。
ダスティンが店を出た二時間ほど後、20名ほどの兵士が現れた。緊張した面持ちのマリーだったが、兵士の姿を見て安堵の表情を浮かべていた。
五月に入り、爽やかな日が続き、店の方も順調だ。
仕入れを任せているチャーリーのオーデッツ商会からこの時期らしい魚が届き、刺身や寿司を作り始めている。
もっとも、まだ客には出しておらず、ダスティン・ノードリーら友人にのみ味わってもらっている。
その理由だが、この国では生で魚を食べる習慣がなく、忌避されるためだ。
ダスティンやフィル・ソーンダイクら付き合いが長い連中は俺が美味いと言えば、ためらわずに食べるが、常連客にそれとなく聞いても“生魚を食べたいと思わない”という答えしか返ってこない。
食中毒や寄生虫の問題もあるが、これについては“鑑定”という便利なスキルがあるため、生で食べられる魚を選別することができているので問題はないと考えている。
その鑑定だが、王宮に料理を教えに行く時に、王宮の鑑定士が行った結果を聞いている。
王宮の鑑定士は国王らが安全に食事ができるように配置されており、俺が王宮に行くたびに国王に料理を振舞っているため、持ち込んだ食材を毎回鑑定してくれている。
この鑑定士だが、スキルレベルが高く、細かな情報まで知ることができる。そのため、鑑定した時に安全かどうかだけでなく、他の情報も聞くことでただで情報を得ることができているのだ。
刺身や寿司だが、ダスティンたちには大好評だ。特に寿司はお気に入りで、
「これほど美味いものを独占していいのかって思いますよ。陛下にお出ししてもいいのではないですかね」と言っているほどだ。
鰻の寿司は出しているが、火を入れたり酢で絞めたりしたネタ以外の生の魚を出すのはちょっとためらっている。それでも好評なので、そのうち出してもいいかなと思い始めている。
店の方は順調だが、以前より落ち着いている。
弟子入りしたジェイクが思った以上に使えるためで、最近では下処理や片付けだけでなく、簡単な料理を作らせている。
と言っても、まだ目を離していいほどではないため、時々チェックしながらになるが。
給仕のマリーもずいぶん慣れ、酒に関する知識も積極的に吸収しており、俺が酒の説明をしなくてもよくなった。
お陰で料理に集中でき、これも余裕ができるようになった要因の一つと言える。
売上も一日平均2千ソル、日本円で20万円ほどで、この辺りでは一番の繁盛店になっている。王家への借金についても当初の予定では一年間返済を免除してもらうことにしていたが、四月から2千ソルずつ返済するように変更した。
そんな日が続いていたが、トラブルがやってきた。
日本でいうところの暴力団に目を付けられたのだ。
きっかけはガラの悪そうな四人組が夜の営業中に入ってきたことだ。
最初は俺も普通に対応していたが、他の客に絡み始めたため、注意したところ、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「この店じゃ、見た目で差別するのかよ。他の客と話をしようとしただけじゃねぇか」
こういった手合いは日本にもいたので、一応対策は考えてあった。マリーを厨房に下げさせ、ジェイクに裏口から警備隊の詰所に走るよう、手で合図する。
二人が動いたことを確認したところで、
「放してもらえませんか?」と冷静さを保ちながら相手の目を睨みつける。
「なんだと?」というが、こちらを睨みつけながら、
「この辺りで店を出すなら、ロバーツ一家にあいさつがいるんだよ。今日は金貨10枚で勘弁してやる」
他の三人が椅子を蹴り、店の中は騒然となる。
「さっきも言いましたが、他のお客様の迷惑になります。それにそんな話は聞いたことがありません」
「舐めているのか、てめぇは!」
そう言って俺の身体を浮かせる。相手の方が頭半分ほど大きく、軽々と持ち上げられてしまった。
日本だと、こういった場合、手を出させた方が話は早い。
傷害事件なら被害者からの告訴がなくても、警察が動いてくれるためだ。相手もそのことが分かっており、言葉で脅してくることが多い。
中には気の短い奴はおり、痛いだけで済まないこともあるので、お勧めできる方法ではないが。
やはりここは日本ではなかった。
手を出さないなんてことはなく、思いっきり殴られてしまう。
勢いよく殴られたため、四人が座っていたテーブルに吹き飛ばされ、椅子が倒れる音の後に食器が割れる派手な音が店内に響く。
「キャー!」というマリーの悲鳴が響き、他の客が立ち上がる。
口の中に血の味がし、頭がクラクラとする。立ち上がれずにいると、追い打ちをかけるように他の三人から蹴りが入る。
