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番外編第三章:「料理人ジン・キタヤマ:開店編」

番外編第二十九話「ジン、開店準備を終える」

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 十二月十日。
 帰国してから五日が経った。
 一時、国王の機嫌を損ねるということがあったが、何とかその危機は回避した。

 店の開店準備として、王室から10万ソル、日本円で約1千万円の融資を受けることになった。
 内装の改装費や什器類の購入で半分ほど使い、運転資金と予備費として500万円分残しておくが、あまり余裕はない。

 店はカウンター8席、テーブル席4つと考えており、一人で回すことはできないため、スタッフを雇う必要がある。

 できれば弟子になりうる料理人を雇いたいが、今は伝手もない状況なのでホールスタッフを雇うつもりでいた。

 これに関してはブルートンで商売をしているチャーリー・オーデッツに紹介してもらうつもりだ。

 彼の店は同じ商業地区である南地区にあり、小売業であることから顔が広い。人柄がよく、真面目な人物を紹介してほしいと頼めば、ある程度要望にあった人物を紹介してくれるだろう。

 人を雇うこと以上に不安なのはきちんと売り上げが上がるかだ。
 和食はここブルートンでは馴染みがない料理だ。ここではバターやハーブを多く使ったトーレス料理はもちろん、香辛料をふんだんに使ったスールジア料理も人気がある。

 しかし、和食はそこまではっきりとした味ではないので、最初は人が入らないのではないかと思っている。

 あまりに人が来ないようなら、ビラを撒くなりして宣伝は行うつもりだが、こう言ったことはあまり得意ではないし、ダスティン・ノードリーやフィル・ソーンダイクといった役人以外に知り合いは少ないから、口コミにも期待できない。

 唯一の救いは流れ人に与えられる年金だ。月々1千ソル、日本円で10万円がもらえるため、運転資金に流用できる。

 店の改装が進み、住居部分も手入れが終わったことから、引っ越しを行った。
 それまでも一人暮らしだったが、ダスティンやフィルの家の近くだったことと、住宅街ということで夜でも人の姿はあり、寂しいという気持ちを抱いたことはなかった。

 しかし、今の場所は商業地区の問屋街ということで夜になるとほとんど人通りはなく、静かな部屋にいると不安が湧き上がってくる。

(こんなに不安になるなら見栄を張って資金提供を断るんじゃなかった……)

 そんなことすら思うようになっていた。

 ある日、ダスティン・ノードリーからマッコール商会の情報が入った。サッカレー料理長が直々に査察に同行したそうで、三ヶ月間の出入り禁止という比較的軽い処分を受けたそうだ。詳細については興味がないので聞いていない。


 十二月二十五日。
 地球ならクリスマスだが、この世界にも似た風習があった。元々冬至を祝う祭りだったらしいが、流れ人がクリスマスに似たイベントを根付かせたらしく、街は華やかな飾り付けがなされていた。

 ダスティンから、家でパーティをするからと誘われたが、残念ながら俺は王宮に行かなければならなかった。

 国王から王室主催のパーティの料理を作るよう頼まれたからだ。

「この時期、国内の有力貴族が王都に集まる。我が王宮でも何度かパーティを行うのだが、キタヤマ殿の料理で貴族たちの度肝を抜いてやりたい。一品でも二品でもよいので料理を作ってくれぬか」

 そう言われてもパーティの規模、形式が分からないと答えようがない。
 そのことを指摘すると、

「確かにそうであるな」と国王が頷くと、同行していたランジー伯が説明を代わる。

「冬至祭りの日には舞踏会が行われます。そのため、立食形式のパーティとなり、料理は適宜、給仕たちが出席者に渡す形となります。新年の祝賀会では王宮の大ホールで晩餐会が行われます。こちらは料理が主となりますが、主だった貴族は陛下の席を訪れ、挨拶をしていくことになりますので、席を離れる者が多くいます……」

 立食パーティと結婚式の披露宴のようなイメージを思い浮かべる。

「陛下のご希望はございますか? このような料理を出してほしい、この素材を使った料理を食べたいなどのご要望がございましたら、参考にさせていただきたいのですが」

 まずは主催者の要望を聞く。

「鰻の蒲焼はぜひとも出してほしい。あとはマシア共和国で手に入れたオールド・ノウチのナマザケを出して、フォーテスキュー侯爵の驚く顔を見てみたい。これくらいだな」

 鰻はいいとして、政敵の驚く顔を見たいという理由に内心でニヤついてしまう。

 ここ十日ほどは今日のパーティの準備で大わらわだった。
 舞踏会の参加者の数が百人を超えるためで、一品か二品と言われても一人で作るには膨大だからだ。

 舞踏会では国王の希望と食べやすさを考え、鰻の寿司を握っている。
 寿司だが、東京の寿司屋で修業した経験がある。もっとも、修業は3年ほどしかしていないため、本職の寿司職人には及ばない。しかし、そこの親方からは寿司一本でいかないかと言われており、ほどほど食べられると思っている。