「やめてください!」とマリーが叫びながら出てきた。
「さ、下がっていろ」と掠れた声でいうが、俺を殴った男がマリーに近づいていく。
「かわいい顔をしているじゃねぇか。こいつに馬鹿にされて傷ついた俺の心を慰めてもらおうか」
マリーの顎を掴みながら、ふざけたことを言っているが、俺は蹴られ続けているため、助けに行けない。
他の客もこいつらが質の悪い奴らだと知っているためか、どうしていいのか目を泳がせるだけで何もできない。
そこに外からバタバタという複数の足音が聞こえてきた。すぐに格子戸が開けられ、
「王都警備隊だ! 全員大人しくしろ!」という声が響く。
ちらりと見ると、警備隊らしき赤い鎧を着た兵士が四人とジェイクが入ってきた。
「はぁ? 警備隊だと? 俺たちが誰か知っているのか?」
警備隊の責任者らしき男が「あ……」と絶句する。
「そういうことだ。帰りな」
思った以上に大物だったらしい。しかし、兵士の方もすごすごと帰るわけにもいかないのか、掠れた声で反論する。
「こ、これ以上やったらロバーツ一家といえどもお咎めなしにはできんぞ」
そこで短い時間だが睨み合いになる。
先に折れたのは俺を殴った男だった。
「ちっ、分かったよ。今日はこのくらいで勘弁してやる。明日も来るからな」
そう言って仲間を引き連れ店を出ていった。
「ジンさん!」と言ってマリーが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか! すぐに治癒師を呼んでこないと……」
いつもの大人しさは消え、完全にパニックになっている。
「大丈夫。打ち身くらいだから」と言いながら立ち上がり、警備隊の兵士に話を聞く。
「あれはいったい何なんですか? ロバーツ一家とか言っていましたが」
そこで兵士は苦々しい顔をし、
「あいつらはこの町で一番でかいマフィアの一員だ。この辺りには滅多に現れないんだが……」
「何とかならないんですか? 無法者を取り締まるのが仕事だと思うんですが」
何となく駄目そうだが、一応言ってみた。
「俺たちでも下手に手を出すと命に関わるくらい危険な連中だ。悪いことは言わんから逆らわんことだ」
それだけ言うと、引き上げていった。
「マリー、済まないが、ここを片付けておいてくれ」と指示し、他の客に大きく頭を下げる。
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
そこで顔を上げ、
「今日は営業を続けられる状況でもありませんので、これで閉店させていただきます。お詫びでもありませんが、本日のお代はいただきません」
そう言うと、残っていた十人ほどの客は「運が悪かったね」とか、「気を落とさないようにな」などと俺に声を掛けながら帰っていった。
「ジェイク、済まないが、片付けを頼む」
「分かりました。師匠はどうされるんですか?」
「このままじゃ店が開けられん。ダスティンさんに相談してくる」
「でも、あいつらがまだ近くにいるかもしれないですよ。危なくないですか」
「大丈夫だろう」
「俺がノードリーさんを呼んできます。マリーさんが家に帰るのにこのままじゃ危険ですから」
「そうだな。済まないが、頼む」
そう言ったところで緊張の糸が切れ、猛烈な痛みに襲われ、椅子に座り込む。
「だ、大丈夫ですか!」と慌ててマリーが支える。
「ジェイク君、ダスティンさんとフィルさん、それに治癒師の方も呼んできて! できるだけ早く!」
「わ、分かりました!」
ジェイクはそういうと大慌てで裏口から出ていった。
マリーはすぐに入口の扉を閉め、しっかりと鍵を掛ける。更にジェイクが出ていった裏口にも鍵を掛けていた。
「歩けそうですか? 上で横になった方がいいと思います」
「ああ、大丈夫だ。とりあえず、片付けをしよう」
そう言って立ち上がろうとするが、痛みで動きが鈍い。
「ジンさんはそこで座っていてください。片付けは私がしますから」
顔がだんだんと腫れてきて、蹴られた脇腹や背中がズキズキと痛み始める。
三十分ほど経ったところで、裏口の扉が叩かれる。
「ジェイクです。ノードリーさんたちをお連れしました」
マリーが裏口に行き、鍵を開ける。
「ジンさん! 大丈夫ですか!」とダスティンが焦りを含んだ声で叫ぶ。
「大丈夫だと思います。結構派手にやられましたけど」
「本当に酷いことに……治癒師は手配しています。すぐに来るはずです」
その後ろからフィルが怒りに満ちた表情を浮かべていた。
「ロバーツ一家にやられたと聞きましたが……」