 その握り寿司だが、手掴みでは食べ辛いため、一口で食べられるサイズにし、スプーンに載せた。
 握った数は二百以上で、握ったそばから収納袋マジックバッグに入れていき、会場に出す前にスプーンに載せている。この作業は当然俺一人で、もう一品作る気力を失った。

 この寿司が思った以上に好評だった。

「これは面白い料理ですな! この甘辛く脂の乗った魚とビネガーを利かせたコメという組み合わせは実に斬新だ!」

「実に食欲をそそる香りと味だ! このサケとの相性もよい! マシアの料理人を招聘されたのですかな?」

 合わせてマシア共和国で手に入れたノローボウの純米吟醸の生酒を出したことから、マシア料理の料理人が来ていると勘違いされている。
 食べた者が口々に褒めるため、あっという間に寿司はなくなった。

 そして、一月一日の新年の祝賀でも料理を出している。
 こちらも百人以上の招待客がおり、今度は国王ヘンリーの政敵フォーテスキュー侯爵とウィスタウィック侯爵も出席していた。

 そのため、前々日には国王に呼び出され、是非とも二人の鼻を明かしてほしいと頼まれてしまった。
 俺としては政争に巻き込まれるのは勘弁してほしいと思っているので、曖昧に答えている。

 出した料理は牛肉のたたきと伊達巻だ。
 牛肉と言っているが、ミノタウロスという魔物の肉を使っている。ミノタウロスと言えば、牛頭の人型の魔物で、最初は本当に食べられるのかと思った。
 豚頭のオークも普通に食べられているので、この世界の人には違和感はないのだろうが、人型ということがどうしても気になってしまう。

 肉自体は黒毛和牛の赤身という感じで、しっとりとした歯触りと肉本来の旨みを感じられる極上のものだった。
 これの表面を炙り、日本酒、醤油、味醂、すりおろしたにんにくと生姜などを混ぜ合わせたタレを掛けた。

 大ホールの袖から見ていたが、大好評だった。

「このソースは初めての味だが、このミノタウロス肉にとてもよく合う!」

「肉の旨みをこれほど引き出すソースは初めてだ。レアな肉の旨みが何倍にもなるようだ!」

 伊達巻は元日と言うことでおせち料理からヒントを得て作っている。エビのすり身を使った寿司屋の玉子焼きに近いもので、その形状と甘みに出席者は驚いていた。

「見た目からユニークだが、デザートでもないのにこの甘さは驚きだ。だが、これがこのサケにとても合う。玉子に何か混ぜているのだが、私には全く分からない」

「これほどしっとりとした玉子料理は出会ったことがない。歯に吸い付くようなこの独特の食感と甘みと旨みはこれまでの料理と一線を画するものだ」

 更にオールド・ノウチの純米大吟醸の生酒を出すと、フォーテスキュー侯爵の表情が大きく変わるのが見えた。
 フォーテスキューは赤ワインの産地として世界的に有名で、侯爵自身も美食家として知られている。

「これは……これほどのサケを陛下はどこで手に入れられたのか……」

 二人の侯爵は今回の料理や酒に驚いていたが、俺の存在はしっかりリサーチ済みだった。

 ランジー伯から聞いた話では国王に「これが噂の流れ人の料理ですかな」とフォーテスキュー侯爵が聞き、ウィスタウィック侯爵も「スキルレベル9と聞き及んでおりますが、これならば納得できますな」と言っていたらしい。

 ただ、二人の侯爵はいずれも俺に会いたいと頼んできたと教えてもらった。

「……特にフォーテスキュー侯爵は“これほどの腕の料理人を王宮だけが独占するのはいかがなものでしょうかな? 王国全体の利益のために働いてもらうべきではありませんか”と言っておりましたよ」

 そこまで言ってくれるのは面映ゆいが、正直なところ、どちらの侯爵にも会いたくない。
 そのことをランジー伯に言うと、相好を崩す。

「了解しましたぞ。今のキタヤマ殿の言葉を陛下にお伝えすれば、必ずやお喜びになるでしょう」

 ご機嫌取りのために言ったわけではないが、これで問題が減るならありがたいと頭を下げるだけで済ませている。

 年末年始のイベントが終わったところで、店の開店準備が本格的に始まった。
 一月半ばには店の改装は完全に終わり、厨房の改造もほぼ終わった。使い勝手を確認しつつ、経営計画を考えていく。