「そう名乗っていましたよ。警備隊の兵士ですら手を出せない存在なんですか?」
「そのようですな。しかし、情けない! 赤騎士団に厳重に抗議します!」
いつもは温厚なダスティンが怒りのあまり真っ赤になってプルプルと震えている。
ちなみにトーレス王国に四つある騎士団のうち、赤騎士団は国内の治安維持を担当しており、王都警備隊も赤騎士団の一員だそうだ。
「抗議はともかく、何とかしないとマリーの身が危険です。どうしたらいいですかね」
「当分の間、私が護衛に付きます。奴らも役人に手は出せませんから」とフィルが怒りに燃えた目で宣言する。
正直ありがたい申し出だ。
フィルは探索者の経験があり、兵士としても優秀だ。
「内務卿閣下に報告して警備の人員を回してもらいます」と言ったところで、扉を叩く音が聞こえた。
治癒師が到着したようで、すぐに治療してもらう。
迷宮に入って訓練は行ったが、俺自身が攻撃を受けたことはなく、今回初めて治癒魔術を施された。
その即効性に驚きを隠せない。
「凄いもんですね。あんなに痛かったのにきれいに治っている」
「腕のいい治癒師を頼みましたから」とダスティンが言ったので、役所の力を使ったのだろう。
「ジンさんはもう休んでください。ジェイク君、悪いけど実家に今日はここに泊まると伝えてくれるかしら」
マリーがそう言ってジェイクに指示を出す。
「怪我も治ったし、ケイトちゃんが待っているんだ。フィルさんに送ってもらって……」と言いかけたところで遮られる。
「駄目です。私が帰ったら、ジンさんは明日の準備を始めそうですから」
「いや、明日の朝まではゆっくり休むつもりだが」
「明日は臨時休業にしましょう。ダスティンさん、早急に対応をお願いします。そうしていただかないと、ジンさんは店を開けてしまいますから」
「そ、そうだな」とダスティンもマリーの勢いに押され気味になる。
俺はそのまま二階に追いやられ、寝るように言われてしまった。
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ジンが自室に行き、治癒師が帰った後、ダスティンらは今後の協議に入った。
「まずは奴らを何とかしないとな」とダスティンがいうと、ジェイクが大きく頷く。
「師匠は奴らのことを知らないんで、危険だと思っていないようなんです。マリーさんが言わなければ、明日も普通に店を開けていたと思います」
ジェイクはジンの危機感のなさに危惧を抱いていた。
「ノードリーさん、国王陛下のお力で何とかできませんか? ロバーツ一家は貴族にも顔が利くから騎士団でも手が出せないという噂を聞いたことがありますから」
「それは私も聞いたことがある。陛下のお力はともかく、内務卿閣下には早急に動いていただくつもりだ。それでも駄目なら王太子殿下にお話して、白騎士団を動かしてもらう。近衛である白騎士団ならロバーツ一家であろうと関係はないからな」
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「どうして突然、奴らが目を付けたんでしょうか? 私はこの辺りに長く住んでいますし、前の店で働いている時に奴らを見かけたことなんてなかったんですが」
ジェイクの言葉にフィルが答える。
「この店が繁盛しているという噂を聞いたんだろうな」
それにダスティンが疑問を口にする。
「それにしてはタイミングが遅い気がするな。この店がオープンして三ヶ月以上だ。最初から大繁盛しているから、三月頃に現れてもおかしくはない」
「そう言われるとそうですね……ジンさんに恨みを持つ人間が関わっているかもしれませんね」
「ジンさんに恨みを持つ者なんていない気がするが」とダスティンが首を傾げると、
「マッコール商会の前の商会長ならどうです。チャーリーのところに手を出せば、すぐにばれますが、ジンさんならと考えそうな気がします」
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「まあ、それはともかく、私はこれから内務卿閣下にこの件を報告する。できるだけ早く兵士を派遣してもらうが、それまでフィルがここを守ってくれ」
「了解です。そのつもりで剣も持ってきていますから、安心してください」
そう言って腰に差している剣を叩く。
ダスティンが店を出た二時間ほど後、20名ほどの兵士が現れた。緊張した面持ちのマリーだったが、兵士の姿を見て安堵の表情を浮かべていた。
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