(当面は昼と夜の二本立てだな。客がどの程度来るかだが、日本より仕入れで頭を悩ませなくていい分、楽だな……)

 マジックバッグがあれば、食材の鮮度が落ちることを考えなくていい。また、予め準備しておいても劣化することがないから、廃棄の問題も少ないし、客の回転率を上げることもできる。

 とは言っても、客が来なければ売り上げは上がらず、当然利益は出ない。

(とりあえず、二月一日にオープンするとして、昼は20人、夜は8人くらいを当面の目標に計画を立てていこう……)

 ランチの人数が多いのは立地条件の関係だ。
 問屋街とはいえ、商業地区の中にあり、昼間は働いている人が多い。近くに食堂はあまりなく、ある程度の売り上げは確保できるだろう。

 夜はダスティンたち王宮勤めの役人たち頼みだ。
 役人たちは国王が絶賛していることを知っているから、適度な値段設定なら一度くらい食べてみようと考えてくれるのではないかと思っている。
 役人たちが一巡するまでに新規の客を開拓しないと売り上げはじり貧だが、そこはランチを食べた人の口コミに頼るしかないと思っている。


 あっという間に十日間ほどが過ぎ、オープンを二日後に控えた一月三十日になった。
 結局、人を雇う時間がなく、当面はいわゆる“ワンオペ”となる。
 ダスティンたちから心配する声があったが、急いで雇ったはいいが、使えなかったら目も当てられない。

 今日は世話になった人たちを招待するプレオープンイベントを計画していた。
 招待客はダスティン、フィル、チャーリーの三人とその家族だ。

「おめでとうございます」といってダスティンたちが入ってくる。

「それにしても変わった造りなんですね」と久しぶりに顔を合わせる、ダスティンの妻イルマが店の内装を見まわしながら言ってきた。

 内装だが、割烹を意識しており、木を多く使っている。カウンターは無垢の一枚板で、格子窓や暖簾、珪藻土をイメージした土壁など、この世界のレストランの明るい感じとは全く違う。

「ここから庭が見えるんですね」

「ええ、まだ完成ではないんですが」

 庭が見えるように木窓をガラス窓に変え、裏庭を坪庭のように木を植え、石を配している。もう少し、趣がある庭にしたいが、時間と金がなく、何とか見られる程度でしかない。

 全員が集まったところで料理を出していく。

「今日は大したものは出せませんが、ゆっくり楽しんでください」

 一人で配膳を行うため、簡単な料理しか作っていない。
 家族連れということで、大皿に盛らせてもらっているし、子供が多いことから揚げ物や焼き物が多い。

「鶏の唐揚げは相変わらず美味いですね」

「このサバの味噌煮は絶品です」

 子供に合わせたため、割烹というより和食系のファミレスといったラインナップだが、おおむね好評だった。

「ところで一人で本当に大丈夫なんですか? 私でよければ手伝いに来ますよ」とイルマが言ってきた。

「当面の間はカウンターだけで営業するつもりですから、多くても一度に八人だけです。このくらいなら以前もやっていたので大丈夫ですよ」

「ですが、仕込みから片付け、経理まですべて一人では回らなくなるのでは?」

 普段無口なフィルが聞いてくる。

「回らなくなるほどお客さんが入ってくれたらいいんですけど」

「いや、絶対に客は入りますよ。すぐにでも人を雇うことを考えておいた方がいいと思います」

「お客さんが入ってくれたら考えたいんですけど、信用できる人じゃないとなかなか……」

「なら、私が手伝います。料理は無理ですが、配膳と片付け、それに経理もできます」

 いきなり立候補してきた。少し酒が入っているからかと思ったが、目は真剣だ。

「役所を辞めるわけにはいかないでしょう。給料もきちんと払えるかどうか分からないんですから」

「役所は辞めてもいいと思っています。多少の蓄えはありますから、給料も払える分だけで当面は充分です」

「家族がいるのにそれは……」

「妻も納得しています」と言って隣に座る妻スザンナを見る。既に話し合いをしていたのか、彼女も真剣な表情で頷いている。

「いずれにしても店が成功したらの話です」

 そう言ってこの話を打ち切った。

「初日は私が手伝いますよ」とチャーリーが言ってきた。

「大丈夫だよ」と答えるが、

「結構声を掛けているんです。多分行列ができると思います」

 商業地区で知り合いに声を掛けてくれたらしい。

「なら、初日だけ少し手伝ってくれると助かるよ」

 みんなの気づかいに胸が熱くなる。

 翌日は朝からオープン初日のための仕込みを行い、早めに床に就いた。
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